【7話】ポリア ゴブリン商人と三つの宝物
ポリアは、ゴブリンである。
この事実は、本人にとっては今さらどうでもいいことだった。
生まれた時からゴブリンで、八十年ほどゴブリンとして生きてきた。
小さな体。
緑がかった肌。
少し長い耳。
鋭い犬歯。
人間から見れば、魔物に分類される種族。
ただし、ポリアは普通のゴブリンではない。
普通のゴブリンという言い方も雑だが、世間一般の認識としては、ゴブリンとは群れで現れ、粗末な武器を持ち、ダンジョンや森で冒険者を襲う小型の魔物である。
弱い。
数が多い。
油断すると危ない。
素材の価値は低い。
討伐依頼の初心者向けとして扱われることも多い。
それが、人間社会におけるゴブリンの評価だった。
ポリアは、その評価を否定しない。
実際、そういうゴブリンは多い。
頭の回る個体は少なく、長く生き残る個体はさらに少ない。
言葉を覚え、取引を理解し、帳簿をつけ、商会を運営するゴブリンとなると、例外である。
だが、例外が存在しない訳ではない。
ポリアは、その例外だった。
そして、彼女にはもうひとつ、人間たちにはほとんど知られていない特徴がある。
ダンジョン由来のゴブリンは、老化しない。
寿命がない、という意味ではない。
殺されれば死ぬ。
魔石が破壊されれば、ある日突然動けなくなる。
毒も効くし、呪いも効く。
病のようなものに倒れることもある。
ただ、人間のように肌に皺が刻まれ、背が曲がり、少しずつ老いていくという機能がない。
だから、八十年生きたポリアも、本来の姿だけを見れば、若い個体と大きく変わらない。
多少、目つきが悪くなり、表情に厚みが出て、仕草に妙な落ち着きが宿る程度である。
それはそれで、困った。
人間社会で商人をするには、八十年も商売を続けている者が、いつまでも若い小さな姿でいるのは目立ちすぎる。
しかも、そもそもゴブリンである。
まともに商談の席へ着く前に、討伐対象として扱われても文句は言えない。
そこで、ポリアは首にひとつの魔道具をかけていた。
『変幻の首飾り』
姿そのものを完全に変えるものではない。
ただ、見る者の認識を誤魔化している。
ゴブリンを、人間社会で受け入れられる程度の小柄な亜人に見せる。
緑がかった肌をくすんだ肌色に変え、牙を目立たなくし、長い耳を旅暮らしの亜人の特徴として誤認させる。
そして、八十歳という年齢に相応しい老女として見えるよう、皺や白髪や背の曲がりまで、見る者の認識の中へ自然に混ぜ込む。
人間社会でのポリアは、小柄な老商人として通っていた。
皺の多い顔。
白くなった髪。
少し曲がった腰。
杖をつく手。
穏やかで、抜け目のない老女。
それが、外の世界でのポリア商会会頭の姿である。
もちろん、その姿を信じている者ばかりではない。
長年仕えている一部の者。
腹の底から信用できる取引相手。
そして、ポリア自身が命を預けてもよいと判断した者。
そういう相手の前でだけ、彼女は首飾りの機能を切ることがある。
それ以外では、決して外さない。
商売において、正体を隠すことは、嘘ではなく護身である。
少なくともポリアはそう考えていた。
その首飾りを与えてくれた者の名前を、ポリアは忘れない。
魔法道具店ラウンレイフィ。
まだポリアが商会など持たず、人間の街で商品を売ることもできず、ただ頭が回るだけの奇妙なゴブリンとして迷宮の片隅を歩いていた頃。
彼女は、その店へ迷い込んだ。
殺されると思った。
追い出されると思った。
商品棚に近づくだけで、拘束されるかもしれないと思った。
だが、銀髪の店主は、ただこう言った。
いらっしゃいませ、と。
その日、ポリアは変幻の首飾りを手に入れた。
代金を全額支払えた訳ではない。
むしろ、ほとんど支払えていなかったと思う。
後に何年もかけて返したが、それでも恩を返しきれたとは思っていない。
ラウンレイフィは、ポリアに商売の道具を売った。
ポリアにとっては、それは命を繋ぐ道具だった。
だから彼女は、ある時からこの店に来る時だけは姿を偽らないようになった。
