【4話】孤島の昼食と魔法素材
魔法道具店ラウンレイフィには、夜が来ない。
正確に言えば、夜に似た時間はある。
店内の灯りが少し落ち、窓の外の光が柔らかくなり、眠るための時間として区切られることはある。
けれど、太陽が沈んで、空が黒く染まり、星が瞬くような夜は来ない。
この島は、そういう場所だった。
絶海の孤島。
最も近い陸地へ向かうだけでも、普通の船なら数か月はかかる。
途中に補給できる港もなければ、目印になる島もほとんどない。
周囲の海には生き物が少なく、魚影も薄い。
天候は穏やかで、風は心地よく、白い砂浜と青い海だけを見れば楽園のように見える。
ただし、楽園というものは、そこから出られないなら箱庭と変わらない。
魔法道具店ラウンレイフィ。
神が作りし、店の形をした神具。
それは世界中のダンジョンや遺跡に入口だけを現し、客を招き、遠い世界へ配信を行い、店主の生活を維持するための環境を整えている。
便利ではある。
かなり便利である。
ぶっちゃけ、一人で暮らすための設備として考えれば過剰なくらいだ。
だが、どれほど便利でも、店の中に客が来なければ、そこにいるのは店主ひとりだけだった。
レイは、カウンターの上に並べた薄い板を眺めていた。
カードスペル用の基材。
魔力を通しやすく加工した、使い捨ての魔法道具の土台である。
道標用、拘束用、簡易治癒用、灯火用。
最近になって少しずつ種類を増やしているものだ。
もっとも、種類を増やせば材料も減る。
当然のことである。
「……材料が足りませんね」
箱を持ち上げて軽く振ると、からから、と寂しい音がした。
宙に浮かぶクリスタルには、遠い世界から届く文字が流れている。
地球側の視聴者たちだ。
:開店助かる
:今日も平和
:作業回?
:カードスペルの補充かな
:材料切れ?
:店主さんでも在庫切れするんだ
:魔法道具店にも仕入れがあるのか
「もちろんありますよ。道具は材料がなければ作れませんから」
レイはカウンターの下から、厚い台帳を取り出した。
古びた革表紙の台帳だ。
ただし、普通の台帳ではない。
開いたページには最初、何も書かれていない。
指先で表面に触れると、淡い光が浮かび上がり、いくつもの項目が並び始める。
魔法紙。
魔力定着剤。
保存用の小瓶。
低級魔石。
空白のカード基材。
術式保護用の薄膜。
その他、細かな素材の名前が光の文字として表示されていく。
「魔法道具店ラウンレイフィには、必要な魔法素材を対価と引き換えに取り寄せる機能があります」
:通販だ
:異世界通販
:店主さん、通販使うんだ
:神具の仕入れ機能?
:普通に便利
:材料費からは逃げられない
「はい。お金や魔石、価値のある素材などを対価として消費します」
レイは台帳の光に指を滑らせた。
「よく使うのは、カードスペル用の魔法紙、魔力定着剤、保存用の小瓶、低級魔石。このあたりですね」
:消耗品多い
:職人だ
:趣味に金がかかるタイプ
:商売してるのに全部材料費に消えてそう
「魔法道具作りは、材料がないとできませんから」
それは当然のことだった。
魔法という言葉を聞くと、何もない場所から何かを生み出す万能の力だと思われがちである。
だが、少なくともレイの扱う魔法道具作りはそうではない。
土台がいる。
素材がいる。
保存する容器がいる。
魔力を定着させる処理も必要になる。
つまり、商売を続けるには仕入れがいる。
かなり現実的な話だった。
:ご飯は食べた?
:そういえば今そっち何時?
:こっち昼だから飯テロ回でもいいよ
:異世界ごはん見たい
レイはコメントを読み、少しだけ首を傾げた。
「食事ですか」
店内の柱時計へ視線を向ける。
時計の針は、地球のものと似ているようで少し違う。
一日はある。
朝も昼も夕方も、区切りとしては存在する。
ただし、空の色が大きく変わらないため、生活のために時計を使って区切っている、という方が近い。
「こちらでは、そろそろ朝食の時間ですね」
:朝ごはん回きた
:異世界飯
:店主さん何食べるの?
:パンとか?
:魔法道具店の朝食、気になる
「パンは、ほとんど手に入りません」
:えっ
:パンないの!?
:ファンタジー世界なのに?
