【6話】神宮寺当真 異世界の勇者
神宮寺当真は、自分が勇者と呼ばれることに、今でも少しだけ慣れていない。
慣れていない、というより、時々ふと現実感がなくなる。
剣を抜けば、魔物が倒れる。
祈れば、聖剣が光る。
神殿の人々は彼を勇者と呼び、町の子供たちは遠くから手を振ってくる。
貴族や騎士は丁重に扱い、魔物に襲われた村では涙を流して感謝される。
それだけを聞けば、物語の主人公のような立場だった。
ただし、現実にその立場へ置かれると、思ったよりもずっと疲れる。
剣を抜けば人を守れる。
だが、抜くたびに誰かが傷ついている現場へ立つことになる。
魔物を倒せば感謝される。
だが、倒す前に助けられなかった人間がいることもある。
勇者と呼ばれれば誇らしい。
しかし、それは同時に、逃げることを許されない名前でもあった。
結論から言えば、勇者という役割は、想像より重かった。
それでも当真は、逃げなかった。
逃げなかった理由はいくつもある。
帰る方法が分からなかったこと。
この世界で助けてくれた人々に恩があったこと。
聖剣を抜ける者が自分しかいなかったこと。
そして、隣にいる少女が、いつも少し怒りながら支えてくれたこと。
「トウマ」
淡い金髪を肩の後ろで結んだ少女が、少し硬い声で呼んだ。
リシェル・フォルティア。
神殿騎士。
当真の護衛であり、旅仲間であり、たぶん今はそれ以上に近い相手だった。
「少し休んでください」
「休んでるよ」
「それを休んでいるとは言いません」
正論だった。
こういう時のリシェルは、かなり強い。
剣の腕も強いが、正論の切れ味も強い。
当真は苦笑しながら、腰に下げた聖剣へ手を添えた。
白い鞘。
神殿で祝福された魔法金属。
細かな神聖文字の刻まれた金具。
鞘の根元には、青白く光る魔石が嵌め込まれている。
それは、当真が勇者として扱う聖剣だった。
ただ、その聖剣の調子が最近おかしい。
剣を抜いていない時でも、魔力を少しずつ吸われているような感覚がある。
寝ても疲れが抜けない。
回復魔法を受けても、どこか底に穴が開いているように魔力が戻らない。
最初は、戦闘の疲れだと思った。
次に、慣れない旅の疲労だと思った。
最後には、リシェルに怒られた。
あなたは自分の疲労を軽く見すぎです、と。
それで、神殿へ相談した。
神殿騎士団長オーレリアは、当真の話を聞いた後、古い札を取り出した。
魔法道具店ラウンレイフィ。
ダンジョン七不思議。
どんな魔道具や魔剣でも見られる、不思議な店。
ただし、普通には行けない。
その札を持ち、ダンジョンの中で縁を辿れと、そう言われた。
正直、意味は分からなかった。
だが、異世界に召喚され、聖剣を持ち、魔物と戦っている人間が、今さら「不思議な店なんて信じられない」と言うのも変な話である。
当真は札を持ち、リシェルと共に神殿の地下迷宮へ入った。
深層ではない。
危険度も高くない。
神殿が管理する、古い訓練用の迷宮に近い場所だった。
それでも、聖剣の魔力漏れは彼の体力を削っている。
少し歩いただけで息が乱れた。
隣を歩くリシェルの表情が、どんどん険しくなっていく。
「だから、休んでください」
「本当に大丈夫だから」
「大丈夫な人は、そうやって壁に手をつきません」
「これは、ちょっと考え事を」
「言い訳が下手です」
言い返す言葉がなかった。
当真は壁から手を離し、苦笑する。
リシェルはため息をついた。
そして、少し迷ってから当真の手を取る。
「……歩く時だけです」
「うん」
「転びそうなので」
「分かってる」
指が絡む。
旅仲間というには近い。
恋人というには、まだ少し照れが残る。
そんな距離だった。
当真は、ふと昔のことを思い出す。
東京。
駅前。
塾の帰り道。
コンビニの光。
スマートフォン。
母親からのメッセージ。
明日の小テスト。
当たり前だったもの。
それらは、今の彼からあまりにも遠い。
帰りたいと思わなかった訳ではない。
何度も思った。
泣いたこともある。
眠れない夜に、家族の顔を思い出して、胸が苦しくなったこともある。
だが、三年は長い。
