第36話 ローデンを離れる
共同墓地地下納骨堂を攻略してから、二日が過ぎた。
左腕の傷は塞がった。
右肩に残っていた呪いの痕も、薄い灰色へ変わっている。
《呪い耐性Ⅱ》によって、身体に残った呪いが少しずつ排出されているらしい。
痛みはまだある。
だが、剣を振るうことに支障はなかった。
「今日、ここを離れる」
俺が告げると、老人は食べていた硬焼きパンから顔を上げた。
「ローデンを出るのか」
「ああ」
水路で逃がした男は、すでに家宰へ報告している。
顔を包帯で隠した剣士。
氷魔法。
共同墓地の管理人を連れている。
これだけ特徴がそろっていれば、ローデン周辺の捜索は始まっているはずだ。
同じ場所へ留まり続ければ、いずれ見つかる。
「どこへ向かう」
「北だ」
「目的地は?」
「まだない」
ローデンの近くにある二つのダンジョンはコンプリートした。
新しいダンジョンを探す必要がある。
できれば、クロイツ家の力が及びにくい土地がいい。
だが、詳しい情報を集めるために町へ戻れば、兵士に顔を見られる危険がある。
まずはローデンから離れる。
その途中で、次の行き先を決める。
俺は食料や道具を《収納》へ戻した。
老人を外へ出し、《魔法のテント》を収納する。
岩山の裂け目には、俺たちが滞在していた痕跡が残っている。
焚き火は使っていない。
食べ物も捨てていない。
それでも、踏み固めた土までは消せない。
近くの枝で地面を払い、足跡をできる限り崩した。
「歩けるか」
「いつまでも背負われているわけにはいかん」
老人は傷めた足を確かめるように動かした。
二日前よりはよくなっている。
下級回復薬を使うほどの傷ではなかったが、休息と手当てで腫れは引いていた。
「遅れたら置いていく」
「証人を置いていくのか?」
「歩けるようにするための言葉だ」
老人が小さく息を吐いた。
俺たちは岩山を離れ、北の森へ入った。
◇
街道は使わなかった。
ローデンの北門から続く道には、クロイツ家の兵士がいる可能性が高い。
街道から姿が見えない距離を保ち、森の中を進む。
老人の足では速く動けない。
木の根を越えるたびに、歩みが止まる。
半刻ほど進んだところで、俺はしゃがんだ。
「どうした」
老人が尋ねる。
地面に、新しい足跡があった。
革靴。
三人以上。
森の中を横切り、街道側からこちらへ向かっている。
狩人なら、獣を追った痕跡が残る。
だが、この足跡は周囲を捜すように何度も方向を変えていた。
「追手か?」
「分からない」
足跡の横には、細い棒を地面へ突いた跡。
槍か。
捜索用の杖か。
いずれにしても、近くに人間がいる。
俺は老人を茂みの奥へ入れた。
「声を出すな」
《隠密》を発動し、足跡をたどる。
木々の向こうから、話し声が聞こえた。
「この辺りにもいない」
「水路の出口から北へ逃げた可能性が高いそうだ」
「顔に包帯を巻いた男と、足を引きずる老人だろう?」
追手だった。
人数は三人。
革鎧の上に、旅人のような外套を着ている。
胸や腰にクロイツ家の印はない。
だが、会話の内容で十分だった。
「見つけたらどうする」
「老人は生け捕りだ。包帯の男は殺していい」
「氷魔法を使うらしいぞ」
「五人を相手にしたという話が本当なら、俺たちだけでは――」
男の一人が言葉を止めた。
こちらへ顔を向ける。
俺は木の陰で動かなかった。
《隠密》を強める。
「どうした?」
「今、何かいたような……」
「鹿だろう」
三人はまだ俺たちを見つけていない。
ここで殺せば、戻らない追手がさらに増える。
クロイツ家は捜索範囲を広げるだろう。
今は戦う必要がない。
俺は静かに後退した。
老人のところへ戻り、進む方向を西へ変える。
「見つかったのか」
「まだだ」
「では、なぜ戻る」
「追手がいる。北へ逃げたと読まれている」
「どこへ行くつもりだ」
「しばらく西へ進んでから、北へ回る」
最短の道を進む必要はない。
生きてローデンから離れることが先だ。
◇
森の中を西へ進んだ。
太陽が高くなる。
追手の気配はない。
老人の呼吸が荒くなり始めたため、倒木の陰で休ませる。
俺は周囲を確認した。
鳥の声。
風で揺れる葉。
遠くから、車輪が軋む音も聞こえる。
街道が近い。
老人へ水を渡したとき、馬のいななきが響いた。
続いて、男の叫び声。
「追い払え!」
「荷台を守れ!」
