第38話 霧視と氷槍
灰色の霧の中に、十一の光が浮かび上がった。
一つずつ形を変え、結果が表示されていく。
《N 保存食三食分》
《N 清潔な水》
《N 下級回復薬二本》
《N 解毒薬》
《N 洗眼薬》
《N 包帯一式》
《N 防具補修材》
《N 投げナイフ三本》
《N 魔力回復薬》
《R 霧視》
《SR 氷槍》
消耗品が《収納》へ入る。
灰霧蛾の鱗粉で、まだ目の奥に痺れが残っていた。
洗眼薬の小瓶を取り出し、説明を確認する。
《洗眼薬》
《目に入った異物や弱い毒素を洗い流します》
《目そのものが受けた傷を治療する効果はありません》
顔を上へ向け、両目へ液体を落とす。
強い刺激に瞼を閉じた。
涙と一緒に、灰色の粉が流れ出す。
しばらく待つと、重かった瞼が軽くなった。
霞んでいた視界も戻っていく。
次の光が、両目へ吸い込まれた。
《スキル《霧視》を習得しました》
目の奥が熱を持つ。
周囲を満たしていた灰色の霧が、ゆっくりと薄くなった。
霧そのものが消えたわけではない。
岩も地面も、灰色に覆われたままだ。
だが、その向こうにある物の輪郭が見える。
少し離れた場所に生えた木。
地面へ転がる灰霧蛾の死体。
谷の奥へ続く道。
さらに遠くでは、いくつもの小さな影が動いていた。
《霧視》
《霧や煙による視界の阻害を軽減します》
《濃度が高い場合や、特殊な遮蔽効果を持つ霧を完全に見通すことはできません》
霧の中なら何でも見えるわけではない。
遠くなるほど輪郭は曖昧になる。
それでも、五歩先しか見えなかった状況とは大きく違う。
灰霧蛾のように、霧へ紛れる魔物も見つけやすくなる。
最後の光が、胸の奥へ入った。
《魔法《氷槍》を習得しました》
氷魔法に、新しい形が加わる。
《氷槍》
《長く尖った氷を生成し、正面へ射出します》
《《氷塊》より高い貫通力を持ちます》
《生成には時間と多くの魔力を必要とします》
《射出後の方向変更は困難です》
俺は左手を前へ向けた。
胸から腕へ魔力を流す。
「《氷槍》」
冷気が手の前へ集まった。
すぐには完成しない。
最初に細い氷の芯が生まれ、その周囲へ新しい氷が重なっていく。
長さは、俺の腕より少し長い。
先端は鋭い。
《魔力操作》を使い、槍の中心だけへ力を集める。
狙うのは、岩壁から突き出た硬い石。
左手を押し出す。
氷の槍が飛んだ。
霧を切り裂き、石へ突き刺さる。
大きな音。
石の表面が砕け、氷槍の先端が奥まで食い込んだ。
「強いな」
《氷塊》では、同じ石を浅く削ることしかできなかった。
氷槍なら、硬い外殻や鎧も貫ける可能性がある。
だが、消耗も大きい。
一度使っただけで、胸の奥に空白ができたような感覚があった。
連続して撃つ魔法ではない。
強い敵の急所を狙う。
あるいは、一撃で戦況を変えたいときに使う魔法だ。
ヴァルドの炎を相手にしたとき、どこまで通用するかは分からない。
それでも、氷塊だけを撃つよりは確実に近づいている。
◇
岩壁の窪みを出る。
使用した十一連ガチャによって、券はなくなった。
《所持ガチャ券:〇枚》
灰霧蛾の魔石は十二個。
魔法のテントへ入れれば、設備拡張に近づく。
だが、今は谷へ入ったばかりだ。
戻らずに先へ進む。
《霧視》を使いながら、白い縄から離れた。
入口へ戻る道は、方位針と地形で覚える。
霧の中には、無数の足跡が残っていた。
冒険者の革靴。
大型の獣。
小さな魔物。
同じ場所を何度も通った跡が重なり、どれが新しいものか分かりにくい。
谷の奥から石が落ちる音がした。
上。
霧視を意識する。
崖の途中に、人に似た影がいくつも見えた。
長い腕。
曲がった背中。
灰色の毛。
影は岩から岩へ飛び移りながら、こちらを追っている。
ギルドの掲示に名前があった。
「霧爪猿か」
俺が顔を上げると、影の動きが止まった。
見られていることに気づいたらしい。
次の瞬間。
頭上から石が降ってきた。
横へ走る。
人間の頭ほどもある岩が、地面へ落ちた。
一つではない。
左右の崖から、霧爪猿たちが石を投げ始める。
俺は剣を抜き、岩陰へ入った。
