第28話 死者の迷宮へ戻る
目を覚ましたとき、テントの中は静かだった。
魔法の灯りが、薄暗い室内を照らしている。
脇腹へ手を当てる。
弩の矢を受けた傷には、まだ痛みが残っていた。
だが、出血は止まっている。
下級回復薬も効いていた。
身体を起こす。
老人は簡易調理台の近くへ座り、こちらを見ていた。
「もう動くのか」
「ああ」
「傷が開くぞ」
「ここで待っていても、家宰が待ってくれるわけじゃない」
ヴァルドも。
その部下たちも。
俺が傷を治している間に、次の手を打ってくる。
水路から逃げた男は、俺の特徴を家宰へ伝えた。
顔の半分を包帯で隠した男。
氷魔法を使う剣士。
老人を連れて逃げた人間。
まだ俺の正体までは知られていない。
だが、七年前の事件を調べている者が現れたことは伝わった。
時間は多くない。
「場所を変える」
「ここでは危険なのか?」
「追手は水路の出口を知っている」
俺は外の気配を確認した。
鈴は鳴っていない。
《危険察知》にも反応はない。
それでも、同じ場所へ長く留まるつもりはなかった。
テントの中を片づける。
老人へ外へ出るよう指示し、《魔法のテント》を収納した。
森の中を、さらに奥へ進む。
老人の歩みは遅い。
傷めた足を引きずり、何度も木の幹へ手をついた。
「ついてこられないなら、背負う」
「必要ない」
「強がって倒れられる方が困る」
俺は老人の前へ背を向けた。
「乗れ」
「私は子供ではない」
「証人だ」
老人が黙る。
「お前の足で逃げ切れないなら、俺が運ぶ。それだけだ」
渋々、老人が背中へ乗った。
身体は軽かった。
全能力が上昇する前なら、老人を背負って森を進むのは難しかったかもしれない。
今は、足元に注意すれば走ることさえできる。
七年間で衰えた身体は、もう残っていない。
俺は老人を背負い、森の斜面を越えた。
◇
新しい場所は、岩山の裂け目にあった。
狭い入口の奥に、木々から見えない窪地がある。
人間の足跡はない。
獣の糞や寝床も見当たらなかった。
周囲へ紐と鈴を張る。
その奥へ《魔法のテント》を出した。
老人を中へ入れ、魔石の残量を確認する。
《障壁出力:正常》
《魔法のケトル:使用可能》
《簡易調理台:使用可能》
魔物への備えは十分だ。
だが、結界は人間を防がない。
「俺が戻るまで、外へ出るな」
「どこへ行くつもりだ」
「共同墓地だ」
老人の顔が強張った。
「また、あの地下へ入るのか」
「あそこはダンジョンになっている」
「証拠はもう回収しただろう」
「今度の目的は証拠じゃない」
老人が俺を見る。
「強くなるためか」
「ああ」
共同墓地地下納骨堂。
すでに一種類の魔物を倒している。
《共同墓地地下納骨堂討伐記録:1/?》
途中で放置する理由はない。
あのダンジョンをコンプリートすれば、さらに力を得られる。
ガチャ券も集まる。
ヴァルドへ追いつくには、普通の冒険者と同じ速度で成長していては足りない。
「地下の道を知っているか」
「すべてではない。墓地が使われていた頃の構造なら分かる」
老人へ紙と木炭を渡した。
「描け」
「今の地下は、昔とは変わっている」
「分かる範囲でいい」
老人は紙を床へ置き、地下納骨堂の構造を描き始めた。
礼拝堂の階段。
石棺の部屋。
隠し通路。
鉄扉の部屋。
崩落した石橋。
排水路。
さらに、俺が入っていない区画が二つあった。
「これは?」
「古い埋葬区画だ。貧しい者たちの骨をまとめて納めていた」
「こっちは」
「司祭たちの墓所だ。扉には鍵がかかっている」
「鍵は?」
老人が腰の鍵束へ触れた。
「ここにある」
「借りる」
「戻ってこなければ、私はここから出られんぞ」
「戻らなかったら、俺は死んでいる」
鍵束を受け取る。
老人は反論しなかった。
老人をテントから出し、《魔法のテント》を収納した。
食料と水を三日分、岩壁のくぼみへ置く。