街道で何かが起きている。
「行くのか?」
老人が尋ねた。
「見るだけだ」
助けに入るつもりはない。
今の俺たちは追われている。
余計な人間と関われば、居場所を知られる危険が増える。
だが、街道を使える状況かどうかは確認する必要がある。
俺は老人を残し、声のする方へ近づいた。
◇
木々の間から街道を覗く。
二台の荷馬車が止まっていた。
御者と護衛らしき男たちが、武器を振るっている。
その周囲を、黒い鳥の群れが飛んでいた。
普通の鳥ではない。
鷲ほどの大きさ。
翼の先端に生えた羽が、金属の刃のように光っている。
一羽が翼を振る。
黒い羽が二枚、空中を飛んだ。
護衛の盾へ突き刺さる。
「刃羽鴉だ!」
「上を見るな! 目を狙われるぞ!」
全部で十五羽ほど。
空を飛ぶ敵に対し、護衛たちは苦戦していた。
弓を持つ者は一人しかいない。
その弓使いも、三羽に狙われて矢を放てずにいる。
荷台には、布に包まれた大きな箱が積まれていた。
商人の一行だろう。
無視して森を進めば、俺たちには関係ない。
そう判断した直後。
一羽の刃羽鴉が群れから離れた。
街道ではなく、森へ向かって飛んでくる。
老人を見つけた。
「まずい」
俺は走った。
◇
老人は倒木の陰で、頭を腕で守っていた。
刃羽鴉が急降下する。
翼の先が老人の首を狙っていた。
間に入る。
鋼鉄の剣を抜き、翼を受ける。
硬い音。
羽とは思えない。
刃と同じ硬さだ。
刃羽鴉が上昇しようとする。
逃がさない。
左手を向けた。
「《冷気》」
魔力を広げない。
右の翼だけを狙う。
黒い羽の表面へ霜がついた。
翼の動きが鈍る。
刃羽鴉の身体が傾いた。
地面へ落ちる前に踏み込み、首を斬る。
《刃羽鴉を初めて討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《所持ガチャ券:七枚》
街道にいた群れが、一斉にこちらを向いた。
仲間を殺した俺へ気づいた。
五羽が街道を離れ、森へ飛び込んでくる。
「木の陰から出るな!」
老人へ叫ぶ。
最初の一羽が羽を飛ばした。
剣で弾く。
別の羽が左脚を掠めた。
革鎧が浅く裂ける。
刃羽鴉は木々の間を縫いながら飛んでいる。
狭い森の方が不利になると思ったが、翼の扱いに慣れていた。
枝へぶつからない。
むしろ、こちらが大きく剣を振れない。
二羽が左右から来る。
片方へ《氷塊》を放つ。
尖らせた氷が翼の付け根へ刺さった。
飛ぶ軌道がずれる。
もう一羽の嘴が顔へ迫る。
剣の柄で横から殴る。
刃羽鴉が木の幹へぶつかった。
地面へ落ちる。
首を踏み、剣を突き下ろす。
二羽目。
氷塊を受けた一羽が、低い位置を飛びながら戻ってくる。
翼を広げきれない。
剣を横へ振る。
胸を切り裂く。
三羽目。
残る二羽が上へ逃げた。
枝の隙間から、羽を飛ばす。
俺は老人の前に立ち、鋼鉄の剣を動かした。
一枚。
二枚。
三枚。
すべてを弾くことはできない。
一枚が右肩へ刺さった。
《耐久の革鎧》を貫き、先端が肉へ入る。
痛みが走る。
だが浅い。
羽を抜かず、刃羽鴉を見る。
同じ場所から攻撃を続けている。
俺は剣へ魔力を集めた。
「《氷膜》」
刃の先端に厚い氷を作る。
その氷だけを分離する。
《魔力操作》によって、細長い形を保ったまま押し出す。
完全な氷の矢ではない。
それでも、ただの氷塊より遠くへ飛んだ。
一羽の腹へ命中する。
枝から落ちてきた。
地面へ着く前に首を斬る。
四羽目。
最後の一羽が逃げる。
追わない。
老人を残して森の奥へ入るわけにはいかない。
刃羽鴉は街道の群れへ戻った。
その群れも、護衛たちの反撃を受けて数を減らしている。
俺の戦いを見た商人の一人が叫んだ。
「そこの剣士! 力を貸してくれ!」
断るつもりだった。
だが、街道の反対側から低い唸り声が聞こえた。
血の臭いに引かれた何かが、森から現れる。
犬に似た魔物。
毛の抜けた皮膚。
肋骨が浮き出た身体。
口元は腐り、黄色い牙が剥き出しになっている。
六体。
腐肉猟犬たちは商人ではなく、倒した刃羽鴉の死体へ向かっていた。
一体が死体を咥える。
骨ごと噛み砕く。
もう一体が、俺と老人へ顔を向けた。
《危険察知》が反応する。
「結局、戦うしかないか」
◇
腐肉猟犬が地面を蹴った。
速い。
刃羽鴉より低く、木々が邪魔にならない。