:主食どうしてるの
「穀物は栽培に広い土地と季節の変化が必要です。この島は環境が安定しすぎていて、そういった作物には向いていません。そもそも、麦自体が手に入っていませんね」
:なるほど
:季節ないのか
:畑はあるけど小規模?
:パン作るには設備もいるしな
「粉に挽いて、発酵させて、焼くには設備や時間も必要です。私一人では、そこまで手を回すのは難しいですね」
パンが食べられないわけではない。
客が保存パンを持ち込むことはあるし、物々交換で手に入ることもある。
ただ、日常的に食べるには向いていない。
地球側ではありふれた食べ物でも、ここではかなり貴重だった。
「ですので、パンや穀物は、外から持ち込まれたものを買い取る以外では、ほとんど口にしません」
:パンが贅沢品
:逆転してる
:じゃあ仕入れ機能で買えばいいのでは?
そのコメントに、レイは台帳を軽く叩いた。
「この仕入れ機能は、基本的に魔法素材が中心です。食材はほとんど扱っていません」
:あっ
:魔法道具店だからか
:食料品店じゃないもんな
:素材は買えるけど食材は買えないの不便
「例外として、ポーションやエリクサーの素材になる植物などは取り寄せられることがありますが、純粋な食料は対象外ですね」
:薬草は買えるけど野菜は無理
:生活感ある
:でも不便だな
:じゃあ食事は島で自給?
「はい。畑や島で手に入るもの、あとはお客様からの持ち込みに頼ることになります」
レイは台帳を閉じた。
素材の発注は後でもいい。
今すぐ必要な分はまだ少し残っている。
それより、コメント欄の流れが完全に食事へ向いてしまった。
こういう時、無理に話を戻してもあまり意味はない。
配信というものは、客のいない店番中の暇つぶしであり、同時に、遠い世界との会話でもある。
相手が見たいと言うなら、見せても困らない範囲で見せればいい。
「では、今日は少し外をお見せしましょうか」
:外!?
:店の外あるの!?
:見せてくれるの?
:ロケ配信だ
:異世界スローライフ回助かる
:神回の予感
レイは店の入口に小さな札を掛けた。
『店主は裏手にいます。御用の方は鈴を鳴らしてください』
それから、カウンター横の扉を開く。
店の裏手へ続く小さな扉である。
その先には、店内とは違う光が満ちていた。
柔らかな陽光。
潮の香り。
遠くで波が砕ける音。
魔法道具店ラウンレイフィの裏手には、小さな畑と果樹、そして海へ続く細い道があった。
畑と呼ぶには、広くはない。
整えられた畝がいくつか並び、その間に石を敷いた細い通路がある。
葉野菜。
香草。
食用にも薬用にもなる薬草。
種類は多くないが、どれもよく手入れされていた。
「ここが畑です」
:思ったより家庭菜園
:かわいい
:もっと広大な農園かと思った
:スローライフだ
:野菜の種類少なめ?
「はい。あまり多くはありません」
レイは畑の端に膝をつき、葉の状態を確かめた。
「この畑の野菜は、昔、物々交換で持ち込まれたものが元になっています。いただいた野菜の種や根を、少しずつ増やしました」
:客から野菜もらったんだ
:物々交換から畑ができたのいいな
:店の歴史を感じる
:野菜持ってくる客もいるんだ
「お金を持っていない方もいますから。薬草、鉱石、食材、壊れた魔道具。価値があるものなら、対価として受け取ることがあります」
レイは土を軽く掘り、小さな芋をひとつ取り出した。
丸く、薄い茶色の皮をしている。
地球の芋に似ているが、少しだけ形が違う。
「今日はこれを使いましょう。一応、穀物の代わりになるものです」
:芋だ
:異世界芋
:主食枠
:うまそう
「甘みは少ないですが、煮崩れしにくいです。スープに向いています」
次に、香草を数本摘む。
葉に触れると、爽やかな香りが立った。
「これは香草です。肉や鳥にも合いますし、低級ポーションの香り付けにも使えます」
:食材兼素材
:料理なのか錬金なのか
:魔法道具店の畑って感じ
:便利
「どちらにも使えるものは便利です」
レイは摘んだ野菜と香草を小さな籠に入れた。
それから畑の奥へ向かう。
そこには一本の果樹が立っていた。
背は高くない。
枝は緩やかに広がり、葉は薄い銀色を帯びている。
その枝に、赤とも橙とも桃色ともつかない不思議な色の果実が、いくつか実っていた。
「これはミエルフィアです」
:名前かわいい
:果物?
