お相伴
何も食べる気になれない俺を他所に、サダは食堂へ向かう途中腹の虫を盛大に鳴らした。 腹が空いたら鳴るのは当たり前と思っている奴だから恥ずかしくはないらしい。 平気な顔で先導しているカイザー侍従長に訊ねる。
「朝食には何が出されるのですか? あの、食べた事のない物が出されたらどうすればよいでしょう? 手を付けなかったら料理を作ってくれた人に失礼ですよね。 でも不作法な食べ方をしたら陛下の御不興を買うだろうし」
儀礼や作法を知らない俺とお前が不作法なのは陛下の想定内だと思うが、それを言う前にカイザー侍従長が答える。
「儀礼や作法に関して御心配なさいませぬよう。 今日の御朝食には様々な料理がどれも食べやすい大きさで出されます。 お好きな物をお好きなだけお召し上がり下さい。 揚げ物、蒸し物、煮物、焼き物、茹で物、菓子、果物など多岐に渡るため、何を食材に使った料理か給仕が説明致します。 お代わりをなさりたい時は給仕にお知らせ下さればすぐに運んで参りますので」
「それが陛下の普段の御朝食なんですか?」
「普段陛下が召し上がるのは最初に出される朝粥だけです。 陛下の昼食と夕食は全て皇王族、臣下、或いは外国の貴賓との会食の予定で埋められており、お一人で召し上がる事はありません。 その時に陛下が少食だったり料理にお手をつけないと御健康に問題がおありだとか、会食相手に対して思う所がある等の疑念や噂の元となりがち。 そのため御朝食は軽くしか召し上がらないのです」
「そうでしたか。 なら私もお粥だけでよいです。 自分だけぱくぱく食べるのは気まずいし、陛下より沢山食べたらだめですよね?」
「陛下には次の御予定があり二十分で御退席なさいますが、青竜の騎士はその後もお食事を続けて下さって構いません。 いつ御退席なさるかは御自由です。 また、出された料理以外に何か召し上がりたい物がございましたら給仕にお知らせ下さい。 御希望に添うように致します。 何分料理長は青竜の騎士のお好みをまだ把握しておりません。 この機会に苦手な食材や嫌いな料理がございましたらそれもお知らせ下されば次回の会食の参考にさせて戴きます」
陛下の日常は前例に縛られ、前例にない事は避ける御方と聞いている。 朝食のお相伴だけでも異例なのに豪華な服と微に入り細を穿った気遣い。 俺にまで家紋付き軍服とは。
特別扱いには必ず何か理由がある。 それに食事はともかく、服は相当前から用意していなければ今日の朝食に間に合わないから昨日サダが黒い霞を祓った事や石を宝玉に変えた事への褒美ではあり得ない。
昨夜の内にスティバル猊下が陛下へ奏上なさったのだとしたら、服を贈る理由ではなくとも気遣いがあっていいとは思うが。 それなら陛下への手紙をサダに託す必要はないし。 もしや口頭で伝えるより記録に残しやすいから手紙にした?
もっとも本当に俺達が歓待されているのかは料理を食べてみない内は分からない。 まずい物や食べられそうもない物を出されても陛下から食べろと勧められたら食べない訳にはいかないし。 手の込んだ嫌がらせをされる恐れもある。 サダには美味い料理を、俺には見かけはそっくりのまずい料理を出されるとか。 そんな事まで心配しなけりゃならないからお相伴なんてやりたくないんだ。
それに食べただけで終わるか? 飯はまともでも陛下からの無理難題はある可能性は高い。 だからこその家紋だろう。 何もなけりゃないで、これから何かあるのでは? リヨの縁談だったら聞かずに済ませたいが。 いつ告げられるかを恐れて悩むよりさっさと教えてもらいたい。 あれやこれやを考えたらたとえ腹は減っていようと何も食べる気になれん。 俺の人生で最も長い二十分となるに違いない。
こうなってみて初めてサリをオスティガード殿下の妻に望まれたサダの気持ちが分かる。 その知らせを受けた時なぜ失神したのかも。 サダの場合爵位と領地を貰ったが、そんなものサダが欲しがっていた訳じゃない。 サリを皇王妃として迎える時、親が無爵だと体裁が悪いという向こうの都合でくれただけだ。
では今日の贈り物にはどんな都合が隠されている? 理由なくお気遣いを乱発なさるような御方ではないだけに、過分なお気遣いは嬉しいより不安が先に立つ。 家紋は副将軍になったりサダの護衛をしたくらいで貰える褒賞ではない。 それだけは確かだ。 今まで何度も命懸けで任務を果たしたが、生きて帰れたのは奇跡と言えるような時でも陛下からの褒賞は感状一枚だった事を見ても分かる。
