6話 枢機卿クラヴィスとの邂逅、聖女の試練
気恥ずかしさのあまり意識を失ってしまいそうだった私の耳に、部屋の扉を叩く音が届いた。
「……入ってもよろしいですか?」
「あ、はい! どうぞ!」
これ以上の二人きりの空間に耐えかねて、私は救いを求めるように入室をうながした。
開いた扉から姿を現したのは、先ほど選定会の会場で私を水晶の前へと導いてくれた、緑髪を持つ神官だった。
「レイフ、このような奥まった客室に聖女様をお連れするとは……。あまり感心しませんね。いくら聖騎士団長とはいえ、周囲に不必要な邪推を生んでしまいますよ」
「クラヴィスか。お前だけに言っておく。……私は先ほど、彼女に告白をした。どのような誤解を受けようとも、私としては一向に構わない」
「レイフ様!? あの、まだ私の返答は決まっていませんのに……っ」
「レイフが……聖女を……」
クラヴィスと呼ばれた神官は、目元に暗い陰を落とし、視線を落とした。
しかしそれは一瞬のことで、次の瞬間にはいつもの穏やかな微笑みを取り戻していた。
「そのお話は、一度置いておきましょう。……聖女エリシア様。あなたのご光臨を、私は長い間、本当にお待ちしておりました」
「長い間……、ですか?」
彼の言葉に宿る微かな響きには、途方もない年月を経て紡がれたかのような重みが含まれていた。
クラヴィスの瞳を見つめ返すと、その奥にはやはり、言葉にできない沈痛な光が揺らめいているように思えた。
「エリシア、クラヴィスは先代の聖女にも仕えていた長命種エルフの血を引く神官だ。この長きにわたって聖教会を支え続けてきた、枢機卿の一員でもある」
「そ、そのような高位の御方だったのですか!? 大変失礼いたしました、クラヴィス様!」
私が慌てて礼をしようとするのを、彼は手でさえぎるようにして制した。
「聖教会の頂点に戴くべき聖女様が、私のような者に礼を取るなどおやめください。他の神官達への示しがつきませんからね」
「そうおっしゃられましても……」
そもそも、私は聖女がどのような存在であるのかすら理解していないのだ。
どう振る舞うべきか困惑し、私は二人の顔を交互に見上げるしかなかった。
「私のことは、クラヴィスとお呼びください。どうか敬語も崩してください」
「は、はい……」
そう求められても、即座に応じるのは難しかった。
つい先ほどまでウィロー男爵家の邸で冷遇されていた身としては、現在の状況を頭で受け止めるだけで手一杯なのだ。
「エリシア、私に対する敬称も不要だ。クラヴィスと同じように、気安く言葉を交わしてほしい」
私の手をやはり離そうとせずに、レイフ様は熱を帯びた視線を向けた。
人前のせいか、先ほどよりも余計に気恥ずかしく感じていたたまれなくなる。
「すぐには、その……難しいように思いますが、努力いたします」
私はどうにか呼吸を整え、穏やかな眼差しで見つめてくるクラヴィスへと向き直った。
「あの……私はこれから、何をすれば良いのでしょうか? 聖女の職務について、何も知らなくて……」
「そうですね、まずは……形式的な儀式をこなして頂いたら、あとはゆっくり過ごしてください」
「……え?」
てっきり過酷な修行が始まるのかと身構えていたら、くつろぐことを推奨されてしまった。
戸惑いつつも、私はどういうことか尋ねるようにクラヴィスに視線を送る。
視線を受け止めたクラヴィスは、私に一礼を取りつつ口を開いた。
「聖女の力を手に入れる道筋は千差万別であるため、一概にこれといった形を提示することはできません。ですが、歴代の聖女達は、例外なくその力を得てきました。……今は思いのまま過ごしてください」
『皆、例外なく』という言葉が、今の私にはむしろ重い圧力となってのしかかってきた。
前世の記憶があるとはいえ、魔法すら扱ったことのない私にとって、それはあまりに果てしない道のりに思えたのだ。
「もちろん、平坦な道ではないでしょう。……この国の平穏を保つためには、どうしてもあなたの力が必要なのです。エリシア様のその力は、いずれ多くの民を救う奇跡となるでしょう」
「……は、はい。わかりました……」
私は、自身の両手を見つめた。
これまで誰からの愛情も得られず、ただ無力に過ごしてきたこの小さな両手。
まさかこの手のひらに、一国の命運が託されることになるとは夢にも思わなかった。
「エリシア、心配はいらない。君にどのような障壁が立ち塞がろうとも、この命に代えて私が守り通す」
レイフ様が、私の指先へ自身の体温を重ねるように、再び強く包み込んできた。
「ありがとうございます、レイフ様。これからよろしくお願いいたします」
先ほどまでは困惑しかできなかった彼の熱。
それが今は不思議と、私の心の拠り所になり始めているのを感じていた。
「……聖女との恋ですか……」
傍らで見守っていたクラヴィスが、耳にようやく届く程度の小声で呟いた。
その横顔にはまたしても、他者が踏み込めないほどの憂いの色が差したように見えた。
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