第20話 取り戻した一パーセント
《ローデン地下迷宮コンプリートボーナス》
《報酬の詳細を表示します》
黒い文字が、静かなテントの中へ浮かび上がった。
《第一の報酬:復讐対象に関する証拠の所在》
《第二の報酬:全能力上昇》
《第三の報酬:スキル《隠密》》
三つの報酬。
野良ダンジョンをコンプリートしたときも、身体と生活を立て直すための力を得た。
今回は、すべてが復讐へつながっている。
俺が内容を確認しようとした瞬間、胸の奥に熱が生まれた。
《第二の報酬を付与します》
《全能力上昇》
熱は胸から両肩へ広がり、腕を通って指先まで届いた。
同時に、腹部から脚へも流れていく。
「ぐっ……」
思わず奥歯を噛んだ。
レベルが上がったときとは違う。
筋肉だけではない。
骨。
血管。
目。
耳。
身体を作るすべてが、内側から強く引き締められていく。
左腕に残っていた毒の痺れまで、一瞬だけ強くなった。
指が震える。
だが、それは傷が悪化した痛みではなかった。
身体が、今までよりも高い力へ適応しようとしている。
強い熱が頭まで達した。
視界が白く染まる。
耳の奥で、自分の鼓動が大きく響いた。
そのまま、熱が急速に引いていく。
俺はベッドへ片手をつき、倒れるのを防いだ。
荒くなった呼吸を整える。
身体は重い。
黒鉱蠍との戦いで受けた傷も、左腕の痺れも残っている。
全能力が上昇したからといって、傷が消えたわけではない。
それでも、変化は明らかだった。
指を握る。
毒を受けた左手にも、先ほどまでより強く力が入る。
立ち上がり、鋼鉄の剣を持った。
軽い。
剣の重さそのものが変わったわけではない。
俺の腕が、以前よりも強くなったのだ。
軽く振る。
刃が空気を切る音が、これまでより鋭い。
身体を動かしたときの重心も安定していた。
脚。
腰。
背中。
腕。
力が途中で途切れず、剣先まで伝わっている。
目を閉じる。
結界の外から聞こえる、小さな音へ意識を向けた。
迷宮へ吸収されつつある黒鉱蠍の死骸。
甲殻が岩へ擦れる音。
遠くを歩く魔物の足音。
天井から落ちる水滴。
以前なら聞き分けられなかった音が、一つずつ分かる。
《全能力が上昇しました》
《身体能力が上昇しました》
《感覚能力が上昇しました》
《魔力が上昇しました》
《復讐を遂行する能力が向上しました》
続いて、新しい表示が現れる。
《復讐達成率を再算定します》
俺は文字を見つめた。
先ほど、復讐達成率は九パーセントから八パーセントへ下がった。
ヴァルドも魔物を倒し、神の祝福を得ている。
俺が強くなっている間も、奴は立ち止まっていない。
《復讐達成率:9%》
八から九へ。
失った一パーセントが戻った。
だが、喜びはなかった。
「戻っただけだ」
ローデン地下迷宮で七種類の魔物を倒した。
数え切れないほどの戦闘を繰り返した。
毒を受けた。
氷魔法を手に入れた。
レベルも上がった。
そして、迷宮をコンプリートして全能力を上昇させた。
そこまでして、ようやく九パーセントへ戻った。
ヴァルドが高位魔物を一体倒したことで開いた差を、俺は迷宮一つを制覇して埋めたにすぎない。
「これが、七年間の差か」
俺は七年間、独房の中にいた。
狭い部屋で鎖につながれ、まともな食事も与えられず、身体を衰えさせていた。
その間、ヴァルドは自由だった。
優れた武器を使い。
兵士を従え。
高位魔物の情報を得て。
人々から《炎剣卿》と称賛されながら、力を伸ばし続けていた。
七年間という時間は、簡単には取り戻せない。
だが、不可能ではない。
俺には《ダンジョンガチャ》がある。
迷宮をコンプリートすれば、通常の祝福だけでは得られない力を得られる。
ヴァルドが一つ進む間に、俺は二つ進む。
それを繰り返すしかない。
