第31話 餓鬼亡者
小さな死体が、俺の顔へ向かって飛んできた。
裂けた口。
並んだ黒い牙。
腐臭を含んだ息が、鼻先まで迫る。
俺は身体を沈めた。
餓鬼亡者が頭上を通過する。
着地する前に、剣を横へ振った。
氷膜をまとった刃が、細い胴を切り裂く。
小さな身体が螺旋階段へ落ちた。
だが、止まらない。
両腕だけで身体を引きずり、再び俺へ近づいてくる。
胸にも頭にも、核らしきものは見えなかった。
餓鬼亡者が裂けた口を開く。
腹の奥から、黒い液体を吐き出した。
俺は階段を蹴って後退する。
黒い液体が石段へ落ちた。
白い煙が上がる。
石が溶けたわけではない。
表面に、黒い染みが広がっている。
墓守司祭が吐いた霧と似ていた。
呪いか。
直接触れるのは危険だ。
両腕で這う餓鬼亡者へ左手を向ける。
魔力を指先へ集めた。
「《氷塊》」
以前より細く尖らせた氷が飛ぶ。
裂けた口の奥へ突き刺さった。
餓鬼亡者の身体が跳ねる。
黒い液体が口からあふれた。
さらに剣を突き下ろす。
首の付け根を貫いた。
魔物の身体が動かなくなる。
《餓鬼亡者を初めて討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《共同墓地地下納骨堂討伐記録:5/?》
《所持ガチャ券:一枚》
首が弱点か。
確信はない。
だが、身体を斬っただけでは止まらなかった。
ほかの餓鬼亡者たちが、一斉に石棺から這い出してくる。
上に四体。
下には七体。
最初の一体を含めれば、十二体。
螺旋階段の上下を塞がれた。
後ろへ戻れば四体。
先へ進めば七体。
狭い階段では、大きく剣を振れない。
餓鬼亡者は壁へ爪を食い込ませ、石段だけでなく壁や天井まで這ってくる。
一体が上から飛びかかった。
剣を縦に振る。
刃が肩から腹までを裂いた。
それでも口を開き、俺の腕へ噛みつこうとする。
首へ蹴りを入れた。
小さな身体が壁へぶつかる。
追いかけ、首の骨を剣で断つ。
二体目。
背後で爪が石を削る。
振り向く。
二体が低い姿勢で走ってきた。
その上を、別の一体が壁から飛ぶ。
同時に三体。
俺は左手を階段へ向けた。
広く凍らせる必要はない。
先頭の一体が踏み込む場所だけを狙う。
「《冷気》」
石段一枚分に、薄い氷が広がった。
先頭の餓鬼亡者が滑る。
後ろの一体へぶつかった。
二体が絡み合い、狭い階段を転がり落ちる。
壁から飛んできた一体へ剣を突き出す。
口の中から刃を入れ、後頭部まで貫いた。
三体目。
剣を引き抜く。
黒い唾液が刃へ付着した。
白い氷膜が黒く染まる。
魔力の流れが乱れた。
呪いが、剣を通じて腕へ入ろうとしている。
胸の奥が冷たくなる。
《呪い耐性》が働いた。
侵食の感覚が弱まる。
俺は氷膜へ流す魔力を強めた。
黒い染みを、剣先へ集める。
魔力操作を使い、汚染された氷だけを剥がした。
黒い氷片が床へ落ちる。
以前なら、氷膜をすべて解除して張り直すしかなかった。
今は必要な部分だけを捨てられる。
転がり落ちた二体が起き上がる。
その背後から、下にいた七体が迫ってきた。
階段の下側は、魔物で埋まり始めている。
上に戻る。
だが、上からも四体が来ている。
俺は壁に埋め込まれた石棺を見る。
蓋が落ち、中は空になっていた。
人一人が身体を入れられるほどの奥行きはない。
それでも、片足をかける足場にはなる。
壁を蹴り、石棺の窪みへ足を置く。
そのまま上へ跳んだ。
上から来ていた餓鬼亡者たちの頭上を越える。
着地と同時に振り向く。
四体が一斉に方向を変えた。
狭い階段に、一列で並ぶ。
今なら前から順に倒せる。
先頭の餓鬼亡者が黒い液体を吐く。
俺は剣へ魔力を集中させた。
「《氷膜》」
刃の前だけに、厚い氷を作る。
剣を盾のように構えた。
黒い液体が氷へ当たる。
表面が黒く染まった。
すぐに剣を振る。
汚染された氷だけを先頭の餓鬼亡者へ飛ばす。
黒い氷片が顔へ突き刺さった。
餓鬼亡者が怯む。
距離を詰め、首を斬る。
四体目。
二体目が脚へ飛びついてきた。
革靴へ牙が食い込む。
防具を貫く前に、壁へ足を叩きつけた。
一度。
餓鬼亡者は離れない。
二度目。
頭蓋骨が石壁へ当たり、口が開いた。
脚を引き抜き、首へ剣を突き立てる。
五体目。
残る二体が、左右の壁へ分かれた。
一体を見れば、もう一体が背後へ回る。
俺は階段の中央で剣を構えた。
右の個体が先に動く。
壁を蹴り、胸へ飛びついてきた。
避けない。
左腕を前へ出した。
餓鬼亡者の牙が、革鎧の腕部分へ食い込む。
完全には貫かれていない。