この世界にも、守りたい人ができてしまった。
帰る方法が見つかった時、自分は迷わず帰れるのだろうか。
そう考えることがある。
考えてはいけない気がして、すぐに目を逸らす。
だが、答えは出ていない。
「トウマ?」
リシェルが心配そうに顔を覗き込む。
「なんでもない」
当真はそう答えた。
その時、迷宮の行き止まりに、扉が現れた。
木製の扉。
金色の取っ手。
小さな看板。
そこに刻まれた文字を、当真は読むことができた。
――魔法道具店ラウンレイフィ。
「……本当にあった」
「神殿騎士団長が、存在しない店を紹介するはずがありません」
リシェルはそう言いながらも、少しだけ緊張しているようだった。
当真は苦笑する。
「じゃあ、入ろうか」
「はい」
二人は扉を開けた。
からん、と鈴が鳴る。
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その日、レイは灯火用のカードスペルを作っていた。
過去配信で店内規則の木札を追加して以来、コメント欄ではなぜか「店内ルールシリーズ」が少しだけ流行っている。
盗むな。
暴れるな。
店主を舐めるな。
商品棚に触れるな。
ソード・リッチは事前予約をしろ。
最後のものは、明らかに店内規則ではない。
レイはそれを説明したが、コメント欄の勢いはあまり変わらなかった。
「今日は、灯火の魔道具を作ります」
:平和な作業回
:灯火用いいね
:初心者冒険者向け?
:暗いダンジョンで使うやつか
:ミナちゃんに必要そう
:あの子、元気かな
「明かりを失うと、それだけで危険ですから」
レイは薄い魔法紙に、灯火の紋様を刻んでいく。
派手ではない。だが、迷宮の中で本当に必要になるのは、こういうものだった。
「強い魔剣より、明かりや水や帰還手段の方が命を救う場合も多いです」
:現実的
:冒険者初心者講座
:水とライトと地図
:ファンタジーなのに登山用品みたいな話になってきた
:でも大事
「はい。大事です」
レイがそう言った時だった。
カウンターの端に置かれた鈴が、かすかに震える。
:来客?
:今日も来るのか
:コメント消えるやつ
:誰だろう
からん、と扉の鈴が鳴った。
コメント欄が、ぴたりと止まる。
正確には、レイの視界から消える。
来客中、レイはコメント欄を見ない。
「いらっしゃいませ。魔法道具店ラウンレイフィへようこそ」
入ってきたのは、若い男女だった。
一人は黒髪黒目の青年。
年齢は十代の終わりほど。
旅装に身を包み、肩には薄い外套をかけている。
腰には、白い鞘に収められた剣。
鞘の金具には、細かな文字が刻まれていた。
「おじゃましまーす……」
もう一人は、淡い金髪を肩の後ろで結んだ少女だった。
胸元には神殿騎士団の紋章が刻まれた鎧。
腰には細身の剣。
姿勢はよく、目つきも鋭い。
だが、青年に向ける視線だけは、少し柔らかい。
「失礼します」
二人は店に入る直前まで手を繋いでいたらしい。
少女の指が、名残惜しそうに青年の手から離れる。
その様子は、旅仲間というには近く、恋人というにはまだ少し照れが残っていた。
そして、配信画面には、来店者を示すテロップが静かに浮かび上がっていた。
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神宮寺 当真
種族:人間
年齢:18歳
職業:勇者
出身:日本国・東京都
現在抱えている問題:
聖剣の鞘に組み込まれた保護魔石が劣化し、魔力漏れを起こしている。
来店理由:
神殿の紹介により、聖剣の鞘の点検と補修を依頼するため。
リシェル・フォルティア
種族:人間
年齢:19歳
職業:神殿騎士/勇者の旅仲間
現在抱えている問題:
勇者の護衛兼同行者として、聖剣の状態と神宮寺当真の体調を気にしている。
来店理由:
神宮寺当真に同行して来店した。
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そのテロップを見た瞬間、クリスタルの向こう側でコメント欄がざわつき始めた。
:日本?