「次は、戻すだけでは終わらせない」
九を十へ。
十を二十へ。
いつか必ず、百へ届かせる。
◇
次の報酬が表示された。
《第三の報酬を付与します》
《スキル《隠密》を獲得しました》
新しい感覚が頭の中へ流れ込む。
身体の動かし方。
足を置く位置。
呼吸を浅くする方法。
服や装備が立てる音を抑える動き。
単なる知識ではない。
長年訓練して身につけたように、身体が使い方を理解していた。
《隠密》
《足音、呼吸音、気配を抑えます》
《動きを止めている間、効果が上昇します》
《姿を完全に消す効果はありません》
俺はテントの中を歩いた。
革靴が床を踏む。
それなのに、ほとんど音がしない。
普段と同じように歩いているつもりだった。
だが、足が自然に音の出にくい場所を選んでいる。
剣の鞘も揺れない。
革鎧が擦れる音も小さくなっていた。
次に、壁際で動きを止める。
呼吸が浅くなる。
心臓の鼓動まで、遠ざかったように感じた。
姿が消えたわけではない。
鏡があれば、俺の身体は普通に映るだろう。
だが、視線を向けられていない状態なら、存在に気づかれにくい。
「復讐のための力か」
ヴァルドを倒すには、証拠を集めなければならない。
正面から屋敷を訪ねても、必要な情報を渡してくれるはずがない。
尾行。
盗み聞き。
夜間の潜入。
見張りを避けて証拠へ近づく。
この力なら、それができる。
ただし、過信はできない。
姿は消えない。
明るい場所で正面から見られれば、簡単に発見される。
足跡も残る。
扉を開けば音が出る。
犬のように嗅覚の鋭い相手にも通じるとは限らない。
使い方を誤れば、そのまま捕まる。
だが、何も持っていなかったときよりは遥かにいい。
◇
テントの外から、人間の声が聞こえた。
「こっちだ。戦闘の跡が続いている」
「気をつけろ。まだ近くにいるかもしれないぞ」
複数の足音。
冒険者だ。
黒鉱蠍との戦闘音か、死骸の跡をたどってきたらしい。
俺はテントを収納しなかった。
魔法のテントを見られるわけにはいかない。
外へ出て、入口から離れた岩陰へ移動する。
テントは岩の窪みの奥にある。
通路からは直接見えない。
俺は《隠密》を意識した。
身体の力を抜く。
岩壁へ背をつける。
呼吸を浅くし、動きを止める。
三人の冒険者が小部屋へ入ってきた。
一人は剣。
一人は槍。
もう一人は弓を持っている。
装備を見る限り、俺より経験は多い。
「黒鉱蠍だ」
「こんな数を、誰が倒したんだ?」
「少なくとも一人じゃないだろう。四、五人のパーティーが通ったんじゃないか」
三人は、死骸の残骸を調べ始めた。
俺が隠れている場所まで、十歩も離れていない。
弓を持った男が周囲を見回した。
視線がこちらへ向く。
俺は動かない。
呼吸を止める。
男の目が、岩陰の上を通り過ぎた。
「誰もいないな」
「もう奥へ行ったんだろう」
三人は俺に気づかなかった。
やがて、魔物の痕跡を追って別の通路へ進んでいく。
足音が完全に聞こえなくなるまで待った。
俺はゆっくり息を吐く。
近くまで来られれば、必ず見つかると思っていた。
だが、相手が俺の存在を知らず、こちらが動かなければ、かなり近い距離でも気づかれない。
使える。
ヴァルド本人に通用するかは分からない。
高い感覚能力を持つ相手なら、《隠密》を見破る可能性がある。
それでも、奴の部下や屋敷の見張りには有効だろう。
俺は窪みへ戻り、《魔法のテント》を収納した。
◇
残る報酬は一つ。
《第一の報酬を付与します》
《復讐対象に関する証拠の所在を開示します》
視界が暗くなった。
身体はテントのあった岩の窪みに立っている。
だが、頭の中へ別の景色が流れ込んできた。
古びた鉄柵。
雑草に覆われた石畳。
傾いた墓石。
崩れかけた礼拝堂。
