第21話 閉鎖された共同墓地
ローデンの町が見えたのは、日が傾き始めた頃だった。
迷宮を出てから、半日。
足は止めなかった。
全能力が上昇したおかげで、身体にはまだ余力がある。
それでも、黒鉱蠍に刺された左腕は鈍く痛み、何日も続いた戦闘の疲れが消えたわけではない。
城門の前には、町へ入る商人や旅人が列を作っていた。
俺も最後尾へ並ぶ。
冒険者証を確認した門番が、そこに記された名前を読み上げた。
「シュナイダー。Fランク冒険者か」
「ああ」
「ずいぶん汚れているな」
「迷宮に潜っていた」
門番は俺の革鎧と、乾ききっていない傷を見た。
それ以上は尋ねず、冒険者証を返す。
「入っていいぞ」
城門を通る。
人の声。
荷車の音。
焼いた肉とパンの匂い。
数日前と変わらない町の中へ戻ってきた。
だが、俺の頭にあるのは一つだけだ。
《ローデン旧市街》
《閉鎖された共同墓地》
次の証拠が、そこにある。
◇
最初に冒険者ギルドへ向かった。
迷宮で集めた素材を、すべて出すつもりはない。
Fランクになったばかりの男が、奥に生息する魔物の素材を大量に持ち込めば目立つ。
俺は《収納》の中から、傷のある鉱殻蟻の大顎と、鉄牙百足の牙を数本だけ取り出した。
ほかには、洞窟蜥蜴の皮を一枚。
黒鉱蠍の毒腺は高く売れる。
だが、それを新人が何個も持ち込めば、どこで手に入れたのか聞かれるだろう。
一個だけにしておく。
買取窓口の前へ素材を置いた。
職員が一つずつ確認する。
「鉱殻蟻の大顎に、鉄牙百足の牙……こちらは洞窟蜥蜴ですね」
「ああ」
「黒鉱蠍の毒腺までありますが、これはご自身で解体を?」
「そうだ」
職員が毒腺を光へ透かす。
「傷がありません。中身も漏れていない。かなり丁寧な処理です」
《解体》が示した線に沿って、小刀を入れただけだ。
それでも、普通に切り出した物とは違うらしい。
「黒鉱蠍の毒腺は、傷があると買取価格が大きく下がります。これは状態がいいので、通常より高く買い取れます」
職員が計算板を動かす。
提示された金額は、予想よりも多かった。
食料や薬を買っても、しばらくは困らない。
迷宮で魔石を売らずに済む。
「これで頼む」
「分かりました。ただし……」
職員が冒険者証を見た。
「シュナイダーさんは、まだFランクですよね」
「ああ」
「黒鉱蠍の生息場所は、Fランク冒険者が一人で向かうような場所ではありません」
責める口調ではない。
死者を出したくないのだろう。
「仲間は?」
「いない」
「では、なおさらです。今回は戻ってこられましたが、次も同じとは限りません」
「気をつける」
それだけ答えた。
黒鉱蠍を十二体倒したとは言わない。
迷宮をコンプリートしたことも。
氷魔法や魔法のテントを持っていることも。
職員は何か言いたそうだったが、硬貨の入った袋を差し出してきた。
「無理はしないでください」
受け取り、ギルドを出た。
◇
道具屋で必要な物を揃える。
暗い灰色の外套。
予備の包帯。
新しい解毒薬。
短い縄。
小型の鉄梃。
手に持つ明かりは、必要なときだけ狭い範囲を照らせる物を選んだ。
墓地へ忍び込むなら、明るすぎる物は使えない。
次に、町と旧市街が描かれた地図を買う。
共同墓地について直接尋ねることはしなかった。
証拠が隠されている場所を探していると知られれば、余計な目を引く。
地図を広げる。
ローデン旧市街は、現在の町の西側にあった。
かつて城壁の内側だった区画。
町が東へ広がったことで、人も店も減り、今では古い建物ばかりが残っている。
共同墓地は、そのさらに外れ。
地図には、小さな印しか描かれていなかった。
宿へ戻る前に、露店で食事を買った。
焼いた肉を挟んだ黒パン。
腹に入れる。
温かい。
味もある。
だが、食事を楽しむ余裕はなかった。
共同墓地が、なぜ閉鎖されたのか。
今も誰かが管理しているのか。
墓地のどこに証拠があるのか。
分からないことが多すぎる。
◇
宿屋で湯を借りた。
何日分もの血と汗を洗い流す。
黒鉱蠍に刺された左腕は赤く腫れていたが、毒の痺れはほとんど消えている。
湯へ浸かり、傷を確認する。
独房にいた頃より、身体は明らかに強くなった。
失っていた筋肉も戻り、その頃よりさらに力が増している。