小柄な亜人商人としてではなく、八十年を生きた、ゴブリン商人ポリアとして扉を開ける。
「会頭、こちらの帳簿です」
「はいはい、見ますよ。……んん? 南支部の輸送費が二割増えていますね。馬車隊の護衛契約、見直しが必要です」
「鉱山侯の領地を通る道が荒れておりまして」
「荒れているのは道ですか。それとも、通行税を取る連中の懐ですか」
商会の若い従業員が、返事に困った顔をした。
その顔を見て、ポリアは小さく笑う。
「両方ですね」
ポリア商会。
近年、南方を中心に少しずつ勢力を広げている小規模商会である。
主な取扱品は、保存食、安価な魔道具、冒険者向けの消耗品、旅道具、軽量袋、そして少しだけ高級な護身具。
大商会ほどの資本はない。
だが、ダンジョン周辺の細かい需要を拾うのがうまい。
「会頭。本当に、お一人で向かわれるのですか」
若い従業員が、不安そうに尋ねた。
「護衛を連れていかれた方が」
「いりません。あの店には、縁のある者しか入れませんから。護衛を連れて行っても、扉が見えないかもしれません」
「ですが」
「大丈夫ですよ。私はまだ死にません」
ポリアは小さな杖を手に取り、背負い袋を確認した。
金貨。
魔石。
南方の珍しい香辛料。
古代遺跡から出た小さな装飾片。
それから、曾孫の誕生を祝って作らせた小さな銀細工。
最後のものは商品ではない。
ただ、ラウンレイフィへ報告するために持っていくだけである。
自分でも少し妙だと思う。
半年に一度、魔法道具店を訪れて、生存報告をする。
曾孫が生まれたとか、南に支部ができたとか、最近の商売はどうだとか。
店主は穏やかに聞いてくれる。
それだけだ。
だが、長く生きると、そういう場所が案外大切になる。
ポリアは杖をつき、商会の裏手にある古い地下通路へ向かった。
そこは、かつて小さなダンジョンに繋がっていた場所である。
今は商会が管理し、倉庫として使っている。
ただ、最奥の壁には、時々あの扉が現れる。
今日は、現れる気がした。
理由はない。
ただ、長年の勘である。
商人にとって勘は軽視できない。
もちろん、勘だけで商売をしてはいけない。
だが、帳簿を見て、情勢を読み、人の顔を見て、それでも最後に残る微妙な違和感。
それを無視すると、大抵ろくなことにならない。
ポリアは地下通路の最奥へ進んだ。
そこには、予想通り一枚の扉があった。
木製の扉。
金色の取っ手。
小さな看板。
魔法道具店ラウンレイフィ。
「半年ぶりですね」
ポリアは扉の前で立ち止まり、首元の首飾りに触れた。
老女の姿が、ほどける。
皺が消えた。
白髪が消えた。
曲がっていたはずの腰が、すっと伸びる。
代わりに現れたのは、緑がかった肌と、長い耳と、鋭い犬歯を持つ小柄なゴブリンだった。
ただし、その目だけは老いている。
老化している、という意味ではない。
八十年を生き残り、商売を続け、人を見て、裏切られ、助けられ、それでも帳簿を閉じなかった者の目だった。
「ラウンレイフィ様の前でまで、偽る必要はありませんからね」
ポリアは背負い袋を背負い直し、扉を開けた。
からん、と鈴が鳴る。
---
神宮寺当真の来店から、数日が経っていた。
地球側の騒ぎは、完全には収まっていない。
むしろ、配信外での騒ぎは広がっているらしい。
切り抜き。
検証動画。
行方不明事件の過去記事。
AI映像説。
悪質な便乗。
家族への接触を試みる者。
本人だと信じる者。
作り物だと笑う者。
コメント欄で流れてくる断片を拾うだけでも、それくらいは分かった。
ただし、レイの配信上では、かなり落ち着いていた。
正確には、落ち着かされた。
配信開始直後、配信の説明欄にはいくつか記述が追加されていた。
『来店者の個人情報に関する過度な詮索、暴言、脅迫、伝言要求、無関係者への接触誘導は禁止』
その下には、さらに小さく追記があった。
『違反者は冥界神の偏見と独断で、コメントBANします』
コメント欄は、その告知を見て少しだけ静かになった。
:冥界神の判断
:怖すぎる
:BANじゃなくて冥界行きにならない?
