第40話 岩殻蛞蝓
灰色の霧の中から、岩の塊が這い出してきた。
背中を覆っているのは、自然の岩ではない。
何層にも重なった灰色の殻。
表面には苔や小石が付着し、谷の地面とほとんど見分けがつかなかった。
殻の下から、濡れた肉が伸びている。
頭部には四本の触角。
口の中には、細かな歯が無数に並んでいた。
《岩殻蛞蝓との遭遇を確認しました》
《未討伐の魔物種です》
一体目の後ろから、さらに影が現れる。
三体。
六体。
十体。
霧視で奥を確認する。
全部で十二体。
動きは速くない。
だが、一体一体が荷車ほどの大きさだった。
岩殻蛞蝓が這った跡には、灰色の粘液が残っている。
粘液が巨大な肋骨へ触れた。
白い骨の表面から煙が上がる。
骨が少しずつ溶けていた。
「触れない方がよさそうだな」
先頭の岩殻蛞蝓が身体を縮めた。
次の瞬間。
背中の殻を盾にしたまま、地面を滑ってくる。
遅くない。
粘液を利用して、勢いをつけている。
俺は横へ跳んだ。
岩の殻が、背後の肋骨へ激突する。
太い骨が根元から折れた。
正面から受ければ、押し潰される。
剣へ《氷膜》をまとわせる。
岩殻蛞蝓が向きを変えようとする。
腹側には殻がない。
俺は側面へ走った。
剣を振る。
濡れた肉へ刃が入る。
深くはない。
岩殻蛞蝓の身体が急に縮んだ。
頭部も腹も、すべて岩の殻の下へ隠れる。
剣先が殻へ当たった。
硬い。
墓喰い大蜥蜴の骨鎧よりも厚い。
岩殻蛞蝓が殻の中から、灰色の液体を噴き出した。
後ろへ下がる。
粘液が革靴の先へかかった。
すぐに生活魔法の水で洗い流す。
表面の革が、わずかに変色していた。
長く触れれば、防具も溶かされる。
岩殻蛞蝓が再び頭を出す。
攻撃するときだけ、柔らかい部分が露出する。
俺は剣を構えたまま待った。
魔物が身体を縮める。
また突進。
直前まで動かない。
岩の塊が迫る。
横へ避けると同時に、左手を地面へ向けた。
「《冷気》」
岩殻蛞蝓が進む場所だけを凍らせる。
地面に残っていた粘液が、白く固まった。
殻の下側が氷へ張りつく。
岩殻蛞蝓の突進が、途中で止まった。
勢いだけが前へ残る。
殻が傾いた。
柔らかい腹部が露出する。
俺は踏み込んだ。
剣を下から突き上げる。
冷たい刃が腹を貫いた。
岩殻蛞蝓が激しく身体を震わせる。
灰色の粘液が飛び散った。
剣を抜かず、そのまま横へ切り裂く。
魔物の身体から力が抜けた。
《岩殻蛞蝓を初めて討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《灰霧谷討伐記録:4/?》
《所持ガチャ券:五枚》
残る十一体が、一斉に動き始めた。
◇
岩の塊が、霧の中を滑ってくる。
左右から二体。
正面から三体。
残る個体も、その後ろに続いている。
狭い骨の森では避けきれない。
俺は巨大な肋骨の間へ入った。
一体目が追ってくる。
岩殻蛞蝓の殻が、左右の骨へ挟まった。
進めない。
だが、魔物は止まらなかった。
身体を縮め、殻を強く押しつける。
巨大な肋骨へ亀裂が入った。
壊して進むつもりだ。
別の岩殻蛞蝓が、反対側から回り込んでくる。
俺は足元へ水を撒いた。
魔力操作で、細い線状に冷気を流す。
「《冷気》」
灰色の粘液が凍る。
回り込んできた個体の下半身が、地面へ固定された。
岩殻蛞蝓が頭部を殻へ引っ込めようとする。
その前に走る。
触角の間へ剣を突き刺した。
刃が口の奥まで入る。
二体目。
骨の間に挟まっていた個体が、肋骨をへし折った。
岩の殻が迫る。
避ける場所がない。
俺は折れた肋骨へ足をかけ、上へ跳んだ。
岩殻蛞蝓が真下を通過する。
殻の上へ着地した。
表面は硬いが、滑りやすい。
剣を突き立て、身体を支える。
刃は少ししか入らなかった。
岩殻蛞蝓が身体を振る。
振り落とされる前に、殻の前側へ移動した。
頭部が現れる。
俺を噛み落とすつもりだ。
大きな口が開いた。
