9話 地方都市への遠征
地方都市は、豊かな田園風景が広がる穀倉地帯。
事前にそう聞かされていた。
「これは……っ」
レイフ様に導かれ、馬車の踏み台を降りた私が目にしたのは、のどかさとは程遠い光景だった。
見渡す限りの田畑は干からび、青々と揺れるはずの作物の姿はどこにもない。
「クラヴィス様……ではなく、クラヴィス」
何度も敬称を改めるよう諭されたことを思い出しながら、先に地へと降り立っていたクラヴィスに視線を向ける。
彼は私の動揺を察したのだろう、その表情を暗く曇らせた。
「邪神の呪毒による影響でしょう。大地から栄養が失われ、実りをもたらす力が潰えてしまったのです」
「そんな……。これほど深刻な事態になっていたなんて」
王都にいた頃は、このような噂を耳にすることは全くなかった。
しかし、この有り様では、悲痛な現実が国中に広まるのも時間の問題だろう。
私はその場に膝を突き、荒れた土へと指を触れた。
触れた土壌は水分を失いきっており、砂となって指の隙間からこぼれ落ちていく。
「クラヴィス……聖女の力があれば、この土地を救うことはできるのでしょうか」
「……可能です。しかし、焦る必要はありません。まずはご自身の体調を最優先に考えてください」
「私のことは構いません。苦しんでいる人達のためにも、猶予はありませんね……」
はやる気持ちを抑えられず、私は手元を自身の胸へと当てた。
しかし、私の願いに反して、聖女の権能が私に呼応する兆しはなかった。
「エリシア、一旦この地の領主の屋敷へ向かおう。気持ちは理解できるが、まずは長旅の疲労を癒やすのが先決だ」
「……わかりました。レイフ様もお疲れでしょう? ゆっくり休んでくださいね」
そう告げてレイフ様を見上げると、彼はなぜか不満げに顔をしかめた。
「クラヴィスのことは呼び捨てにするのに、私のことは敬称を付けるのだな……」
「え、あ、いえ……他意があるわけではないのです! その、気を悪くなさらないでください」
どうにか言葉を尽くしてなだめようとするものの、彼はなおも納得がいかないといった眼差しを送ってくる。
私はその態度に根負けし、少し遠慮がちに彼の名前を呼んだ。
「レイフ……?」
飾り気なく名を口にした瞬間、彼は曇天の下であることすら忘れさせるような微笑みを浮かべた。
そのあまりに美しい顔に、私は思わず心臓を高鳴らせてしまう。
しかし、この緊迫した状況にそぐわない感情を、どうにか心の奥底へと押し込めた。
「領主の屋敷に滞在しつつ、この地について調査を進めましょう。聖女エリシア様……よろしいですね?」
クラヴィスは、順序立てて確認するように私に問いかけてきた。
「そうですね。最も呪毒の濃度が高い場所を特定するためにも、領主の話は伺いたいです。行きましょう……!」
私は立ち上がり、灰色の雲に覆われた大地を見渡した。
物寂しい大地の先に、苦しんでいる民の姿が重なるようで胸が締め付けられた。
◇
案内された領主の邸は、きらびやかな装飾こそないものの、温かみのある佇まいだった。
私たちの到着を待ちわびていたのだろう。
領主自らが門の前で出迎えてくれた。
「聖教会の皆様……そして聖女様。首を長くしてお待ち申し上げておりました……!」
出迎えた彼の顔色は青白く、やつれたように頬をこけさせていた。
見るに忍びないほどに消耗した姿でありながら、こちらへ向けられる眼差しにはすがる色が宿っている。
「もう、私どもの力では如何ともしがたく……。どうか、神の慈悲をこの地に授けてください」
絞り出された声には、領民たちの苦境がそのままにじんでいるようだった。
その悲痛な訴えを前にして、私は自身が背負う役割の重さを、肌に染みる緊張感とともに改めて胸に刻む。
私はこの地に明るい兆しをもたらすため、その重責に負けないように震える手を握りしめた。