:コメントBANで済むんですかね
:やめろ、言霊になる
「冥界神様は、たまに過激ですので」
:店主さんが言うと重い
:やっぱり過激なんだ
:でも今回は助かる
:正直、昨日のコメント欄やばかった
「皆さんも、無理をしないようにしてください」
レイはそう言って、カウンターの上に小さな木箱を並べた。
配信の空気は、まだ少し重い。
だが、いつまでもその話だけを続ける訳にはいかない。
魔法道具店ラウンレイフィは店である。
客が来れば接客する。
客がいなければ道具を作る。
素材を整え、棚を掃除し、時には食事を作る。
世界が少し騒がしくなっても、店は開ける。
「今日は、置物型の魔道具を考えます」
:置物?
:インテリア回?
:梟とか猫とか?
:監視カメラ的なやつ?
:第五話の後に防犯グッズはタイムリー
:店内ルール強化?
「店内用ではありません。贈り物や護身用に使えるものです」
レイは木片を一つ手に取った。
小さな梟の形に削り出したもの。
あと魔石の調整をしてはめこんだら完成する。
「部屋に置いておくと、侵入や毒、呪いの兆候を知らせる置物などは需要があります」
:防犯カメラだ
:セキュリティグッズ
:ファンタジー貴族向けっぽい
:毒と呪いが日常にある世界こわい
「権力者や商人には、必要になることがありますね」
レイが梟の目へ小さな魔石を嵌めようとした、その時だった。
からん、と扉の鈴が鳴った。
コメント欄が、ふっと消える。
「いらっしゃいませ。魔法道具店ラウンレイフィへようこそ」
「はいはい、半年ぶりです。生きていますよ、ラウンレイフィ様」
入ってきたのは、小柄なゴブリンだった。
緑がかった肌。
少し長い耳。
口元から覗く鋭い犬歯。
背丈は低く、背負い袋は体に対して大きい。
手には小さな杖を持っているが、腰が曲がっている訳ではない。
皺もない。
白髪もない。
人間で言えば、老女どころか若い少女に見えるかもしれない。
だが、その目の奥には、油断のなさがあった。
若い個体にはない落ち着き。
失敗を覚えている者の慎重さ。
それでも前へ進む者の図太さ。
配信の視聴者に向けて、来店者の情報が暴かれる。
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ポリア
種族:ネームド魔物/ダンジョンゴブリン
年齢:80歳
職業:ポリア商会会頭/行商人
現在抱えている問題:
ポリア商会をさらに大きくするため、王侯貴族や有力者へ渡りをつける献上品を必要としている。
来店理由:
半年ぶりに魔法道具店ラウンレイフィの扉を見つけ、高級魔法具の仕入れに訪れた。
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「お久しぶりです、ポリア」
「覚えていてくださって、ありがたいことです」
「忘れませんよ」
「長生きするものですね」
ポリアはころころと笑い、背負い袋を床へ下ろした。
袋の中から、金属の音と瓶が触れ合う音がする。
「首飾りは切っているのですね」
「ええ。この店に来る時くらいは、偽るのをやめようと思いまして」
ポリアは首元の変幻の首飾りを、指先で軽く叩いた。
「これがなければ、私は人間の街で商売などできませんでした。ラウンレイフィ様は、私にとって恩人です。その恩人の前でまで、老いた商人を演じるのは、少し不義理でしょう」
「私は、商品をお渡ししただけです」
「売った側はそう言うものです。買った側がどう受け取るかは、また別ですよ」
ポリアは楽しそうに笑った。
「今日はご相談がありまして」
「商売の相談ですか」
「ええ。商売の相談です」
レイは少しだけ目を細めた。
「南の支部の件ですか」
「おや、覚えておいでで」
「前回、支部を出すと仰っていましたから」
「いやはや。本当に、よく覚えておられる」
ポリアは嬉しそうに笑った。