:色きれい
:桃っぽい?
:ファンタジー果樹きた
「味は、りんごとみかんと桃を足したような感じです」
:絶対うまいやつ
:万能果物だ
:食べたい
:味の説明が強い
「毎日、決まった数だけ実ります。理由は分かりません」
:毎日!?
:万能果樹
:食料問題解決してる
:異世界ハウス強すぎる
:栄養価は?
「気にしなくて大丈夫です。少なくとも、この世界でもここにしか生えない果物なのですが、体に必要な要素がかなり多く含まれている、らしいです」
:らしいって誰情報?
:神様情報?
:完全栄養フルーツ?
:一人暮らし救済アイテムだ
「完全、というほどではありませんが、これだけでも最低限は困りません」
レイはミエルフィアを三つ収穫し、籠へ入れた。
果実の表面は薄く光を含み、手に取るとほんのり温かい。
「便利ですが、毎日同じ味だと少し飽きます」
:贅沢な悩み
:万能フルーツにも飽きるのか
:分かる
:だから料理するんだな
「はい。食事は、生きるためだけではありませんから」
レイは籠を持って畑の横を抜けた。
石畳の道の先には、海へ張り出した小さな桟橋がある。
その途中に、木製の箱が置かれていた。
見た目はただの箱だ。
だが、蓋の内側には小さな魔法陣が刻まれている。
「これは食材用のアイテムボックスです」
:自作冷蔵庫
:異世界冷蔵庫
:食材腐らないやつ?
:一家に一台ほしい
「中の時間をほとんど止めています。保存用ですね」
:最強
:売ってください
:高そう
:というか売ってる?
「アイテムボックスは、販売用もありますよ。高いですが」
:あるんだ
:でしょうね
:高いのは納得
レイは箱の中へ手を入れた。
そして取り出したのは、一羽分の処理済みの鳥肉だった。
淡い灰色の羽毛が少し残る、海鳥系の魔物の肉である。
「これは潮風鳥です」
:魚じゃない!?
:鳥きた
:海の鳥?
:魔物肉?
「はい。この島の周囲に稀に飛来する鳥型の魔物です。食べられる種類は限られているので、確認できているものしか使いません」
:海鳥って臭くない?
:食べられるの?
「種類によりますね。脂の質や餌で風味が変わります。臭い個体もいます。その場合は食用にはしません」
:どうやって見分けるんですか?
「一度は、食べてみてですね。それからは、羽の艶や脂の色、匂いで判断できます」
:プロだ
:経験値が違う
:試食から始まるの勇気いるな
:解毒ポーションあるからいけるのか
「解毒ポーションに漬け込むことで、毒性や臭みはかなり抜けます。ただし、旨味も消えやすいので、最初から食用に向いた種類を選ぶ方がいいですね」
:安全第一
:魚は食べないの?
「魚は、見た目だけでは食用か判断できないものが多いので避けています。いくら解毒ポーションがあっても、知らない魚を食べるのは怖いですから」
:賢い
:慎重派だ
:解毒ポーションあっても怖いよな
:異世界の魚こわそう
海の生き物は、現実でもよく分からないものが多い。
まして、この世界の海である。
見た目が綺麗だから食べられるとは限らないし、小さな魚だから安全とも限らない。
毒があるかもしれない。
呪いがあるかもしれない。
単純に、味が悪いかもしれない。
そういうものを、解毒ポーションがあるからといって気軽に口にする気にはなれなかった。
「この島から陸地へ向かう場合、船でも半年以上はかかると聞いています。途中で補給できる場所もほとんどありませんから、あまり現実的ではありませんね」
:絶海の孤島サバイバル
:魚少ないのって魔力の影響とか?
:島が神具だから生態系も普通じゃなさそう
:外の海とは繋がってるけど流れが違うとかありそう
:深海にやばいのがいそう
「深海については、私も詳しくありません」
知ろうと思えば、調べる方法はある。
魔法で海中を探ることもできるし、専用の魔道具を作れば深く潜ることも可能だろう。
だが、そこまでして魚を食べたいかと問われると、微妙だった。
やはり、食事に命を賭けるべきではない。
「この潮風鳥は、肉質がしっかりしていて、香草焼きに向いています」
:うまそう
:鳥料理だ
:香草焼きいいな
「羽や骨も素材になります。羽は軽量化の魔道具に、骨は粉末にして補助材に使えます」
:食材兼素材その二
:無駄がない
:魔法道具店らしい
レイは肉を籠とは別の皿に置き、店へ戻った。
裏口から入ると、小さな台所へ続いている。
店の表側とは違い、台所には生活感があった。
吊るされた鍋。
乾燥させた香草。
壁際の棚に並ぶ保存瓶。
作業台の隅に置かれた果物用の小さなナイフ。
磨かれた鉄板。
魔石を使う調理台。
魔法道具店というより、長く一人暮らしをしている人間の台所だった。
レイは手を洗い、籠の野菜を作業台へ並べた。
「今日は簡単にしましょう」
:料理配信だ
:手元カメラある?