:東京?
:神宮寺当真?
:え、今の名前
:勇者?
:出身、日本国って出た?
:東京って書いてあったよな?
:これ設定?
:待って、神宮寺当真って聞いたことある
:行方不明事件の子じゃない?
:そんなんあったっけ
:三年前くらいにニュースで見た気がする
:名前と年齢合ってない?
:いや偶然だろ
:顔、ニュース画像と似てない?
:待って、録画してる人いる?
だが、その文字はレイには届かない。
店に入ってきた二人にも届かない。
遠い世界で誰かが息を呑み、誰かが検索をかけ、誰かが切り抜きの録画を始めても、その声は店内の空気を震わせることはなかった。
「ここが、魔法道具店ラウンレイフィ……」
黒髪の青年、神宮寺当真は店内を見回して小さく呟いた。
「どなたかのご紹介ですか? 本日は、どのようなご用件でしょうか」
「えっと……神殿騎士団長のオーレリア様から、この店ならどんな魔道具や魔剣でも修理できると伺って来ました」
当真はそう言いながら、懐から古い札を取り出した。
それは、かつてラウンレイフィを何度か訪れた者にだけ渡される来店証だった。
「これを預かっています。私の持つ聖剣を見ていただきたくて」
そして腰の剣に手を添えたが、わずかに体が揺れた。
その動きに合わせ、隣のリシェルがすぐに体を寄せる。
「トウマ、ゆっくりで構いません。昨日も無理をしたばかりでしょう」
「大丈夫だって。もうだいぶ回復したから」
「とても大丈夫には見えません」
「……ちょっと疲れてただけで」
「分かっていません」
リシェルは自然な仕草で当真の腰に手を添えた。
支えるための動きだった。
ただし、どこかに少しだけ下心が混じっているようにも見えた。
「店の人の前で言わなくても」
「私は心配なんです」
当真は、少し照れたように視線を逸らした。
店内では、ただの微笑ましいやり取りだった。
しかし、配信の向こう側では、別の意味を持ち始めていた。
:手つないでた?
:隣の子、彼女?
:神殿騎士って出てる
:普通に仲良さそう
:待って本当に行方不明者なら家族が見たらどうなるんだ
:いや偶然でしょ
:でも名前と年齢と東京が一致してる
:幸せそうじゃん……
:生きてるならよかった、でいいのかこれ
コメントは流れる。
だが、誰にも届かない。
「お二人のお話は後ほどでも。まずは依頼品を拝見します」
レイは穏やかにそう言った。
当真は慌てて背筋を伸ばす。
「あ、はい。すみません。これが、神殿に何十代も継承されている聖剣です。これの修理を依頼したくて」
レイは青年から聖剣を受け取った。
「失礼します」
半ばまで剣を抜く。
黄金色に輝く刃が、店内の光を受けて淡く煌めいた。
刃そのものに損傷はない。
むしろ、よく手入れされている。
聖剣と呼ばれるだけあって、魔力の質も安定していた。
レイはすぐに刃を鞘へ戻した。
問題は剣ではない。
白い鞘。
神殿で祝福された魔法金属。
表面に刻まれた、神聖魔法に似た魔法回路。
その根元に嵌め込まれた、青白く光る魔石。
ほんの一瞬だけ、レイの表情がわずかに揺れた。
それは、ほとんど誰にも気づかれない程度の変化だった。
「これは……」
大昔、とある騎士に頼まれて作り上げた一振りの魔法剣。
その記憶が、鞘に刻まれた魔法回路の癖から蘇る。
