8話 不穏な地方都市の情勢
「……終わりました!」
ほどなくして、私はすべての書類の計算を追えた。
すべての書類を整理し終え、年配の神官へと手渡す。
「もう処理されたのですか!?」
「書類仕事は、実家で慣れておりましたので……。間違いがないかだけご確認お願いいたします」
「とても助かります……! 聖教会は各地に点在しており、その管理だけでも人手が足りていなかったのです」
「お役に立てたのなら何よりです。では、次はこちらを確認しますね」
次に引き寄せた書類は、地方の教会から寄せられた嘆願や予算の陳情だった。
それらの要望を集約し、分かりやすいように整理していく。
「ん……?」
ある箇所に差し掛かった時、私は奇妙な点に気付いて手を止めた。
地方都市、王都から遠ざかるほど、陳情の内容が深刻さを増しているのだ。
魔獣の頻出。
荒廃していく農地。
「……レイフ様、地方の領地では今、何が起きているのですか?」
胸騒ぎを覚えながら、かたわらで見守ってくれていたレイフ様を見上げる。
彼はこのことについて知っていたのか、苦渋に満ちた顔で私の視線を受け止めた。
「先代聖女の加護が薄れつつあるのだ。この国は、聖女の祈りによる庇護が失われれば、いずれ邪神の呪毒に侵食されるとされている」
「……邪神……。確か、伝承に登場する、建国の王によって封印されたという存在ですよね」
この国は、遥か昔に建国の王と邪神との激闘の末に築かれたとされている。
王の力で邪神は封印され、人々は永きにわたる平穏を手に入れた。
そんな物語だったはずだ。
「そうだ。その封印の礎となったのが初代の聖女と言われている。核心の封印の結界を維持し続けることも、聖女に課せられた重大な役目なんだ」
「そんな……。悠々と休んでいる場合ではないではありませんか! 一刻も早く、聖女としての力を引き出さないと……!」
私は震える指先で書類を見つめた。
今この瞬間も、私のあずかり知らない場所で、多くの民が苦しんでいる。
クラヴィスはゆっくりするように言ってくれたが、そんな猶予などないことを書類が示していた。
「エリシア……。焦る必要はない」
背後から、温かな気配が寄り添うように近づいてきた。
彼が私を後ろから抱きすくめているのだと理解したのは、私の体を包むように彼の腕が回された瞬間だった。
「レ、レイフ様!?」
私や周囲の神官たちの狼狽ぶりなど一切気にする風もなく、彼は私の耳元へと声を潜めて言葉を紡いでいく。
「君の身の安全が最優先だ。神殿での暮らしにもまだ馴染んでいないだろう。地方の情勢については聖騎士団も対応に当たっている、安心してくれ」
背中から伝わる彼の体温に意識が溶けそうになりながらも、どうにか思考を繋ぎ止める。
事態は一刻を争う。
この状況だからこそ、私にしか果たせない役割が必ずあるはずだ。
ならば聖女として、己にできる全力を尽くすべきと、私は手を握りしめた。
「それでは、レイフ様、お願いがあります。私を……この地方都市へと連れて行ってください」
私が提示したのは、田畑の荒廃が特に著しいという嘆願書だった。
「まだ聖女の力を発現させていない私が行っても、何もできないかもしれません。ですが、少しでも力になれる余地がないか、この目で確かめたいのです」
「エリシア……流石にそれには応じられない。外界は危険に満ちている。ましてや先代聖女の結界の加護が消えつつある地方へ赴くなど……」
「わがままを言っている自覚はあります。ですが、今もどこかで苦しんでいる人がいるのなら……。ただ奇跡を待つのではなく、聖女としての責務を果たしたいのです」
レイフ様はなおも逡巡するように、私を案じる眼差しで見つめていた。
だが、私が決して退かないと悟ったのだろう。
彼は小さく息を吐いて頷いた。
「わかった。君がそこまで言うのであれば、地方都市への遠征の手配をしよう。……ただし、決して危険なことはしないと約束してくれ」
「レイフ様、ありがとうございます! 少しでも早く聖女として一人前になれるよう、精一杯努めますね」
私は笑みを浮かべてレイフ様を見上げたが、彼の表情にはまだ不安の影が残っていた。
ご迷惑をおかけしてしまったかもしれない。
けれど、ただ黙ってここに引き籠もっているよりは、聖女の力を得る契機になるだろう。
私は遠い地方へ想いを馳せ、惨状を知らせる書類を胸に抱いた。




