32話 婚約の約束、将来の誓い
迎えの馬車から降り立った瞬間から、レイフは私の手を握るその指先に、いつもとは違う強い力を込めていた。
私と歩調を合わせつつも、その手を決して離そうとはせず、無言のまま廊下を進んでいく。
「レイフ……あの……!」
私が呼びかけても、彼は振り返ることなく部屋へと続く回廊を進んでいく。
彼が静謐な威圧感に気圧され、私はただその背中を追いかけることしかできなかった。
やがて私の部屋の前に辿り着くと、彼は無言で扉を開け放った。
私は抗う間もなく引き寄せられるようにして、室内へと誘われる。
扉が閉まると同時に、唇へと熱い衝動が降ってきた。
「……ん……っ!」
呼吸をすることさえ忘れてしまいそうなほど、口づけは熱を帯びて深まっていく。
思わず彼の胸を手で押そうとしたが、鍛え抜かれた胸板は微動だにしない。
逃れようとする私の動きを封じるように、彼の手で後頭部を固定され、腰を強く引き寄せられる。
ようやく拘束が緩まり、唇が熱の残滓を残しながら離された。
「はぁ……はぁ……レイ、フ……」
息苦しさから、私の目元には薄っすらと涙がにじんでいた。
昨夜の甘やかな余韻とは全く異なる、強引なほど激しい口づけに、心が追いつかない。
レイフは、私の目元の涙を指先で優しくぬぐいながら、切なそうにその美しい青い瞳を曇らせた。
「こうなる予感は、以前からしていた。……君は人を惹きつけすぎる」
彼は私の首元へと顔を埋め、何かを懸命にこらえるように熱い吐息を漏らした。
「君を異性として見つめる男の眼差し……。それを目にした瞬間の、私の感情が分かるだろうか。今この瞬間も、激しい嫉妬に胸を焼かれているんだ」
「レイフ……。ごめんなさい、あなたにそのような思いをさせてしまって……」
「エリシアは何も悪くない。ただ、私が君を愛するあまり、理性を失いかけているだけなんだ」
私の首筋に声を落としながら、彼はさらにきつく抱きしめる。
「誰の目にも触れさせたくない、その声すら私以外には聞かせたくない。……叶わぬことだと理解していても、どこかに閉じ込めて、私だけのものにしてしまいたいとすら思う」
あまりにも苛烈な思慕を吐露しながら、彼は私を逃がさないように腕の中へ強く抱きすくめた。
その切実なまでの独占欲に、胸を締め付けられながらも、私は彼の背中へと腕を回し、その体を抱きしめ返した。
「私の全ては、もうレイフのものよ。心も、体も……」
私に捧げられるものがあるのなら、今すぐにでも彼の望む全てを与えてしまいたかった。
いつも彼の温もりに支えられているのに、私からは何も返せていないことが歯がゆい。
「私は、レイフの支えになれているかしら? いつもあなたを心配させてばかりで、自分がもどかしくなるの」
「そのようなことはない。君が私のそばにいて、息をして、笑いかけてくれる。それだけで私の心は常に満たされている。……それで満足すべきはずなのに、君を前にすると、どうしようもなく欲張りになってしまう」
レイフの乱れる呼吸が、彼の内なる葛藤を物語っていた。
彼は己のなかの暗い独占欲を自覚しているからこそ、私のためにそれを懸命に抑え込んでくれているのだろう。
それは紛れもない、私への真摯な優しさだった。
「ねえ、レイフ……」
彼の耳元へ、私はかねてから心に決めていた願いをささやいた。
「聖女としての役目が一段落したら、私と……婚約してほしいの」
レイフの呼吸が、一瞬だけ止まった。
彼は驚きに揺れる体をわずかに離し、信じられないというように私の瞳を見つめた。
「強くて、優しくて……私を独占したいと願うほどに愛してくれる。あなたのその全ての感情を、私は受け止めたいの。この生涯をかけて」
「……エリシア、本当に後悔しないか。私のような束縛の強い男と契りを結べば、君を苦しめてしまうかもしれないというのに」
レイフらしからぬ、どこか弱気な言葉に、私は愛おしさが込み上げて小さく笑みをこぼした。
おそらく彼は、初めて経験する激しい嫉妬心に、自分自身でも戸惑っているのだろう。
私は彼の頬へ手を添え、これ以上ないほどの愛を込めて微笑みかけた。
「あなたの心からあふれる感情なら、どのようなものでも好きになれるわ。それに、もしも私が困ってしまうほどの嫉妬を向けられたとしても……それを消し去るくらい、私の愛を伝え続けるから。だから、何も怖がらないで」
彼は瞳をかすかに潤ませて視線を揺らし、頬に添えられた私の手の上から、自身の手を重ねてきた。
「エリシアには、どうしても敵わないな。……必ず君を幸福にしてみせる。聖女の役目が一段落したその時には、正式に君へ求婚させてくれ。だから、もう少しだけ待っていてほしい」
「ええ、もちろん。その日を心から楽しみにしているわ」
二人で歩む温かな未来を想像し、私は自然と表情を和らげた。
私の言葉に応じるように、彼もまた、吸い込まれそうなほどに美しい、安らかな笑みを浮かべた。
「そのためにも、まずは明日の決闘を制さなければならないな」
「レイフ、手加減をしてとは言わないけれど、命を奪うまではしないでね……」
「……善処しよう。私の勝利を信じて待っていてくれ、エリシア」
彼は私の額に優しく唇を落としながら、艶やかな笑みをたたえた。
この先にいかなる運命が待ち受けていようとも。
私達はこの夜、ただ二人だけの幸福な約束に胸を弾ませ、静かに時を重ねていくのだった。