だが貴族の気持ちさえ分からない俺に陛下からの贈り物の理由なんぞ分かる訳がない。 理由が一つとは限らないし、縁談が理由ではないかもしれない。 サリが輿入れする時リヨを女官として連れて行きたいと望んだら、家紋のあるなしは重要だ。 後宮の女官は勿論、下働きでさえ貴族がほとんどなんだから。 リヨに剣の素質があり後宮の警備兵になれるほど上達したとしても、剣士として強いだけでは選ばれない。 貴族でないと。
そんな何年も先の話、と平民の俺なら思うが、皇王陛下なら先の先までお考えになるだろう。 或いは皇王妃陛下がサリのために先走った? リヨが出仕を望むかどうかも分からないのに。 もしリヨに結婚したい男がいなければそういう選択もあるにはあるが、それはサリとリヨの気性が合えばの話。
改めて言いたくはないが、俺にとって貴族は鼻持ちならない奴らだ。 貴族にとっても俺は鼻持ちならない男だろう。 平民なのにこれほど昇進しただけでなく、俺は元々平民らしくない。 平民なら誰でも持っている貴族に対する恐れを持っていないから。
俺から見れば貴族は平民から奪っていくだけの奴らだ。 とは言え、俺を放っておいてくれるならこちらから出向いて喧嘩したい訳でも怒らせたい訳でもない。 だが喜ばせたいと思った事もないから俺のやる事なす事、全て気に食わなくても当然と言える。
そんな貴族との付き合いだけでうんざりなのに、このうえ皇王族とも付き合わされたらたまったもんじゃない。 分かりあえない者同士で腹を探りあったって何が分かる。 副将軍になれば雲の上の御方との交流も仕事の一部だからやるべき事はやるつもりだが、親戚となる事だけは勘弁してもらいたい。
サダと俺は角がない正方形のテーブルと三つの椅子が置いてあるこじんまりとした食堂へ案内された。 そこでカイザー侍従長がお相伴の流れを簡単に説明し始める。
「先触れはなく、陛下は間も無く軽装でいらっしゃいます。 朝の挨拶を交わした後、御着席になり、そこでお茶と食事が運ばれて参りますのでお掛けになってお待ち下さい。 お席は決まっておりません」
それを聞いたサダが。
「じゃ、私はここで」
そう言って真ん中の椅子に座った。 それなら俺はサダの隣に座れ、陛下とは席一つ分の空きがある。 咄嗟にこんな気遣いが出来るとは。 少しサダを見直した。
説明の後、カイザー侍従長が念を押す。
「尚、この流れは儀礼という儀礼を全て削ぎ落としたもの。 このような省略、陛下が他のどなたかにする事はございません。 それ故他の臣下が同席している会食の席で陛下が御臨席なさる場合、今日と全く同じ行動をなさらないよう呉々もお気をつけ下さい」
カイザー侍従長は結局これを言いたくてわざわざ迎えに来たような気がした。 青竜の騎士に警告するのは陛下の御指示があったとしても平の侍従では勇気がいるだろう。 行き届いたお気遣いだが、次の会食の機会までサダがこの警告を覚えていられるとは思えない。 カイザー侍従長に向かってそんな告げ口みたいな事は言えないが。
サダはただ素直に頷いていた。 どうせ素直なら、覚えていられるかなあとか、忘れちゃうかも、と今の内に言って相手に心の準備をさせておいた方が親切だろうに。
陛下がいらっしゃり、挨拶が済んでお席に着くと同時にお茶が運ばれてきた。 陛下がお茶を啜られたのが合図だったようで、次室に繋がる扉が開き、お盆を持った給仕が料理を運び入れる。
「サダ。 朝はいつも何を食べているのだい?」
「決まっている訳ではないのですが、オーツ麦に茹でた小豆を混ぜたものをよく食べます。 それと牛乳かヨーグルト、卵ですね。 卵は茹でたり、卵焼きにしたり、オムレツにしたり」
「肉は食べないのかい?」
「それはお昼か夜に食べています」
陛下がお粥を召し上がりながらサダにお訊ねになる。 これは食べた事があるか、塩気は足りているか、これは好きか、嫌いなものはないか。 どれも食べ物の事ばかり。 予定にない登城の経緯や家族旅行について何もお訊ねにならず、俺へのお言葉もない。
サダは、初めて食べました、美味しいです、好き嫌いはないですとか、無難な返答をし、俺は何も言いたくないので食べ続けた。
「ところで、サダ。 昨日神域で突発的な暴風があったとか。 怪我は無かったかい?」
「はい。 タケオ施主が私の背中を守ってくれました。 その件に関し、スティバル猊下より陛下へのお手紙をお預かりしております」
それをお読みになった陛下の目が大きく見開かれる。 そこでサダが背嚢に入れてあった宝玉を取り出した。
「こちらが神域で見つけた宝玉です」
陛下は無言でお受け取りになり、宝玉を包んでいた布を開いて御覧になる。 朝日に包まれた食堂を宝玉が一層明るく照らす。 陛下はしばし無言でいらしたが、瞳に浮かべていらっしゃるのは深い感動だろう。 お怒りではない事だけは確かだ。
