第16話 擬態する群れ
洞窟蜥蜴たちが、一斉に岩壁を蹴った。
正面から三体。
左右の壁から二体ずつ。
さらに天井から、灰色の腹を見せながら落ちてくる。
十体すべてが、同時に動いていた。
俺はその場に留まらず、前へ走った。
包囲される前に、正面を破る。
一体目の洞窟蜥蜴が口を開いた。
並んだ牙が、俺の顔を狙う。
剣を横に振り、顎の側面を打つ。
首がわずかに逸れた。
その横を抜けながら、前脚の付け根へ刃を入れる。
洞窟蜥蜴が体勢を崩した。
俺は振り返り、首へ剣を振り下ろす。
二体目。
胸の奥へ祝福が流れ込む。
だが、立ち止まる時間はない。
背後から、《危険察知》が強く反応した。
身を沈める。
太い尾が、頭上を薙いだ。
風が髪を揺らす。
俺は低い姿勢のまま踏み込み、尾を振った個体の喉へ剣を突き上げた。
刃が下顎を貫き、頭部まで届く。
三体目。
剣を引き抜いた瞬間、左肩へ強い衝撃を受けた。
壁から飛びかかってきた洞窟蜥蜴が、俺を地面へ押し倒そうとしている。
大きな口が開いた。
俺は左腕を顎の下へ当て、噛みつかれるのを防いだ。
力が強い。
七年前までの身体なら、そのまま押し潰されていただろう。
今は違う。
足を踏ん張る。
身体を捻り、洞窟蜥蜴の勢いを横へ流した。
灰色の身体が地面へ転がる。
起き上がる前に、首の後ろへ剣を突き立てた。
四体目。
だが、別の一体がすでに迫っていた。
後脚で地面を蹴り、俺の胸へ頭から飛び込んでくる。
避けきれない。
俺は剣の腹を前へ出した。
洞窟蜥蜴の頭が刃へぶつかる。
衝撃で腕が痺れた。
押し負け、背中が岩壁へ当たる。
洞窟蜥蜴が口を開く。
俺は片足を腹へ当て、力いっぱい蹴り返した。
身体がわずかに浮く。
その隙間へ剣を滑り込ませ、喉を横に切り裂いた。
五体目。
血が岩の床へ広がる。
洞窟蜥蜴たちは、仲間の死骸を避けるように左右へ広がった。
人間ほどの知恵はなくても、こちらの動きは見ている。
同じ方法では近づいてこない。
一体が俺の正面で口を開き、威嚇する。
その間に、岩壁へ張りついた二体の体色が変わった。
灰色の鱗が、壁と同じ色へ溶け込んでいく。
一瞬で輪郭が消えた。
見えない。
だが、存在まで消えたわけではない。
《危険察知》が、右上を示すように反応した。
俺は見えない岩壁へ向け、剣を振り上げた。
硬い感触。
次の瞬間、擬態していた洞窟蜥蜴の首から血が噴き出した。
体色が元へ戻る。
壁から落ちた個体の頭を、もう一度斬る。
六体目。
左から岩を蹴る音。
俺は振り向かず、後ろへ剣を突き出した。
刃が肉へ入る。
飛びかかろうとしていた洞窟蜥蜴の胸を貫いていた。
そのまま身体ごと地面へ押し倒す。
首を踏み、剣を引き抜いた。
七体目。
残り四体。
最初に倒した個体を含めれば、これで七体を討伐した。
十体まで、あと三体。
洞窟蜥蜴の一体が、突然背を向けた。
逃げるのかと思ったが、違う。
太い尾をこちらへ向けている。
尾の付け根が大きく動いた。
切り離すつもりだ。
俺は横へ跳んだ。
洞窟蜥蜴の尾が、自ら身体から外れる。
地面へ落ちた尾は激しく跳ね回り、こちらの足を狙うように暴れた。
その陰から、二体の洞窟蜥蜴が同時に迫る。
動く尾で足元へ意識を向けさせ、噛みつくつもりらしい。
俺は尾を踏み越えた。
右の一体が口を開く。
顎の下へ剣を当て、上へ押し上げる。
牙が空を噛んだ。