その声には、ほんの少しだけ本音が混じっていた。
ただそれだけのことが、寿命ある種族にとっては案外嬉しいものだったりする。
「おかげさまで、前回購入したマジックバッグは高く売れました。あれのおかげで、南の支部も無事に立ち上がりましてね」
「順調そうで何よりです」
「順調すぎて、目立ち始めました」
ポリアは笑ったまま、声だけを少し低くした。
「商売というものは、売れなければ死にます。ですが、売れすぎても死ぬことがあります」
「狙われているのですか」
「まだ直接には。ですが、貴族、領主、ギルド、大商会。どこも、こちらを見始めています」
ポリアは背負い袋から、丁寧に包んだ布袋を三つ取り出した。
それぞれの中には、金貨、魔石、宝石、そして珍しい香辛料が詰められている。
「今回は、献上品が欲しいのです」
「献上品」
「はい。相手を買収するための賄賂ではなく、こちらを侮るべきではないと分からせるための贈り物です」
言い方は柔らかい。
だが、内容はかなり現実的だった。
商人が勢力を伸ばす時、商売だけでは足りない。
道を通るには領主の許可がいる。
冒険者を雇うにはギルドとの関係がいる。
大商会と競合するなら、敵に回しすぎない距離感がいる。
そして、魔物出身の商人であるポリアにとって、人間社会での信用は何よりも危うい。
変幻の首飾りがあるとはいえ、正体を完全に隠し通せる保証はない。
疑われた時に助けてくれる相手を作っておく必要がある。
要するに、政治である。
それは剣よりも厄介で、魔物よりもしつこい。
「具体的には、どのような相手へ」
「三つです」
ポリアは小さな指を三本立てた。
「一つ。東の女領主。若く、賢く、疑い深い方です。毒と暗殺に強い関心があります」
「関心というより、警戒でしょうね」
「ええ。実際、何度か狙われているようです」
指が二本目に移る。
「二つ。北の鉱山侯。豪胆で、実利を好む方です。ただし、刃物で死にかけた経験がありまして、不意打ちをとても嫌います」
「防御系ですね」
「はい」
三本目。
「三つ。これは私用です」
「ポリア用ですか」
「ええ。南支部の奥部屋に置く、見張りの道具が欲しいのです。人を雇うと裏切られます。私が操れるゴブリンでもいいのですが、魔物を置くと討伐されます」
「なるほど」
ポリアはにこにこと笑った。
「ですので、裏切らず、口を利かず、でも危険は知らせてくれるものがよいですね」
「ちょうど考えていたものがあります」
レイはカウンターの上にあった未完成の梟の木像を手に取った。
「おや、かわいいですね」
「まだ試作ですが」
ポリアの目が、すぐに商人の目になった。
「かわいいものは売れます」
レイは梟の木像を一度置き、棚の奥から小さな箱を三つ取り出した。
「まず、東の女領主向けですが」
最初に開いた箱の中には、銀色の胸飾りが入っていた。
小さな花を模した金具の中央に、透明に近い石が嵌め込まれている。
派手ではない。
だが、近くで見ると細工が非常に細かい。
「静謐の胸飾りです」
「せいひつ」
「毒、呪い、精神干渉、暗殺の兆候を知らせます。一度だけであれば、致命的な毒や呪詛を弱めることもできます」
ポリアの目が細くなった。
「弱める、というのがよいですね。完全に防ぐ、と言わないところが」
「完全に防ぐ道具は、相応に高く大きく、維持も難しくなります」
「ええ。贈り物としては、これくらいがよいです。『あなたの身を案じています』という形になります」
政治的に、完璧すぎる道具は危険である。
相手に渡した瞬間、相手の権力を強めすぎることもある。
そんな高価なものを渡せる商会だと見られれば、逆に警戒される。
贈り物は、相手を守るだけでは足りない。
相手にどう見られるかまで含めて、価値が決まる。
ポリアはそこを見ていた。
「価格は?」
「こちらです」
「……うん。高い」
「安くはありません」
「ですが、女領主の命と信用を買えるなら安い」
