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【5話】ダン・ロウワー 商品を盗者

 ダン・ロウワーは、元冒険者だった。


 この「元」という言葉は、なかなか厄介である。

 引退した者にも使えるし、負傷して続けられなくなった者にも使える。

 家庭を持って足を洗った者にも、酒場で昔話をするだけになった者にも使える。


 そして、冒険者としての信用を失い、ギルドから半ば追い出された者にも使える。

 ダンの場合は、最後のそれだった。

 最初から悪党だった訳ではない。

 少なくとも、本人はそう思っている。


 若い頃は、普通に剣を握り、普通に依頼を受け、普通に魔物を倒していた。

 仲間もいた。

 稼ぎが多い日には酒を飲み、少ない日には安宿で干し肉を噛んだ。

 冒険者として上等だったかと言われれば、そうでもない。

 だが、食うために剣を振り、怪我をしながらも迷宮から戻ってくる程度には、冒険者だった。


 それが崩れたのは、一度の失敗からである。

 護衛依頼で荷を失った。

 迷宮探索で判断を誤った。

 仲間が死んだ。

 あるいは、生き残った仲間と責任を押し付け合った。


 どれが決定的だったのかは、もうダン自身にも分からない。

 ただ、信用は落ちた。

 良い依頼は来なくなった。

 装備を整える金も減った。

 安い依頼を受ければ怪我が増え、怪我が増えればさらに仕事を選べなくなる。


 冒険者というのは、自由な職業のように語られる。

 実際、自由ではある。

 仕事を受けるも断るも自分次第。

 迷宮へ潜るのも自分次第。

 死ぬのも自分次第。


 ただし、自由には保証がない。

 落ちる時は、驚くほど早かった。

 気づけばダンは、迷宮内で他の冒険者が残したものを拾っていた。

 死体から剥ぎ取った装備を売った。

 倒れた商人の荷を持ち去った。

 罠にかかった冒険者を見捨てたこともある。


 最初は、仕方なかったと言い訳した。

 次に、向こうが運悪く死んだだけだと思った。

 そのうち、生きている奴から奪わなければいい、と考えるようになった。

 最後には、その線も曖昧になった。


 人は飢えると、線を引き直す。

 昨日まで越えないと思っていた線を、今日には踏み越える。

 そして、踏み越えた後でも、人間は案外普通に歩けてしまう。

 ダンは迷宮の通路を走っていた。

 肩口には乾いた血がこびりつき、革鎧は裂けている。

 腰の剣は歪み、鞘も半ば朽ちていた。

 水袋は空で、薬瓶も割れている。

 所持金はほとんどない。


 追われている。

 何に、と問われれば色々だった。

 魔物かもしれない。

 他の冒険者かもしれない。

 自分が奪った相手の仲間かもしれない。

 あるいは、ただの恐怖かもしれない。


 どれでもよかった。

 今のダンには、逃げることしかできなかった。

 そんな時、迷宮の行き止まりに扉が現れた。

 木製の扉。

 金色の取っ手。

 小さな看板。


 魔法道具店ラウンレイフィ。

「……店、か」

 噂は聞いたことがある。

 ダンジョンの中で、時々おかしな店が現れる。

 高価な魔法道具を扱い、客を選ばず、金さえ払えば強力な品も売る。

 襲った者は帰ってこない。

 そんな話もあった。


 だが、噂というものは大抵、大げさに膨らむ。

 追い詰められていたダンの目には、その扉は救いに見えた。

 いや、正確には違う。

 救いではなく、獲物に見えた。

 中に商品があるなら、売れる。

 店主が一人なら、奪える。

 迷宮の奥にある店なら、多少のことがあっても誰も見ていない。


 そう考えた時点で、もう答えは決まっていた。

 ダンは扉を開けた。

---


 魔法道具店ラウンレイフィには、今日も夜が来ない。

 窓の外には柔らかな光があり、棚に並んだ魔道具の金具を淡く照らしている。

 第三話で素材を補充して以来、レイはカードスペルの在庫を少しずつ増やしていた。


 道標用。

 灯火用。

 簡易治癒用。

 それから、拘束用。


「今日は拘束用のカードスペルを作っています」

:拘束用?

