25話 黄昏時の逢瀬、忍び寄る違和感
私に用意されたのは、湖畔の街で最も高級な宿の一室だった。
上品な調度品から、華美な装飾に至るまで、身の丈に合わないような気がして、どうしても気が引けてしまう。
「エリシア、私は隣の室に控えている。何かあればすぐに声をかけてくれ」
室内に不備がないか点検を終えたレイフが、私を安心させるように優しく微笑みかけた。
彼は聖騎士団の守護の要として、常にすぐ近くで見守ってくれている。
むしろ、その役目を誰にも譲るつもりはないと言わんばかりに、周囲へ牽制を続けているらしい。
「ありがとう、レイフ。……おやすみなさい」
名残惜しさを覚えつつも、彼を送り出そうと笑みを浮かべる。
しかしレイフは、私の顔を見たとたん、踵を返そうとした足を止めた。
彼は退室するどころか、ゆっくりと私の元へ歩み寄ってきた。
「……レイフ?」
彼を見上げると、夕陽の光を浴びたその顔を、さらに赤く染めて手で覆ってしまった。
「ここですぐに退室するのが紳士の振る舞いだとは理解している。だが……まだ君と一緒にいたいと思っている自分がいるんだ」
彼は少し気恥ずかしさを覗かせながらも、私の瞳を熱く見つめた。
その眼差しに宿る熱量があまりにも純粋で、体の奥まで焦がされそうになる。
「……私の方こそ、聖女らしくないと分かっているのだけれど……」
私は彼の衣服の袖を、遠慮がちに少しだけつかんだ。
「日が完全に沈むまでの間で構わないから……少し、一緒にお茶でもいかがかしら?」
私の提案に、彼は嬉しそうに口元を緩めた。
彼と想いを通じてからというもの、氷のようだったその表情は目に見えて柔らかくなっている。
「バルコニーに机が用意されているから、そこで湖を眺めながらお話しましょう」
「分かった。では、私がお茶を用意するから君は座って待っていて……」
「あ、お茶の準備は私にやらせて。レイフはお茶菓子を持ってきてくれるかしら?」
「それなら、王都で流行している焼き菓子を用意してある。隣の部屋から取ってくるから、少し待っていてくれ」
彼は私が甘味を好むと知ってから、常に何かしらの菓子を携帯してくれていた。
私を喜ばせようと、様々なお菓子を手配してくれているのかと思うと、愛おしさで自然と笑みがこぼれてしまう。
彼がお茶菓子を取りに行っている間に、私はお茶の準備を進めた。
私のために用意されていた、茶葉の缶の蓋を開ける。
「あら……?」
それは私のお気に入りの茶葉の箱だった。
しかし、何故かいつもと異なる違和感を覚える。
普段通りの香りが漂っているはずなのに、どうしてか胸が躍らないのだ。
「……気のせいかしら」
部屋に用意されていた湯を注ぎ、丁寧に紅茶を淹れる。
立ち上る香気も、注がれた美しい紅茶色も、いつもと変わらない。
(品質に問題があるようには見えないわね。……私、きっと疲れているのだわ)
トレーにティーセットを乗せて、夕暮れに染まるバルコニーへと向かう。
湖面は沈みゆく太陽の光を映し出し、どこまでも美しく広がっていた。
「エリシア、準備をしてくれてありがとう」
湖に視線を巡らせていると、繊細な装飾の施された緑色の箱を手にしたレイフが戻ってきた。
その外箱の意匠を目にした瞬間、私は驚きで口元を覆った。
「その箱……。王都で最も人気を博している焼き菓子店のものね!」
「ああ、エリシアも知っていたのだな」
「ええ、もちろん……! いつも瞬く間に売り切れてしまうと聞いていたから。いただくことができるなんて夢のようだわ」
「この店と我が公爵家は出店前から繋がりがあったから、優先的に融通してもらうことが多いのだ。君が喜んでくれたのなら何よりだよ」
卓上に菓子箱を置くと、彼は私のために静かに椅子を引いてくれた。
その洗練された紳士的な振る舞いは、彼が歴史ある公爵家の嫡男であることを改めて思い出させる。
私はそのさりげない気遣いに甘えるように、椅子へと腰を下ろした。
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