:音がいい
:作業用配信
:飯テロ回
宙に浮かぶクリスタルが、自然に位置を変える。
店内の配信用魔道具は、レイが手元を見せたいと思えば、それに合わせて画角を調整する。
最近、視聴者に指摘されてから気づいた機能だった。
神具は便利だが、説明書を読ませてくれないところが少し困る。
レイは芋の皮を薄く剥き、小さく切った。
葉野菜を洗い、豆を水にくぐらせ、香草を刻む。
鳥肉は余分な脂を落とし、軽く切れ目を入れる。
その手つきは慣れていた。
だが、料理人のような華やかさはない。
日々の生活の中で、必要な分だけ覚えた手つきだった。
「料理は専門ではありませんが、自分で食べる分には困りません」
:十分うまそう
:手際いい
:家庭的
:設定だと、数百年くらい一人だっけ?
:ずっと自炊してるならプロでは?
「一人で過ごす時間が長いと、自然と覚えるものですね」
その言葉に、コメント欄が少しだけ静かになった。
:さらっと重い
:一人……
:配信始まってよかったな
:今はコメントあるから
レイはそれに気づいたのか、気づかなかったのか。
鍋に水を張り、芋と豆を入れた。
小さな魔石を調理台の台座に置くと、鍋の下に淡い火が灯る。
薪も煙もない。
魔力で作られた調理用の火だった。
「こちらは調理用の火です。紙は燃えます」
:この前の魔法の火と違うんだ
:物理寄りの火?
:普通に熱い火なのか
「そうですね。これは熱を出すための魔道具なので、普通の火に近いです」
以前、レイは配信中に魔法の炎を見せたことがある。
手のひらに灯した炎は紙を燃やさず、燭台には火を移した。
地球側の視聴者たちが、魔法と物理法則の違いについて長々と議論した回である。
結論は出なかった。
そもそも、魔法を科学で理解しようとするのは難しい。
呼吸を理屈で説明できても、説明を聞いただけで呼吸ができるようになる訳ではない。
魔法もそれに近い。
そういう話をした記憶がある。
閑話休題。
レイは鳥肉に香草と塩をまぶし、薄く油を塗った鉄板へ乗せた。
じゅう、と控えめな音がする。
皮が少しずつ焼け、香草の香りが広がっていく。
:飯テロ
:音がずるい
:これ昼に見るやつじゃない
:鳥食べたい
:香草焼きいいな
「皆さんの世界にも、鳥料理はありますか?」
:あるある
:焼き鳥あるよ
:唐揚げもある
:チキンステーキ
:親子丼
:照り焼きチキン
「焼き鳥……カラアゲ?」
レイは少し考えた。
「串に刺して焼く料理でしょうか」
:そうそう
:唐揚げは、鶏肉に下味をつけて粉をまぶして揚げるやつ
:油で揚げる
:絶対店主さん好きだと思う
「揚げ物は少し大変ですね。油の管理がありますので」
:現実的
:一人暮らしだと揚げ物めんどいよね
:異世界でも油処理問題あるのか
「ありますよ」
レイの返事は少しだけ実感がこもっていた。
鍋の中でスープが煮立ち、芋が柔らかくなっていく。
レイは葉野菜を加え、塩と乾燥香草で味を整えた。
鳥肉は皮目が香ばしく焼け、肉汁がにじむ。
最後に、ミエルフィアを薄く切る。
果肉は白に近い淡い桃色で、切った瞬間に甘い香りが広がった。
「ミエルフィアは、そのままでも食べられますが、肉の横に添えると口直しになります。凍らせても美味しいですよ。飽きましたが」
:おしゃれ
:レストランみたい
:万能フルーツ強い
:食べたい
:飽きた(笑)
皿に焼いた鳥肉を乗せる。
横に葉野菜とミエルフィア。
小さな器には、芋と豆と野菜くずのスープ。
魔法道具店の朝食は、質素に見えるが十分に温かく、島の光によく似合っていた。
「できました」
:拍手
:うまそう
:飯テロ回だった
:孤島ランチ
:魔法素材ランチ
:朝食だけど昼食感ある
「時間の感覚が少し違うので、どちらでも構いません」
レイは台所横の小さな食卓へ皿を運んだ。
窓の外には、沈まない昼の光がある。
波音が遠くに聞こえ、畑の葉が風に揺れている。
レイは椅子に座り、手を合わせるような仕草をした。
「たしか、皆さんの世界での食事の挨拶でしたよね。いただきます」
:いただきます
:いただきます
:店主が食べるだけの配信なのに見ていられる
:いただきます
:癒やし
:こういう回好き
レイは鳥肉を一口食べた。
少しだけ目を細める。
「うまく焼けました」
:かわいい
:良かった
:感想シンプル
:美味しい?