:急に物騒

:警察グッズみたいな?

:魔物用?

:この店で使うことあるんですか?


「使う機会はない方がいいですね」

 レイは細い筆を置き、カードの端を指先で軽く押さえた。

 薄い魔法紙に、鎖のような紋様が刻まれている。

 乾ききってはいないため、術式の線がかすかに揺れていた。


「これは、暴れる魔物や、怪我をして動かない方がいい人を一時的に止めるためのものです」

:怪我人も止めるのか

:暴れる患者を固定するやつ

:ちゃんと医療用途もある

:使わないで済むのが一番だね


「はい」

 レイは完成したカードを乾燥台へ移した。

「カードスペルは、魔法の結果を安定させるための道具でもあります。直接魔法を使う場合、術者の感覚や魔力の量に影響されますが、カードスペルはあらかじめ結果を狭めておくことで、誰が使っても似た効果になるようにしています」

:工業製品っぽい

:魔法の規格化か

:安全装置でもあるのかな


「そうですね。安全装置でもあります」

 レイは一枚のカードを持ち上げた。

「拘束用なら、相手を傷つけず、動きを止めることに特化しています」

:便利

:でも悪用されそう

「悪用を防ぐため、私が使うために作ったものは特殊な処理が施されています」

:判定あるんだ

:賢い

:魔法の倫理フィルター


「完璧ではありませんが、ないよりは安全です」


 その時だった。

 からん、と扉の鈴が鳴った。

 コメント欄が、ぴたりと止まる。

 来客がある間、レイからは遠い世界の文字が見えなくなる。


「いらっしゃいませ。魔法道具店ラウンレイフィへようこそ」

 店内に入ってきたのは、傷だらけの男だった。

 配信では、男の名前が視聴者に向けて暴かれる。

---

ダン・ロウワー

種族:人間

年齢:31歳

職業:元冒険者/迷宮荒らし

現在抱えている問題:

冒険者としての信用を失い、迷宮内で盗掘や強奪まがいの行為を繰り返している。

装備を失い、所持金もほとんどなく、追い詰められている。

来店理由:

