一掃
宝玉を手に入れてからは特に何事もなくテーリオ猊下宅に着いた。 するとサダが玄関脇に控えている下働きの手を握った。
「世話になる。 よろしくな」
元々目下の者にも気軽に声を掛ける奴だが、なぜここで握手? と不思議に思う間も無い。 ネイゲフランの時よりもっと強い気の流れが巻き起こり、俺達は全員その場に踞った。 気流が収まり皆が立ち上がる。 しかし下働きの男は倒れたままだ。 見ると失神している。
スティバル猊下が近衛隊長にお命じになる。
「この者を治療院へ運ぶように」
「畏まりました。 すぐに代わりの下働きを呼んで参ります」
「代わりはいらぬ。 現在ここで働く下働きは何名いる?」
「敷地内の離れに住むテーリオ猊下専属の下働きは六名です。 倒れた者はその中の一人で、その他に通いの料理番、給仕、風呂番、掃除夫、洗濯夫、庭師、馬丁がおります。 彼らは仕事が終わり次第それぞれの詰め所へ戻りますが、今はまだ仕事をしているでしょう」
「仕事の手は休めてよい。 全員をここへ呼べ」
「御意」
次々現れる下働きとサダが握手し始める。 全員握手された後に倒れ、運び出された。
サダがスティバル猊下のお耳に囁く。
「通いの中に霞に取り憑かれている者はおりません」
猊下が微かに頷かれ、通いの者達へお告げになる。
「皆、下がってよい」
近衛隊長がスティバル猊下に申し上げる。
「猊下、代りの下働きを一人もお召しにならないのですか?」
「いらぬ」
「しかしお着替えや寝具の用意などは如何なさいます」
「自分で出来る」
「通いの者が何をすべきかは下働きが命じていたのですが」
「明日、通いの者が来た時に私が命ずる」
「通いの者を離れに泊め、当座の下働きとする事も可能です。 下働きの心得はないので不手際はあるかと存じますが」
「必要ない。 通いの者達は予定通り詰め所へ戻ってよい」
内心呆れていたのではと思うが、近衛隊長は畏まりましたとだけ言って引き下がった。
サダと俺は取りあえず猊下の隣の部屋に下がったが、黒い霞が下働きにも取り憑いていたのを見てリネ達が心配になった。
「サダ、俺達二人が突然いなくなったら変だから、お前だけリネ達の所へ行って黒い霞の下働きがあちらにいないか確認してこい」
「どうせ今晩寝る時はあっちへ行くんだし、心配しなくたって大丈夫ですよ。 ケルパ、ノノミーア、エイオもいるんだから、黒い霞の下働きが他にもいたとしても近づけません」
「なぜそれが分かる」
「俺がサボろうとするのさえ分かる神獣に黒い霞が分からないはずはないです。 それにノノミーアならきっと黒い霞が祓えますよ。 癒しが得意だから。 試した訳じゃありませんが、私の兄のサジも霞を祓えるような気がします。 黒いのは分からないけど、青いのは間違いなく。 御典医の皆さんはたぶんそういう能力があるから選ばれたんじゃないのかな」
「お前がそう言うなら後でもいいが。 それにしてもあの下働きの連中、ネイゲフランの黒い霞より強烈だったんじゃ?」
「あ、お気付きになりました? 俺、あれもこれも全てネイゲフランの差金とばかり思っていたんですが、なんか違うみたいですね」
「すると玄関先で俺達を出迎えた奴が黒幕?」
「さあ、そこまでは。 他にも濃い霞の人がいるかもしれませんし。 ただ指図するのは濃い霞の人でしょう。 薄い霞の人が指図したって元の身分が低ければ従ってもらえないと思うし」
「しかし下働きが黒幕って。 一体、何がしたいんだ? それに黒い霞が取り憑いていない神官もいたよな? どんな理由で黒い霞に選ばれたんだか分かるか?」
「それは一番濃い霞の人に聞くしかないです。 目的や理由を知っているのはその人だけで、他は命令に従っているだけのような気がします」
「て事は、もし黒幕が見つからなかったら手下を何人尋問したって無駄?」