ポリアは即決した。
「一つ目、それをください」
「承りました」
レイは次の箱を開けた。
中に入っていたのは、小さな留め具だった。
外套やベルトに取り付ける程度の大きさで、鈍い黒銀色をしている。
装飾はほとんどない。
実用品そのものだった。
「不意打ち返しの留め具です」
「名前が分かりやすいですね」
「そうですね」
レイは留め具を指先で持ち上げた。
「認識していない方向からの攻撃に反応し、一度だけ薄い防壁を展開します。刃や矢を完全に止めるものではありませんが、急所から逸らす程度なら可能です」
「防壁は、目立ちますか」
「一瞬だけ光ります」
「良いですね。目立つ方がいいです」
ポリアは頷いた。
「襲われた事実が周囲に伝わる方が、政治的には使いやすい」
「防御だけでなく、証拠にもなると」
「その通りです。鉱山侯は豪胆な方ですが、政治が得意な方です。上手く活用してくれると思います」
不意打ち返しの留め具は、そういう人物にとってほどよい保険になるだろう。
「二つ目は、それを」
「承りました」
レイは最後に、未完成だった梟の木像を手に取った。
「三つ目は、こちらを仕上げます」
木像の目に小さな魔石を嵌め込む。
丸い体。
大きな目。
翼を畳んだ姿。
机の上に置けば、ただのかわいらしい置物に見える。
「眠らぬ梟の像です」
「名前も良いですね」
「部屋に置くことで、侵入、盗聴、毒、呪いの兆候を監視します。攻撃はしません。異常を感じた時だけ、持ち主に知らせます」
「知らせ方は?」
「音、光、振動から選べます。切り替えられます」
「振動がいいです」
「分かりました。ここの数字を押すことで、切り替わります」
「鳴かれると、隠し部屋で困ることがあります」
レイは梟の腹部に小さな魔法陣を刻んだ。
「一定以上の魔力を持つ者が近づいた場合も反応します」
「それは調整できますか」
「できます。反応しすぎると眠れませんから」
「ええ、眠らぬのは梟だけで十分です」
ポリアは楽しそうに笑った。
「私も年寄りですから、夜中に何度も起こされるのは困ります」
「八十でしたね」
「はい。曾孫も生まれました」
ポリアは急に嬉しそうな顔になり、背負い袋から小さな銀細工を取り出した。
小さな靴の形をしている。
非常に小さい。
人間の赤子用にも見える。
「私の住んでいる地方では、生まれた子供の足の形を取って、こうして残す習慣があるみたいなんです。成長してしまえば、もう同じ形にはなりませんからね」
ポリアは銀細工を指先でそっと撫でた。
「これは、その型を元に職人に作らせたものです。商売柄、こういう細工の伝手だけは豊富でして」
ポリアは満足そうに頷く。
「これで、私も曾祖母です。商会の若い者は、私にもっと休めと言うのです」
「休まないのですか」
「休んだら帳簿が乱れます」
「任せられる方はいないのですか」
「います。ですが、今は難しい時期なので、私が直接管理しています」
その言葉には商人としての実感があった。
「死ぬまでは商売します」
「ほどほどに」
「ラウンレイフィ様に言われると、説得力があるような、ないような」
ポリアは小さく肩をすくめた。
八十年経っても変わらないその姿を、言葉にはしないまま見やる。
「……長くやっているだけですので」
レイはわずかに視線を逸らした。
「そうでした」
ポリアはころころと笑った。
その間にも、レイの手は止まらない。
梟の目に入れた魔石へ細い術式を繋ぎ、翼の内側へ感知用の紋様を刻む。
底面には、持ち主を登録するための小さな魔法陣。
机や棚に置いても倒れにくいよう、重心を調整する。
かわいらしい見た目だが、機能はかなり実用的だった。
「持ち主登録を行いますので、ポリアの魔力を少し流してください」
「はい」
ポリアが梟の頭へ小さな手を置く。
魔力が流れ、梟の目が一度だけ瞬いた。
「おや、動くのですか」
