50話 邪神への道、切り札となった第四の権能
霊峰へと連なる山道。
それは、邪神が撒き散らす禍々しい瘴気が渦巻く場所へ足を踏み入れることを意味していた。
「来るぞ……!」
聖騎士団の精鋭たちが一斉に剣を抜き放ち、押し寄せる魔獣の群れへと突撃を開始する。
レイフは手際よく指示を飛ばしながら、迫る魔獣を次々と切り伏せていった。
私も聖域を展開して彼らを加護すべきだったけれど、決戦で全力を解放するため、今は極限まで力を温存すると決めていた。
「エリシア様、邪神の座へと赴くのは、本当にレイフと私だけで宜しいのですか?」
魔術の刃で私に肉迫しようとする魔獣を薙ぎ払いながら、クラヴィスが問うてくる。
「ええ、私の試みに皆さんを巻き込んでしまう恐れがありますから……。封印の神殿に魔獣を寄せ付けないでいただければ、それで十分です」
「……承知いたしました。エリシア様がそうお望みになるのであれば、従いましょう」
魔獣の足止めをしながら、クラヴィスが私へと視線を巡らせる。
その揺れる瞳は、自らの選択に対する葛藤を物語っているようだった。
「クラヴィス、先代聖女ネリス様は……今もあの封印の神殿にいらっしゃるのね」
「封印を完遂した聖女様は、自らの存在を捧げて封印の軸となられます。新たな聖女様がその座を引き継いだ時、初めてその重責から解放されるのです」
「そうなのね……」
失われた人間性や情感が再び戻るのかと問いかけそうになったけれど、私は首を振って言葉を呑み込む。
これ以上、彼の心を無用に傷つけるような真似はしたくなかった。
「エリシア、クラヴィス! 道が開いた……行くぞ!」
レイフが瞬時に駆け寄り、私の手首を強く引き寄せた。
その手をしっかりと握り返し、私は深く頷いた。
霊峰の険しい傾斜を駆け上がりながら、私はその頂を見据えた。
勝算はあると口にしたものの、絶対に勝てる保障などどこにもない。
(それでも、自ら決めた道なのだから……!)
自らを奮い立たせるように、握り締めたレイフの手へ意識を集中させる。
彼もまた前方を直視しながら、私に応えるように強く握り返してくれた。
言葉を交わさずとも、胸の揺らぎを鎮めてくれる体温。
その温もりを支えに、私は邪神の待つ神殿へと足を踏み入れた。
邪神が封じられた神殿は、あらゆる装飾を削ぎ落としたかのような厳粛な佇まいを見せていた。
ただただ広大で、無数の幾何学的な柱が天井を支えている。
「ここが……」
簡素な造りでありながら、その奥底からは圧倒的でおぞましい悪意の気配が溢れ出していた。
膝が震え、前進しようとする足取りを重くする。
「大丈夫だ、エリシア。何が起ころうとも……私が君を守り抜く」
幾度となく耳にしてきた、レイフの頼もしい言葉。
けれど、そこに込められた誓いは、これまでと比にならないほど重かった。
私を背後に庇いながら、彼は一切の迷いなく神殿の奥へと歩を進めていく。
「この地に足を踏み入れるのは、二度目となりますね……」
私の傍らに並ぶクラヴィスは、悲哀を光影を宿した表情で神殿を見渡す。
「神殿の深奥は、全ての命ある存在を拒絶します。そして、エリシア様が聖女の間へ足を踏み入れた瞬間、邪神の封印が解き放たれるでしょう。……覚悟はよろしいですね」
「覚悟なら、とっくに決まっているわ。クラヴィス、あなたは解放された先代の聖女様を護ってあげて」
神殿の内部には、傷一つ存在しない美しい石床がどこまでも広がっていた。
回廊を走り抜けたその最奥に、彼女の姿があった。
「ネリス……!」
クラヴィスの絞り出すような声が、静寂に包まれた神殿に響き渡る。
その視線の先には、純白のヴェールを纏い、祈りを捧げ続ける女性が佇んでいた。
ただ一筋に、両手を固く合わせ、台座の上で膝を折りながら祈りを紡ぎ続けている。
「先代聖女ネリス様……。次代の聖女エリシアが参りました。あなた様が繋いできた祈りを……今、果たしてみせます……!」
ネリス様の小さな肩が、かすかに震えたように見えた。
やがて祈りを結んでいた手が力なく解け、その体が崩れ落ちそうになる。
「ネリス!」
クラヴィスが瞬時に駆け寄り、倒れ込む彼女の身体を優しく抱き止めた。
彼女を愛おしそうに引き寄せながら、クラヴィスは悲嘆に濡れた瞳を震わせる。
「エリシア……封印が破られる。私の後ろへ!」
レイフが抜刀した剣を振るい、私の前に立ち塞がった。
聖女の封印が失われたことで、周囲の空気が一瞬にして漆黒の闇へと呑まれようとしていく。
私は大きく空気を吸い込み、神へ、そして苦悩の果てに散っていった歴代の聖女たちへ、祈りを捧げた。
「聖域よ……!」
純白の聖域を展開して澱んだ闇を祓いながら、私はもう一つの切なる願いを天へと解き放つ。
「神様……どうか、私の祈りを届けて……彼女達のもとへ……!」
私は指先にありったけの精神力を、そして意思の力を込める。
その最中に、破られた封印の亀裂から溢れ出た不気味な触手が、私めがけて一斉に襲いかかってきた。
「エリシアに触れさせるものか……!」
魔力を纏ったレイフの剣がそれを一閃のもとに切り払う。
私は彼への信頼をその背に感じながら、絶やすことなく祈りを捧げ続けた。
ルアナから学んだ生き様、そしてクラヴィスから教わった第四の権能。
自己犠牲ではなく、運命を切り開くためのもう一つの力。
「歴代の聖女様方の力、そしてその魂を……私の体に……!」
自らの命を触媒とした『召喚』の権能を、今ここに解き放った。




