第6話 暗闇を飛ぶ群れ
地下空洞の天井で、黒い塊が次々と動き始めた。
一つ。
二つ。
十を超えたところで、数えるのをやめる。
天井を覆っていたのは岩ではない。
羽を畳み、逆さまにぶら下がっていた蝙蝠の群れだった。
「多いな……」
俺が呟いた直後、一匹が翼を広げた。
それを合図にしたように、無数の羽音が地下空洞へ響き渡る。
暗視のおかげで姿は見える。
普通の蝙蝠よりも一回り大きく、広げた翼は俺の両腕ほどもあった。口には細かな牙が並び、足の先から鋭い爪が伸びている。
暗視がなければ、何も見えないまま襲われていただろう。
剣を構えながら、来た道へ下がる。
ここは広すぎる。
四方から囲まれれば、今の俺では対応できない。
だが、すでに数匹が出口側へ回り込んでいた。
高い位置を飛ばれては、走って逃げ切るのも難しい。
「やるしかないか」
地下空洞の壁際へ移動する。
背後を岩壁で塞げば、少なくとも後ろから噛みつかれることはない。
最初の一匹が急降下してきた。
剣を振る。
刃は翼の先を掠めただけだった。
蝙蝠は空中で身を捻り、俺の顔を目がけて再び飛び込んでくる。
腕で顔を守った。
爪が防具の表面を引っ掻き、硬い音を立てる。
続けて、二匹目が首元へ迫る。
剣を振り戻す余裕はない。
俺は鞘を引き抜き、横から叩きつけた。
鈍い感触。
蝙蝠が地面へ落ちる。
しかし、まだ生きていた。
翼をばたつかせ、再び飛び上がろうとする。
俺は靴底で頭を踏みつけた。
骨が砕ける感触が足へ伝わり、蝙蝠の動きが止まる。
その瞬間、胸の奥へ熱が流れ込んだ。
岩背猪や牙鼠を初めて倒したときと同じ感覚。
ただし、得られた祝福は牙鼠より少し弱い。
それでも、衰えた身体へ力が戻ってくるのがはっきりと分かった。
《洞蝙蝠を初めて討伐しました》
《神の祝福を獲得しました》
《野良ダンジョン討伐記録:3/6》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《洞蝙蝠討伐数:1/10》
《所持ガチャ券:三枚》
「洞蝙蝠か」
名前を確認した直後、右側から羽音が迫る。
振り向きざまに剣を振った。
空振り。
刃の下を潜り抜けた洞蝙蝠が、肩へ噛みついた。
「ぐっ……!」
防具の隙間へ牙が食い込む。
俺は左手で洞蝙蝠の胴体を掴み、そのまま岩壁へ叩きつけた。
一度。
二度。
骨の砕ける音がして、牙が肩から外れる。
地面へ落とし、剣を突き立てた。
胸へ微かな熱が入る。
一匹倒すたび、祝福を得られる。
だが、傷や疲労まで消えるわけではない。
肩から血が流れ、防具の内側へ染み込んでいく。
次の一匹が顔へ迫った。
剣で追う。
また避けられた。
洞蝙蝠は飛び回っている間、不規則に方向を変える。今の俺が剣で追いかけても当たらない。
だが、攻撃するときだけは違う。
爪や牙を届かせるため、こちらへ真っすぐ飛び込んでくる。
ならば、追う必要はない。
待てばいい。
俺は剣を身体の横へ引き、動きを止めた。
一匹が俺の目を狙って急降下する。
直前まで動かない。
蝙蝠の爪が顔へ届く寸前、半歩だけ横へずれた。
そのまま剣を振り上げる。
刃が洞蝙蝠の胴を捉え、二つに断ち切った。
さらに一匹。
今度は首を狙って飛び込んでくる。
身体を沈め、下から剣を突き出した。
切っ先が腹を貫く。
俺は串刺しになった洞蝙蝠を剣から振り落とした。
「追うな。来るのを待て」
自分へ言い聞かせる。
七年前なら、この程度の判断はもっと早くできた。
頭では分かっている。
だが、衰えた身体がついてこないことへ焦り、力任せに剣を振ってしまう。
焦るな。
一匹ずつでいい。
群れ全体を見るのではなく、俺を狙ってくる一匹だけを見る。
洞蝙蝠が次々と飛び込んでくる。
一匹を斬る。
二匹目は剣の腹で叩き落とし、踏みつける。
