第34話 墓喰い大蜥蜴
目を覚ますと、身体の熱は引いていた。
右肩に残る黒い筋も、眠る前より広がっていない。
《呪い耐性》が、侵食を抑えている。
だが、消えたわけではなかった。
肩を動かすと、皮膚の内側に冷たい痛みが走る。
完全に治す方法は、地上へ戻ってから探すしかない。
今は戦える。
それで十分だった。
干し肉と硬焼きパンを食べる。
魔法のケトルで沸かした湯を飲み、残っていた魔力回復薬へ視線を向けた。
まだ使わない。
次の魔物がどれほど強いか分からない以上、戦闘中に魔力が尽きたときのために残しておく。
革鎧を着る。
補修した右肩を何度か動かした。
剣を抜き、刃を確認する。
屍喰い蟲の外殻を何度も斬ったことで、小さな欠けができていた。
中級の砥石を使い、できる限り整える。
最後に、鉄杭を三本取り出した。
屍喰い蟲との戦いで使った一本を含め、四本とも残っている。
そのうち三本を腰へ固定する。
一本は《収納》へ戻した。
何に使えるかは分からない。
だが、巨大な魔物を相手にするなら、剣以外の手段も必要になる。
テントの外へ出る。
紐と鈴に変化はなかった。
地下の奥から、呼吸音が続いている。
吸う。
吐く。
そのたび、生温かい風が洞窟を通り抜けた。
俺は《魔法のテント》を収納した。
「行くか」
◇
水底花嫁のいた黒い池を越える。
水位はさらに下がっていた。
池の底には、白い骨と腐った死体が積み重なっている。
その奥に開いた穴へ入った。
洞窟は下へ傾いている。
壁には、何かが身体を擦りつけた太い跡。
地面には、人間の胴ほどもある爪痕が刻まれていた。
呼吸音が近づく。
腐肉の臭いも強くなった。
やがて、通路の先に広い空間が見えた。
俺は足を止める。
洞窟の中央に、巨大な影が横たわっていた。
四本の脚。
地面を這う長い腹。
背中から尾までを覆う、灰白色の板。
最初は岩だと思った。
違う。
人間や魔物の骨を、泥と腐肉で身体へ貼りつけている。
頭部だけでも、馬車ほどの大きさがあった。
閉じた口の間から、曲がった牙が何本も飛び出している。
巨大な蜥蜴。
その周囲には、食い散らかされた魔物の死体が積まれていた。
屍喰い蟲。
餓鬼亡者。
鎖骸兵。
この地下にいた魔物すら、こいつの餌らしい。
大蜥蜴が息を吐く。
生温かい風とともに、腐った臭いが押し寄せた。
俺は外套で鼻と口を覆った。
音を立てず、壁際を進む。
眠っている間に、先に周囲を調べる。
空洞を支えている太い岩柱が四本。
天井には亀裂。
右奥には、古い石造りの門。
その向こうから、わずかに外気が流れている。
別の出口かもしれない。
巨大な魔物を倒さずに抜けることも考えた。
だが、討伐記録はまだ終わっていない。
《共同墓地地下納骨堂討伐記録:7/?》
ここまで来て、引き返すつもりはない。
大蜥蜴の横を通り過ぎようとした瞬間。
地面に落ちていた骨が、革靴の下で折れた。
小さな音。
巨大な頭が動いた。
濁った黄色い目が開く。
俺を見た。
《墓喰い大蜥蜴との遭遇を確認しました》
《未討伐の魔物種です》
大蜥蜴が口を開いた。
洞窟全体を揺らす咆哮。
腐った息が正面から叩きつけられる。
俺は剣を抜き、横へ走った。
巨大な顎が、先ほどまで立っていた場所へ落ちる。
地面が砕けた。
◇
墓喰い大蜥蜴が首を振る。
口元の骨と土が飛び散る。
頭は大きい。
動きは鈍いと思っていた。
だが、次の一歩は速かった。
前脚が地面を抉る。
巨体が一気に距離を詰めてきた。
俺は岩柱の陰へ入る。
大蜥蜴の頭が柱へ激突した。
空洞が揺れる。
岩の破片が降り注いだ。
普通の魔物なら、今の衝撃だけで倒れている。
墓喰い大蜥蜴は頭を振り、何事もなかったように立ち上がった。
頭部にも骨の板が貼りついている。