入口を鎖で閉ざされた、地下へ続く階段。
短い光景だった。
すぐに視界が迷宮へ戻る。
《証拠の所在》
《ローデン旧市街》
《閉鎖された共同墓地》
それだけだった。
証拠が何なのか。
誰が隠したのか。
共同墓地のどこにあるのか。
何も表示されない。
場所だけが示されている。
「今度も、自分で取りに行けということか」
野良ダンジョンをコンプリートしたときも、証拠そのものを渡されたわけではなかった。
昔の店の地下に、手紙が残っていると示されただけだ。
俺は店へ戻り、自分の手で床板を外した。
今回も同じだ。
共同墓地へ行き、探さなければならない。
閉鎖されているなら、普通に入口から入ることはできないだろう。
管理者がいるかもしれない。
見張りが置かれている可能性もある。
地下には魔物が住みついているかもしれない。
なぜ証拠が墓地にあるのかも分からない。
だが、そのための《隠密》だ。
全能力上昇。
隠密。
証拠の所在。
三つの報酬は、すべてつながっている。
《ローデン地下迷宮討伐記録:7/7》
《所持ガチャ券:四枚》
《復讐達成率:9%》
俺は表示を消した。
左腕の痺れは、ほとんど治まっている。
身体には戦闘の疲労が残っているが、歩けないほどではない。
迷宮で集めた素材も十分にある。
まず、町へ戻る。
素材を売り、装備を整える。
旧市街と共同墓地について調べる。
場所も分からないまま、夜に歩き回るつもりはない。
俺は鋼鉄の剣を腰へ戻した。
《隠密》を発動し、ほかの冒険者と出会わない道を選んで迷宮の出口へ向かう。
◇
帰り道で、二組の冒険者とすれ違った。
一組目は、遠くから足音を聞いて脇道へ入った。
彼らは俺の前を通り過ぎたが、存在には気づかなかった。
二組目は避けられる脇道がなかった。
俺は岩陰で動きを止めた。
五人の冒険者が、すぐ近くを歩いていく。
「奥にいた黒鉱蠍が減っていたらしいぞ」
「誰かが狩ってるのか?」
「素材を独占するつもりじゃないだろうな」
俺の話をしている。
それでも、誰一人としてこちらを見なかった。
声が遠ざかる。
俺は再び歩き始めた。
《隠密》は、戦闘で敵を倒す力ではない。
だが、使い方によっては剣や魔法より重要になる。
俺がシュナイダーであること。
《収納》を持っていること。
《魔法のテント》を使っていること。
大量の魔物を一人で倒したこと。
知られない方がいい秘密は多い。
そして何より。
妻殺しとして処刑されたはずの男が、生きて復讐を始めていることをヴァルドに知られるわけにはいかない。
奴が俺の存在に気づくのは、すべてを奪われたあとでいい。
◇
迷宮の出口に、昼の光が見えた。
何日ぶりかの太陽だ。
入口を管理する職員へ冒険者証を見せる。
「随分長く潜っていたな」
「人の少ない場所を回っていた」
「一人でか?」
「ああ」
職員は怪訝そうに俺を見た。
だが、傷の残る革鎧と、疲れた顔を見て、それ以上は尋ねなかった。
収納から素材を出していないため、どれだけ倒したかは分からない。
俺は迷宮を離れた。
ローデンの町までは半日。
空には雲が少なく、太陽が高い。
七年前なら、マリエルと店を開けていた時間だ。
俺が荷物を運び、マリエルが入口を掃除していた。
そんな日常は、もう戻らない。
それでも、奪った男に何も失わせないまま終わるつもりはなかった。
懐には、マリエルへの求愛と脅迫の手紙。
頭の中には、新しい証拠が眠る場所。
そして俺には、そこへ近づくための《隠密》がある。
「九パーセント」
失った一歩は取り戻した。
次は、ヴァルドとの距離を縮める。
俺はローデンの町へ向けて歩き始めた。
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