迷宮内で逃走中、偶然ラウンレイフィの扉を見つけた。

---


 年齢は三十前後。

 革鎧は裂け、肩口には乾いた血がこびりついている。

 片方の手袋はなく、腰に下げた剣は鞘ごと歪んでいた。

 髪は乱れ、目の下には濃い隈がある。


 疲れている。

 飢えている。

 追い詰められている。


 そして、目が悪い。

 視力の話ではない。

 店内に入って最初に見るべきものを、間違えているという意味である。

 普通の客なら、店主を見る。

 用件を告げる。

 あるいは、自分がどこに迷い込んだのか確認する。


 だが、男の目は棚を追っていた。

 護符。

 小瓶。

 指輪。

 カードスペルの束。

 装飾のある短剣。

 瓶詰めされた薬液。

 魔石灯。

 壁に掛けられた軽量外套。

 それらすべてを、値段のついた商品ではなく、換金できる物として見ている。


「……店、か」

「はい。魔法道具を扱っています」

「ここは、迷宮の中なのか」

「入口は迷宮のどこかに繋がっています。店そのものは別の場所にあります」


 男は舌打ちしそうになり、途中でやめた。

 理解できないことを考える余裕がないのだろう。

 今、彼に必要なのは金であり、逃げるための道具であり、生き延びるために売れる何かだった。

 人間は、ここまで追い詰められると、余計なことを考えられなくなる。

 目の前にどれだけ整った顔立ちの女がいようと、欲情より先に浮かぶのは、生き延びる算段だけだった。


「金はねえ」

「物々交換も受け付けています」

「物もねえ」

「でしたら、まずは応急手当をおすすめします。安価な治癒布と、迷宮の出口を示す簡易道標があります」

「払えねえって言っただろ」


 男の声には苛立ちがあった。

 レイは少しだけ彼の装備を見た。

 破れた革鎧。

 歪んだ剣。

 空の薬瓶。

 乾ききった水袋。

 まともな状態のものは、ほとんどない。


「後払いは原則として受け付けていません。ただし、命に関わる場合は救命用の最低限の品をお渡しすることがあります」

「タダでくれるのか」

「救命用に限ります。転売目的の方にはお渡ししていません」

「……使えねえな」


 吐き捨てるような言葉だった。

 レイは表情を変えない。

 客である限り、客として扱う。

 それがレイの店のルールである。


「お水は必要ですか」

「いらねえ」

「座りますか」

「いらねえって言ってるだろ」


 男は店内を歩いた。

 足取りはふらついている。

 だが、目だけは棚を追っている。

 その視線を見れば、次に何を考えるかは分かる。

 分かるが、まだ何もしていない。

 だからレイは止めない。


「ここ、ひとりでやってるのか」

「はい」

「護衛は?」

「いませんね」

「客もいねえな」

「今は、そうですね」


 レイは一瞬だけ、宙に浮かぶクリスタルの方へ視線を向けた。

 正確には、客は店内にいない。

 ただし、この光景を見ている者はいる。

 遠い世界の向こう側に、見えない観衆がいる。

 だが、それを男に説明する理由はなかった。

 男は鼻で笑った。


 その笑いには、店の在り方そのものへの侮りがあった。

 迷宮に繋がる危険な場所でありながら、高価な品を無防備に並べ、護衛も置かず、細い女がひとりで店番をしている。

 それが、彼には現実離れした愚かさに見えたのだろう。

 彼の経験からすれば、そんな場所がまともに成り立つはずがない。

 もし今まで無事だったのだとすれば、それは単に、まだ誰にも目を付けられていないからだ。

 あるいは、奪う価値に気づかれていないだけだ。

 そういう判断だった。

 ただし、悪党にもなり切れてない半端者でもあった。


「悪いな、店主さん」

 男の手が、棚の小箱へ伸びた。

 銀の留め具がついた、小さな魔道具の箱。

 蓋には細かな装飾と、小粒の宝石がいくつも埋め込まれており、光を受けて静かに輝いている。


 それは、開封時に小物を清浄化するための保管箱だった。

 用途だけ言えば地味だが、素材も細工も高い。

 街に持ち込めば、それなりの値段で売れるだろう。

 男の指が箱を掴んだ。

「こいつは貰っていく」

「お支払いがまだです」

「払えねえって言っただろ」


 男は小箱を懐へ押し込み、出口へ向かおうとした。

 拙速。

 そう呼ぶべき動きだった。

 ダンジョン内に現れた存在がまともなはずがない。

 長居すれば、何が起きるか分からない。

