第14話 石角兎と迷宮の夜
岩陰から飛び出した《石角兎》が、額の角を俺の胸へ向けて突進してくる。
犬ほどの大きさしかない。
だが、地面を蹴る力は強く、石の角は短槍の穂先のように鋭い。
まともに受ければ、初心者用の革鎧など簡単に貫かれるだろう。
俺は剣を横へ構えた。
そのまま角を打ち払おうとして、直前で思い直す。
《石角兎》
《売却対象:額の角、毛皮、後脚》
《角の根元を砕くと価値が大きく低下する》
あの角は売れる。
剣で叩き折る必要はない。
俺は右足を引き、突進をぎりぎりまで引きつけた。
石角兎の角が、革鎧の胸元へ迫る。
身体を半歩ずらす。
石角兎が俺の脇を通り抜けた。
すれ違いざまに、剣を横へ振る。
鋼鉄の刃が首を断ち切った。
勢いを失わないまま、頭と身体が別々に地面を転がっていく。
胸の奥に熱が生まれた。
初めて倒す魔物から与えられる、神の祝福だ。
《石角兎を初めて討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
《ローデン地下迷宮討伐記録:2/7》
これで二種類目。
残りは五種類。
剣についた血を振り落とした直後、通路の奥から音が聞こえた。
軽い足音。
一つではない。
地面だけではなく、左右の岩壁からも音がする。
俺は石角兎の死骸から離れ、剣を構え直した。
暗闇の中に、いくつもの目が浮かぶ。
一体。
二体。
五体。
次々と石角兎が岩陰から現れた。
最後尾まで数える。
「十一体か」
倒した一体を含めれば、十二体の群れだ。
鉱殻蟻より身体は小さい。
だが、こちらの方が遥かに速い。
一体が地面を蹴った。
正面からではない。
左側の岩壁へ飛びつき、さらに壁を蹴って俺の頭上から襲いかかる。
俺は身を沈めた。
角が頭上を通り過ぎる。
そのまま剣を振り上げ、石角兎の腹を斬った。
地面へ落ちた個体が、苦しみながら足を動かす。
素材を傷つけずに倒すつもりだったが、命を守る方が先だ。
首へ刃を入れ、とどめを刺す。
二体目。
正面から二体が同時に突進してきた。
さらに右の壁を、別の一体が駆けている。
この場所では囲まれる。
俺は後ろへ下がった。
先ほど通ってきた分かれ道まで戻り、横へ延びる細い通路へ入る。
通路の天井は低い。
石角兎が壁を利用して高く跳ぶことはできない。
正面から来るしかなくなった。
最初の一体が、細い通路へ飛び込んでくる。
俺は剣を突き出さず、身体をわずかに横へずらした。
石角兎は止まれない。
俺の横を通り過ぎ、正面の岩壁へ角を突き立てた。
硬い音が響く。
石角兎が首を振るが、角が岩から抜けない。
背後から首を斬った。
三体目。
次の一体が死骸を跳び越える。
正面へ剣を振れば、角を傷つける。
俺は剣の腹を使い、石角兎の前脚を横から払った。
体勢を崩した個体が、地面へ転がる。
起き上がる前に首を落とした。
四体目。
二体が続けて飛び込んでくる。
一本目の角を避ける。
だが、二体目との距離が近い。
完全には避けられなかった。
石の角が脇腹をかすめる。
革鎧が裂け、その下の皮膚に熱い痛みが走った。
「くっ……」
血が流れる。
深くはない。
俺は痛みを無視して振り返った。
通路の奥で、石角兎が方向を変えている。
再びこちらへ向かってきた。
今度は避けない。
突進してくる個体へ踏み込み、剣先を低く構える。
石角兎が跳んだ瞬間、剣を下から振り上げた。
刃が前脚の付け根へ食い込む。
空中で体勢を崩した石角兎が、背中から地面へ落ちた。
首へ剣を突き刺す。
五体目。
もう一体が脇を抜けようとする。
後脚へ剣を当て、走る力を奪う。
倒れたところを仕留めた。
六体目。
呼吸が少し荒くなっている。
脇腹からも血が流れていた。
それでも、最初の野良ダンジョンへ入った頃とは違う。
足は動く。
剣を握る力も残っている。
次の個体が跳んでくる。
角の先端ではなく、石角兎の身体を見る。
地面を蹴る瞬間。
首の向き。
前脚の動き。
攻撃へ移る前のわずかな変化が、以前よりもよく見えた。
俺は一歩踏み込み、石角兎の横を取った。
首を断つ。
七体目。
続けて二体。
一体目の突進を避け、後ろにいた個体と衝突させる。
倒れた二体を、立ち上がる前に仕留めた。
八体。
九体。
残り三体。
石角兎たちは通路の前で足を止めた。
仲間が次々と倒されたことで、警戒しているらしい。
耳を立て、大きな後脚で地面を掻いている。