左から来た個体の頭が、その身体へ衝突する。
二体が絡み合った。
俺は手前の一体の首を斬る。
八体目。
もう一体が身体を起こす前に、前脚を切断した。
倒れた首へ剣を突き立てる。
九体目。
あと一体。
残った二体のうち、一体が岩壁へ張りついた。
もう一体は正面で身体を低くしている。
同時に来る。
俺は正面の個体へ向け、わざと剣先を下げた。
洞窟蜥蜴が地面を蹴る。
俺の喉へ向かって飛びかかった。
直前で身体を横へずらす。
背後の岩壁からも、擬態していた個体が飛び出した。
二体の進路が重なる。
正面から来た洞窟蜥蜴が止まろうとするが、遅い。
空中で身体同士がぶつかった。
岩の床へ落ちる。
俺は近い方の首へ剣を振り下ろした。
十体目。
《洞窟蜥蜴を十体討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《所持ガチャ券:八枚》
残る一体が、絡んだ身体を引き抜いた。
仲間がすべて倒されたことを理解したのか、戦おうとはしない。
尾を切り離し、通路の奥へ逃げ始める。
俺は動く尾を無視して追った。
十一連ガチャまで、あと二枚。
それだけが理由ではない。
ここで逃がせば、ほかの洞窟蜥蜴を連れて戻ってくるかもしれない。
先ほどまでなら、追いつくまでにもう少し時間がかかったはずだ。
だが、今は足が軽い。
魔物を倒すたび、祝福が身体へ積み重なっている。
洞窟蜥蜴との距離が縮まる。
俺は剣を両手で持ち、走りながら振り下ろした。
刃が後脚へ食い込む。
洞窟蜥蜴が前のめりに倒れた。
身体を反転させ、牙を向けてくる。
俺はその外側へ回り、首へ剣を突き立てた。
十一体目。
洞窟蜥蜴の身体から力が抜ける。
胸の奥へ、これまでよりも強い熱が流れ込んだ。
鉱殻蟻。
石角兎。
鉄牙百足。
そして、洞窟蜥蜴。
この迷宮へ入ってから倒した魔物の祝福が、身体の中で重なっていく。
腕。
脚。
背中。
全身の筋肉が内側から熱を持った。
呼吸が一度止まり、次の瞬間には視界が鮮明になる。
《一定量の祝福が蓄積しました》
《レベルが上昇しました》
《身体能力が上昇しました》
剣を握る。
先ほどまでより軽い。
指先から腕まで、力が滑らかに伝わっている。
足元の小さな石が転がる音さえ、はっきりと聞こえた。
続けて、別の表示が浮かぶ。
《復讐を遂行する能力が向上しました》
《復讐達成率が上昇しました》
《復讐達成率:9%》
九パーセント。
また一歩、ヴァルドへ近づいた。
証拠を手に入れても、奴を倒せなければ復讐は完成しない。
マリエルを殺した罪を暴き、《炎剣卿》の名誉を奪う。
権力も、財産も、奴に従う者たちも失わせる。
そして最後に、俺自身の手で命を奪う。
そのために必要な力が、少しずつ身体へ戻っている。
まだ九パーセント。
Sランク冒険者にも匹敵するヴァルドには、遠く及ばない。
それでも、最初の零とは違う。
「もっと上げる」
レベルも。
復讐達成率も。
すべてを奪い返すために。
◇
《危険察知》に反応がないことを確認し、洞窟蜥蜴の解体を始めた。
魔石は十一個。
すべて《魔法のテント》へ使うため、《収納》へ入れる。
切り離された尾は、状態の良い物だけを選んだ。
洞窟蜥蜴の尾は売れる。
だが、一本が太く、場所を取る。
四本だけを油布へ包む。
皮も同じだ。
戦闘で首や脚を狙ったため、傷の少ない個体は何体か残っている。