そこへ剣を振り下ろす。
刃が口から頭部を貫いた。
三体目。
岩殻蛞蝓が倒れる。
俺は殻の上から飛び降りた。
着地した場所には、灰色の粘液が広がっていた。
革靴が張りつく。
「まずい」
足を上げようとしても動かない。
正面から二体が迫る。
剣で靴の周囲の粘液を削る時間はない。
左手を向ける。
「《冷気》」
粘液を凍らせる。
固まった灰色の塊ごと、強引に足を引き抜いた。
革靴の底が一部剥がれる。
だが、動ける。
二体の間へ走った。
直前で身を沈める。
左右の岩殻蛞蝓が、互いの殻へ衝突した。
岩が砕ける音。
片方の殻に亀裂が入った。
俺はそこへ剣を振り下ろす。
一撃。
亀裂が広がる。
二撃目。
殻の一部が砕け、内部の柔らかい肉が見えた。
剣を突き刺す。
四体目。
もう一体が身体を回す。
殻の側面が俺へぶつかった。
腕で受ける。
強い衝撃。
身体が地面を転がった。
立ち上がる前に、岩殻蛞蝓が滑ってくる。
左手を向けた。
「《氷塊》」
尖らせた氷を、頭部の下へ撃つ。
致命傷にはならない。
だが、氷塊が地面へ刺さり、魔物の進路をわずかに変えた。
殻が俺の横を通過する。
剣を逆手に持ち、柔らかい側面へ突き立てた。
滑る勢いによって、傷が後方まで裂ける。
五体目。
◇
残る七体が、俺を囲んでいた。
地面の大半が粘液で濡れている。
普通に走れば足を取られる。
俺は巨大な骨の柱へ上った。
岩殻蛞蝓たちが、その下へ集まる。
一体が殻を骨へぶつけた。
柱が揺れる。
長くは保たない。
だが、上からなら腹側を狙える。
腰から投げナイフを抜く。
真下の岩殻蛞蝓へ投げた。
刃は殻の隙間へ刺さったが、浅い。
魔物が粘液を噴き上げる。
身体を反らす。
灰色の液体が外套の端へ付着した。
すぐに留め具を外し、外套を捨てる。
布が煙を上げながら溶けていった。
骨の柱へ二度目の衝撃。
根元に亀裂が入る。
俺は反対側へ飛び降りた。
着地する場所だけ、先に冷気で凍らせる。
灰色の粘液が固まり、足が沈まない。
追ってきた一体が骨の柱の下を通る。
俺は亀裂へ向けて《氷塊》を放った。
尖った氷が骨へ突き刺さる。
亀裂が広がった。
柱が傾く。
巨大な肋骨が、岩殻蛞蝓の殻へ落ちた。
岩の殻が砕ける。
押し潰された魔物の身体が、殻の下からはみ出した。
そこへ剣を突き入れる。
六体目。
別の一体が、倒れた仲間を乗り越えてくる。
背中の殻同士が擦れた。
砕けた殻の破片が、粘液へ混ざっている。
俺はその破片を蹴り上げた。
岩の欠片が触角へ当たる。
岩殻蛞蝓が頭部を引っ込める。
その隙に横へ回り、腹部へ剣を振る。
七体目。
残る五体。
魔力の消耗が大きくなっている。
冷気を使い続けなければ、足場さえ確保できない。
氷槍を使えば一体は倒せる。
だが、五体を相手にする間は残しておきたい。
岩殻蛞蝓たちが横一列に並んだ。
一斉に身体を縮める。
五体同時の突進。
逃げる場所は限られている。
俺は正面へ走った。
五体の中央。
二体の間へ入る。
直前で地面へ滑り込んだ。
岩の殻が左右を通過する。
背後で衝突音。
立ち上がる。
二体がぶつかり、殻へ亀裂が入っていた。
残る三体は方向を変えようとしている。
俺は亀裂の入った一体へ走る。
剣を同じ場所へ振り下ろす。
一撃。
二撃。
殻が割れる。
内部へ刃を突き刺す。
八体目。
もう一体が背後から迫る。
避けるのではなく、倒した魔物の殻へ身体を寄せた。
突進してきた岩殻蛞蝓が、死体へ乗り上げる。
腹部が持ち上がった。
下へ潜り込む。
剣を突き上げる。
濡れた肉を深く切り裂いた。
九体目。
粘液が頭上から落ちてくる。
すぐに外へ転がった。
右肩へ少量が付着する。
革鎧から煙が上がった。
水で洗い流す。
表面は傷んだが、皮膚までは届いていない。
残る三体が近づいてくる。
俺は息を整えた。
あと一体倒せば、十体目。
正面の岩殻蛞蝓が身体を伸ばした。
粘液を吐く。
横へ避ける。