「サダよ。 奇跡は起こり得るものなのだな」
「皇恩に深き感謝を捧げ、皇王陛下の御代に万歳万々歳を申し上げます」
サダにしてはあっと驚くようなまともな返答で一瞬たまげたが、以前どこかで聞いたような気がして思い出した。 これは当時フェラレーゼ王女であられたプラシャント皇王妃陛下をお出迎えする際、ヘルセス家のオラヴィヴァ侍従長から徹底的に叩き込まれたセリフの一つだ。
陛下ならこれが定形の返答である事にお気付きだろうし、真摯な心情の吐露に対してこの返答では残念に思われたのではないか? 落胆なさったとしてもそのような気振りは少しも見せず、視線を俺へお向けになる。
「タケオ施主。 この度の登城、大儀であった。 北軍副将軍として今後益々多忙となろうが、北は我が治世の礎。 その守り、頼りにしておるぞ」
「お言葉、忝く存じます。 陛下の忠誠なる臣民として日々努力研鑽に励むでありましょう」
俺の返答もオラヴィヴァ侍従長から教えられた定形だが、陛下は鷹揚に頷かれる。 そして宝玉と手紙を陛下御自身でお持ちになられ、御退席になった。 いつもなら陛下への献上物は全て侍従が受け取ると聞いているが。
陛下が御退席なさるとサダが大きなため息をつく。
「ふう。 これで思いっきり食べられますね。 どれをお代わりするか迷うなあ。 どれもすごく美味しいから」
側に控えていた給仕が一礼して言う。
「では全て持って参ります」
「えっ。 食べ切れるかな。 師範も召し上がります?」
「俺はいい」
「せっかくの御馳走、遠慮しなくてもいいのに」
「食べ過ぎると体の動きが鈍る」
「どうせ今日も近衛の皆さんと手合わせするんでしょ。 今食べておかなきゃ後でお腹が空いて倒れちゃいますよ。 猊下が召し上がるのは菜食中心だし」
そこで給仕が申し出る。
「残りがございましたらお昼のお弁当となさっては如何でしょう? お詰めします」
「いいの? じゃ、全部持ってきて」
次々出される料理を頬張りながらサダが言う。
「宝玉、陛下にとても喜んで戴けましたね。 あの大きさなら確かに奇跡だし」
陛下が仰った奇跡は宝玉の大きさを指していたんじゃないと思うぞ、と言いそうになったが言葉を飲み込んだ。 なら何を指していたんだと聞かれたら困る。 こいつは人が言った事をまるっと信じたりするから。 あの奇跡はサダを指していたと俺が思うのは勝手だが、陛下のお気持ちを俺が代弁するのはまずいだろ。
それに俺だって陛下と同じ言葉を思い浮かべたが、陛下と同じ理由ではないと思う。
石を宝玉に変え、瘴気や黒い霞を祓い、飛竜や神獣の気持ちが分かるのは奇跡だと思うが、例えば石ころを宝玉に変えられる奴がサダ以外にも出来る奴がいたとしたら、そいつは自分の事をすごいと思うはずだ。 たとえ瘴気を祓えず、飛竜に乗れなくとも。 そしておそらく宝玉は自分の物だと思うだろう。 もし陛下に献上するなら褒美が欲しいと強請るか、献上する前に宝玉の一部を切り売りするんじゃないか。 さもなきゃ宝玉を使って小細工しようとするとか。
宝玉に変えられなくてさえ、あの石が普通の石ではない事に気付いた奴らは自分の利益のために利用しようとした。 神域の下働きや神官のように。 俺だってもしあの石を見つけ、人を自分の思いのままに操れると分かったら、悪用はしなくとも自分の懐を肥やすくらいはする。
だがサダならそんな事はしない。 金儲けが出来るぞ、と俺が教えてもやらないだろう。 自分のためだけじゃなく、自分の家のためでも。 そこがサダのあり得ない所だ。 やろうと思えばやれる貴族でありながらやらない男がいた事。 生きてそいつに出会えた事が奇跡だと思うのだ。 少なくとも俺は。
お相伴を乗り切れたのだってたぶんサダのおかげだ。 陛下があの宝玉を受け取る前は俺と目を合わせようとせず、一言もお言葉をお掛けにならなかった。 俺にとって聞きたくない事を仰るおつもりだったからだろう。
それがなんであったか俺は知らない。 だが陛下が感動のあまり無言でいらした数分。 奇跡に巡り会えた感動の余韻を、サダをがっかり、又は悲しませる無粋な言葉で台無しにしたくない、とお考えになられたような気がする。
だからって今サダに礼を言う気はない。 俺が生きて北へ帰れるかはまだ分からないからな。 こいつの事だ。 これから絶対何かやらかす。
ただ陛下が、奇跡は起こり得るものなのだなと仰った時、ふと思った。 初代皇王陛下が初代青竜の騎士の奇跡を御覧になった時も深い感動と共に同じお言葉を漏らされたのではないか、と。