「警告時には瞬きます。普段は動きません」
「かわいいですね」
「かわいさは必要ですか」
「必要です」
ポリアは即答した。
「怖い置物を置くと、来客が警戒します。かわいい置物なら、油断します。油断してくれる方が、商談では助かります」
「なるほど」
「かわいさは、時に刃より強いのです」
レイは少しだけ考えた。
「覚えておきます」
「ぜひ」
ポリアは、三つの商品を前にして満足そうに頷いた。
静謐の胸飾り。
不意打ち返しの留め具。
眠らぬ梟の像。
三つとも、直接敵を倒す道具ではない。
だが、どれも死を遠ざける道具だった。
「よい買い物です」
ポリアは金貨と魔石をカウンターへ並べた。
さらに、香辛料の入った小瓶を一つ添える。
「これは代金ではなく、お土産です。南方の香辛料でしてね。肉料理に合います」
「ありがとうございます」
「最近、料理にも手を出されているとか?」
「ええ、少しだけ試しています」
「商人仲間から聞きましてね。勇者様が珍しい味だと自慢していたみたいです」
ポリアはにやりと笑う。
「こういう話はすぐ広まりますからね。気づけば、ちょっとした名物になるかもしれません」
「そうですか」
「面倒ですか?」
「少し」
レイは正直に答えた。
「ですが、扉を開けて来店された方であれば、お客様です」
「変わりませんね」
ポリアは感心したように言った。
「その変わらなさが、ありがたいこともあります」
レイは代金を確認し、余剰分がないか計算した。
商人相手に雑な勘定はできない。
というより、ポリア相手に雑な勘定をすると、たぶん喜々として指摘される。
「少し多いですね」
「梟の像のお礼も込めています」
「商人であれば、値切るのが当たり前なのでは?」
「今まで、ラウンレイフィ様から頂いた恩があって、どうして値切ることができましょうか」
「……仕入れ費用として受け取ります」
「はい、それで結構です」
ポリアは満足そうに頷いた。
その時、レイは少し迷ってから言った。
「よろしければ、簡単な食事をお出ししましょうか」
「おや」
ポリアの目が、きらりと光った。
「ラウンレイフィ様の手料理ですか」
「手料理というほど、凝ってはないですが」
「いただきます。もちろんいただきます!」
即答だった。
「商人は、出されたものを断りません」
レイは裏手の台所へ向かった。
前回、当真とリシェルに出した時は、温かいスープと果物だった。
今回は、ポリアが持ってきた香辛料を試してみるのもよいかもしれない。
ただし、いきなり使いすぎるのは危ない。
香辛料は、薬にも毒にも近い。
少量だけ香りを確かめ、潮風鳥の残り肉にほんの少し振る。
それから、芋と葉野菜のスープを温め直した。
小さな皿に、薄く切った肉。
温かいスープ。
ミエルフィアを一切れ。
ポリアの体格に合わせ、量は少なめである。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ポリアはまず香りを嗅いだ。
ポリアは肉を一口食べ、目を細めた。
「とても美味しいです」
「そうですか」
ポリアは楽しそうだった。
「ラウンレイフィ様、王都でお店出せます」
「ここは飲食店ではありません……ですが、常連さんか気に入った方に、振舞うのは良いかもしれませんね」
「なるほど、それはそれで価値になりますね」
「そういう考え方もありますね」
ポリアは胸を張った。
「しかも、また来たいと思います。食事とは、胃袋から記憶に残るものですから」
レイは少し考えた。
魔法道具店ラウンレイフィは、飲食店ではない。
だが、来店した客が休める場所を作ることは、悪くないかもしれない。
ミナのように迷って来た者。
ロウガンのように古い剣を預ける者。
当真のように疲れている者。
ポリアのように、半年に一度、生存報告へ来る者。
そういうお客様に、温かいスープを一杯出す場所があってもよい。
「検討します」