 独りで店番ができるなら、ダンジョンの罠のような機構だって考えられる。

 だから、奪ってすぐ出る。

 彼なりに、経験から出した答えなのだろう。

 ただ、その経験はこの店では役に立たない。


「商品を持ったままの退店は、お断りしています」

 レイはカウンターの向こうから躍り出た。

「どけ」

「商品をお戻しください」

「どけと言ってる」


 男は片手でレイの肩を押しのけようとした。

 その瞬間、彼の視界が回った。

 何が起きたのか、分からなかった。

 殴られた訳ではない。

 蹴られた訳でもない。

 ただ手首を取られ、足の位置をわずかにずらされただけ。

 その一連の動きがあまりにも無駄なく正確だったため、男の身体は床へ沈み込み、肩を押さえられた。

 気づけば、懐に入れていた小箱が音を立てて床へ転がっている。


「……は?」

 男は床に膝をついたまま、しばらく呆然としていた。

 自分が倒された。

 あの細い店主に。

 魔法を使われた様子もなく、武器も持っていないのに、ただ触れられただけで転がされた。


「商品をお戻しいただきます」

 レイは小箱を拾い、棚へ戻した。

 怒りが、遅れて男に追いついた。

「てめえ……」

 男は歪んだ鞘から短剣を抜いた。

 刃こぼれが目立つ、古い短剣だった。

 魔物の硬い皮膚や鱗を相手にするには、もう頼りない。

 だが、相手が人間なら話は別である。

 鎧の隙間や首に当てれば、それで十分に致命傷になる。

 男はそう考えた。

「舐めやがって!」

 刃が走る。

 レイは半歩だけ身を引いた。

 カウンターの上に置かれていたハサミを手に取る。

 短剣とハサミがかすかに噛み合い、乾いた金属音が一度だけ鳴った。

 それだけだった。

 レイは最小限の動きで刃の向きを逸らし、手首の力が抜ける角度へと導いた。

 短剣が床へ滑る。

 続けて振るわれた拳も、彼女は退かずに軌道をずらした。

 勢いのまま、男の身体が再び床に沈む。


「当店での暴力行為は禁止です」

 レイの声は、少しも乱れていなかった。

「商品への窃盗行為、攻撃行為を確認しました」

「ふざけるな……!」

 男は起き上がろうとした。

 その手が、床に落ちた短剣へ伸びる。

 レイはカウンターへ手を伸ばした。

 そこには、先ほどまで作っていた拘束用のカードスペルがある。


「拘束します」

 カードが淡く光った。

 鎖の紋様がほどけ、光の輪となって男の手足へ巻きつく。

 次の瞬間、彼の身体は床へ押さえつけられた。


「ぐっ……!」

 痛みはない。

 だが、動けない。

 手首も足首も、見えない縄で固定されたように止まっている。

 男は必死にもがいたが、光の輪はわずかにきしむだけだった。


「直接魔法を使うより、カードを挟んだ方が、片付けが楽ですね」

 レイはそう呟いた。

 それは男に向けた言葉というより、自分で確認するような言葉だった。

「離せ……!」

「できません」

「俺をどうする気だ」

「退店していただきます」

 レイは床に落ちた短剣を拾い、刃の状態を見た。

 安物だ。

 刃こぼれも多い。

 金属そのものがかなり傷んでいる。

 だが、手入れの跡はある。

 少なくとも、最初から賊だった者の道具ではない。

 冒険者として迷宮へ潜っていた時期があったのだろう。


「こちらの短剣は危険物として、一時的にお預かりします」

「返せ!」

「店外へ転移後、あなたの近くに戻します。ただし、すぐ手の届く位置には置きません」

 男は歯を食いしばり、レイを睨みつけた。

 怒り。

 屈辱。

 恐怖。

 それらが混ざった目だった。

「何なんだよ、お前は」

「この店の店主です」

「お前みたいな小娘が、何でそんなに強い……」

「長くやっていると、いろいろな方が来ますから」

 レイはそれだけ答えた。

 それ以上は説明しない。

 強さを誇ることもない。

 脅すこともしない。

 ただ、店内で商品を盗もうとした者として処理する。

 息の根を止められる訳でもない。

 敵として認識されている訳でもない。

 店の規則に違反した、問題のある客。

 それだけだった。

 男にとって、それが何より悔しかった。


「もう……殺せよ……」

 その言葉に、レイは少しだけ動きを止めた。

 男にとって、盗難で捕まれば死ぬのと変わらない。

 この世界の、というより男のいる国において、金の無い者に市民権は無いに等しく、軽犯罪で騎士団に引き渡されたら、金が払えないなら死罪で魔物の餌にされて終わるだけである。


