1話 選定会に遅刻、からの大遅刻
エリシアは、メインヒロインである妹を虐げる悪役令嬢。
そのはずのストーリーだった。
しかし、記憶を取り戻した日からすべてが変わってしまう。
私は今、息も絶え絶えに王都の大通りを駆け抜けていた。
「ま、間に合わない……!」
今日は、王都に住む成人女性全員へ義務付けられた『聖女選定会』の当日。
人生を左右する大一番だというのに、私はとんでもない大遅刻を仕出かしていた。
(すべては、妹のルアナが私の礼装を切り裂いたせいなのだけれど……!)
私は幼い頃、物語の悪役令嬢と自覚してから、妹ルアナを逆に愛する方向へ舵を切った。
しかし、それが完全に裏目となる。
妹は超絶わがまま少女に育ち、逆に威圧感のない私は家族全員から舐められるようになってしまった。
(かと言ってストーリー通り虐めるのは嫌だったし……まあ、しょうがないか)
礼服は、急ぎ針と糸を動かしてどうにか形にはしたものの、式典の開始時刻には到底及ばない。
妹を甘やかす両親は私を置き去りにして、さっさと妹と共に馬車で会場へ向かってしまった。
「ともかく急がないと……!」
少しでも遅れを取り戻すべく、一歩でも前へ、と地を蹴り続ける。
日頃から家族に小間使いのようにこき使われているおかげか、幸いにも体力だけは人一倍あった。
このままの駆け足で行けば、閉会が宣言される前には滑り込めるはずだ。
「うえーん……」
その時、耳に届いたのは、か細い泣き声。
視線を向けると、幼い男の子が大きな木を見上げて涙をこぼしていた。
「……ねえ、どうしたの?」
弾む呼吸を落ち着かせながら、私は気がつけばその子の前へ足を向けていた。
涙で濡れた目をこちらに向け、男の子は高く伸びた木の枝を指差す。
「遊んでたら、ボールが引っかかっちゃって……」
「あー……」
指の先を追うと、緑の葉の隙間に、砂に汚れた球体が挟まっているのが見えた。
小さな子どもの手が届くような高さではない。
「誕生日プレゼントでもらったばかりなのに……」
ぽろぽろと涙を流す男の子の肩に、私はポンと手を置いた。
「……ここはお姉さんに任せなさい!」
私は靴を脱ぎ捨て、せっかく繕ったばかりの礼服の裾を思い切りよく引き裂いた。
そして、ごつごつとした木の幹に足をかける。
「お姉ちゃん、危ないよ!?」
「大丈夫! これでも身軽さと器用さには自信があるから……!」
本当は、まともな木登りなんて一度もしたことがないけれど。
足場になりそうな木肌のくぼみを選び、一歩ずつ重心を移していく。
「よっと……」
どうにかお目当てのものが引っかかっている太い枝の根元まで、上がることができた。
「んー……っ!」
指の先を、あと数センチ、あと数ミリと伸ばしていく。
爪先がかすかに球体の表面に触れた、その瞬間だった。
「あ……!」
足元の苔に滑り、体がぐらりと傾く。
ボールを落下させながらも、私は宙へと投げ出された。
「——っ」
地面と衝突する痛みを覚悟し、私はぎゅっとまぶたを閉じる。
しかし、身体を受け止めたのは、包み込むような温もりだった。
「君、大丈夫か?」
目を開けると、視界に飛び込んできたのは、陽光を浴びてきらめく白銀の髪。
どこまでも広がる青空をそのまま閉じ込めたような、澄んだ青の瞳。
見知らぬ青年が私をその腕に抱きとめ、落下の衝撃から守ってくれていた。
「あ、ありがとうございます……!」
「……無茶をするな」
彼の声調は平坦で、表情も硬かったが、その瞳の奥には案じるような光が揺れている。
「お姉ちゃん、ボールありがとう!」
下から聞こえた声に目をやると、先ほどの男の子がボールを嬉しそうに掲げていた。
「ボールが取れて良かったね! もう木の近くでボール遊びはしちゃだめよ?」
「うん、わかった!」
男の子は元気よく返事をすると、そのまま路地の向こうへと走っていった。
遠ざかる背中を見送りながら、ふと、自分の現状に思い至る。
「あ、あの……もう下ろしていただいても大丈夫、ですから……」
未だに横抱きにされたままの姿勢に気づき、青年を見上げる。彼もまた、じっと私を見つめ返していた。
視線が絡み合っても、彼は一瞬たりとも目を逸らそうとしない。
「君は……エリシアだな?」
形の良い唇が、かすかに動く。
「え、なぜ私の名前を……?」
私の記憶違いでなければ、この方とは初対面のはずだ。
疑問符を浮かべて、私は端正な顔立ちを見上げる。
彼はなおも私を腕に抱いたまま、凛とした声を響かせた。
「その礼服……聖女選定会に出席する予定だったのか? 刻限はとうに過ぎているはずだが」
「う……絶賛遅刻中です。もう今からでは間に合いませんよね……」
元々のペースですらギリギリだったのだ。
足を止めてしまった今、ここからどれほど急いだところで門は閉ざされているだろう。
「聖女選定会は、この国に生きる者の義務だ。不参加となれば、相応の罰や叱責を免れない。……それを理解していながら、あの子どもを優先したのか?」
彼は淡々と事実を並べる。
まるで見咎められているかのような冷徹さに、私は思わず彼の腕の中で身を縮めてしまった。
「困っている人を見たら、どうしても足を止めずにはいられなくて。でも、後悔はしていません。……選定会に行かなかったことは、後でどんなお咎めでも受けます」
怒られるだけでは済まないだろうが、変えられない現実なのだから腹をくくるしかない。
私は小さく息を吐き、視線を落とした。
「それならば、私の馬車を使いなさい。会場まで送り届けよう」
ここまでご愛読ありがとうございます。
次回、聖女選定回です。
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