三匹目には避けられたが、壁へ激突したところを鞘で殴った。
四匹目を斬った直後、別の個体が左腕へ噛みつく。
鋭い痛みが走った。
俺は腕を振り回さず、そのまま壁へ押しつけた。
洞蝙蝠が潰れ、身体から力が抜ける。
さらに爪が頬を掠めた。
焼いたばかりの皮膚へ痛みが走る。
血が目へ入りそうになり、腕で拭った。
洞蝙蝠は俺が待ち構えていることを学んだらしい。
一匹ずつではなく、三方向から同時に迫ってきた。
一匹を斬る。
二匹目は防具で受ける。
三匹目の爪が前腕を裂いた。
「ちっ……」
傷ついた腕を庇いながら後退する。
このまま剣だけで戦えば、右腕が先に動かなくなる。
足元に拳ほどの石が落ちていた。
拾い上げ、こちらへ飛び込もうとしていた洞蝙蝠へ投げる。
石は翼へ直撃した。
体勢を崩した洞蝙蝠が地面へ落ちる。
すぐに駆け寄り、剣で首を落とした。
もう一つ石を拾う。
次は胴体へ当たり、岩壁へ叩きつけられた。
飛んでいる相手を剣で斬る必要はない。
落としてから殺せばいい。
俺は腰に残していた布を取り出し、左腕へ巻きつけた。
洞蝙蝠が布へ爪を立てる。
あえて腕を引かず、噛みつかせる。
牙が布へ絡んだ瞬間、剣を振り下ろした。
血が飛び散る。
また胸へ熱が入る。
何匹倒したのか分からなくなりかけたころ、視界へ文字が浮かんだ。
《洞蝙蝠を十体討伐しました》
《十体討伐報酬としてガチャ券を一枚獲得しました》
《洞蝙蝠討伐数:10/20》
《所持ガチャ券:四枚》
十体。
まだ、頭上には十匹以上残っている。
息が切れていた。
剣を握る右手も震え始めている。
左腕と肩から血が流れ、身体のあちこちに細かな傷が増えていた。
一度、通路まで逃げるか。
そう考えたが、出口との間を数匹の洞蝙蝠が飛び回っている。
無理に駆け抜ければ、背中を狙われる。
それに、戦い始めたころよりも身体が動いていた。
羽音を聞くだけで、どの方向から近づいているのか分かる。
最初は姿を見てから反応していた。
今は、飛び込んでくる直前の空気の動きまで感じ取れる。
祝福によって五感と反応速度が戻っている。
俺は震える右手で剣を握り直した。
「来い」
洞蝙蝠の群れが、再び襲いかかってくる。
岩壁を背にしながら、一匹ずつ迎え撃つ。
正面から来た一匹を斬り、左から来た個体を鞘で弾く。
頭上から迫った爪をしゃがんで避け、通り過ぎた背中へ剣を突き立てた。
地面に落ちた死体を拾い、次に迫った洞蝙蝠へ投げつける。
二匹が空中で衝突した。
片方を踏み殺し、もう片方の翼を剣で切り裂く。
胸の熱が何度も繰り返される。
一度の祝福は小さい。
それでも、積み重なれば違う。
剣を振る速度が上がる。
足が軽くなる。
戦い始めたときには間に合わなかった攻撃へ、今は反応できる。
七年間で失った身体が、俺の動きを思い出していた。
十八匹目。
十九匹目。
二十匹目が、俺の顔を狙って一直線に飛んでくる。
俺は避けなかった。
剣を両手で握り、正面から振り下ろす。
刃が頭から胴体までを断ち切った。
血を撒き散らしながら、二つに分かれた身体が足元へ落ちる。
《洞蝙蝠を二十体討伐しました》
《二十体討伐報酬としてガチャ券を一枚獲得しました》
《洞蝙蝠討伐数:20/30》
《所持ガチャ券:五枚》
残った洞蝙蝠たちは、天井付近を旋回した。
こちらへ飛び込もうとして、途中で方向を変える。
やがて一匹が空洞の奥へ逃げた。
ほかの個体も、その後を追って暗闇へ消えていく。
俺は追わなかった。
逃げた敵を追って、別の群れへ突っ込む必要はない。
二十体倒した。
それで十分だ。
緊張が切れた途端、膝から力が抜けた。
剣を地面へ突き立て、辛うじて身体を支える。
「はあ……はあ……」
全身が熱い。
戦闘による疲労だけではない。
短時間に多くの祝福を得たことで、身体の内側から熱が生まれている。
筋肉が軋み、頭も重い。