当時の持ち主は、もういないだろう。
名前も、顔も、今では少し曖昧になっている。
けれど、道具は残る。
持ち主が去り、国が変わり、神殿で継承され、いつの間にか聖剣と呼ばれるようになっている。
そういうことは、長く生きていると時々ある。
少しだけ、不思議な気持ちになる。
そしてすぐに、職人としての意識へ戻る。
「失礼ですが、どのような異常があるかお聞きしても?」
「剣を抜いていない時でも、魔力を吸い取られているような感覚があります。寝ても、魔力が回復しないんです」
「なるほど」
レイは鞘の根元を指先でなぞった。
魔石の奥で、細い魔力回路が乱れている。
「気のせいかと思ったんですけど、戦闘後の疲れ方が変で」
「お客様の感覚は間違っていません。今もこの時、手にした私から魔力が吸われています」
当真の顔が少し引きつった。
「それ、けっこう危なかったんですか?」
魔力を失うと、気を失ったり、身も心も異常をきたす。
それは当真がこの世界に来て、教えてもらったことだった。
まさか自身が体験するとは思ってみなかったが。
「長期間放置すれば、危険でしたね」
「そんな……」
リシェルが低い声で言った。
責めるような声ではない。
ただ、これまでの疲労の理由が分かり、抑えていた不安が漏れたような声だった。
「あなたは自分の疲労を軽く見すぎです」
「分かってるって」
「分かっていません」
「……はい」
当真は小さく肩を落とした。
レイは二人のやり取りに構わず、鞘の部品を点検していく。
「魔石が劣化していますね」
「相当古いものですから、そういうこともあるんですね」
「この魔石は、剣の魔力を内側で抑えるための部品です。これが壊れると、魔力を蓄える機構が誤作動を起こして、持ち主の魔力を常に吸い続ける可能性があります」
当真は困ったように笑った。
「つまり、今の私は聖剣にずっと魔力を吸われてたってことですか」
「簡単に言えば、そうです」
「うわ……」
リシェルの視線がさらに険しくなる。
「だから言ったでしょう」
「はい」
「昨日も一昨日も、休むべきだと言いました」
「はい」
「なのに、あなたは大丈夫だと」
「本当に反省してます」
当真は素直に謝った。
その様子を見て、レイは少しだけ目を細める。
「修理は可能です。魔石を加工して交換すれば、一時間ほどで終わります」
「一時間で?」
「はい。剣そのものは良い状態です。鞘も魔石の交換と魔法回路の調整だけで済みます」
当真が、目に見えて安堵した。
「よかった……これでまた、戦いに出られる」
その声は小さかった。
だが、本心からのものだった。
リシェルが当真の手にそっと触れる。
「君に心配をかけたね」
「いつものことです」
そう言いながらも、リシェルの表情は少し柔らかい。
当真も少し迷ってから、その手を握り返した。
ほんの短い時間だったが、配信の向こう側ではその仕草だけで十分だった。
:握った
:完全に付き合ってる距離
:異世界で恋人できてるのか
:いや本人か分からんけど
:行方不明から何年だっけ?
:三年くらい?
:家族が見たらどうなるんだこれ
:生きてるなら知らせるべきでは
:でもこれ本物なの?
:AI配信だろ?
:いや最近のAIはここまでできるのか?
:テロップの出身地、やばくない?
