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大遅刻した悪役令嬢、聖女に選ばれる  作者: しのギドラ


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47話 差し伸べられる手、神を裏切る覚悟

 それはかつて一度だけ脳裏をよぎり、しかしすぐさま胸の奥底へと葬り去ったはずの、禁忌の誘惑だった。

 彼は奈落から差し伸べられる救いの手のように、私の心へその言葉を落とした。


「私は世界の果てまで君を連れ去る。行く手を阻む追っ手があるならば、私がその全てを斬り伏せよう。エリシア、君を救うためなら……私は地位も名誉も、その全てを投げ打つ覚悟がある」


 レイフはさらに私を強く引き寄せ、自らの胸中へと埋めるように抱きすくめた。

 背後から伝わってくる体温にすがりつくように、私の胸は苦しく締め付けられる。


「逃げると言っても……一体どこへ?」


「海を渡り、聖教会の手が決して届かない国へ行こう。活気あふれる都市でも、のどかな辺境の村でも構わない。君が望む地で、そこで毎日のありふれた平穏を積み重ねていくんだ」


 レイフが紡ぐ未来の光景を、私は星すら見えない夜空を仰ぎながら思い描いてみた。


 日々のささやかな喜びに微笑み、季節の巡りに胸を躍らせる平和な日々。


 そして、何よりも隣には、常に彼が寄り添ってくれている。


 誰に脅かされることもなく、ただ彼の注いでくれる愛情で心を満たす毎日。


「それは、あまりにも素晴らしい夢ね……。見知らぬ地であっても、あなたと一緒なら、どんな苦難も乗り越えていける気がする」


「私も、エリシアがいてくれるのなら、すべての障壁を全て打ち砕いてみせる。君が望むもの全てを、その手に捧げよう」


「……私、贅沢な暮らしなんて望んでいないわ。あなたを想うこの心さえ失わずにいられるなら……それだけで幸福なの……」


 強引でありながらも、常に慈しむように私を守ってくれるレイフ。

 彼を想うその瞬間だけは、侵食されゆく心が確かに熱を取り戻す。

 この胸に宿る最後の灯火を失うことこそが、私にとっては何よりも恐ろしいことだった。


「でもね……。ごめんなさい、それはできないの……っ」


 こらえきれず、熱い涙が一筋、頬を伝ってこぼれ落ちる。

 どれほど残酷な結末が待っていようとも、すべてを喪失することになろうとも、私はこの使命から逃げられない。


「誰かを犠牲にしたうえで幸せになる選択肢は、私の中にはないの……! ここで今あなたと一緒に逃げても、一生幸せになることはできない……!」


 絶え間なく唇から嗚咽が漏れ出す。

 とっくに覚悟を決めていたはずなのに、彼と歩む幻影を思い起こすたびに、底知れない恐怖が心を支配していく。


「だから、レイフ。あなたには最後の瞬間までそばにいてほしい。天に消えてしまう私の想いを……あなたが持っていて。それだけで私は、どんな運命にも立ち向かえるから……」


 逃れる道がないのなら、ただ立ち向かうしかない。

 決意をその胸に灯し、私は彼の抱擁から身を引き離そうとした。

 しかし、彼はそれを拒むかのように腕の力を強める。


「いや……私の問いかけ方が間違っていた。私が言いたいことは、そうじゃない……」


 その腕を、私を逃がさない鉄の檻とするかのように。

 呼吸が苦しくなるほどに、彼は私を囚え続けていた。


「君の意志など、今の私には関係ない。エリシアを救い出せるのであれば、生涯恨まれることになろうとも……強引にでも、私は君をこの国から連れ去ってみせる」


「レイフ……。だめよ、それは絶対に……!」


 背中に回された腕の力が、レイフの言葉が本気で、嘘偽りもないことを物語っていた。

 どれほど身をよじって振り払おうとしても、彼は微動だにしない。


 その時だった。


「聖女の誘拐は、神をも裏切る大罪ですよ……レイフ」


 毅然とした声と共に、クラヴィスが私達の前へ静かに立ちはだかった。

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