投げナイフ一本と、傷の手当に必要な物も残した。
「鈴が鳴っても、すぐに出るな」
「ではどうする」
「岩陰の奥で待て。人の声がしても返事をするな」
「お前だったら?」
「俺は入口で三回、間を空けて二回叩く」
合図を教える。
老人が小さく頷いた。
「本当に戻るつもりなのだな」
「当たり前だ」
俺は鋼鉄の剣を腰へ差した。
灰色の外套を羽織る。
「まだ、お前には証言してもらうことが残っている」
◇
日が沈んでから、共同墓地へ戻った。
正門には近づかない。
巡回兵が増えている可能性がある。
墓地の裏を流れる水路へ向かう。
前回壊した排水路の板は、まだそのままだった。
誰かが修理した形跡はない。
《隠密》を発動し、狭い水路へ入る。
浅い水を踏んでも、音は小さい。
腰を屈めたまま進む。
途中から、空気が冷たくなった。
骨の擦れる音も聞こえる。
鉄格子を壊した場所を通り、地下納骨堂へ戻った。
《共同墓地地下納骨堂への再侵入を確認しました》
《魔物種討伐記録:1/?》
《所持ガチャ券:五枚》
俺は鋼鉄の剣を抜いた。
今度は隠れる必要がない。
証拠を燃やす者もいない。
魔物を倒し、先へ進む。
◇
納骨室には、骸骨人がいた。
一体。
三体。
壁のくぼみから、次々と骨が這い出してくる。
最後に現れた個体まで数える。
「九体か」
前回倒した一体を含めれば、ちょうど十体になる。
骸骨人たちが、一斉にこちらへ頭蓋骨を向けた。
《隠密》を解除する。
剣へ魔力を流した。
「《氷膜》」
白い霜が鋼鉄の刃を覆う。
最初の骸骨人が、三本の腕を伸ばしてきた。
上の腕が首。
左右の腕が、剣と腰を狙っている。
俺は正面へ踏み込んだ。
距離を取れば、三本すべてを避けなければならない。
懐へ入る。
右の腕を剣で弾く。
左手で胸の頭蓋骨を押さえ、氷の刃を首の付け根へ振り下ろす。
骨が凍り、白く変わった。
二撃目。
凍った首が砕ける。
一体目が崩れた。
残る八体が、床へ散った骨を踏み越えてくる。
二体が左右へ広がった。
一体は壁を這い、頭上へ回ろうとしている。
前回とは動きが違う。
ダンジョンの魔物が、俺の戦い方を覚えているわけではない。
だが、同じ種類でも個体ごとに身体の形が違う。
人間の骨だけで作られたもの。
獣の骨を混ぜたもの。
四本脚で走るもの。
頭上の一体が落ちてきた。
《危険察知》が反応する。
横へ避ける。
骸骨人が床へ激突した。
骨が散る。
だが、壊れた骨がすぐに集まり始めた。
まだ倒していない。
胸の位置にある頭蓋骨を壊す必要がある。
起き上がる前に踏み込み、剣を突き下ろした。
二体目。
背後から骨の指が肩へ食い込む。
革鎧が軋んだ。
俺は身体を沈め、前へ投げる。
背負うようにして、骸骨人を床へ落とした。
仰向けになった胸へ、氷の剣を突き刺す。
三体目。
二体が正面から来る。
一体目の腕を斬る。
骨の腕が床へ落ちた。
もう一体が、その腕を拾った。
自分の身体へ押し当てる。
骨同士が白い力でつながり、四本目の腕になる。
「倒れた骨を使うのか」
長引くほど、残った個体が強くなる。
まず、胸の頭蓋骨を壊す。
腕や脚を斬るだけでは意味がない。
俺は床へ左手を向けた。
「《冷気》」
薄く流れていた地下水が凍る。
骸骨人たちの足が滑った。
一体が膝をつく。
その頭蓋骨へ《氷塊》を放つ。
拳ほどの氷が直撃した。
頭蓋骨に亀裂が入る。
走り寄り、剣を振り下ろした。
四体目。
すぐに横へ動く。
背後から振り下ろされた骨の腕が、空を切った。
腕の内側へ入る。
胸の頭蓋骨へ剣を突き刺す。
五体目。
残り四体。
氷の床を避け、壁へ張りついている。
そのうち一体は、散らばった骨を自分の身体へ取り込み続けていた。
胴が大きくなる。
脚が太くなる。
頭蓋骨が、胸だけでなく肩や腹にも埋め込まれていく。
ほかの三体まで、そいつへ近づいた。
何をする。
剣を構え直した瞬間、三体の身体が崩れた。