俺は剣先を下げた。
逃げるなら追わない。
討伐数を増やしたいとはいえ、無理に走って罠へ誘い込まれる必要はない。
だが、石角兎は逃げなかった。
三体が同時に地面を蹴る。
一体が中央。
残り二体が、狭い通路の壁際を走る。
正面の一体を避ければ、左右から角を突き込まれる。
俺は後退しなかった。
中央の個体へ向かって走る。
相手が予想していなかった動きなのか、石角兎の耳が揺れた。
角が届く直前に身体を沈め、右肩を石角兎の胸へぶつける。
小さな身体が持ち上がった。
そのまま後ろへ投げる。
中央の一体が、左から来た個体へ衝突した。
二体が絡まり、地面へ転がる。
右から迫る石角兎の角を、剣の鍔で受け流した。
完全には防げず、腕に衝撃が伝わる。
だが、剣は手放さない。
すれ違った石角兎の首へ剣を振る。
十体目。
《石角兎を十体討伐しました》
《ガチャ券を一枚獲得しました》
表示が視界へ浮かぶ。
だが、戦いはまだ終わっていない。
倒れた二体が起き上がろうとしている。
一体の首を斬る。
十一体目。
最後の一体が後脚で地面を蹴った。
俺へ向かってくるのではない。
通路の奥へ逃げようとしている。
追いかける。
石角兎の方が速い。
だが、先ほど衝突したときに後脚を傷めたらしい。
走り方が不自然だった。
距離を詰め、剣を振り下ろす。
後脚を斬られた石角兎が地面へ倒れた。
俺は近づき、首へ刃を入れた。
十二体目。
通路に静けさが戻る。
剣を地面へ突き、呼吸を整えた。
胸の奥で、先ほどまでとは違う熱が生まれた。
十二体から受け取った祝福が、身体の中で一つに重なっていく。
筋肉が内側から引き締まる。
視界が一瞬だけ明るくなり、耳へ入る音が鮮明になった。
《一定量の祝福が蓄積しました》
《レベルが上昇しました》
《身体能力が上昇しました》
数字は表示されない。
それでも、自分が強くなったことは分かる。
剣が、先ほどより軽い。
乱れていた呼吸も、急速に落ち着いていく。
続けて、新しい表示が浮かんだ。
《復讐を遂行する能力が向上しました》
《復讐達成率が上昇しました》
《復讐達成率:8%》
「……強くなることでも上がるのか」
マリエルへ送られた手紙を見つけたとき、復讐達成率は七パーセントになった。
そして今。
魔物を倒し、俺自身が強くなったことで、一パーセント上昇した。
証拠を集めるだけでは、復讐は果たせない。
ヴァルドの罪をすべて暴いたとしても、最後に奴を倒す力がなければ意味がない。
《炎剣卿》ヴァルド・クロイツ。
その実力は、Sランク冒険者にも匹敵する。
町へ入ったとき、俺は遠くから奴を見ただけで剣へ手を伸ばしかけた。
あの場で襲いかかっていれば、何もできずに焼き殺されていただろう。
復讐達成率は、俺がどれだけ真相へ近づいたかだけを表す数字ではない。
実際に復讐を果たせるだけの力があるか。
それも含めている。
「もっと強くならなければならない」
証拠を集める。
ヴァルドが隠してきた罪を暴く。
奴の名誉も、権力も、協力者も奪う。
そして最後は、俺自身の手で倒す。
どれか一つでも欠ければ、復讐は完成しない。
《所持ガチャ券:四枚》
《ローデン地下迷宮討伐記録:2/7》
《復讐達成率:8%》
残り五種類。
十一連ガチャまで、あと六枚。
俺は剣を抜き、石角兎の解体を始めた。
◇
まず、十二個の魔石を回収する。
魔石は売らない。
すべて《魔法のテント》を維持し、成長させるために使う。
次に額の角を外す。
解体用の小刀を角の根元へ入れ、周囲の肉を切り離す。
最初の一つは時間がかかった。
二つ目からは、刃を入れる位置が分かる。
角そのものを傷つけないよう、慎重に外していく。
毛皮は、戦闘で傷の少なかった個体だけにした。
すべて剥ぎ取れば高く売れるかもしれない。
だが、《収納》の容量は無限ではない。
約二立方メートル。
大きな毛皮や肉を入れ続ければ、すぐに埋まる。
これから、さらに五種類の魔物を倒すつもりだ。
高値で売れ、場所を取らない物を優先する。
角。
牙。
毒腺。
爪。
必要になれば、毛皮や肉を選ぶ。
十二本の角。
状態の良い毛皮を四枚。
それから、今夜食べるために後脚の肉を二本だけ切り取った。
素材を油布へ包み、人の気配がないことを確認して《収納》へ入れる。
死骸は、その場へ残した。
時間が経てば、迷宮が吸収するだろう。
脇腹の傷を布で押さえ、先へ進む。
魔物の討伐と解体に時間を使った。
