2話 公爵家嫡男レイフとの出会い
「え……っ!?」
青年は驚く私を腕に抱いたまま、すぐ脇に控えていた豪華な馬車へと、流れるような足取りで乗り込んでいった。
そのままよどみのない所作で馬車の導かれ、私はいつの間にか滑り込むように座席へと腰を下ろしていた。
「ええと……」
対面に腰掛けた青年の姿を前に、私は次の言葉を見失っていた。
彼が身にまとっているのは、一目で最高級とわかる格式高い礼服だ。
高級感もさることながら、それを着こなす彼の存在感そのものが、尋ねるまでもなく高貴な血筋を物語っている。
しかも、その青い双眸は、私を射すくめんばかりの熱量で見つめたまま微動だにしない。
「私も会場へ向かうところだった。都合が良い」
「そう、でしたか……。ありがとうございます。それでは、ぜひお言葉に甘えさせていただきます」
車体が滑らかに前進を始め、石畳の段差を拾ってわずかに揺れる。
(ずっと見つめられている……。私、何か失礼なことでもしてしまったかしら……)
本来なら女性と神職しか立ち入らないはずの儀式へ、共に赴くのだ。
彼が権力を持つ人物であることは疑いようもない。
私はおそるおそる、喉の奥から声を絞り出した。
「あの……差し支えなければ、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……レイフ。レイフ・ランカスターだ」
「ラ、ランカスター……!?」
耳にした瞬間、頭の中が真っ白になり、背筋が凍りついた。
ランカスター公爵家。
王室とも血のつながりを持ち、国政の頂点にも君臨する上級貴族の筆頭ではないか。
しかもその嫡男——レイフ様は、聖騎士団の団長も務めているのは有名な話だ。
「申し訳ありません! まさか公爵家の方とも知らず、あのような不作法を……っ」
「かしこまる必要はない。私はただの次期当主に過ぎない。それに、君にそのような態度を取られるのは……もどかしい」
「そう言われましても……」
彼の瞳を見上げる。
氷を思わせるような青のはずなのに、その奥には断ることを許さない強い光が宿っていた。
目が離せなくなるような、不思議な引力がある。
「君は、貴族の娘だろう?」
「はい……ウィロー男爵家の娘、エリシアと申します」
その家名を口にした刹那、彼の眉間にかすかな陰りが差したように見えた。
「とは言っても……貴族の令嬢とは名ばかりで、私は屋敷の隅で放っておかれている身なのですが」
「どういうことだ?」
「両親の視線はいつも妹にばかり向いていて……私はいないものとして扱われているんです。少し寂しくはありますが、領地の帳簿管理や妹の世話で一日が暮れていきますので、退屈している暇はありませんが」
いつも押し付けられる雑務の数々を思い出し、私は自嘲するように微笑んだ。
前世で激務の事務の仕事をしていたこともあったおかげで、その仕事自体はむしろ誰よりも上手にできる自信があった。
だけれども、注がれない愛情に手を伸ばしかけたことは、一度や二度ではない。
とっくに諦めているはずなのに、口にすると胸の奥が少しだけ痛む。
「君は……優しいのだな」
「え?」
「自分を犠牲にしても、他を優先する。私が今まで会ったことがない女性だ。君のような女性こそが——」
レイフ様が言葉を紡ごうとした直後、車体の揺れが速度を落として収まった。
「……到着したようだ」
レイフ様が、何もなかったかのように座席から立ち上がる。
彼は私より先に扉を開けて外へ降りると、私に向けて手のひらを差し出した。
「手を」
身分違いの厚遇に戸惑いながらも、私はその指先に触れ、彼に導かれるまま車外へと足を下ろした。
それと同時に、馬車に気づいた神官の男性が小走りでこちらへ近寄ってくる。
「レイフ様、お待ち申し上げておりました。……そちらにおられる女性は?」
神官は私を一瞥し、あからさまに怪訝そうな視線を向けてきた。
言われて初めて、私は自身の無惨な姿を思い出す。
ドレスの裾は引き裂かれ、木登りをしたせいで苔や泥がそこかしこにこびりついている。
とても貴族の令嬢に見えるはずがなかった。
「エリシア・ウィローだ。彼女は選定会へ出席する。案内しろ」
「は、はあ……承知いたしました」
なおも私を値踏みするような視線を投げかけてくる神官の後ろを追いかけながら、私はいよいよ選定会の会場へと足を踏み入れた。
この日が私の運命を大きく変えることになると知らずに、間に合った安堵感に胸を撫で下ろしていた。