店内では、レイが聖剣の鞘を作業台へ移していた。
「お客様はこちらでお待ちください。椅子があります」
「あ、はい」
「トウマは座ってください」
「うん」
当真は椅子に座った。
リシェルはその隣に立つ。
立って警護するつもりなのだろう。
レイは少しだけリシェルを見た。
「座っていただいても構いませんよ」
「私は護衛ですので」
「ここは安全ですよ」
「ですが」
「お連れの方が見てますよ」
レイの声は穏やかだった。
しかし、妙に逆らいにくい響きがあった。
リシェルは少し迷い、当真を見る。
「座った方がいいよ」
「……分かりました」
リシェルは当真の隣に座った。
ただし、剣の柄にはすぐ手が届く位置である。
「真面目だね」
「あなたの護衛ですから」
当真はまた少し笑った。
レイは作業台の上で鞘を固定し、青白い魔石を外した。
魔石はかなり古い。
表面には細かなひびが入り、内部には濁った魔力が溜まっている。
このまま使い続ければ、いずれ魔力の吸引が強まり、持ち主の体調を大きく損ねただろう。
「交換用の魔石を用意します」
レイは棚から小さなケースを取り出した。
透明な箱の中には、青白い魔石がいくつも並んでいる。
どれも質は良い。
ただし、聖剣に使うには、そのままでは合わない。
魔石とは、単に嵌め込めばよいものではない。
道具に合わせて削り、魔力の流れを整え、回路との相性を確認する必要がある。
合わない魔石を無理に入れれば、鞘の機能が暴走することもある。
要するに、修理というより精密機器の部品交換に近い。
もっとも、異世界で精密機器という説明をしても、たいてい伝わらない。
レイは魔石を一つ選び、細い器具で表面を削った。
透明な粉が落ちる。
魔石の内側で、青白い光が少しずつ整っていく。
「すごいですね」
当真が思わず呟いた。
「魔石って、削って調整できるんですか」
「できます。割れやすいので、あまりおすすめはしませんが」
「僕がやったら?」
「専門知識がないと砕けます」
「ですよね」
当真は苦笑した。
リシェルは作業をじっと見つめている。
彼女の視線は真剣だった。
勇者の体調に関わるものだから当然ではある。
「この鞘は、かなり古いものです」
レイは作業しながら言った。
「神殿で長く継承されてきたのでしょうね」
「はい。勇者が現れた時に使うため、代々保管されてきたと聞いています」
「保管状態は良いです。魔石の劣化以外、大きな問題はありません」
「よかった」
当真はほっと息を吐いた。
「正直、聖剣そのものが壊れてたらどうしようって思ってました」
「剣そのものは、まだ十分に使えます」
レイは一瞬だけ、遠い昔の記憶を見るように聖剣へ視線を落とした。
「大切にされてきたのでしょう」
「はい」
当真は少しだけ背筋を伸ばした。
「僕も、ちゃんと扱いたいと思っています」
「良いことです」
レイは魔石の加工を終えると、鞘の根元へ嵌め込んだ。
細い光の線が鞘の表面へ走る。
魔力回路が、新しい魔石を認識している。
「少し、魔力を流します」
レイが指先を鞘に触れる。
青白い光が一度だけ強くなり、それから安定した。
その瞬間、当真が息を吐いた。
「……軽くなった」
「分かりますか」
「はい。ずっと背中に重い荷物を背負ってたみたいな感じだったんですけど、それが消えた感じです」
リシェルの表情が、はっきりと緩んだ。
「よかった」
「本当に心配かけたね」
「まったくです」
そう言いながら、彼女は当真の手をもう一度握った。
店内では、ただの安堵だった。
だが、配信の向こう側では、もうコメント欄が収拾しづらくなっていた。
:本人だろこれ
:いやいやいや
:設定でしょ
:でも三年前の行方不明事件と名前も年齢も合ってる
:顔も似てる
:聖剣とか勇者とか、そういう設定に本人情報使うのやばくない?
:家族に連絡した方がいい?
:通報案件では
:でもAI配信だよな?
:今の声、本人の声に似てるって言ってる人いる
:切り抜き上がった
:拡散されてる
:待って、同接増えてない?