「私の味覚が正常なのか分かりませんが、一般的には美味しいのだと思います。誰かに食べてもらったことがないので、分かりません」
コメント欄が止まった。
止まったというより、少しだけ躊躇した。
:ボッチだった
:急に寂しい
:誰か一緒に食べて
:常連客に出さないの?
:店主さんのご飯食べたい
「お客様に出すことは、あまりありませんね。店は飲食店ではありませんから」
:そうだけど
:そうだけどさ
:でも出されたら嬉しいと思う
:常連さんとか喜びそう
「そうでしょうか」
レイは少しだけ考えた。
店に来る客は様々だ。
冒険者、商人、迷い込んだ旅人。
皆、目的があってこの店を訪れる。
魔法道具を求める者もいれば、ただ休息を取りに来る者もいる。
思えば、食事を振る舞ったことはなかった。
店は飲食店ではないし、そういう発想自体があまりなかったのだ。
「機会があれば、簡単なものくらいは出してみてもいいかもしれませんね」
:いいね
:絶対喜ばれる
:店主の手料理イベント
:常連増えそう
「ダンジョンで食事の室を気にする人も少ないですし、必ず扉が現れる訳でもないので」
レイはスープを口に運んだ。
芋は柔らかく、豆は少し硬めで、香草の香りが淡く残る。
美味しいかどうかは分からない。
だが、温かい。
それだけで十分な時もある。
食事は生きるためだけではない。
先ほど、自分でそう言った。
言ってから、少しだけ考える。
食事を楽しむ相手がいない時間は長かった。
店に来る客はいる。
神と話すこともある。
だが、共に暮らす相手はいない。
この島には、レイしかいない。
ミエルフィアは毎日実る。食べるだけなら、これだけで生活が成り立つ。
畑の野菜は育つ。
潮風鳥はたまに飛んでくる。
神具は店を維持し、生活に必要な環境を整える。
困らない。
困らないように作られている。
けれど、困らないことと、寂しくないことは別である。
もっとも、寂しいという感情も、何百年も同じ場所に置いておくと輪郭が曖昧になる。
今さら寂しいと言われても、何と比べて寂しいのか分からない。
それが当たり前になってしまうからだ。
最近は、その当たり前が少しだけ崩れた。
コメント欄。
遠い世界から届く文字。
姿も声も知らない、けれど確かにこちらを見ている人々。
最初は不思議だった。
今も不思議ではある。
だが、食事をしながら誰かの言葉を眺める時間は、思ったより悪くない。
「ミエルフィアも食べます」
:デザートきた
:万能フルーツ
:味の感想もっとほしい
:りんごとみかんと桃を足したやつ
レイは薄く切ったミエルフィアを口に入れた。
しゃくり、と軽い歯触り。
果汁は多く、酸味は柔らかく、甘さは強すぎない。
「いつもの味ですね」
:感想!
:雑!
:でも毎日食べてたらそうなる
:高級フルーツも毎日だと日常になるんだな
「そういうものです」
食べ終える頃には、コメント欄も少し落ち着いていた。
料理配信というものは、作っている時が一番盛り上がり、食べ始めると少しずつ穏やかになる。
最近、それを覚えた。
レイは皿を片付け、食器を洗った。
魔法で一瞬で綺麗にすることもできるが、食器を洗う程度なら手でやった方が早い時もある。
少なくとも、魔法を使うほどではない。
:普通に洗うんだ
:魔法で自動洗浄しないの?