「命を諦めるには、早いですよ」

 それからカウンターの引き出しを開け、一枚のカードを取り出す。

 商品とは異なる簡素なカードスペルだった。

 端には、小さく道標の紋様が描かれている。

 以前、新米冒険者の少女に渡したものよりも簡易的なもの。

 出口の方向だけが分かる、救命用の試作品である。


「これは、迷宮の出口を示すカードです」

「いらねえ」

「代金は不要です。救命用ですので、売ることも譲ることもできません」

「そんなもの……」

「今のあなたには必要です」

 レイは一歩だけ距離を詰め、拘束されたままの男の視線に合わせるよう、わずかに身を屈めた。

「あなたから受け取るものは、今はありません」

 淡々とした声だった。

 拒絶でも怒りでもない。

 価値がないと判断されたものを見るような目でもない。

 ただ、現状を確認している声だった。

 支払えるものはない。

 売れるものもない。

 商品を買う客としては成立しない。

 だが、死なせる必要もない。


「ですが、ここで終わる必要もありません」

「……」

「ダンジョンで死ぬ人間が少なくなるのは、良いことです」

 それは優しさというより、レイが本気で思っている事実だった。

 迷宮で死ぬ者は多い。

 道に迷う者。

 魔物に喰われる者。

 罠にかかる者。

 仲間に裏切られる者。

 己の欲で身を滅ぼす者。

 長い時間の中で、レイはそういう者を何人も見てきた。

 助けられる者もいれば、助けられない者もいた。

 助けるべきでない者もいた。

 全てを救うつもりはない。

 そもそも、この店は救済機関ではない。

 だが、目の前にいる者を、わざわざ迷宮で死ぬように放り出す理由もなかった。


「これは貸しではありません。対価も不要です」

 レイはカードを起動した。

「ただ、生きて帰るための魔法です」

 淡い光が、男の身体へ降り注ぐ。

 拘束された男の呼吸が、わずかに乱れた。

「次に扉を見つけた時、願わくばお客様であったら幸いですね」

 それ以上は言わない。

 説教もない。

 期待もない。

 許すとも言わない。

 ただ、選べる余地だけを残す。


「今は、それで十分です」

 男の口が止まった。

 告げられた言葉の意味は、まだよく分からない。

 だが、自分が何かを与えられたのだという事実だけは分かった。

 欲しいものではない。

 売れるものでもない。

 ただ、生きてダンジョンを出るための道具。

 さっきまで暴力で奪おうとしていた自分に、それが差し出された。

 その事実が、胸の奥に重く沈んだ。

「なぜだ」

 男は低く言った。

「俺は、盗もうとした。お前に刃を向けた」

「そうですね」

「なら、放り出せばいいだろ」


 レイは静かに答えた。

「次に来る時は、お客様としてお越しください」

「……次なんか、あるか」

 事実、ダンジョンから出ても明日があるとは限らない。

 野垂死ぬか、明日も賊を続けるか。

「分かりませんよ」

 床の紋章が淡く光り始めた。

 店の退店処理である。

 窃盗や暴力を行った者を、店外へ強制的に転移させる機能。

 男の身体が、足元から薄れていく。


「待てよ!」

「はい」

「俺の短剣は」

「あなたが転移した場所から、少し離れた位置へ戻します。拘束も少ししたら解けるので、探せば見つかりますよ」

「……くそ」


 言葉の最後は、店内に残らなかった。

 男の姿は光の中に消えた。

 からん、と遅れて扉の鈴が揺れる。

 店内に、静けさが戻った。

 そして、宙に浮かぶクリスタルへ、止まっていた文字の群れが一気に流れ始める。


:え?

:何が起きた?

:戻った?

:今の客どうなった?

:なんか一瞬で終わってない?

:コメント見えない間に事件起きてた?

:店主さん平気?

:商品棚乱れてる?

:え、ガチ襲撃?


 レイは床に落ちていた短剣の鞘を拾い、カウンターの上へ置いた。

 棚から転がった小箱も、元の位置へ戻す。


「少し、問題のあるお客様でした」

:問題のあるお客様で済ませるな

:何があったの

:怪我ない?

:店主さん大丈夫?