「それは楽しみですね」
ポリアはミエルフィアを口に入れ、目を丸くした。
「これは、不思議な味です」
「毎日食べると飽きます」
食事を終えると、ポリアは三つの商品を丁寧に包み、背負い袋へしまった。
静謐の胸飾りは、東の女領主へ。
不意打ち返しの留め具は、北の鉱山侯へ。
眠らぬ梟の像は、ポリア商会の奥部屋へ。
それぞれの行き先で、別の物語が始まるのだろう。
レイがそれを見ることはない。
だが、道具は店を出た後も働く。
魔法道具とは、そういうものだった。
「では、そろそろ戻ります。長居すると、若い者が心配しますので」
「よい従業員ですね」
「ええ。よい者たちです。だからこそ、私がまだ死ぬわけにはいきません」
ポリアは杖をつき、扉へ向かった。
その背中は小さい。
だが、八十年を生き残った商人の背中だった。
「ポリア」
「はい?」
「曾孫様のご誕生、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ポリアは、心底嬉しそうに笑った。
「次に来る時には、曾孫に贈るものを頼みたいです」
「お待ちしています」
「はい。半年後か、一年後か。扉の気まぐれ次第ですが」
「縁があれば、また繋がります」
「ええ。縁は大事な武器です」
ポリアはそう言って、扉を開けた。
からん、と鈴が鳴る。
小さな商人の姿が、地下通路の向こうへ消えていった。
扉が閉まると、コメント欄がレイの視界へ戻ってきた。
:八十歳!?
:曾孫!?
:でも見た目若くなかった?
:老女じゃなくて普通にゴブリンだった
:首飾り切ってたってこと?
:人間社会では老女に見えるのか
:変幻の首飾り、便利すぎる
:ゴブリン商人、情報量多すぎ
:常連感すごい
:半年に一度の生存報告、いいな
:店主さんがちゃんと覚えてるのもいい
:魔物側の商人ってこと?
:人間社会で商売してるゴブリン、強すぎる
:三つの商品、全部実用的だった
:梟ほしい
:不意打ち返しの留め具ほしい
:静謐の胸飾り、現代にもほしい
コメント欄の空気は、過去の配信直後よりも少し柔らかくなっていた。
完全に軽くなった訳ではない。
それでも、ポリアの商人らしい明るさと、曾孫の話と、かわいらしい梟の像が、張りつめていたものを少しだけ緩めてくれたらしい。
「ポリアは、ダンジョン由来のゴブリンですので」
レイはコメント欄を眺めながら、香辛料の小瓶を手に取った。
「人間のような老化はしません。寿命はありますし、傷も病もありますが、見た目が年齢に合わせて老いていく種族ではないですね」
:老化しないけど寿命はあるのか
:不思議
:魔物っぽい
:じゃあ人間社会で八十歳の商人やるには偽装が必要なのか
:見た目若いままだと怪しまれるもんな
:首飾り、有能すぎる
「はい。人間社会で商売をするには、年齢相応に見える方が都合が良いのでしょう」
:店では切ってたの、信頼してるから?
:恩人って言ってたね
:レイさんが首飾りあげたの?
「昔、お渡ししました」
レイは少しだけ考えた。
「当時のポリアは、まだ商会を持っていませんでした。人間の街で取引をするにも、姿だけで警戒される状態でしたから」
:それで首飾りを
:命綱じゃん
:恩人ってそういうことか
:そりゃ値切れないわ
:ポリアさん、律儀だな
「代金は後でいただきましたよ」
:そういう問題じゃない
:店主さんらしい
:売っただけ、って思ってるんだろうな
:買った側からすれば人生変わってるやつ
レイは、それ以上は語らなかった。
ポリアにとって、それがどれほど大きな出来事だったとしても。
レイにとっては、困っている客へ必要な魔道具を渡しただけである。
ただ、それから八十年近く生きたゴブリンが、半年に一度この店を訪れ、生きていますよと報告する。
それは、悪くない結果なのだろう。
「香りが強いですね」
:料理回の伏線
:話題を戻した
:休憩卓、作る?