レイは知らない。
当真も知らない。
リシェルも知らない。
ただ、クリスタルの向こう側で、世界のどこかが少しずつ騒がしくなっていた。
「こちらで修理は完了です」
レイは聖剣を当真へ返した。
「ありがとうございます」
当真は両手で受け取り、腰へ戻した。
その動きは先ほどよりも安定している。
「お代ですが」
「あ、はい。神殿から預かってきています」
リシェルが小さな革袋を取り出した。
中には金貨と、神殿で保管されていた魔石がいくつか入っている。
「こちらで足りますか」
「十分です」
レイは中身を確認し、頷いた。
「次回も来られるんですか?」
「来店証がありますので、条件を満たせば可能です。ただし、同じ場所からすぐ呼べるとは限りません」
「条件?」
「魔物の討伐数、階層、時間経過、店との縁。いくつかあります」
「なるほど……」
当真は少し不思議そうな顔をした。
理解できたかどうかは微妙である。
だが、この世界には理解できなくても成立するものが多い。
当真は、この三年でそれを学んでいた。
「また不調があれば、お持ちください」
「はい。助かりました」
「ただし、しばらくは無理をしない方がいいです」
「え」
「魔力漏れは止まりましたが、失った体力が即座に戻るわけではありません。今日は休んでください」
リシェルがすぐに頷いた。
「分かりました。今日は休ませます」
「ちょっと待って、僕は」
「休みましょう」
「はい」
当真は押し負けた。
レイは少しだけ口元を緩める。
「護衛の方の判断に従うのがよろしいかと」
「店主さんまで」
それは本当だった。
迷宮から来る客は、たいてい疲れている。
傷を負っている者。
魔力を失っている者。
自覚なく限界に近い者。
そういう客を何度も見てきた。
当真は苦笑し、肩を落とした。
「分かりました。今日は休みます」
リシェルは満足そうに頷いた。
その様子を見て、レイは過去に視聴者に言われたことを思い出した。
客に食事を出してみてはどうか。
あの時は、機会があれば、と答えた。
目の前には、明らかに疲れている青年と、その青年を心配する少女がいる。
機会としては、かなり分かりやすい。
「よろしければ、簡単な食事をお出ししましょうか」
「え?」
「店は飲食店ではありませんが、修理の待ち時間がありましたので。今は終わっていますが、少し休んでから帰る方がよいでしょう」
当真とリシェルは顔を見合わせた。
「いいんですか?」
「簡単なものですが」
「いただけるなら、ぜひ」
当真は素直に頷いた。
リシェルも少し迷ったが、当真の体調を考えたのか、すぐに頭を下げた。
「ありがとうございます」
レイは裏手の台所へ向かった。
ミエルフィアを薄く切り、先日作ったスープの残りを温め、香草を少し足す。
ミエルフィアには、体調を整える隠れた効果もある。
疲れている者には、重いものより温かいスープの方が良い。
レイはそれを小さな盆に乗せ、二人の前へ置いた。
「温かいうちにどうぞ」
「ありがとうございます」
当真はスープを一口飲んだ。
「……美味しい」
「そうですか」
「はい。なんか、ほっとします」
リシェルも静かにスープを口に運び、少し驚いたように目を瞬かせた。
「優しい味ですね」
「味が薄ければ、塩を足してください」
「いえ。このままで十分です」
二人はしばらく黙って食べた。
店内は静かだった。
棚の魔道具が淡く光り、窓の外では夜の来ない島の光が揺れている。
宙に浮かぶクリスタルの向こうでは、コメントが流れ続けていたが、その声は店内に届かない。
:食事出した
:伏線回収
:店主さんの手料理だ
:勇者にご飯出してる場合じゃないくらいコメント欄がやばい
:同接増えてる
:切り抜きから来ました
:神宮寺当真ってマジ?
:これ本物なら大事件だろ
:AIじゃないの?