残る二体が、その先で待っていた。
挟み撃ち。
一体の殻が左から迫る。
剣の腹で受けた。
腕が押し込まれる。
もう一体が右から来る。
このままでは、二つの殻に潰される。
俺は剣から片手を離した。
左手を右側の魔物へ向ける。
魔力を一気に集める。
「《氷槍》」
長い氷の槍が、岩殻蛞蝓の口へ突き刺さった。
頭部を貫き、殻の奥まで入る。
魔物の動きが止まった。
十体目。
《岩殻蛞蝓を十体討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《所持ガチャ券:六枚》
左から押していた一体の力は残っている。
俺は剣を地面へ滑らせ、殻の下へ入れた。
梃子のように持ち上げる。
わずかに浮いた隙間へ足を入れる。
全身の力で蹴った。
岩殻蛞蝓の身体が傾く。
柔らかい腹が見える。
剣を引き抜き、深く突き刺した。
十一体目。
最後の一体が逃げ始めた。
戦う意思を失ったのか。
霧の奥へ向かって滑っていく。
追う。
粘液の上を走ることはできない。
俺は凍らせた細い道を作りながら進んだ。
岩殻蛞蝓が骨の森を抜ける。
その先には、巨大な影がある。
逃げているのではない。
大きな個体のもとへ戻ろうとしている。
最後の岩殻蛞蝓が、巨大な影へ近づいた。
影が動く。
岩の壁だと思っていたものが、ゆっくりと持ち上がった。
小さな個体の何倍もある殻。
表面には、何十本もの武器が突き刺さっている。
剣。
槍。
折れた矢。
過去に戦った冒険者たちの武器だろう。
巨大な触角が霧をかき分ける。
最後の岩殻蛞蝓が、その身体の下へ隠れた。
《岩殻大蛞蝓との遭遇を確認しました》
《未討伐の魔物種です》
岩殻大蛞蝓が頭部を持ち上げる。
大きな口が開いた。
中から灰色の粘液が噴き出す。
量が違う。
壁のような液体が、地面を覆いながら迫ってきた。
◇
俺は巨大な肋骨へ駆け上がった。
直後、粘液の波が足元を通過する。
骨の柱が煙を上げた。
表面が溶け、細くなっていく。
このまま乗っていれば、柱ごと倒れる。
隣の骨へ跳び移る。
岩殻大蛞蝓が、ゆっくりこちらへ向きを変えた。
動きは遅い。
だが、身体が大きすぎる。
逃げる方向を塞ぐだけで、近づけなくなる。
背中の殻には、大きな亀裂が一つもない。
氷槍を正面から撃っても、貫けるか分からない。
さらに、身体の下には最後の岩殻蛞蝓が隠れている。
先に大きな個体を倒そうとすれば、足元から襲われる。
岩殻大蛞蝓が殻を揺らした。
表面に突き刺さっていた剣や槍が抜け落ちる。
地面へ落ちた武器が、粘液に触れて煙を上げた。
錆び、溶けていく。
殻へ残された傷すら、灰色の粘液が覆って塞いでいた。
「自分で修復するのか」
正面から殻を壊すのは難しい。
柔らかい腹を狙うしかない。
問題は、どうやって巨体を持ち上げるか。
岩殻大蛞蝓が骨の柱へ身体をぶつけた。
俺が立っている場所が揺れる。
骨が折れた。
地面へ飛び降りる。
粘液がない場所を選んだ。
巨大な口が迫る。
横へ走る。
細かな歯が、背後の骨を削り取った。
俺は《収納》から鉄杭を取り出した。
墓喰い大蜥蜴との戦いで使った物。
まだ二本残っている。
一本を地面へ置く。
もう一本を、岩殻大蛞蝓の進路へ突き立てた。
魔物が滑ってくる。
鉄杭の先端が、柔らかい頭部へ当たった。
だが、刺さらない。
粘液によって横へ流された。
岩殻大蛞蝓の殻が迫る。
俺は鉄杭を捨てて避けた。
巨体が通過する。
地面へ刺さっていた杭が、殻の下へ入った。
岩殻大蛞蝓の身体がわずかに持ち上がる。
腹側が見えた。
今しかない。
剣へ氷膜をまとわせる。
持ち上がった腹へ走る。
灰色の粘液が降ってくる。
刃の前へ厚い氷を作り、受け流す。
汚染された氷を剥がす。
腹部へ剣を振った。
深い傷が入る。
黒い体液が噴き出した。
だが、致命傷には遠い。
岩殻大蛞蝓の身体が落ちる。
押し潰される前に外へ転がった。
