【エピローグ】冥界神 お茶会
ソード・リッチ、グラディウスが来店した翌日。
魔法道具店ラウンレイフィには、久しぶりに穏やかな午後が訪れていた。
客は来ない。
扉も鳴らない。
棚の商品は壊れていない。
カウンターも割れていない。
床にも、戦闘空間の余波は残っていない。
つまり、平和である。
平和というものは、ありがたい。
ありがたいが、少し退屈でもある。
レイはカウンターの上で、昨日から作りかけている小さなドラゴン型の置物を削っていた。
眠る猫。
そして、翼を畳んで眠る小さな竜。
攻撃機能はない。
火も吐かない。
爆発もしない。
侵入者を見つけると目を開く程度の、見張り用魔道具である。
視聴者たちは、前回のソード・リッチ戦とドラゴン肉の話を、まだ少し引きずっていた。
:ダンジョンボスが来る店って冷静に考えておかしい
:戦闘希望は事前申告してください、が必要な店
:普通の店なら万引き禁止くらいなのに
:こっちはボス戦予約制
:昨日のソード・リッチ、今日も修行してそう
:ドラゴンステーキは駄目だったか
:食べるなって言われると余計に気になる
:そういえば冥界神ってまだ見てるの?
:コメント制限した神様だよね
:冥界神がモデレーターしてるんだ
レイは彫刻刀を動かしながら、コメント欄を横目で見た。
「冥界神様は、基本的に穏やかで落ち着いた方です」
:基本的に
:基本的にって言った
:例外はあるんだ
:神様こわい
冥界神:見ています
コメント欄に、突然そんな一文が流れた。
その文字だけ、少し違って見えた。
色が違うわけではない。
大きさが違うわけでもない。
ただ、そこにあるだけで、他のコメントとは重みが違う。
神の言葉。
そう表現するしかないものだった。
:え
:本人?
:神きた?
:冥界神!?
:見ています、じゃないんよ
:コメント欄に神様混ざってるの怖い
レイの手が止まった。
「冥界神様」
冥界神:はい
コメント欄に、また文字が流れる。
:返事した
:本物だ
:神がコメントしてる
:モデレーター権限?
:神様もチャット欄にいるのか
次の瞬間。
からん、と扉の鈴が鳴った。
コメント欄が、一瞬だけ止まる。
いつもなら、来客と同時にレイの視界から消えるはずだった。
だが、今日は消えなかった。
薄く、少しだけ暗くなった状態で、コメント欄が残っている。
いつものように読み取れるほど明瞭ではないが、流れていることは分かる。
特例。
そんな言葉が、自然に浮かぶ。
「いらっしゃいませ。魔法道具店ラウンレイフィへようこそ」
レイはいつものように挨拶をした。
扉の向こうから入ってきたのは、紫色の髪を持つ美女だった。
長い髪は、夜の底に咲く花のような濃い紫。
瞳もまた、同じ色をしている。
肌は白く、表情は静かで、年齢という概念がうまく当てはまらない。
衣装は、黒と紫を基調にしたゴシック調のものだった。
長い袖。
細かなレース。
胸元を飾る黒いリボン。
白いエプロンにも見える布地が重なっており、見方によってはメイド服にも似ている。
ただし、普通のメイド服ではない。
喪服のようで。
礼装のようで。
神殿の祭服のようでもある。
その女は、店内に一歩入り、静かに言った。
「来ました」
「……冥界神様」
レイは、いつもより少しだけ丁寧に頭を下げた。
その瞬間、配信画面に来店者を示すテロップが浮かび上がる。
---
冥界神
種族:神
年齢:不明
職業:冥界管理者/配信管理者
現在抱えている問題:
ラウンレイフィを溺愛しているが、距離感が近すぎて少し敬遠されている。
来店理由:
配信管理状況の報告、お茶の差し入れ、私的な訪問。
---
:神きた
:美女神
:紫髪だ
:ゴシックメイド神?