骨が大きな個体へ吸い寄せられる。
腕。
脚。
背骨。
無数の骨が絡み合い、天井へ届くほどの巨体を作った。
《骸骨巨兵の発生を確認しました》
《未討伐の魔物種です》
骸骨巨兵が立ち上がる。
頭部はない。
胸から腹にかけて、何十個もの頭蓋骨が埋め込まれている。
一本の腕が、岩柱ほど太い。
その腕が横へ振られた。
避ける。
骨の塊が壁へ激突する。
石壁が砕けた。
一撃を受ければ、《耐久の革鎧》でも守りきれない。
俺は骸骨巨兵の脚へ剣を振った。
氷の刃が骨へ当たる。
浅い亀裂。
太すぎる。
一度では斬れない。
骸骨巨兵が足を上げた。
踏み潰すつもりだ。
後ろへ跳ぶ。
足が床へ落ち、地下室全体が揺れた。
衝撃で体勢を崩す。
巨兵の腕が迫った。
剣の腹で受ける。
強い衝撃。
身体が宙へ浮いた。
背中から石棺へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
息が止まる。
鋼鉄の剣が手から離れ、床を滑った。
骸骨巨兵がこちらへ向き直る。
胸に埋まった頭蓋骨が、一斉に口を開いた。
声は出ない。
それでも、死者たちが笑っているように見えた。
俺は立ち上がる。
剣まで遠い。
巨兵の足が上がった。
左手を向ける。
「《氷塊》」
氷が膝へ当たる。
砕けただけだった。
止まらない。
俺は横へ転がった。
直後、骸骨巨兵の足が石棺を踏み砕く。
破片が顔へ飛ぶ。
包帯が裂け、焼けた皮膚へ細い傷がついた。
剣を拾う。
正面から骨を斬っても、何度も攻撃しなければならない。
先に動きを止める。
巨兵が一歩進む。
俺は脚の周囲へ生活魔法の水を撒いた。
「《冷気》」
骨と床の間を、水が凍りつかせる。
骸骨巨兵が次の足を上げようとした。
床へ凍りついた骨が軋む。
動きが遅れた。
俺は同じ脚へ走る。
先ほど亀裂を入れた場所へ、氷の剣を振り下ろす。
一撃。
骨の表面を霜が覆う。
二撃。
亀裂が深くなる。
骸骨巨兵が腕を振る。
直前で脚の裏側へ回った。
太い腕が、自分の脚へぶつかる。
亀裂の入った骨が大きく揺れた。
俺は最後の一撃を叩き込んだ。
骨が折れる。
巨体が傾いた。
骸骨巨兵が、片膝を床へつく。
胸に埋まった頭蓋骨が近づいた。
全部を壊す必要はない。
どれか一つが核になっている。
《危険察知》が、一つの頭蓋骨へ強く反応した。
胸の中央。
ほかよりも黒ずんだ頭蓋骨。
俺は巨兵の腕を駆け上がる。
骨の隙間へ足をかけ、肩まで登った。
巨兵が身体を揺らす。
振り落とされる前に、剣を両手で握った。
黒い頭蓋骨へ振り下ろす。
一撃。
亀裂。
二撃目。
黒い頭蓋骨が砕けた。
骸骨巨兵の動きが止まる。
全身をつないでいた白い力が消えた。
無数の骨が、俺ごと床へ崩れ落ちる。
俺は頭を腕で守った。
骨の山へ叩きつけられる。
痛みを堪え、身体を起こす。
巨兵は、もう動かなかった。
胸の奥へ、強い祝福が流れ込む。
《骸骨人を十体討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《骸骨巨兵を初めて討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《共同墓地地下納骨堂討伐記録:2/?》
《所持ガチャ券:七枚》
俺は骨の山の中で、荒い息を吐いた。
まだ二種類。
この地下に、あと何種類の魔物がいるのかは分からない。
だが、今の敵はローデン地下迷宮の魔物より明らかに強かった。
それだけ祝福も大きい。
ヴァルドへ追いつくための場所としては、悪くない。
砕けた壁の向こうから、冷たい風が流れてきた。
骸骨巨兵の一撃で、隠されていた通路が開いている。
その奥には、古い石段が下へ続いていた。
暗闇の底から、何かが鎖を引きずる音が聞こえる。
俺は氷膜をまとわせ直し、鋼鉄の剣を構えた。
「次だ」