:いやでも食事の所作とか会話が自然すぎる
:家族の人が見てたらどうなるんだ
:誰か止めて
:レイさんコメント見えないんだよな
当真は、食事を終えると、小さく息を吐いた。
「ごちそうさまでした」
「はい」
「なんだか、久しぶりに普通の食事をした気がします」
「神殿では食べていないのですか」
「食べてます。でも、こういう感じではなくて」
当真は少し言葉を探した。
「勇者としての食事なんです。栄養とか、回復とか、儀礼とか、そういう意味がついてくるというか」
「なるほど」
それは褒め言葉なのだろう。
レイはそう判断した。
「それなら、よかったです」
リシェルは当真を見て、少しだけ目元を緩めた。
「また、来られるといいですね」
「うん」
当真は頷き、腰の聖剣へ手を添えた。
「聖剣の調子も見てもらえるし」
「休息も取れます」
「そこはリシェルの都合では?」
「あなたのためです」
「はい」
当真は笑った。
それから、少しだけ真面目な顔でレイへ向き直る。
「ありがとうございました。私は、この世界でまだやることがあります」
「はい」
「今はここで守りたい人もいるので」
リシェルが少し目を見開いた。
当真は照れたように視線を逸らした。
「だから、倒れるわけにはいかないんです」
「なら、余計に休んでください」
「……はい」
レイは来店証を返し、二人を扉まで見送った。
「またのお越しをお待ちしております」
「はい。また来ます」
「失礼します」
二人は軽く頭を下げ、扉を開けた。
からん、と鈴が鳴る。
当真とリシェルの姿が、扉の向こうの迷宮へ消える。
最後に見えたのは、リシェルが自然に当真の手を取り、当真がそれを握り返す姿だった。
扉が閉まる。
店内に静けさが戻る。
そして、コメント欄がレイの視界へ戻った。
:レイさん!
:待って
:今の人について話して
:神宮寺当真って名前、本当に出てた
:東京の行方不明者と同じ名前
:三年前のニュース出てきた
:本人じゃないの?
:本人だったら家族に連絡を
:これは設定ですか?
:AI配信ですよね?
:レイさん、今の人、地球出身って分かってる?
:切り抜きが拡散されてる
:同接やばい
:コメント速すぎ
:運営? 神様? 説明して
:個人情報どうなってるの
いつもより、明らかに文字の流れが速い。
レイはしばらく眺めて、首を傾げた。
「少し、流れが速いですね」
:速いですねじゃない
:大事件です
:今の人、こっちの世界の人かもしれない
:日本って出てた
:東京って出てた
:神宮寺当真って行方不明者がいる
:三年前に失踪した高校生
:同姓同名かもしれないけど
:顔が似てるって言ってる人いる
:レイさん、本人確認できる?
「本人確認とは?」
レイは繰り返した。
本人確認という言葉の意味は、なんとなく分かる。
だが、この場合、何を確認すればいいのかまでは分からない。
「先ほどのお客様は、勇者で、聖剣の鞘の修理に来られました」
:そこは見た
:出身、日本国・東京都って出てた
:レイさんにはテロップ見えてない?
「来客中、私はコメントや表示を見ませんので」
:やっぱり見えてない
:神様のテロップが個人情報出しすぎ
:これ洒落にならない
:本当に地球から来た人?
:行方不明の子なら、家族がまだ探してるかもしれない
レイは少し沈黙した。
地球。
日本。
東京。
行方不明者。
コメント欄の言葉をつなぐと、どうやら先ほどの青年は、配信の向こう側の世界から来た可能性があるらしい。
異世界転移者。
それ自体は、この世界では珍しいが何人か確認されている。
少なくとも、神や召喚術や世界間転移が存在する以上、ありえない話ではない。
だが、配信の向こう側にいる人々にとっては違うのだろう。
今まで、この配信は作り物だと思われていた。
すごいAI映像。
リアルタイムCG。
ファンタジー系バーチャル配信。
だが、もし本当に行方不明になった人間が映っていたとすれば。
それは、ただの娯楽では済まなくなる。
「私は、地球側へ直接連絡する手段を持っていません」
レイは静かに言った。
「この配信も、神具の機能です。私はコメントを読むことはできますが、皆さんの世界へ人を送ったり、手紙を届けたりすることはできません」
:神様に聞けない?