:現在抱えている問題で笑った
:溺愛って出てる
:距離感が近すぎて敬遠されているw
:テロップが容赦ない
:神様の個人情報も出るんだ
冥界神は、テロップを一瞥した。
「問題ありません」
「そうですか……」
レイは静かに言った。
「自分で書いてますよね。神の情報を読み取れるはずがないので」
「事実です」
「事実であればよい、というものではありません」
冥界神は、少しだけ首を傾げた。
表情はほとんど変わらない。
だが、どこか納得していない雰囲気だけは伝わってくる。
「ラウンレイフィ」
「はい」
「今日は様子を見に来ました」
「ありがとうございます」
「それと、お茶を淹れに来ました」
「……お茶を、ですか」
「はい」
冥界神は当然のように頷いた。
それは配信管理者の報告でも、神具の点検でもない。
完全に私的な目的だった。
「お気遣いはありがたいのですが、長居すると他の神様に怒られませんか?」
「知っています。ですが、私が貴女の為にできる事は少ないので」
「……嬉しいですが」
レイは一度、言葉を飲み込んだ。
冥界神はレイにとって、恩ある神である。
神具『魔法道具店ラウンレイフィ』に関わり、配信機能にも深く関わっている存在だ。
敬っている。
恩も感じている。
その存在を軽んじるつもりはない。
ただ、距離が近い。
神として敬うには近く、家族や友人と言い切るには重い。
嫌っているわけではない。
むしろ、敬愛はしている。
しかし、冥界神の愛情表現は、時々、店の棚よりも重い。
:神様、距離が近い
:レイさん困ってる
:でも嫌ってはいないんだよな
:敬ってはいるけど圧が強い感じ
:重い愛だ
:テロップが正しかった
レイは、まだ薄く見えているコメント欄に気づいた。
「冥界神様。今日はコメント欄が見えています」
「はい。私が管理者ですので、特例です」
「来客中は非表示のはずですが」
「私なら問題ありません」
「そういう問題でしょうか」
たぶん、違う。
だが、神がそう言うなら、今この瞬間はそういう仕様なのだろう。
冥界神はカウンターの横へ進み、持っていた小さな黒い箱を置いた。
箱の表面には、紫の花を模した紋章が刻まれている。
「お茶の準備をします」
「ご自分でなさるのですか」
「はい。ラウンレイフィに淹れます」
「ありがとうございます」
「お菓子もあります」
「……ご用意されたのですか」
「ラウンレイフィは甘いものを食べると、少し表情が柔らかくなるためです」
「観察しないでください」
「配信の録画情報も、全て保存済みです」
冥界神は黒い箱を開いた。
中には、茶葉の入った小瓶と、花の形をした小菓子が並んでいた。
見た目は美しい。
黒紫の茶葉は夜の花弁のようで、菓子には薄い銀粉のようなものがかかっている。
ただし、冥界由来の品である。
見た目が美しいからといって、生者が口にしてよいとは限らない。
レイは確認するように言った。
「毒性や呪いは?」
「ありません」
「死者を呼ぶ効果は」
「ごく弱く」
「戻してください」
「ありません」
「今、言い直しましたね」
冥界神は、表情を変えずに小瓶をひとつ箱の奥へ戻した。
:今あったよね
:ごく弱くって言った
:死者を呼ぶお茶とは
:冥界産こわい
:レイさんの確認が手慣れてる
:安全確認が命綱
「こちらは、生者向けに調整済みです」
冥界神は別の小瓶を取り出した。
「冥界菫の茶です。魂を落ち着かせ、精神を安定させます」
「本当ですか」
「本当です。よく眠れる程度の効能はありますが」
「なら、大丈夫……ですね」
レイはようやく頷いた。
冥界神はどこからともなく、黒いティーポットを取り出した。
陶器のようにも、磨かれた石のようにも見える。
注ぎ口には小さな銀の髑髏がついている。
「その髑髏は必要ですか」
「かわいいので」
「そうですか……」
レイはそれ以上、突っ込まなかった。
冥界神は静かに茶を淹れた。
動作は丁寧だった。
湯の温度を整え、茶葉を入れ、蒸らし、香りを確認する。
まるで長年それだけを練習してきたような手際である。
実際、練習してきたのかもしれない。
レイにお茶を淹れるために。
その可能性に気づき、レイは少しだけ目を逸らした。
:神様、手つきがガチ
:絶対練習してる
:レイさんに褒められたいんだ
:かわいい
:でも重い
:重かわいい
茶が注がれる。
カップの中で、淡い紫色の液体が揺れた。
香りは意外にも穏やかだった。
花の香りに近い。
ただ、その奥に、冷たい石室のような静けさがある。
レイはカップを手に取り、一度だけ魔力を通して、鑑定魔法により効能を確認した。
毒性なし。
呪詛なし。
死霊召喚効果なし。