その中から、状態の良い三体分だけを剥いだ。
最初の一枚は、途中で刃が皮を破った。
二枚目は少しましになった。
三枚目には、大きな傷をつけずに剥ぎ取ることができた。
戦いだけではない。
解体も、繰り返せば上達する。
素材を《収納》へ入れ、剣と小刀を洗う。
脇腹の傷は痛む。
肩にも、洞窟蜥蜴に押し倒されたときの鈍い痛みが残っている。
だが、動けないほどではない。
レベルが上がった影響なのか、疲労も少し軽くなっていた。
俺は水を飲み、硬焼きパンを一つ食べる。
まだ休むには早い。
《ローデン地下迷宮討伐記録:4/7》
《所持ガチャ券:八枚》
《復讐達成率:9%》
残る魔物は三種類。
ガチャ券は、あと二枚。
俺は洞窟蜥蜴の死骸を残し、さらに迷宮の奥へ進んだ。
◇
しばらく歩くと、通路の壁に黒い鉱石が混じり始めた。
灯りを反射し、細かな光を返している。
足元には、砕けた黒い殻が落ちていた。
拾い上げる。
金属のように硬い。
資料で見た素材と同じだった。
「《鎧甲虫》か」
売却対象は、傷の少ない甲殻。
背中は極めて硬い。
腹部と翅の付け根が弱点。
俺は殻を地面へ戻し、剣を抜いた。
《危険察知》が反応している。
正面ではない。
頭上。
見上げる。
黒い岩だと思っていた物が動いた。
丸い身体。
全身を覆う分厚い甲殻。
人間の上半身ほどの大きさがある甲虫が、天井へ張りついていた。
鎧甲虫が脚を離す。
真上から落ちてきた。
俺は横へ避ける。
鎧甲虫が地面へ激突した。
硬い甲殻が床へ当たり、石が砕ける。
すぐに六本の脚で身体を起こした。
俺へ向き直り、背中の甲殻を開く。
薄い翅が激しく震えた。
鎧甲虫の身体が浮く。
飛べるのか。
黒い塊が、盾ごと投げつけられたような勢いで迫ってくる。
剣を振る。
刃が背中の甲殻へ当たった。
甲高い音。
剣が弾かれ、腕が大きく外へ流れる。
鎧甲虫はそのまま胸へ衝突した。
革鎧を通して、強い衝撃が伝わる。
俺は数歩後退した。
鎧甲虫が地面へ落ちる。
すぐに反転し、再び翅を開こうとした。
背中は斬れない。
飛び上がる瞬間なら、甲殻が開く。
俺は剣を低く構えた。
鎧甲虫の背中が割れ、内側から翅が現れる。
その下には、甲殻で守られていない柔らかな部分があった。
飛び上がる前に踏み込む。
剣先を、開いた甲殻の隙間へ突き込んだ。
鎧甲虫の身体が大きく震える。
翅が不規則に動き、地面の上を滑った。
俺は剣をさらに押し込む。
刃が内部へ深く沈んだ。
鎧甲虫の脚が止まる。
胸の奥へ、新しい祝福が流れ込んだ。
《鎧甲虫を初めて討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《ローデン地下迷宮討伐記録:5/7》
《所持ガチャ券:九枚》
「あと一枚か」
十一連ガチャまで、残り一枚。
鎧甲虫をあと九体倒せば、十体討伐へ届く。
剣を抜き、魔石を回収しようとした。
そのとき。
頭上から、硬い物が連続して擦れ合う音が聞こえた。
一つではない。
通路の天井。
左右の岩壁。
黒い鉱石だと思っていた塊が、次々と脚を動かし始める。
一体。
三体。
六体。
十体を超えている。
鎧甲虫たちが甲殻を開いた。
狭い通路に、無数の翅音が響き渡る。
俺は鋼鉄の剣を構えた。
目の前には、十一連ガチャに必要な最後の一枚がある。
「ここで十体、倒す」
鎧甲虫の群れが、一斉に飛び立った。