自分で作った鎧だ。
正面から斬っても通らない。
大蜥蜴の右前脚へ走る。
関節部分には骨の板が少ない。
剣へ魔力を流す。
「《氷膜》」
刃の先端だけへ、厚く冷気を集める。
右前脚が持ち上がった。
踏み潰される前に、関節の内側へ剣を振る。
刃が肉へ入った。
浅い。
皮膚そのものも硬い。
大蜥蜴が前脚を振った。
剣を引き、後ろへ跳ぶ。
爪が革鎧を掠めた。
胸元が裂ける。
傷はない。
だが、まともに受ければ身体を引き裂かれる。
大蜥蜴が尾を振る。
《危険察知》が強く反応した。
地面へ伏せる。
太い尾が頭上を通過し、岩柱を横から叩いた。
柱に大きな亀裂が入る。
俺は転がりながら距離を取った。
巨大なだけではない。
頭。
爪。
尾。
全身が武器だ。
さらに墓喰い大蜥蜴が喉を膨らませた。
何かを吐く。
正面から外れる。
大蜥蜴の口から、灰色の塊が放たれた。
骨。
消化されていない肉。
腐った体液。
それらが混ざったものが、地面へ叩きつけられる。
飛び散った液体が革靴へ付着した。
鼻を刺す臭い。
すぐに水で洗い流す。
毒か病気かは分からない。
屍を食う魔物の体液を、身体へ残すつもりはなかった。
◇
墓喰い大蜥蜴の周囲を走る。
攻撃を避けるだけでは倒せない。
先ほど斬った右前脚を見る。
傷は浅いが、血が流れている。
同じ場所へ何度も攻撃すれば、関節を壊せる。
問題は近づく方法だ。
大蜥蜴が頭を低くする。
突進。
俺は亀裂の入った岩柱の前に立った。
ぎりぎりまで待つ。
巨大な顎が迫る。
横へ跳んだ。
大蜥蜴の頭が、再び柱へ激突する。
亀裂が広がる。
岩柱の上部から石が落ちた。
だが、まだ倒れない。
大蜥蜴がこちらを追って首を動かす。
俺は傷つけた右前脚へ向かう。
左手に魔力を集めた。
「《冷気》」
関節の傷だけを狙う。
流れ出していた血が凍りつく。
大蜥蜴が脚を動かした。
凍った肉が裂ける。
赤黒い血が噴き出した。
同じ場所へ剣を振り下ろす。
一撃。
大蜥蜴が吠える。
二撃目。
爪が迫る。
身体を横へずらす。
革鎧の左腕が裂け、爪の先が皮膚へ入った。
熱い痛み。
それでも離れない。
三撃目。
右前脚の関節が大きく裂けた。
大蜥蜴の身体が傾く。
傷ついた脚を地面へつけられない。
動きが遅くなる。
俺は離れた。
左腕から血が流れている。
浅い。
戦いを止めるほどではない。
大蜥蜴が怒りに任せ、尾を振り回す。
岩柱。
骨の山。
地面。
次々と砕かれていく。
近づけない。
俺は腰から鉄杭を一本抜いた。
狙うのは大蜥蜴ではない。
亀裂の入った岩柱の根元。
隙間へ鉄杭を差し込む。
剣の柄で叩く。
一度。
二度。
杭が奥へ入った。
大蜥蜴がこちらへ向き直る。
傷ついた右前脚を引きずりながら、それでも突進してきた。
俺は鉄杭へ左手を向けた。
「《冷気》」
鉄杭と岩の間に残っていた水分が凍りつく。
氷が広がり、亀裂を押し開いた。
岩柱が軋む。
まだ足りない。
大蜥蜴が迫る。
俺は柱の陰から動かなかった。
一歩。
二歩。
黄色い目が俺を捉えている。
直前で横へ走る。
大蜥蜴の頭が岩柱へ当たった。
大きな破裂音。
鉄杭を打ち込んだ亀裂から、柱が砕けた。
崩れた岩が大蜥蜴の首と背中へ落ちる。
巨体が地面へ押し潰された。
骨の鎧が砕ける。
咆哮が空洞へ響いた。
完全には潰れていない。
大蜥蜴は四肢を動かし、岩の下から抜け出そうとしている。
だが、背中を覆っていた骨の板が剥がれた。
黒い皮膚が露出している。
俺は剣を両手で握り、倒れた身体へ駆け上がった。
尾が動く。
岩の下に挟まれているため、勢いは弱い。
避けながら背中を進む。
大蜥蜴の首の付け根へ到達した。
剣を振り下ろす。
硬い皮膚を斬る。
浅い。
もう一度。
同じ場所へ刃を入れる。
