10話 夜半の修行、レイフの甘い差し入れ
私に割り当てられた居室は、このような非常時であるにもかかわらず、調度品が細やかに整えられた空間だった。
「この状況を打開するためには、私の力が不可欠……」
寝台に横たわりながら、天井へ向けて腕を伸ばしてみる。
神という存在の定義すら曖昧で、内側に何かが宿る前兆すら感じられない。
「少しでも早く、力を引き出さなければいけないのに……」
私は外の様子をうかがおうと窓の外へ目を向けた。
そこには、当然のように見張りに立つ聖騎士団員の姿があった。
「呪毒に侵された荒地で、少しでも感覚を掴む練習をしたいのだけれど……」
今度は扉を少しだけ引き、廊下の様子を観察する。
幸いなことに、人影はどこにも見当たらなかった。
「よし……」
周囲の目を盗み、廊下へ踏み出そうとした瞬間だった。
「エリシア、こんな夜更けにどこへ行く?」
背後から、凛とした声が響いた。
驚いて振り返ると、そこには白銀の髪をなびかせるレイフが佇んでいた。
「……レイフ。少し外に行こうと思ったのだけれど、いけなかったかしら?」
「外に……?」
理由を尋ねるまでもなく、彼の眉間には反対を示す皺が寄っている。
けれど、この短期間の同行を経て、私は彼の扱いを少しばかり心得ていた。
「だめかしら……?」
私も無言の圧力に屈することなく、じっとその瞳を見つめ返す。
彼は何度か躊躇するような仕草を見せたものの、小さな吐息とともに首を縦に振った。
「わかった。ただし、私も同行しよう。それに、この屋敷の敷地周辺に限る」
「ありがとう。いつも守ってくれてありがとう、レイフ」
安堵の息を漏らしていると、彼が私の顔をなぜか注視してきた。
「いや、もう一つだけ条件を加えさせてくれ」
「え……?」
「……その、他人行儀な話し方を改めてほしい。君との間に壁を感じる」
彼は、どこか切なげな色を瞳に宿して私を見つめる。
予想外の申し出に戸惑ったものの、子供のように拗ねる彼の姿に、心の奥が和らぐのを感じた。
「わかったわ、レイフ。少しだけ、私の修行に付き合ってくれないかしら?」
敬語を廃して語りかけると、彼は柔らかに口元を緩めた。
人目を忍び、私とレイフは屋敷の近くにある畑の荒地へと足を運んだ。
曇天の隙間から覗く月光りだけでも、大地から生命の息吹がことごとく失われているのが見て取れた。
「どうすれば、聖女の力を引き出せるのかしら……」
神官達の所作を思い出しながら、見よう見まねで神への祈りを捧げてみる。
しかし、その試みは虚しく虚空へと消えた。
ただ夜風が、乾いた土ぼこりを舞い上げるだけだ。
「やっぱり、うまくいかない……。努力の方向性が違うのかしら」
地へと膝をつき、指先で土に触れてみる。
そこからも何の感触も得られない。
「私……もしかして聖女としての資質が足りない……?」
焦燥が胸を支配し、思わず重いため息が口から漏れた。
「エリシア、こちらを向いてくれ」
同じように私の隣で腰を落としていたレイフに促され、彼の方を振り向いた。
それと同時に、口元へ何かを差し入れられた。
「ん……!」
反射的にそれを口に含むと、豊かな甘みが口内を満たしていく。
さくさくとした歯触りのあとに、口当たりの良い柔らかな食感が広がった。
「これは……クッキー?」
「そうだ、王都から君のために携えてきた。エリシアは甘いものを好むだろう?」
彼の手元に視線を落とすと、白い砂糖がかけられた焼き菓子の入った袋が握られていた。
「おいしいわ……」
「君は根を詰めすぎる傾向がある。たとえ聖女であっても、君は一人の人間だ。心を休める時間も作らなくてはならない」
彼はそう告げると、次の焼き菓子を私の口元へと差し出してきた。
「だ、大丈夫よ! 自分で食べられるから……!」
「土に触れた手で口に運ぶのは、衛生上よくない。……さあ、口を開けてくれ」
彼の主張は正論だったが、流石に直接食べさせてもらうのは気恥ずかしさが勝る。
しかし、彼は指を引っ込めようとはしなかった。
私は戸惑いながらも、彼の指先にある菓子を口で受け止める。
その際、彼の指の肌が私の唇にかすかに触れ、その感触に胸の鼓動が跳ね上がった。
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