それでも、不快なだけの熱ではなかった。
痩せ細った身体へ、失われた力が作り直されている。
俺は《収納》から下級回復薬を一本取り出した。
すべては使わない。
肩と左腕の傷へ、必要な分だけ振りかける。
冷たい液体が染み込み、傷口がゆっくりと塞がっていく。
疲労回復薬は残した。
この先には、洞蝙蝠より強い魔物がいるかもしれない。
今使うべきではない。
周囲を見ると、倒した洞蝙蝠の死体が床へ沈み始めていた。
「まずい」
休んでいる場合ではない。
俺は一番近い死体を引き寄せ、腹を切り開いた。
小さな魔石を取り出し、《収納》へ入れる。
二体目。
三体目。
作業している間にも、離れた場所の死体が少しずつ地面へ溶けていく。
急いで近くのものから切り開く。
十五個目の魔石を取り出したところで、残りの死体は完全に床へ吸収されてしまった。
すべては回収できなかった。
だが、十五個もあれば十分だ。
俺は安全を確認しながら、元の細い通路まで戻った。
壁際へ《魔法のテント》を設置する。
光が広がり、何もなかった洞窟の中へ布張りの空間が現れた。
中へ入り、回収した魔石を一つずつ投入する。
《結界魔力残量が回復しました》
投入するたび、残量が増えていく。
十個目を入れた直後、これまでとは違う表示が浮かんだ。
《累積魔石投入量が条件を満たしました》
《魔法のテントに新たな設備を追加します》
《魔法のケトルを解放しました》
テントの隅に淡い光が集まる。
光が消えると、そこには小さな黒いケトルが置かれていた。
蓋を開ける。
中は空だった。
側面へ触れると、説明が表示される。
《魔法のケトル》
《魔石の魔力を消費し、水を生成して加熱します》
《生成を開始しますか?》
俺は承認した。
ケトルの底から、小さな水音が聞こえる。
空だったはずの内部へ透明な水が湧き出し、やがて白い湯気が立ち始めた。
魔石の残量がわずかに減る。
俺は器へ湯を注ぎ、両手で持った。
温かい。
その感触だけで、しばらく動けなかった。
七年間、与えられたのは冷たい水か、濁った水だった。
温かい飲み物など、一度も口にしていない。
火傷しないよう、少しずつ湯を飲む。
味はない。
ただの湯だ。
それでも、温かさが喉を通り、冷えた腹へ落ちていく。
ふと、七年前の朝を思い出した。
妻と二人で営んでいた、小さな店。
開店の準備を始める前、妻はいつも温かい飲み物を用意してくれた。
湯気の向こうで笑っていた顔。
腹に子供がいたことを、俺へ告げられないまま殺された妻。
器を持つ手へ力が入る。
湯の表面が揺れた。
「必ず、殺す」
ただ殺すだけでは足りない。
俺から奪ったものの重さを思い知らせる。
そのためにも、今は力を取り戻さなければならない。
俺は残った湯を飲み干し、《ダンジョンガチャ》へ意識を向けた。
《所持ガチャ券:五枚》
《野良ダンジョン討伐記録:3/6》
《岩背猪討伐数:1/10》
《牙鼠討伐数:4/10》
《洞蝙蝠討伐数:20/30》
《復讐達成率:0%》
ガチャ券は五枚。
十一連まで、あと五枚だ。
復讐達成率は、まだ零パーセント。
だが、俺の身体は確実に戻り始めている。
数時間休み、発熱が治まってからテントを収納した。
別の通路へ入り、暗視を頼りに進む。
しばらく歩いたところで、右足が急に止まった。
「……なんだ?」
見ると、靴へ白い糸が絡みついていた。
細い糸ではない。
指ほどの太さがあり、強く引いても簡単には切れない。
周囲を見回す。
壁にも。
天井にも。
何本もの白い糸が張り巡らされていた。
剣で足元の糸を切る。
その瞬間、通路の奥から音が聞こえた。
硬いものが岩を叩く音。
ゆっくりと、こちらへ近づいてくる。
岩陰から、節のある長い脚が一本現れた。
続いて二本目。
三本目。
暗闇の奥で、八つの目が一斉に開いた。