血が噴き出した。
大蜥蜴が身体を持ち上げる。
乗っていた俺の足元が揺れた。
背中から落とされる。
地面へ叩きつけられ、息が止まった。
墓喰い大蜥蜴が、崩れた岩を押し退ける。
立ち上がった。
右前脚は使えない。
背中の骨の鎧も半分以上失っている。
それでも、まだ戦える。
俺も剣を支えに立ち上がった。
大蜥蜴の喉が、再び膨らむ。
腐肉の塊を吐くつもりだ。
今度は逃げなかった。
《収納》から二本目の鉄杭を取り出す。
先端へ薄く氷をまとわせた。
大蜥蜴が口を開く。
喉の奥に、灰色の塊が見えた。
俺は鉄杭を投げた。
冷気をまとった杭が、開いた口へ飛び込む。
大蜥蜴が腐肉を吐き出す。
鉄杭ごと、灰色の塊がこちらへ迫った。
横へ避ける。
腐った体液が地面へ飛び散った。
だが、鉄杭は大蜥蜴の口内へ残っている。
上顎と下顎の間に、横向きに引っかかっていた。
大蜥蜴が口を閉じようとする。
鉄杭が骨と肉へ食い込む。
俺は左手を向けた。
「《冷気》」
魔力操作で、鉄杭の周囲だけへ冷気を集める。
口内の水分が凍りつく。
舌。
歯茎。
喉。
鉄杭を中心に、白い氷が広がった。
墓喰い大蜥蜴が首を激しく振る。
口を閉じられない。
腐肉も吐き出せない。
俺は正面から走った。
大蜥蜴が残った左前脚を振る。
《危険察知》に従い、内側へ入る。
爪が背後を通過した。
開いたままの口へ、鋼鉄の剣を突き刺す。
鉄杭の横。
凍った上顎の奥。
柔らかい肉へ刃が入った。
大蜥蜴が暴れる。
俺の身体が持ち上がった。
剣を離さない。
両足が地面から浮く。
墓喰い大蜥蜴が頭を壁へ叩きつけようとする。
このままでは潰される。
剣へ残っている魔力を流し込む。
「《氷膜》」
刃を覆う氷が厚くなる。
大蜥蜴の口内から、頭部へ冷気が広がった。
黄色い目の動きが止まりかける。
まだ足りない。
魔力が急速に減っていく。
俺は片手で《収納》から魔力回復薬を取り出した。
瓶の栓を歯で抜く。
大蜥蜴が首を振る中で、半分以上をこぼしながら飲み込んだ。
冷たい液体が喉を通る。
胸の奥に、魔力が戻ってくる。
すべてを剣へ流した。
凍結が広がる。
大蜥蜴の口。
頭部。
首の付け根。
先ほど何度も斬った傷まで、白く凍りついた。
俺は剣を引き抜いた。
身体が地面へ落ちる。
膝をつく。
すぐに立ち上がった。
大蜥蜴の頭が、俺へ向かって落ちてくる。
避けない。
凍りついた首の傷へ、両手で剣を振り下ろした。
一撃。
氷に亀裂が走る。
二撃目。
凍った肉が砕ける。
大蜥蜴の左前脚が持ち上がった。
三撃目。
剣が首の奥へ入る。
巨大な身体が震えた。
持ち上がった前脚が力を失う。
墓喰い大蜥蜴が、地面へ倒れた。
しばらく待つ。
呼吸音は聞こえない。
黄色い目も動かなかった。
《墓喰い大蜥蜴を初めて討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《共同墓地地下納骨堂討伐記録:8/8》
《魔物種コンプリートを確認しました》
《所持ガチャ券:六枚》
胸の奥へ、これまでで最も強い祝福が流れ込んできた。
全身が熱くなる。
膝から力が抜けた。
剣を地面へ突き、倒れるのを耐える。
《共同墓地地下納骨堂のコンプリートを確認しました》
《コンプリート報酬を算定します》
《第一の報酬:復讐対象に関する証拠》
《第二の報酬:全能力上昇》
《第三の報酬:特殊報酬》
特殊報酬。
ローデン地下迷宮では、三つ目の報酬として《隠密》を得た。
今回は、内容が表示されていない。
次の文字が浮かぶまで待つ。
《特殊報酬を確定しました》
その直後。
右肩に残っていた黒い筋が、激しく脈打った。
「ぐっ……!」
呪いが、皮膚の下から胸へ向かって動き始めた。