石が頭上を通過する。
背後の地面が何度も砕けた。
霧爪猿は降りてこない。
霧の中から一方的に攻撃するつもりだ。
《霧視》がなければ、位置さえ分からなかった。
左側の崖に三体。
右側に四体。
さらに前方の岩陰にも影がある。
少なくとも十体。
ガチャ券を集めるには、都合がいい。
◇
左側の一体が、次の石を持ち上げる。
俺は左手を向けた。
「《氷塊》」
尖らせた氷が飛ぶ。
距離がある。
胴には届かず、霧爪猿の右腕へ刺さった。
猿が石を落とす。
怒りの声を上げ、崖から飛び降りた。
こちらへ誘い出せた。
霧爪猿が長い腕を広げ、顔を狙ってくる。
その爪は黒く、短剣ほどの長さがあった。
剣で受ける。
金属に近い硬さ。
爪が刃を滑り、鍔へ引っかかる。
霧爪猿が剣を奪おうと腕を引いた。
俺は自分から踏み込む。
距離を詰め、腹へ膝を入れた。
身体が浮く。
剣を引き抜き、首へ振る。
灰色の毛と肉を断った。
《霧爪猿を初めて討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《灰霧谷討伐記録:2/?》
《所持ガチャ券:一枚》
仲間が倒されたことで、崖の霧爪猿たちが鳴き始めた。
甲高い声が谷へ反響する。
どこから聞こえているのか分からなくなる。
だが、姿は見えている。
右側から二体が飛び降りた。
左からも三体。
残りは崖の上から石を投げ続ける。
地上へ降りた五体が、俺を囲むように広がった。
一体が正面。
二体が左右。
残りは背後へ回ろうとしている。
霧の中では、仲間同士の位置を声で確かめているらしい。
一体が短く鳴く。
全員が同時に動いた。
正面の爪を剣で弾く。
左から伸びた腕を身体を沈めて避ける。
右の霧爪猿が、俺の外套を掴んだ。
強く引かれる。
背後へ投げるつもりだ。
外套の留め具を外す。
灰色の布だけを掴んだ霧爪猿が、体勢を崩した。
その胸へ剣を突き刺す。
二体目。
剣を抜く前に、背後から爪が右肩へ入った。
革鎧が裂ける。
皮膚に熱い痛み。
振り向かず、左肘を後ろへ打ち込む。
硬い身体へ当たった。
霧爪猿が離れる。
俺は身体を回し、剣を横へ振った。
爪で受けられる。
火花が散った。
別の一体が、低い姿勢で脚を狙う。
左手を足元へ向ける。
「《冷気》」
霧爪猿が踏み込む場所だけを凍らせた。
前脚が滑る。
顔から地面へ倒れた。
首へ剣を振り下ろす。
三体目。
残る三体が距離を取った。
その直後、頭上から石が落ちる。
地上の仲間ごと狙っている。
俺は倒した霧爪猿の身体を掴み、前へ押し出した。
岩が死体へ当たる。
骨の砕ける音。
地上の霧爪猿たちが一瞬だけ崖を見上げた。
仲間の攻撃に怒ったのか。
連携が乱れた。
俺は一体へ距離を詰める。
猿が爪を振る。
剣の腹で外へ流す。
空いた脇へ刃を入れた。
四体目。
別の一体が背中へ飛びつく。
首へ腕を回される。
爪が喉へ近づいた。
俺は後ろへ走る。
岩壁へ背中から激突した。
霧爪猿が俺と岩の間に挟まれる。
腕の力が緩んだ。
身体を前へ倒し、背中から投げ落とす。
仰向けになった胸へ剣を突き立てた。
五体目。
最後の一体が逃げようと崖へ向かう。
ここで戻られれば、再び石を投げられる。
俺は左手へ魔力を集めた。
氷槍ほどの威力は必要ない。
「《氷塊》」
細く尖らせた氷を放つ。
霧爪猿の左脚へ突き刺さった。
走る勢いのまま転倒する。
追いつき、首を断つ。
六体目。
◇
崖の上には、まだ霧爪猿がいる。
見えているだけで五体。
こちらへ降りる気はない。
石を持ち上げている。
俺は岩陰へ身体を隠した。
普通に登れば、途中で落とされる。
遠距離から氷塊を当てても、一撃では倒せない。
新しい魔法を試す。
崖の上で、最も大きな霧爪猿を狙う。
左手を向けた。
魔力を集める。
氷の芯が生まれる。
その周囲へ、新しい氷を重ねる。
霧爪猿が石を投げた。
俺は岩陰から動かない。
石が手前の地面へ落ちる。
氷槍が完成した。
「《氷槍》」
長い氷が、灰色の霧を一直線に裂いた。
霧爪猿が避けようとする。