精神干渉なし。
睡眠効果は、ごく軽度。
問題ない。
「いただきます」
レイは茶を一口飲んだ。
冥界神が、じっと見ている。
見すぎている。
レイは少しだけ間を置いてから言った。
「……美味しいです」
冥界神の表情は変わらない。
変わらないが、周囲に黒い花の幻が一斉に咲いた。
店内の床から、棚の影から、カウンターの端から、黒紫の小さな花がふわりと開く。
香りはない。
実体もない。
だが、空間が少しだけ華やかになった。
:喜んでる
:めちゃくちゃ喜んでる
:花咲いたぞ
:神様かわいい
:表情は変わらないのに分かりやすい
:重いけどかわいい
:レイさん褒めたら花咲く神
「冥界神様」
「はい」
「店内で幻花を咲かせないでください」
「失礼しました。嬉しかったので」
黒い花が、すっと消えた。
冥界神は、今度は小菓子の皿を差し出した。
黒い花弁のような形をした小さな菓子である。
「こちらも、生者向けです」
「確認します」
「信用されていませんか」
「信用していますが、確認もします」
冥界神は少しだけ満足そうに頷いた。
レイは小菓子を確認し、問題ないと判断して口に運んだ。
甘さは控えめだった。
花の蜜のような香りと、少しだけ冷たい後味。
食べた後、胸の奥が静かになる。
「こちらも美味しいです」
今度は、黒い花が一輪だけ咲いた。
「我慢しました」
「ありがとうございます」
:我慢して一輪
:かわいい
:神様、褒められるの弱すぎる
:レイさん大変そう
:でも嫌そうではない
しばらく、お茶の時間が続いた。
レイが飲む。
冥界神が見る。
レイが少し困る。
コメント欄が騒ぐ。
それだけの時間だった。
神が来店しているというのに、世界は揺れない。
空が割れることもない。
冥界の門が開くこともない。
ただ、魔法道具店のカウンターで、神が茶を淹れている。
おかしな光景ではある。
しかし、この店では、それも日常に含まれるのかもしれない。
「そういえば、配信状況の報告があります」
唐突に、冥界神はレイに話しかけた。
「現在、来店者の個人情報に関する過度な詮索、暴言、脅迫、伝言要求、無関係者への接触誘導を制限しています」
「ありがとうございます」
「悪質な視聴者には、軽微な不幸を与えました」
「解除してください」
「軽微なものですよ。椅子に座る時、少しだけ膝をぶつける程度です」
「……」
「飲み物を飲もうとした時、氷が鼻に当たる程度です」
「……」
「悪意ある転載でお金を稼ぐ方には、足の小指を年齢の数だけぶつける不幸を与えたました」
「……許してあげてください」
:やってた
:神罰が地味
:地味に嫌
:軽微だけど嫌
:氷が鼻に当たる呪いw
:冥界神、過保護すぎる
冥界神は表情を変えずに、指先を少し動かした。
「軽減しました」
「……」
「ですが、ラウンレイフィを困らせる者がいれば、また行います」
「必要な範囲でお願いします。神の基準ではなく、人間の基準で」
「難しいです」
「努力してください」
レイは小さく息を吐いた。
この神は、悪意で動いているわけではない。
むしろ逆である。
ラウンレイフィを守りたい。
ラウンレイフィを困らせたくない。
ラウンレイフィが退屈したり、傷ついたり、疲れたりするのが嫌なのだ。
だからこそ、少し困る。
好意が大きすぎる。
手段も大きすぎる。
そして、神にとっての「軽微」は、人間や視聴者にとって軽微とは限らない。
「冥界神様には、いつもお世話になっています」
「なら、もっと頼ってください」
「冥界神様は、手段が大きいので、あまり頻繁に頼ると神界も人間界も、大騒ぎです」
「小さくします」
「小さくしても、神の小ささですので、どこまで信じてよいか悩みますね」
冥界神は少し沈黙した。
「……小ささの調整を学びます」
「お願いします」
:神の小ささw
:スケール感が違う
:愛が重い
:でもちゃんと聞くんだ
:冥界神様、レイさんの言うことは聞く
冥界神は、空になりかけたレイのカップにお茶を注ぎ足した。
レイは一瞬、断ろうとした。
だが、カップの中身はちょうどよい量だった。
注ぎ方も丁寧で、香りも悪くない。
断る理由がない。
それが少し困る。
「ラウンレイフィ」
「はい」
「最近、来客が増えています」
「そうですね」
「勇者、ゴブリン商人、ソード・リッチ。人間の悪意も、地球側の騒ぎもありました」
「はい」
「疲れていませんか」
「大丈夫です」
むしろ、まだ知名度が低く、来客が無い日の方が多いくらいで、刺激が足りないくらいである。
「本当に?」
「はい」
「無理をしていませんか」
「していません」
「では、膝枕を」
「不要です」
即答だった。
:膝枕!?