そのまま腕を振り、反対側の壁へ叩きつける。
左から迫っていた個体まで巻き込んだ。
二体が壁と俺の腕の間でぶつかる。
剣を短く持ち、一体目の首を刺す。
六体目。
もう一体が俺の肩へ爪を立てた。
革鎧の継ぎ目が裂ける。
爪の先が皮膚へ入った。
鋭い痛み。
黒い冷たさが傷から広がろうとする。
だが、《呪い耐性》によって勢いが弱まった。
俺は餓鬼亡者の腹を掴んだ。
軽い。
階段の下へ投げる。
魔物の身体が、上ってきた仲間たちへぶつかった。
数体がまとめて転がり落ちる。
俺も追って階段を駆け下りた。
起き上がる時間を与えない。
最初に転がした一体の首へ剣を振り下ろす。
七体目。
横にいた一体が口を開く。
「《氷塊》」
尖らせた氷を口へ撃ち込む。
頭が後ろへ弾かれた。
首の付け根へ剣を突き刺す。
八体目。
別の一体が俺の背中へ飛びついた。
細い腕が首へ回る。
裂けた口が、包帯に覆われた頬へ近づいた。
剣では届かない。
俺は後ろへ倒れた。
背中から石段へ身体を叩きつける。
革鎧越しに強い衝撃が走った。
背中の餓鬼亡者が、俺と石段の間で潰れる。
腕の力が緩んだ。
身体を横へ転がし、首へ剣を振る。
九体目。
《餓鬼亡者を十体討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《所持ガチャ券:二枚》
あと二体。
階段の下で、一体が四つん這いになっている。
もう一体は壁へ張りつき、俺の頭上を狙っていた。
下の個体が黒い液体を吐く。
上からも同時に飛びかかってくる。
俺は左手を上へ向けた。
「《冷気》」
餓鬼亡者が爪を食い込ませていた壁だけを凍らせる。
指が滑った。
小さな身体が落ちる。
下から吐かれた黒い液体へ、仲間ごと落下した。
黒い液体が餓鬼亡者の背中へかかる。
自分たちの呪いは効かないらしい。
落ちた個体はすぐに起き上がろうとする。
だが、二体の身体が狭い階段で重なっていた。
俺は上から剣を振り下ろす。
一体目の首を貫き、その下にいた個体の肩まで刃が入る。
剣を抜く。
十体目。
最後の一体が、肩を裂かれたまま飛びついてくる。
半歩下がる。
伸びてきた腕を斬り落とす。
裂けた口へ氷塊を撃ち込んだ。
身体が止まったところへ踏み込み、首を断つ。
十一体目。
螺旋階段が静かになった。
石段には、小さな死体が転がっている。
黒い液体。
砕けた石。
魔石。
俺は壁へ手をつき、息を整えた。
肩の傷を見る。
黒い筋が皮膚の下へ伸びかけている。
だが、墓守司祭の霧を受けたときほど速くない。
《呪い耐性》がなければ、戦いの途中で腕が動かなくなっていた可能性もある。
下級回復薬を少量だけ傷へかける。
黒い筋は残ったが、出血は止まった。
魔石を拾う。
十二個。
すべて《収納》へ入れる。
餓鬼亡者の牙や爪にも価値があるかもしれない。
《解体》へ意識を向けた。
切り取るべき場所が、ぼんやりと分かる。
状態のいい牙を四本。
爪を六本。
黒い液体の残った袋状の器官は、危険すぎる。
触れずに残した。
◇
螺旋階段を下りきる。
そこには、小さな礼拝室があった。
子供用の小さな棺が、壁際へ積まれている。
中央には、石像。
顔の部分だけが削り取られていた。
老人の描いた地図には、ここまでしか記されていない。
司祭たちの墓所は、本来この礼拝室で終わっていたらしい。
だが、石像の裏から冷たい風が流れている。
近づく。
床には新しい傷。
石像が、何度も動かされた跡だ。
肩を押す。
重い。
全能力上昇で得た力を込める。
石像が少しずつ横へ動いた。
背後から、さらに地下へ続く穴が現れる。
自然の洞窟だ。
人間が作った納骨堂とは違う。
壁には淡く光る石。
床には、何かを引きずった太い跡が残っている。
跡の幅は、俺の身体よりも大きい。
地下納骨堂がダンジョンになった原因は、この先にあるのかもしれない。
穴へ入る。
冷たい空気に、湿った土と腐肉の臭いが混じっている。
数歩進んだところで、《危険察知》が反応した。
足元。
すぐに後ろへ跳ぶ。
地面が崩れた。
土の中から、巨大な顎が閉じる。
牙同士がぶつかり、硬い音が響いた。
土を押し退け、何かが這い出してくる。
細長い身体。
人間の腕ほどもある牙。
全身を、灰色の腐った肉が覆っている。
頭には目がない。
口だけが、身体の半分近くまで開いていた。
その後ろで、地面が次々と盛り上がる。
一体ではない。
《屍喰い蟲との遭遇を確認しました》
《未討伐の魔物種です》
俺は剣へ氷膜をまとわせた。
土の中から、何体もの巨大な顎が現れた。