遅い。
氷槍は胸へ突き刺さり、そのまま背後の岩へ身体を縫いつけた。
猿の手から石が落ちる。
動かない。
七体目。
残った四体が鳴き声を上げた。
初めて聞く声。
怒りではない。
恐怖。
散り散りになって逃げ始めた。
氷槍をもう一度撃つ魔力はある。
だが、生成している間に霧の奥へ消える。
俺は崖の低い場所へ走った。
岩の出っ張りへ足をかける。
上から石が落ちてくる。
《霧視》で軌道を見る。
一つを避ける。
二つ目は剣で横へ弾く。
崖を登る。
霧爪猿の一体が、逃げずに待っていた。
爪を振り下ろす。
片手で岩を掴んだまま、剣で受ける。
押し戻される。
足場の石が崩れた。
片脚が宙へ浮く。
霧爪猿がさらに力を込める。
このままでは落とされる。
俺は剣から左手を離した。
猿の顔へ向ける。
「《氷塊》」
至近距離。
尖った氷が右目へ突き刺さった。
霧爪猿が頭を振る。
爪の力が弱まった。
崖の上へ身体を引き上げる。
立ち上がると同時に、首へ剣を振った。
八体目。
逃げた三体の影が、霧視の端に見える。
岩場を飛び移り、谷の奥へ向かっている。
追う。
◇
霧爪猿は速かった。
だが、《霧視》がある。
霧へ紛れて方向を変えても、完全には見失わない。
一体が大きな岩の裏へ隠れる。
俺が通り過ぎるのを待っているつもりだ。
足を止めず、岩へ近づく。
横を通る直前で身体を沈める。
頭上から爪が振られた。
予想していた。
剣を下から切り上げる。
霧爪猿の腹を裂いた。
九体目。
残り二体。
一体が振り返り、石を投げてくる。
顔を逸らす。
石が包帯を掠めた。
その隙に、もう一体が横の崖へ逃げる。
二手に分かれた。
近い方を追う。
石を投げた霧爪猿が、再び腕を振り上げた。
投げる前に《氷塊》を放つ。
氷が肩へ刺さる。
腕が下がった。
踏み込み、胸を斬る。
十体目。
《霧爪猿を十体討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《所持ガチャ券:二枚》
最後の一体は、すでに遠い。
輪郭が霧に溶けかけている。
これ以上追えば、谷の深い場所へ入り込む。
それでも逃がさない。
霧爪猿が狭い岩棚へ飛び移った。
行き止まりだ。
振り返り、爪を構える。
俺が来るまで待つつもりらしい。
岩棚へ続く道は細い。
正面から近づけば、石を落とされる。
左手を向ける。
氷槍を使えば倒せる。
だが、魔力を使いすぎる。
俺は腰から投げナイフを抜いた。
霧爪猿が石を持ち上げる。
ナイフを投げる。
刃が手の甲へ刺さった。
石が落ちる。
その瞬間に走った。
細い岩棚を渡る。
霧爪猿が飛びかかってきた。
避ければ崖から落ちる。
剣を捨てず、身体ごと受け止めた。
爪が革鎧へ食い込む。
俺も左手で首を掴む。
二人分の重さで、足元の岩が崩れた。
身体が傾く。
俺は霧爪猿だけを崖の外へ押し出した。
猿の指が革鎧を掴む。
布が裂ける。
そのまま灰色の霧の底へ落ちていった。
岩へ身体がぶつかる音。
やがて聞こえなくなる。
十一体目。
◇
崖の下へ下り、魔石を回収した。
霧爪猿の黒い爪は、状態のいいものだけを切り取る。
魔石は十一個。
すべて《収納》へ入れた。
空を見ても、灰色の霧しか見えない。
谷へ入ってから、どれほど時間が経ったのか分かりにくい。
身体はまだ動く。
魔力も残っている。
先へ進む。
《霧視》で周囲を確認すると、谷の奥に大きな影があった。
木ではない。
岩でもない。
地面から、何本もの白い柱が伸びている。
近づくにつれ、その正体が分かった。
骨。
巨大な獣の肋骨が、木々のように地面から突き出していた。
その間を、別の魔物の影が動いている。
四本脚。
背は低い。
だが、一体一体が狼よりも大きい。
全部で十数体。
影は俺へ近づいているのではない。
何かを囲んでいた。
骨の森の中央に、人間が三人いる。
冒険者だ。
一人は地面へ倒れている。
二人が武器を構え、周囲の魔物を防いでいた。
「助けてくれ!」
霧の向こうから声が響いた。
魔物たちが一斉に冒険者へ飛びかかった。