最初の一体が喉へ飛びつく。
半歩横へずれる。
すれ違いざま、腹を斬る。
黒い血が地面へ落ちた。
魔物は着地したが、脚が動かない。
振り返り、首を断つ。
《腐肉猟犬を初めて討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《所持ガチャ券:八枚》
残る五体が広がる。
二体は俺。
三体は老人を狙っていた。
「後ろへ下がれ!」
老人が倒木の奥へ這う。
俺は投げナイフを抜いた。
老人へ向かう一体へ投げる。
刃が背中へ刺さった。
致命傷にはならない。
だが、魔物がこちらへ向きを変えた。
三体が同時に来る。
正面の一体へ剣を突き出す。
魔物が口を開き、刃へ噛みついた。
鋼鉄の剣が牙に挟まれる。
左右から別の二体。
剣を引き抜く時間はない。
俺は柄を握ったまま、左手を地面へ向けた。
「《冷気》」
三体の前脚が触れる場所だけを凍らせる。
左右の腐肉猟犬が滑った。
中央の一体も、剣へ噛みついたまま体勢を崩す。
剣を強く引く。
牙が折れた。
空いた口の中へ刃を突き込む。
二体目。
左で倒れた魔物の首へ剣を振る。
三体目。
右の個体が起き上がり、脚へ噛みついた。
牙が革靴を貫く。
脛へ痛み。
そのまま脚を引かれる。
俺は倒れず、逆に噛みついた頭を踏み込むように押した。
首が地面へつく。
剣を振り下ろす。
四体目。
投げナイフを受けた一体が、背後から飛びかかる。
《危険察知》に従い、身体を回す。
牙を剣の腹で受ける。
魔物の勢いを横へ流し、木の幹へぶつけた。
倒れた胸へ剣を突き刺す。
五体目。
最後の一体は逃げず、低い姿勢で唸っていた。
俺の右肩に刺さった羽。
脛から流れる血。
弱っていると判断している。
腐肉猟犬が走る。
俺も前へ出た。
噛みつく瞬間、頭を左腕で押さえる。
牙が革鎧へ食い込む。
完全に貫く前に、首の横へ剣を入れた。
六体目。
魔物の身体から力が抜ける。
俺は左腕を引き抜き、周囲を確認した。
刃羽鴉の残りは逃げていた。
商人たちも、どうにか生き残っている。
◇
「助かった」
商人らしき太った男が、何度も頭を下げた。
「護衛を二人失うところだった」
「俺は自分たちを守っただけだ」
右肩へ刺さっていた羽を抜く。
生活魔法の水で傷を洗い、包帯を巻いた。
脛の傷も浅い。
腐肉猟犬の牙が汚れていたため、念入りに洗う。
商人は老人へ視線を向けた。
「旅の途中ですか?」
老人が俺を見る。
ここで黙れば、不自然だ。
「甥と北へ向かっている」
老人が答えた。
「私は足を傷めていてな」
即座に作った話だった。
俺は否定しなかった。
商人が俺の包帯を見つめる。
「腕の立つ甥御さんだ」
「無茶ばかりするがな」
「北へ行くのでしたら、我々と同行しませんか?」
商人が街道の先を指す。
「次の宿場町まで半日ほどです。護衛をしていただけるなら、荷台にお二人を乗せます」
人と関わる危険はある。
だが、荷馬車へ乗れば老人を歩かせずに済む。
追手も、二人だけで森を進んでいると考えている。
商人の一行に紛れた方が見つかりにくい可能性もある。
「行き先は?」
「ベルガンです」
知らない町だった。
「大きな町か」
「宿場町としては、それなりです。最近は冒険者も増えていますよ」
「なぜだ」
「町の北にある灰霧谷で、野良ダンジョンが見つかったんです」
俺は商人を見る。
「どんなダンジョンだ」
「詳しくは知りません。ただ、谷全体が灰色の霧に覆われ、魔物が次々と現れるそうです。まだ誰もコンプリートしていないとか」
次のダンジョン。
しかも、未攻略。
《所持ガチャ券:八枚》
あと二枚で十一連ガチャを引ける。
灰霧谷へ入れば、すぐに集まるだろう。
「同行する」
俺が答えると、商人は笑った。
「それは心強い」
刃羽鴉と腐肉猟犬から魔石を回収する。
売るためではない。
すべて《魔法のテント》へ使う。
状態のいい刃羽と牙だけを《収納》へ入れた。
商人たちには、腰の革袋へ収めたように見せる。
老人を荷台へ乗せる。
俺は御者台の隣へ座り、後方の道を確認した。
ローデンの町は、もう見えない。
クロイツ家の追手もいない。
荷馬車が北へ動き始める。
目指すのは、ベルガン。
その先にある、灰霧谷の野良ダンジョン。
証拠集めは終わった。
次に必要なのは、ヴァルドを上回る力だった。




