27話 黄昏から月夜へ、初めての口づけ
私と彼の境界すらも分からなくなるほどの夕闇の中。
重なった手を、思わず引こうとしたその瞬間。
それを逃さないと言わんばかりに、彼の手が私を引き寄せた。
「エリシア……」
そのまま引き込まれ、彼の胸のなかに包まれる。
彼のたくましい胸板に受け止められると、何度こうして抱擁を交わしても、その体温に焼き尽くされてしまいそうになる。
「君の体は小さいな。少しでも力を込めたら、壊れてしまいそうなほどに」
私の背中に腕を回し、優しい強さで抱きしめられる。
彼の熱に閉じ込められていると、呼吸が乱されるほどの温かさに満たされていく。
「この背中に、この国の命運がかかっている。……本当であれば君には、そのような重荷など背負わずに、ただ笑っていてほしい」
「レイフ……。確かに、聖女にしか果たせない役目が多くて、不安になるときもあるわ。けれどね、私はこの聖女の力があって良かったとも思っているの」
レイフの鼓動を耳にしながら、私は彼には見えない位置でそっと笑みをこぼした。
「聖女になったから、あなたと巡り合えた。……恋人になれた。多くの人々を救えたことも嬉しいけれど、これが何よりも……一番幸せなことなのよ」
私は今までの歩みを、一つひとつ思い返す。
たまたま木に登っているところを見られ、落ちたところをレイフが受け止めてくれたあの日。
彼はその頃から私のことが気になっていたと言っていた。
それはあまりにも早すぎるのではないかと今でも思うけれど。
彼がいてくれたからこそ、私は聖女の役目を全うできている。
もしもレイフが傍にいなかったら、私は孤独と寂しさに押し潰されてしまっていたかもしれない。
「私と出会ってくれてありがとう、レイフ。……好きよ」
その言葉を口にした瞬間、レイフが小さく息を呑むのが伝わってきた。
私の背に回された腕の力が、わずかに強まる。
「エリシア、私もだ。君のことが好きだ。この世の誰よりも……」
夜空に柔らかな月明かりが浮かび始める。
それでも私達は、世界の時が止まってしまったかのように、互いの体を求め合っていた。
「不敬な考えだが……役目など全て放棄して、君を連れ去ってしまいたいくらいだ。どこか遠く、誰もいない場所へ……」
「ふふ、でも役目から逃げ出すような私なんて……それはレイフの好きな私ではないはずよ。あなたは、私の誰かを救いたいと願う姿を好んでくれているのでしょう?」
「……それは、いささか違う」
そう告げると、彼は私から身体を少しだけ離し、月光を映した青い瞳で私を正面から見つめた。
その顔には、どこか不満げな表情が滲んでいる。
「きっかけこそ君の慈悲深さだったが、今はそれだけではない。努力家で、ひたむきで……甘いものを口にすれば年相応に微笑みを浮かべ……自身の願いを通すために、私へ悪戯げな笑顔を覗かせる。エリシア、君の全てが愛おしいんだ」
レイフが私の頬を慈しむように撫で、耳に触れるように優しく髪をかき上げた。
指先が、私の肌をなぞっていく。
その動作の全部から、抑えきれない情愛があふれ出しているようだった。
「レイフ……私……」
月光に照らされた、彼の端麗な顔を見つめ返す。
どこまでも清らかで、鮮やかな青の瞳。
そして艷やかで、私に愛をささやいてくれる唇。
どうしようもなく激しく脈打つ鼓動を内に秘めながら、私は小さく口を開いた。
「か、覚悟……できた……から……」
「……っ!」
それだけの言葉を紡ぐので精一杯だった。
彼は驚いたように身を震わせ、その瞳の奥に熱を灯した。
レイフは一度だけ、胸に息を溜めるように、深く呼吸を整えた。
そして私の肩へ、ためらいを捨てたように火照った手を置く。
彼の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
私は静かにまぶたを閉じた。
私と彼の唇が、静かに重なり合う。
息の仕方すら忘れてしまうほどの幸福に、このまま溶けて消えてしまいたかった。
彼が名残惜しそうに唇を離す。
そこには、どこまでも私を愛おしげに見つめる、晴れ渡った青空のような瞳があった。
「エリシア……」
彼は愛おしさを込めて私を抱きしめた。
加減を忘れてしまったかのように、これまでのどの抱擁よりも力強く。
「好きだ……心から、君を想っている」
「うん……レイフ、私もあなたに負けないくらい……あなたのことが好き……」
この唇に残る彼の熱を、私はきっと一生忘れないだろう。
それほどまでに、この夜は私にとって特別なものだった。
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