「それは黒い霞に取り憑かれていた人達に聞いてみないと。 ところで中央の神域に下働きって何人いるか、師範は御存知ですか?」
「知らん」
「きっと神官の倍はいますよね?」
「神官の十倍はいると思うぞ。 神官は減らされたが、下働きはそれほど減らされていないはずだ。 下働きの仕事は神官の世話だけじゃない。 神殿、住居、宝物蔵、書庫、墓地、道路、上下水道を実際に管理しているのは下働きだ。 神官は命じているだけで。 これだけの広さだ。 住み込みだけでなく通いもいるだろう」
「ううう。 あの石を祓った時、これで黒い霞は一掃したと思ったのに」
「だがお前が祓った奴らの中にあの宝玉より濃い黒い霞はいなかったよな?」
「ええ。 それに宝玉を祓った時の痛みは結構強烈でしたけど陛下と握手した時の痛みより軽かったです。 比べていいものなのかは分かりませんが。
ともかく今日はすごく疲れました。 何人いるか分からないけど、もっと祓わなきゃいけないだなんて。 ため息が零れそう」
サダが深いため息をつく。
「祓うのはいいんだけど、祓った後が。 恨まれますよね? どんな風に恨まれるんだろ。 下働きはともかく、神官て訳が分からない人ばかりだから怖い」
慰めてほしそうに俺の方を見ながら言う。 実際慰めの言葉をもらえるとは思っていないだろうが、うんとかすんくらいはあってもいいだろと思っていそうだ。
うんともすんとも言う気分じゃなかったが、なんとなくむっとして黙っていられず、言った。
「じゃ、お前は訳が分かりやすい奴なのか?」
サダがきょとんとした顔で俺を見る。
「はい。 俺って分かりやすい奴ですよね」
「俺にはお前という奴こそ分からん。 念の為言っておくが、分からないのは俺だけじゃないからな。 と言うか、お前が分かる奴なんていないだろ。 だからみんなお前の事を陰で不思議ちゃんと呼んでいるんだ」
「えっ? そんな事、俺を知らない人が言ってるだけでしょ」
「お前の妻。 奉公人全員と部下全員。 上官と同僚も含めていいぞ。 第一駐屯地の兵士全員もな。 ついでに言うならお前の御両親と兄上。 お前と話した事のある貴族なら大体同じ事を言う」
「トビは俺の事をよく分かっていますよっ」
「お前の暴走を未然に防ぐという得難い能力はあるが、よくよく聞いてみると、側にいればヒャラを踊り出しそうとかサボりそうとか目を見れば分かるから止められるし、日常の行動ならこうする、ああするが決まっているので早めに準備出来るだけだ。 予想外の事件があった時、主が何をするか予測出来た事は一度もないと言っていたぞ。 第二子が逆子と分かった時もお前がああいう決断をするとは予測出来なかったんだとさ。
そうそう、スティバル猊下は、あれは人智の及ぶところに非ず、とおっしゃっていたな。 テーリオ猊下は不思議とはそういうもの、と頷いていらした」
サダは拗ねて弓の稽古をし始める。 拗ねていようと疲れていようと百発百中なのはさすがだ。
出会って間もない頃、俺はあいつをただ弓が上手いだけ。 呑気で、運がいい世間知らずと思っていた。 そういう一面もあるにはある。 だがそれだけなら数々の難関を切り抜けられる訳がない。
金を儲ける才能だって少しもあるようには見えないし、数を数えるのだって苦手な奴だ。 なのに領主として大金を動かし、商売を成功させている。 奉公人が賢いおかげという事はあるにしても、領主がばかだったら金は儲けたと同時に消えていく。 時には儲けが現れる前に。
サダが単なるばかではない証拠は他にもある。 人の気持ちを読む事が上手いのだ。 俺はよく上官に、何を考えているか分からない男だ、と言われる。 同僚と部下は遠慮して言わないが、おそらくそう思っているだろう。 俺自身、自分が何をしたいか分かっていない時期もあった。