「一人分ですから。魔法を使うほどではありません」
:分かる
:食洗機あるけど手で洗うやつ
:生活感
洗い終えた食器を棚へ戻し、レイは再び店の方へ戻った。
カウンターには、先ほど開いた仕入れ台帳と、材料の少なくなった木箱が置かれている。
食事は終わった。
では、仕事に戻る時間である。
「では、素材を補充します」
:通販タイム
:魔法素材の仕入れ見たい
:金貨使うの?
:支払いどうするの?
「今回は、先日いただいた魔石をいくつか使います」
レイは棚から小さな魔石を取り出した。
冒険者や商人から対価として受け取ったものの一部である。
魔石は店の中で保管され、必要に応じて素材の仕入れや店舗機能の維持に使われる。
店は商売をしている。
だが、儲けをどこかに貯め続けているわけではない。
得た対価は、素材になり、道具になり、店の機能になり、また別の客へ渡っていく。
そういう循環だった。
「魔法紙、定着剤、小瓶、低級魔石を補充します。カードスペルの消耗が多いので」
:ちゃんと在庫管理してる
:店っぽい
:ミナちゃんに渡した分とか?
:拘束用も増やす?
「拘束用も、いくつか補充しておきます。使う機会はない方がいいのですが」
:フラグ
:言い方が完全にフラグ
:使う機会ありますねこれは
「ない方がいいです」
レイは淡々と答え、台帳に魔力を流した。
光の文字が浮かび上がり、項目が選択される。
魔石がひとつ、ふたつと淡く崩れ、光の粒になって台帳へ吸い込まれた。
代わりに、カウンター横の小さな転送箱が光る。
箱を開けると、中には新しい素材が入っていた。
魔法紙の束。
保存用の小瓶。
淡い灰色の定着剤。
低級魔石。
視聴者たちが一斉に反応する。
:本当に通販だ
:一瞬で届いた
:送料無料?
:どこから来てるの?
:物流どうなってるの?
「詳しくは知りません」
:店主さんでも知らない
:神具ブラックボックス多いな
:便利だけど怖い
「神具ですので」
:万能の説明
:また出た
レイは素材をひとつずつ確認し、棚へ仕分けた。
小瓶は小瓶用の棚へ。
魔法紙は乾燥剤の入った箱へ。
定着剤は密封瓶へ。
低級魔石は種類ごとに分ける。
その手つきは、料理の時よりさらに慣れていた。
こちらが本業なのだと、見ているだけでも分かる。
「これで、しばらくは大丈夫でしょう」
:おつかれさま
:生活回よかった
:飯と素材補充だけなのに満足感ある
:こういうのでいいんだよ
:また畑見たい
:次は果物凍らせる回ください
「凍らせたミエルフィアですか。暑い日に良いですね」
:そっち暑い日あるの?
「ありませんね」
:ないんかい
:気候固定だった
:じゃあいつ食べても同じ
「はい。いつ食べても同じです」
レイは窓の外を見た。
空は変わらない。
昼と夕方の間のような光が、白い砂浜を照らしている。
波は穏やかで、風は柔らかい。
畑の葉が少し揺れ、ミエルフィアの実が枝の間で淡く光っていた。
事件は起きない。
客も来ない。
ダンジョンボスも挑みに来ない。
行方不明者らしき勇者も来ない。
商人も、王族も、迷子の冒険者も、今日はまだ扉を開けていない。
ただ、夜の来ない島で、店主は食事を取り、素材を整え、遠い世界の声を聞いていた。
それもまた、魔法道具店ラウンレイフィの日常である。
「では、午後はカードスペルの続きを作ります」
:午後あるんだ
:作業音助かる
:寝落ち用にします
:お腹空いた
:潮風鳥食べたい
:ミエルフィア食べたい
:次回、客に料理出してみてほしい
「機会があれば」
レイは羽ペンを手に取った。
先端に小さな光が灯る。
ひっかくような細い音が、また店内に戻ってきた。
窓の外では、同じ角度の光が、変わらず海を照らしている。
影は伸びきることも、消えることもなく、ただそこに留まり続けていた。
誰もいないはずの空の向こうから、見守るような気配だけが、静かに降りてくる。
それは神かもしれない。
配信の向こう側の視聴者かもしれない。
あるいは、長く一人で過ごしてきた店主が、ようやく感じられるようになった賑わいなのかもしれない。
レイには、そこまで深く考えるつもりはなかった。
ただ、退屈ではない。
それだけで、今は十分だった。