「はい。怪我はありません」

:よかった

:でも短剣あったよね?

:武器抜かれた?


「店内で商品を持ち出そうとされたため、制止しました。その後、武器を抜かれましたので、拘束用カードスペルを使用しました。程よく、実戦できましたね」

:ガチじゃん

:怖っ

:店内戦闘イベント?

:カード使ったんだ

:レイさんなら魔法で止められそうなのに


「直接魔法を使うより、カードスペルを使った方が手間が少なくて済みます」

:手間?

:今の言い方怖い

 レイは少し考えた。

「カードスペルは、結果が決まっています。拘束用なら、拘束するだけ。相手の動きを止め、傷つけないように作ってあります」

:なるほど

:安全装置付き

:直接魔法だと?


「直接魔法を使うと、加減が難しいことがあります」

:加減

:さらっと怖い

:店主さん側の出力が高すぎるってこと?


「たとえば、地を這う虫を追い払うのに、手足を振ったら、皆さんは潰さないよう無力化できますか?」

:例えが物騒

:それ人に使ったらダメなやつ

:だからカードを挟むのか

「はい。カードスペルは、魔法の出力を絞る道具でもあります」

 コメント欄がざわつく。

:本人の魔法がデカすぎるのでは

:レイさん、やっぱり強い?

:今までも強そうだったけど

:店主が一番危険物説


 レイはそれ以上、自分の強さについて語らなかった。

 代わりに、床の紋章を確認し、退店処理が正常に行われたかを見る。


「問題ありません。迷宮内の比較的安全な地点へ転移しました」

:安全な地点に飛ばしてあげたんだ

:優しい

:盗もうとしたのに


「なんとなく、出口の方向が分かる魔法を使いましたので、帰りも大丈夫でしょう」

:優しい

:いや怖いけど優しい

:制圧して救命だけはする店

:店のルール厳しいけど命は取らない


 生き残ったとして、その後が容易な人生になるとは限らない。

 一度、盗みや死体荒らしに落ちた者が、そこから普通の冒険者へ戻るのは難しい。

 本人に問題がある場合もある。

 環境に問題がある場合もある。

 たいていは、その両方である。

 ただし、だからといって迷宮で死ねばいいという話でもない。


「当店では、購入意思のある方をお客様として扱います」

 レイは短剣を布で拭い、刃筋を確認した。

 残念ながら、元の品質が悪い。

 さらに長く使われたことで、ほとんど寿命を迎えている。

 かろうじて錆びていないので、手入れ自体はされているのだろう。

 そこだけは、少しだけ意外だった。


「一応、盗みや暴力はお断りしています」

:当たり前

:でもダンジョンだとその当たり前が通じないのか

:店内規則きた

:概要欄に書こう


「概要欄……皆さんが見ているそれ、私自身が書いている訳ではないんですよね」

:出た

:店内ルールを書こう

:「盗まないでください」とか?


「それは、書かなくても分かると思うのですが」

:分からない人が来たんだよなあ

:現実でも、分からない人はいるし

:注意書きは大事


 レイは少し考え、カウンターの下から小さな木札を取り出した。

 そこに細い筆で文字を書いていく。


『店内での窃盗、暴力行為は禁止』


 書き終えると、入口の横へ掛けた。


:ルール追加

:普通のことしか書いてない

:でも大事

:魔法道具店の治安が一段上がった


「これで分かりやすくなりましたね」

:分かりやすい

:でも破ったらどうなるかも書いた方が

:強制退店されますって書こう


 レイは木札の下へ、もう一行書き足した。


『違反した場合、強制退店』


:草

:店っぽい

:この世から物理的に退店させられるやつ


「殺していませんよ」


 レイは少しだけ首を傾げた。

 コメント欄はしばらく騒がしかった。

 だが、時間が経つにつれ、少しずつ落ち着いていく。


:でもさっきの人、元冒険者っぽかった?

:テロップ見えた人いる?