ところがサダには俺の気持ちが読める。 甘い物が好き、酒が嫌いとかの簡単な事ばかりじゃない。 俺がヨネに一目惚れした事にも気付いていたし、ポクソン補佐が殺された時、俺がクポトラデルへ殴り込みをかける気でいる事をすぐに察した。 普段頭の回転が早い訳でもないのに。 そして俺と一緒に退官する事を決断した。 退官すればあいつは準大公。 将軍より上の身分だから将軍でも止められない。 サダがいたおかげで俺は行く先々でダンホフから助けられ、難解な毒殺事件を素早く解決する事も出来た。
どれもばかではやれない事だが、ばかではないなら賢いのか? それにうんと言うのは、サダはばかだと言い切るより難しい。 賢い人ならやらないような事を平気でやるから。 社交ダンスは恥ずかしがって踊りたがらないくせにヒャラのような見ていて恥ずかしくなるような踊りは頼まれもしないのに踊り出したり。 果ては海獣と一緒に泳ぎ出したり。 さっきやらかしたように中央祭祀長のお許しがないのに突然握手したり。
俺は自分の事を人を見る目があると思っていたし、サダとの付き合いだって結構な長さだ。 なのにあいつが次に何をやらかすか今でも分からない。 分からないからあっと驚く羽目になる。
黒い霞を祓う事だって、なんでそんな事が出来るんだ? そんな事が出来そうな奴には全然見えない。 サダ自身そんな事が出来るとは知らなかったらしく、驚いていたが。
サダに比べたら神官なんて分かりやすい。 そりゃ俺には分からないが、それは俺が平民で、平民にとって神官は生涯一度も会う事がない人だからだ。 貴族ならどう振る舞えば神官の御機嫌を損ねるか喜んでもらえるかを知っている。 貴族にとってそれらは必要な知識で小さい頃から教えられているから。 サダは貴族でも物知らずだから俺と同じくらい何も知らないが。
ただ神官についてどれほど学んでいようと、この場合どうなるかは分からなかっただろう。 訳の分からないサダを相手に、訳の分からない神官がどう振る舞うかなんて予想のつけようがあるか? 両猊下の沈着冷静な御様子からは勝算がおありのように見えるが。 それはそうあって欲しいという俺の願いがそう見ているだけのような気がする。
簡単な夕食を済ませた後、俺達は集会場へ出掛けた。 近衛隊長に中央の上級神官は何人いるかを聞いたら、今日上級に昇格したワズムンド上級神官を含めても三十一名との事。 ワズムンド上級神官とネイゲフランの側付き五名は既にサダと握手しているから残るは二十五名。 上級は黒い霞と決まったものではなさそうだから大した数ではない。 だが加えて中級下級。 更に下働き。 となると大した数になるだろう。
スティバル猊下が既に集まっている上級神官をバルコニーから御覧になり、サダにお訊ねになる。
「黒い霞は何人いる?」
「六人です」
「ならばその六人のみ握手するか?」
それをお聞きになったテーリオ猊下がおっしゃる。
「それですと、なぜその六人のみが選ばれたのか流言飛語が流れるのでは?」
サダが応える。
「黒い霞でない人は青い霞に包まれているので全員と握手するのはかまいません。 でも黒い霞の場合、体に障害が出ます。 詳しい事情を聞き出すのに手間取るのではありませんか?」
「聴取に関しては急がぬ。 それより一刻も早く黒い霞を一掃したい。 ところで霞の強度、濃度と言うか。 今まで祓った黒い霞と比べ、それより深い霞の者はいるか? それとも皆、同じ?」
「えーと、濃さの順番は玄関前にいた下働きが一番。 それ以外の下働きが二番。 御目通りの場にいた上級神官が三番。 ネイゲフランが四番。 ここにいる六人は五番です。 濃さに多少の違いはありますが」
「では黒い霞が一番濃い者との握手から始めておくれ」
「畏まりました」
安請け合いしていいのか、と内心思った。 やれ疲れたのなんだのと俺に散々愚痴っていたくせに。