:ポリアさんの提案いいと思う
:ダンジョン帰りにスープは絶対売れる
:でも常連限定なんだよね
:特別感ある
:スローライフ感増える
「飲食店ではないのですが」
:でも休憩卓はあり
:常連向けならいい
:ミナちゃんにもスープ出してあげて
:ロウガンさんにも出して
:ダンジョンの魔物にも?
:魔物って食べるのかな?
「魔物は……種類によりますね」
:真面目に考えないで
:魔物用メニュー開発しそう
:魔力スープとか?
「魔力を含む蒸気なら、意味があるかもしれませんね」
:考え始めた
:ボス用メニューやめて
:ダンジョンボス強化カフェになる
レイは少しだけ笑い、梟の木像をもう一つ削り始めた。
ポリアに渡したものは試作品に近かったが、反応は良かった。
かわいい置物には需要がある。
そして、かわいさは時に刃より強い。
商人の言葉としては、妙に説得力がある。
「次は、猫型も作ってみましょうか」
:猫!
:売れる
:絶対売れる
:監視猫
:眠らぬ猫の像?
:寝てそう
「寝ている形で、危険がある時だけ目を開けるのはどうでしょう」
:天才
:ほしい
:現代にもほしい
:商品展開きた
コメント欄が少し賑やかになる。
レイは羽ペンではなく、小さな彫刻刀を手に取った。
木片に線を引き、形を考える。
魔法道具作りは、魔力だけではない。
用途。
見た目。
持ち主の生活。
贈る相手との関係。
政治的な意味。
そして、かわいさ。
そういうものが全部、道具の価値になる。
ポリアはそれを、商人としてよく知っていた。
「贈り物、ですか」
レイは小さく呟いた。
誰かの身を案じて渡すもの。
敵ではないと示すためのもの。
これからも関係を続けたいと伝えるためのもの。
魔法道具には、そういう使われ方もある。
武器や防具だけではない。
命を守る。
関係を繋ぐ。
扉がまた開く日を待つ。
そういう道具を作るのも、悪くない。
窓の外では、夜の来ない島に変わらない光が降りている。
だが、今日は少しだけ、店の空気が違っていた。
カウンターには香辛料の小瓶。
棚には追加された店内規則の木札。
作業台には、新しい猫型の置物になりかけた木片。
そしてレイの頭の中には、いつか常連客へ出すかもしれない温かいスープのことが残っている。
魔法道具店ラウンレイフィは、世界を救う店ではない。
けれど、誰かの旅路を少しだけ安全にし、誰かの商売を少しだけ続けさせ、誰かにまた来たいと思わせることはできる。
それは、たぶん店としては十分な仕事だった。
「では、今日は猫の置物を試作しながら、配信を続けます」
:助かる
:作業音ください
:ポリアさん再登場希望
:曾孫の名前楽しみ
:休憩卓も楽しみ
:猫型セキュリティほしい
レイは木片に刃を入れた。
しゃっ、しゃっ、と小さな音が店内に響く。
コメント欄は穏やかに流れ、遠い世界の騒ぎも、今だけは少しだけ薄れている。
その一方で、ダンジョンの薄暗い通路では、小さな商人が背負い袋を揺らしながら歩いていた。
荷物は重い。
金貨を支払い、魔石を支払い、香辛料まで土産に置いてきた。
それでも袋の中には、三つの魔法道具が入っている。
静謐の胸飾り。
不意打ち返しの留め具。
眠らぬ梟の像。
それらは、ポリア商会を守るための投資だった。
同時に、人間社会へ深く根を張るための鍵でもあった。
「さてさて」
ポリアは暗い通路の中で、楽しそうに笑った。
「まだまだ、商売しますよ」
曾孫の顔を見るためにも。
商会をもっと大きくするためにも。
半年後にまた、生きていますよと報告するためにも。
小さなゴブリン商人は、背負い袋を背負い直した。
そして、出口へ向かって歩いていった。