鉄杭が折れた。
魔物は傷ついた腹を地面へ押しつける。
灰色の粘液が傷を覆い始めた。
このままでは塞がる。
俺は魔力回復薬を取り出した。
栓を抜き、一気に飲む。
胸の奥へ冷たい力が戻った。
岩殻大蛞蝓の頭部がこちらへ向く。
口が開く。
次の粘液を吐くつもりだ。
その奥。
口内から腹へ続く柔らかい部分が見えた。
外から殻を壊す必要はない。
内部を貫く。
左手へ魔力を集める。
氷の芯が生まれる。
その周囲へ何層も氷を重ねる。
岩殻大蛞蝓の口から、灰色の液体が噴き出した。
完成まで間に合わない。
俺は横へ走りながら、魔力を維持する。
粘液の波が追ってくる。
革靴の踵へ触れた。
煙が上がる。
足を止めない。
岩殻大蛞蝓が首を振り、噴き出す方向を変える。
追いつかれる。
俺は巨大な肋骨の陰へ入った。
粘液が骨へ当たる。
白い柱が溶け始める。
その一瞬で、氷槍が完成した。
岩殻大蛞蝓は粘液を吐き終え、口を閉じようとしている。
「《氷槍》」
長い氷が飛ぶ。
閉じる直前の口へ突き刺さった。
氷槍は頭部を貫いた。
だが、止まらない。
岩殻大蛞蝓が身体を震わせる。
折れた氷槍を口から吐き出そうとする。
俺は二本目の鉄杭を拾った。
走る。
魔物の正面へ。
口に刺さった氷槍を、さらに奥へ押し込む。
鉄杭の先端を氷槍の根元へ当てた。
剣の柄で叩く。
一度。
氷槍が奥へ入る。
二度目。
岩殻大蛞蝓が首を振った。
身体ごと吹き飛ばされる。
地面を転がった。
右肩と背中に痛み。
それでも、氷槍は抜けていない。
口から腹へ向かって刺さっている。
俺は左手を向けた。
「《冷気》」
氷槍だけへ魔力を流す。
魔力操作で、冷気を外へ逃がさない。
岩殻大蛞蝓の身体の中で、氷が広がっていく。
頭部。
喉。
腹。
灰色の粘液が内側から凍りつく。
巨体の動きが鈍った。
殻の下から、最後の岩殻蛞蝓が這い出してくる。
俺へ向かって突進した。
避けない。
剣を両手で構える。
直前で半歩横へ。
すれ違いざま、腹部へ刃を入れる。
十二体目。
小さな岩殻蛞蝓が地面へ倒れる。
その背後で、岩殻大蛞蝓が身体を持ち上げようとしていた。
凍った腹が膨らむ。
内部の氷を押し出そうとしている。
俺は先ほど斬った傷へ向かった。
粘液で塞がりかけている。
そこへ剣を突き刺す。
「《氷膜》」
刃から新しい冷気を流し込む。
内側の氷とつながった。
傷の周囲が白く凍る。
剣を横へ引く。
凍った肉が砕けた。
黒い体液と氷が噴き出す。
岩殻大蛞蝓の身体が大きく震えた。
もう一度、同じ場所へ剣を入れる。
さらに深く。
内部の氷を切り裂く。
巨体から力が抜けた。
岩の殻が地面へ落ちる。
灰色の霧が、衝撃で大きく揺れた。
《岩殻大蛞蝓を初めて討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《灰霧谷討伐記録:5/?》
《所持ガチャ券:七枚》
胸の奥へ、強い祝福が流れ込んだ。
全身が熱くなる。
倒れそうになるのを、剣で支える。
《一定量の祝福が蓄積しました》
《レベルが上昇しました》
《身体能力が上昇しました》
《復讐達成率を再算定します》
《復讐達成率:24%》
一パーセント。
ヴァルドとの差が、わずかに縮まった。
だが、これで終わりではない。
《灰霧谷討伐記録:5/?》
谷には、まだ別の魔物がいる。
俺は岩殻大蛞蝓の殻へ背を預け、荒い呼吸を整えた。
傷ついた身体は休息を求めている。
腹も減っていた。
ここで無理に進めば、次の魔物に殺される。
周囲の霧を見る。
霧視の向こうに、大蛞蝓の殻で塞がれていた横穴が現れていた。
入口は一つ。
内部に動く影はない。
今日は、あそこで休む。
俺は倒した岩殻蛞蝓から魔石を回収し始めた。
【あとがき】
Kindle版を出版しました!
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