:急に距離詰めた
:神様、重い
:レイさん即答
:不要ですw
:流れるような拒否
:たぶん慣れてる
冥界神は少しだけ首を傾げた。
「休息には有効です」
「不要です」
「冥界神の安眠加護も付けます」
「永眠しそうで嫌です」
「髪も梳きます」
「不要です」
「……お茶のおかわりは」
「いただきます」
:お茶は受ける
:距離感が分かりやすい
:膝枕は駄目
:お茶は可
:神様、ラインを学んで
冥界神は静かにお茶を注いだ。
その姿だけを見れば、落ち着いた美女である。
冥界の管理者であり、配信管理者であり、神の一柱。
だが今は、レイにお茶を淹れて、褒められると幻の花を咲かせる存在でもあった。
神というものは、思ったより複雑らしい。
「ラウンレイフィ」
「何ですか?」
「私は、あなたが退屈しているのが嫌でした」
急に、声の温度が変わった。
それまでの少しずれた会話ではなく、静かな本音だった。
レイはカップを置いた。
冥界神は、紫の瞳でまっすぐレイを見る。
「だから店を作りました。配信を繋ぎました。客が来るようにしました」
「はい」
「あなたは長く生きます。私たち神ほどではなくても、人よりずっと長く」
「そうですね」
「長い時間は、時に魂を薄くします」
冥界神の言葉は静かだった。
「死者を見ていると、よく分かります。退屈、諦め、孤独、慣れ。それらは痛みほど鋭くありません。ですが、長く続くと、魂の輪郭を削ります。本人が知らぬ間に活力や向上心を失わせ、負の感情を強くします」
レイは黙って聞いていた。
「私は、それが嫌でした」
「……」
「あなたが静かに削れていくのを、見たくありませんでした」
コメント欄が、少しだけ静かになる。
冥界神は続けた。
「だから、店を少し賑やかにしました。扉を増やし、客との縁を作り、地球側へ配信を繋ぎました」
「とても感謝しています」
「でも、騒がしくなりすぎたなら、止めます」
その声は、本気だった。
「勇者の件で、地球側が騒ぎました。人間の悪意もありました。盗人も来ました。ソード・リッチも来ました」
「はい」
「ラウンレイフィが望まないなら、止めます。配信も、来店頻度も、コメントも」
神具の機能を止める。
それは、おそらく冥界神には可能なのだろう。
店は静かになる。
客は減る。
地球側の声も消える。
また、夜の来ない孤島に、レイひとりの時間が戻ってくる。
それは平穏かもしれない。
だが、今のレイは、その平穏だけを望んでいるわけではなかった。
「……今のところは、大丈夫です」
レイは静かに答えた。
「本当に?」
「はい」
「無理をしていませんか」
「していません」
「騒がしくありませんか」
冥界神の目がわずかに揺れた。
レイは続ける。
「騒がしさも、退屈ではありません」
冥界神は、ほんの少しだけ目を伏せた。
「それなら、よかったです」
黒い花は咲かなかった。
その代わり、店内の空気が少しだけ柔らかくなった気がした。
:よかった
:退屈ではありません、いいな
:神様、安心したんだ
:重いけど愛だ
:レイさんもちゃんと受け取ってる
:距離感は難しいけど、関係は悪くないんだな
冥界神はカップを片付け始めた。
後片付けまで自分でやるつもりらしい。
レイが手伝おうとすると、冥界神は静かに首を振った。
「私がします」
神が、店のカウンターで茶器を片付けている。
やはり、おかしな光景だった。
だが、悪くはない。
片付けが終わると、冥界神は黒い箱を閉じた。
「また来ます」
「はい。またのご来店をお待ちしています」
「次は料理を」
「お茶だけでお願いします」
「……検討します」
:最後まで重い
:軽食に増やそうとしてる
:レイさん即ブロック
:神様、諦めてない
:お茶会シリーズ化しそう
冥界神は扉の前で振り返った。
「ラウンレイフィ」
「はい」
「退屈になったら、呼んでください」
「今はとても楽しく過ごせています」
冥界神は、その返事で満足したらしい。
わずかに目を伏せ、静かに扉を開ける。
からん、と鈴が鳴った。
紫の髪と黒い衣装が、扉の向こうの薄闇へ溶けるように消えていく。
扉が閉まる。
店内には、また穏やかな午後が戻ってきた。
カウンターの上には、飲み終えた茶の香りがほんの少しだけ残っている。
作りかけのドラゴン型置物は、まだ翼の形が整っていない。
棚の商品も、窓の外の光も、何も変わっていない。
ただ、少しだけ。
店の中に、誰かが気にかけていた気配が残っていた。
:神様帰った
:すごい回だった
:世界は揺れなかったけど関係性が重かった
:冥界神様、また来てほしい
:でも膝枕は断られそう
:お茶だけでお願いします
:お茶だけで済むかな
「済むとよいですね」
レイは小さくそう言い、カウンターの上のドラゴン型置物を手に取った。
彫刻刀を入れる。
しゃっ、しゃっ、と木を削る音が戻ってくる。
客の来ない午後。
冥界神が来た午後。
お茶の香りだけが、少しだけ店内に残っている。
魔法道具店ラウンレイフィは、今日も営業中である。
そしてレイは、少なくとも今のところ、退屈ではなかった。