地上では、すでに日が傾き始めているはずだ。
今日は、これ以上深く進まない方がいい。
人の通らない野営場所を探す。
◇
しばらく迷宮内を歩き、細い脇道を見つけた。
奥へ進むと、岩の裂け目で入口が隠された小部屋がある。
内部に魔物はいない。
新しい足跡も、焚き火の跡もなかった。
《危険察知》にも反応はない。
ここなら、ほかの冒険者からテントを隠せる。
入口へ細い紐を張り、小さな鈴を取りつけた。
魔物や人間が入れば、音で分かる。
さらに奥へ進み、《魔法のテント》を取り出した。
折り畳まれていた布が広がり、瞬く間にテントの形になる。
入口を開け、中へ入った。
外から見える大きさより、内部は広い。
灯り。
ベッド。
《魔法のケトル》。
独房とは違う。
ここでは、眠る場所も、明かりを消す時間も、自分で決められる。
回収した魔石の一部を、テントへ補充した。
《魔法のテントへ魔石を補充しました》
《障壁出力が回復しました》
残りの魔石も売るつもりはない。
必要になれば、順番にテントへ入れていく。
革鎧を脱ぎ、脇腹の傷を確認した。
皮膚が浅く裂けている。
骨や内臓には届いていない。
《生活魔法》で水を出し、血を洗い流す。
消毒になるかは分からないが、汚れたままよりはいい。
傷へ薬を塗り、清潔な布を巻いた。
残っている下級回復薬は使わない。
動けないほどの傷ではない。
薬は、もっと危険なときのために残す。
携帯調理器具を取り出した。
石角兎の後脚肉を小さく切る。
乾燥豆と一緒に鍋へ入れ、《魔法のケトル》から湯を注いだ。
生活魔法で小さな火を起こす。
味つけは塩だけ。
しばらく煮ると、肉と豆の匂いがテント内へ広がった。
独房で嗅いでいた、冷えた粥の臭いとは違う。
自分で倒した。
自分で切った。
自分で火へかけた。
俺は木の匙で、肉と豆のスープを口へ運んだ。
少し硬い。
塩も足りない。
それでも、温かかった。
身体の内側へ熱が広がる。
「悪くない」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
マリエルなら、もっと上手に作っただろう。
硬い肉も、食べやすく煮込んだはずだ。
そんなことを考えると、胸の奥が痛んだ。
だが、匙を置かなかった。
生きる。
強くなる。
復讐を果たす。
そのためには、食べなければならない。
鍋を空にし、後片づけをする。
剣を手の届く位置へ置き、灯りを弱くした。
外には結界が張られている。
魔石が尽きない限り、弱い魔物はテントへ入れない。
それでも、完全に気を抜くつもりはなかった。
ほかの冒険者には、結界が効くとは限らない。
俺は毛布へ入り、目を閉じた。
◇
鈴の音で目を覚ました。
すぐに上体を起こし、剣へ手を伸ばす。
暗い。
どれほど眠ったのかは分からない。
入口へ仕掛けた鈴が、続けて鳴る。
同時に、《危険察知》が反応した。
俺は音を立てずに立ち上がり、テントの入口へ近づく。
外から、硬い脚が岩を擦る音が聞こえていた。
数が多い。
隙間から外を確認する。
細長い身体。
無数の脚。
頭部から伸びた、鉄のような二本の牙。
《鉄牙百足》
三種類目の魔物だ。
一体ではない。
小部屋の入口からテントの周囲まで、何体もの鉄牙百足が入り込んでいる。
一体がテントへ近づいた。
牙を開き、布へ噛みつこうとする。
その直前。
淡い光の膜が現れた。
鉄牙百足の身体が弾き飛ばされ、岩壁へ叩きつけられる。
別の一体が近づく。
同じように、結界へ触れた瞬間に弾かれた。
弱い魔物では、このテントへ入れない。
このまま朝まで眠っていても、俺は襲われないだろう。
だが、鉄牙百足が結界へ触れるたび、魔石の力は消費される。
何より、目の前に未討伐の魔物がいる。
初討伐でガチャ券が一枚。
十体倒せば、さらに一枚。
魔石はテントへ使える。
牙と外殻は売れる。
俺は剣を腰へ差した。
外套を羽織り、傷の状態を確かめる。
動くことに問題はない。
結界の外では、鉄牙百足の群れが牙を鳴らしていた。
テントの中にいる限り、俺へは届かない。
安全に朝を待つこともできる。
だが、俺は休むためだけに、この迷宮へ来たのではない。
「復讐達成率を上げに来たんだ」
強くなるために、魔物を倒す。
俺は剣を抜き、テントの入口へ手をかけた。
「寝て見逃す理由はない」
扉を開く。
鉄牙百足たちが、一斉に俺へ顔を向けた。