ともかく握手が終わった。 サダが言った通り、気流は感じたが踞るほどではなく、その場で失神した者はいない。 質問や抗議の声もあがらず、集会は終了した。
だが明日は陛下にお目通りする。 次に中級神官との握手。 そして下級神官、下働き。 通いも含めた神域内全員の検分が続く。 決して明るい見通しとは言えない。 なのにサダときたら。
「ふうう、終わった、終わった。 いやーな霞が一掃されて気持ちいいな」
思わず言い返した。
「何が気持ちいい、だ。 これで終わりって訳でもあるまいし」
「え? 終わり、じゃない? な、なぜですか?」
「下働きは神官よりずっと自由に神域への出入りが出来るんだ。 黒い霞を持った者が神域外にもいるかもしれないだろ。 そもそもなぜ神域内から一掃されたと分かる?」
「だって、その、空気が、おいしいですよね?」
「はあ?」
俺達の会話が聞こえたらしい。 テーリオ猊下がにこやかにおっしゃる。
「サダ。 真に大儀。 気が清められた事、陛下は大変お喜びになるでしょう」
猊下が清められたとおっしゃるなら清められたのだろうが、疑う気持ちは消せない。 それをお察しになられたか、猊下がサダの背嚢をお触りになる。
「宝玉を見せておくれ」
背嚢から取り出された宝玉は最初に見た時より遥かに強い輝きで辺りを照らした。 まるで闇を追い払う月のように。 猊下が深く頷かれる。
「本来の輝きを取り戻しましたね」
では本当に一掃された? もっとも俺が信じようと信じまいと一掃出来るのはサダだけ。 そのサダが一掃されたと言っている以上、一掃されたと思うしかない。
しかしスティバル猊下の暗殺未遂事件はどうなる? 気になってスティバル猊下にお訊ねした。
「猊下、黒い霞は解決したとしても猊下の暗殺未遂の件について解決した訳ではございません。 玉竜の声が潰された件も。 それらに関する尋問を始めなくともよろしいのですか?」
「誰が何を企てたかを糾明するのは中級神官、下級神官、下働きとの握手が終わってからで良い」
サダがにこやかに言う。
「北軍と一緒にダーネソンが到着します。 彼がいれば嘘が分かるからなんとかなりますよ」
「到着を待っている間に黒幕が逃げたらどうする?」
「神域への出入りは記録されているから出て行ったきり戻って来ない人がいたら分かります。 身元がしっかりしていなければ神域への出入りは許されませんし。 それにどの玉竜も、餌の周りに変な霞が漂っていて嫌だったけど、お腹が空いていたから食べた、と言っていました。 飛竜って人間より黒い霞に対して敏感なんだと思います。 だからあの石の欠片を飲み込んだ途端、鳴き声が出せなくなったんでしょう。 ならば誰が石の欠片を玉竜に呑ませたのかを聞けば下手人が分かるはずです」
「神域内の霞は祓われても霞が祓われる前の宝玉の欠片を神域外へ持ち出した奴がいるかもしれないだろ」
「いくら大きい石だって削り続けたら無くなります。 あの宝玉の欠け具合を見れば沢山の人にばら撒けるほどの量には見えません。 玉竜全頭に飲ませているし。 最初はどういう効果があるか分からないから大きく削ったかもしれませんが、分かってからは小分けにしたでしょう。 だから上級神官でも黒い霞に取り憑かれていない人がいたんじゃないですか」
サダが考えたにしては驚くほどまともな状況の把握だ。 俺に反論がある訳でもない。 だからって、それもそうか、と同意する気には到底なれず、ただ黙っていた。 するとサダがぷっと膨れた顔になる。
「師範たら俺が言う事を全然信じないんだから。 同じ事を他の人が言ったら信じるくせに」
しょっちゅう間違えるお前を信じろと言われてもな、と言いそうになったが、この場合サダの言葉を信じなければ次に取るべき道が分からない。 両猊下の御前でもある。
「信じているさ」
この件に関してはな、とは付け加えないでおいた。