:迷宮荒らしって出てた

:元冒険者って書いてあった

:落ちた冒険者か……

:ミナちゃんも一歩間違えたらああなるのかな

:ロウガンさんとは真逆だな


 レイはそのコメントを見て、少しだけ目を伏せた。


「ダンジョンでは、いろいろな方が道を誤ります」

 短い言葉だった。

 責めるでもなく、許すでもない。

 ただ、長い時間の中で何度も見てきた事実を口にするような響きだった。


「ですが、引き返せないとは限りません。難しいですが」

:次に来る時は客として、っていいな

 レイは拘束用カードスペルの束を整え、箱へ戻した。


「使う機会はない方がいいのですが」

:さっそく使ったね

:フラグ回収早すぎ

:作っててよかった


「そうですね」


 短剣に少しだけ魔力を流し、刃と柄を最低限補強する。

 まともな武器に戻すほどではない。

 だが、あと何回か振れる程度には持つだろう。

 次の瞬間、短剣と鞘は店内から消えた。

 持ち主が転移した場所の近くへ戻されたのだ。


「では、補充分をもう一枚作っておきましょう」

 レイは新しい魔法紙を一枚取り出した。

:仕事に戻るの早い

:メンタル強い

:店主の日常なんだな

:作業音ください

 羽ペンの先に、小さな光が灯る。

 また、ひっかくような細い音が店内に戻ってきた。



 ダン・ロウワーは、迷宮の石床に転がっていた。

 手足には、まだ光の輪が残っている。

 動けない。

 だが、先ほどよりも締めつけは弱くなっていた。


 少し離れた場所に、彼の短剣と鞘が落ちている。

 店主の言った通り、すぐ手の届く場所ではない。

 ただし、見える位置ではある。

 そして、胸の奥には奇妙な感覚があった。

 道が分かる。

 地図がある訳ではない。

 光の矢印が見える訳でもない。

 だが、こちらへ行けば出口に近づくという感覚が、頭の奥に残っている。

 あの女が言った魔法だろう。


「……くそ」


 ダンは低く呻いた。

 殺されなかった。

 奪えなかった。

 見逃された。

 助けられた。

 そのどれもが、彼の中でうまく整理できなかった。

 殴られた方がまだ分かりやすかった。

 罵られた方がまだ腹を立てられた。

 殺されかけたなら、憎めた。


 だが、あの店主はそうしなかった。

 商品を盗んだら止めた。

 武器を抜いたら拘束した。

 そして、出口の方向だけを与えて放り出した。

 客ではない。

 敵でもない。

 哀れまれたのか。

 それすら分からない。


 ただ、ひとつだけ分かったことがある。

 あの店で、彼は何も奪えなかった。

 金も。

 商品も。

 ダンは歯を食いしばった。

 やがて、光の輪がほどける。


 彼はしばらく床に伏せたままだった。

 立ち上がる気力がなかった。

 だが、遠くで魔物の声が聞こえた。

 現実は待ってくれない。

 ダンは這うように進み、短剣を拾った。

 刃が少しだけ軽くなっている気がした。

 気のせいかもしれない。

 あるいは、あの店主が何かしたのかもしれない。


 どちらでもよかった。

 今は生きて帰る。

 それだけを考えるしかなかった。

 ダンは壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。

 胸の奥に残った道標の感覚を頼りに、迷宮の通路を歩き出した。


 次があるかは分からない。

 扉がまた現れるかも分からない。

 そもそも、自分がその時まで生きているかも分からない。

 それでも、あの声だけは耳に残っている。


 次に来る時は、お客様としてお越しください。


「……客か」

 ダンは吐き捨てるように呟いた。

 だが、その声には、先ほどまでの勢いはなかった。

 暗い通路の先に、出口へ向かう感覚がある。

 彼はそれに従って歩いた。


 迷宮で道を誤った者が、必ず引き返せるとは限らない。

 だが、その日、ダン・ロウワーはまだ死ななかった。


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