:サポート窓口が神なんでしょ
:冗談じゃなくなってきた
:家族へ知らせる方法ないの?
:当真くん本人なら、生きてるって伝えたい
「神に確認はできます」
コメント欄が一瞬止まった。
「ただし、私はお客様の意思を確認せずに、その方の事情を勝手に公開するつもりはありません」
:でも行方不明者なら
:家族が
:本人の意思も大事だけど
:難しいな
:今の当真くん、幸せそうだった
:でも元の家族は?
:これ、どうすればいいんだ
レイはカウンターの上に残った空の器を見た。
当真とリシェルが使った器。
温かいスープを飲み、少し笑い、また迷宮へ戻っていった二人。
あれは、お客様だった。
魔道具の修理に来た客。
疲れていたから食事を出し、聖剣を直し、送り出した。
レイにとっては、そういう出来事である。
だが、配信の向こう側では違う。
誰かにとっては、三年前に消えた人間が突然画面に現れた瞬間だった。
誰かにとっては、作り物だと思っていた配信が急に現実味を帯びた瞬間だった。
誰かにとっては、信じたくないものを見てしまった瞬間だった。
同じ映像を見ても、立場が違えば意味は変わる。
当然のことなのに、レイは少しだけそのことを意識した。
「……次に来られても、その件についてこちらから何かを伝えることはしません」
:え
:どういうこと
:伝えてあげてよ
:家族が
:でも本人の意思もあるか
:レイさんのスタンスか
:それはそれで筋は通ってる
:難しいな
レイは静かに続けた。
「お客様が何を選ぶかは、お客様のものです。私は、その選択を勝手に決めません」
コメント欄は、すぐには落ち着かなかった。
当然だろう。
人の人生に関わる話である。
画面の向こうで、簡単に答えが出るものではない。
それでも、少しずつ流れは変わっていく。
:それはそう
:本人の意思もある
:でも知る権利はあるよな
:家族も本人も
:重い回になった
:ただの聖剣修理回じゃなかった
:これもう何事もなかったことにはできない
レイはその最後のコメントを見た。
何事もなかったことにはできない。
確かに、そうなのかもしれない。
魔法道具店ラウンレイフィは、世界を救う場所ではない。
迷宮の客に道具を売り、修理し、送り出す場所である。
けれど、配信を始めた時点で、店の中の出来事は店の中だけでは終わらなくなった。
遠い世界の誰かが見ている。
記録している。
考えている。
勝手に傷つき、勝手に喜び、勝手に祈る。
それもまた、繋がるということなのだろう。
レイは空になった器を片付け、いつものように洗った。
一人分ではない食器。
それは少しだけ、自分自身の食事よりも多かった。
「今日は、配信を早めに終わりましょうか」
:え
:終わるの?
:まあ仕方ない
:今日は重かった
:レイさんも神様に確認して
:おつかれさま
:当真くん、また来てほしい
:リシェルさんもいい子だった
:どうか幸せでいてほしい
「はい。また来てくださるといいですね」
レイはクリスタルへ向かって、いつものように軽く頭を下げた。
「本日もご来店、ご視聴ありがとうございました」
配信の光が、ゆっくりと落ちていく。
その向こう側で、まだコメントは流れていた。
切り抜きが拡散され、検索が重なり、誰かが昔のニュース記事を掘り返している。
作り物だと笑う者がいた。
本物かもしれないと震える者がいた。
もし家族が見たらと、言葉を失う者がいた。
そして、異世界のどこかでは。
神宮寺当真が、修理された聖剣を腰に下げ、リシェルに怒られながら休むための部屋へ連れて行かれていた。
彼はまだ、知らない。
自分の姿が、遠い故郷へ届いたことを。
自分の名前が、三年越しに再び検索され始めたことを。
そして、魔法道具店ラウンレイフィの配信が、もうただの不思議な異世界風配信では済まなくなりつつあることを。
今はまだ、誰にも未来は分からなかった。