だが、傷跡は消えない。
腕。
胸。
背中。
七年間に刻まれた跡が残っている。
部屋へ戻り、鏡の前に立った。
焼いた顔。
片側を隠す包帯。
シュナイダーという偽名。
門番も、ギルド職員も、誰も俺が妻殺しの罪で処刑された男だとは気づかなかった。
「この顔にも慣れたな」
鏡の中の男へ呟く。
顔は捨てた。
名前も隠した。
だが、マリエルの夫だったことまで捨てたわけではない。
俺は灰色の外套を羽織った。
◇
共同墓地について、もう少し情報が必要だった。
酒場へ入り、安い酒を一杯だけ注文する。
カウンターの端で飲みながら、周囲の話を聞いた。
冒険者。
荷運び人。
年老いた職人。
酔った男たちの会話に、旧市街の話が混じる。
「西側は暗くなると危ねえぞ」
「建物が崩れかけてるからな」
「昔の墓地も、まだ残ってるんだろ?」
「共同墓地か。とっくに閉じられたよ」
俺は杯へ口をつけたまま、耳を向ける。
「何で閉じたんだ?」
「新しい墓地ができたからだろ。旧市街の方は地下まで古くて危ねえらしい」
「墓荒らしが入ったって話もあったな」
「夜は巡回が来るぞ。捕まりたくなきゃ近づかないことだ」
地下。
巡回。
それだけでも十分だった。
別の店では、年老いた露店商から旧市街の道を聞いた。
墓地の話は出さない。
「西へ行くなら、日が落ちる前に戻ってきな。あっちは人が少ない」
「巡回兵もいるのか?」
「たまに通る。だが、毎日同じ時間じゃない」
決まった間隔ではない。
侵入するなら、先に動きを見る必要がある。
◇
夕暮れ前。
俺は旧市街へ向かった。
新しい町並みを抜けると、人の数が急に減った。
閉じた店。
板で塞がれた窓。
屋根の一部が崩れた家。
石畳の隙間には雑草が伸びている。
足音が遠くまで響きそうな静けさだった。
俺は《隠密》を発動する。
革靴が石を踏んでも、音はほとんど出ない。
外套も風に合わせて揺れるだけだ。
地図を頼りに西へ進む。
やがて、高い石壁が見えてきた。
壁の向こうには、傾いた墓石。
枯れた木。
崩れかけた礼拝堂。
鉄柵の正門には、太い鎖が巻かれていた。
頭へ流れ込んだ光景と同じだ。
「ここか」
すぐには近づかない。
向かいにある空き家の陰へ入る。
姿勢を低くし、墓地の周囲を観察した。
正門。
石壁。
周囲の建物。
人の通る道。
裏手へ回れば、石壁の一部が低くなっている。
越えることは難しくない。
だが、着地した先に何があるか分からない。
罠。
見張り。
番犬。
地下へ魔物が住みついている可能性もある。
日が沈むまで、俺は動かなかった。
一度、二人組の巡回兵が通った。
墓地の門へ近づき、鎖を確認する。
内部へは入らない。
そのまま旧市街の奥へ消えた。
次に来る時間は分からない。
空が暗くなる。
家々の影が長く伸びた。
旧市街から、人の気配が消えていく。
俺は墓地を見続けた。
◇
完全に日が落ちてから、足音が聞こえた。
一人。
ゆっくりと旧市街を歩いてくる。
暗い外套を着た男だった。
顔は深く被った頭巾に隠れている。
男は何度も背後を確認した。
迷っている様子はない。
まっすぐ共同墓地へ向かう。
俺は空き家の陰で呼吸を止めた。
男は正門の前へ立った。
太い鎖へ手を伸ばす。
壊すつもりではない。
懐から小さな鍵を取り出した。
錆びた錠へ差し込む。
小さな音。
錠が開いた。
閉鎖されているはずの共同墓地へ、男は正規の鍵で入っていく。
門を閉じ、再び鎖を巻いた。
俺は動かない。
ここで追えば、男に気づかれる可能性がある。
まず見る。
男は墓石の間を通り、崩れかけた礼拝堂へ入った。
しばらく何も起きない。
やがて、礼拝堂の窓に小さな明かりが灯った。
その光が下へ移動する。
地下へ続く階段がある。
報酬で見た場所だ。
男は地下へ下りた。
「証拠を隠した人間か」
それとも。
「証拠を消しに来た人間か」
今すぐ確かめたい。
だが、相手が一人とは限らない。
俺は剣の柄から手を離した。
まだ入らない。
出てくるまで待つ。
どれほど時間が経ったのか。
礼拝堂の地下で、もう一つ明かりが灯った。
最初の光とは離れた場所。
中には、少なくとも二人いる。
俺は暗闇の中で、共同墓地を見つめ続けた。




