【9話】グラディウス ソード・リッチ、再び
グラディウスは、一か月も待てなかった。
正確には、二十六日である。
迷宮の奥に座すソード・リッチ。
剣に取り憑かれた死者。
かつて剣士であり、死してなお剣士であり続けようとする、骨の剣王。
その彼が、魔法道具店ラウンレイフィを襲ったのは、ほんの少し前のことだった。
襲った、という言葉は正確ではないかもしれない。
本人に言わせれば、挑戦だった。
その映像は、地球側でかなり拡散されたらしい。
ダンジョンボス襲来。
ソード・リッチ来店。
店主、無表情で制圧。
魔法道具店、治安が強すぎる。
そんな切り抜きがいくつも作られ、コメント欄ではしばらくグラディウスの話題が続いた。
ただし、グラディウス本人は、そんなことを知らない。
彼にとって重要なのは、ただひとつだった。
自分の剣が届かなかった。
ラウンレイフィ・リンドリーズに、一撃を与えられない。
それだけで、頑張るには十分な理由だった。。
迷宮深層の玉座の間で、グラディウスは二十六日間、剣を振り続けた。
眠る必要はない。
食事もいらない。
筋肉痛もない。
精神的な疲労はあるが、魔力を巡らせれば動ける。
骨の身体とは不便なところも多いが、剣の修練に関してだけは、人間より都合がよかった。
ただし、人間だった頃の癖は残る。
それらは、生きていた頃の剣士であったなら、問題でなかったこと。
だが、今のグラディウスには肺がない。筋肉もない。踏み込むための足はあるが、魔力で骨格を動かせるなら、筋肉の動きに縛られる必要はない。
それを、レイは言った。
人間の頃の剣技に寄りすぎています。
言われた時は、腹が立った。
今も、少し腹が立つ。
だが、正しかった。
「剣を持て」
玉座の間で、グラディウスは配下のスケルトンへ命じた。
配下は無言で剣を構える。
剣士ではない。
ただ剣を持たされた骨である。
それでも、相手がいるだけで修練にはなる。
「違う。もっと低く構えろ」
配下の骨が、ぎこちなく姿勢を直す。
「そうだ。今の儂を殺すつもりで来い」
配下は動かなかった。
命令の意味を理解できなかったのではない。
主を殺そうとすることに、魔力が拒否反応を示している。
「ふん。ならば、儂が行く」
グラディウスの骨格がぶれた。
踏み込まない。腰を沈めない。肩を入れない。
全身の骨を、魔力で同時に前へずらす。
剣が走る。
配下の剣が弾かれ、腕ごと石床へ転がった。
「まだ遅い」
グラディウスは呟いた。
相手が弱すぎる。
だが、相手が弱いから意味がないというものでもない。
弱い相手にさえ無駄が見えるなら、強い相手には届かない。
骨の指が、剣の柄を握り直す。
人間の頃の剣を捨てる気はない。
だが、死者の身体を無視する気もない。
人であった剣。
骨の体で振るう剣。
その境目を探す。
何度も振った。
そして、二十六日目。
玉座の間の壁に、扉が現れた。
木製の扉。
金色の取っ手。
小さな看板。
魔法道具店ラウンレイフィ。
グラディウスの眼窩に、青白い炎が灯る。
「今回は早いな」
自分でそう呟いた。
いつもなら、もっと長く待つ。
数年。十数年。
あるいは、迷宮の魔力が大きく巡る時まで。
だが、今回は待てなかった。
届かなかった剣が、まだ手の中で熱を持っている気がした。
「今度こそ、一撃を入れるぞ」
グラディウスは扉の前に立つ。
骨の手が、取っ手に触れた。
からん、と鈴が鳴る。
---
その日、レイは店の木札を書き直していた。
入口の横には、いくつかの規則が並んでいる。
『店内での窃盗、暴力行為は禁止』
『戦闘希望の場合は店主へ事前に申告してください』
コメント欄では、その木札が妙に人気になっている。
:戦闘希望は事前申告
:魔法道具店のルールじゃない
:でも必要なんだよな
:ボスが来る店だから
:あの切り抜きから来ました
:ソード・リッチ再登場まだ?
:もうしばらく来ないでしょ
:数年単位の常連っぽいし
:でも骨だから時間感覚バグってそう
「本来であれば、あの方は数年から数十年に一度くらいの来店ですね」
:本来であれば
:次は?
「分かりません。執念があると、それに導かれる事がありまして」
:フラグ
:やめて
:店主さんが分からないって言うと来そう
レイは木札の文字を見ながら、少し考える。
「もう少し分かりやすくしましょうか」
筆を取り、最後の一文の下に小さく追記する。
『店主の許可なく剣を抜かないでください』
:名指しでは?
:ほぼグラディウス用
:剣士向け注意書き
:普通は書かなくていいやつ
:でも前科あるっぽいから仕方ない
「誰かを名指ししている訳ではありません」
:ほんとかな
:いや絶対そう
:剣を抜く客が他にもいるのか
「いますよ」
:いるんだ
:魔法道具店こわい
レイは木札を掛け直し、作業台へ戻った。
そこには、途中まで削られた猫型の置物が置かれている。
丸まって眠る猫の形。
普段は目を閉じ、危険があった時だけ目を開ける防犯用の魔道具である。
前にポリアへ渡した眠らぬ梟の像を元に、もう少し一般向けの商品へ落とし込むつもりだった。
「今日は、猫型の置物を仕上げます」
:猫回助かる
:平和回だ
:今度こそ平和であってほしい
:猫の目が開くところ見たい
:爆発機能は?
「付けません」
:火を吐く機能は?
「部屋が燃えます」
:レーザーは?
:猫に攻撃させたい勢が多い
「見張りは、異常を知らせることが仕事です。攻撃まで任せると、誤作動した時に困ります」
:現実的
:防犯カメラが殴ってきたら困るもんな
:でも異世界ならありそう
レイが小さな魔石を猫の閉じた目の奥へ嵌め込もうとした、その時だった。
カウンターの端に置かれた鈴が、かすかに震えた。
:え
:来客?
:今?
:猫回は?
:まさか
:まさかじゃないよね
:やめて、木札書いたばっかり
からん、と扉の鈴が鳴った。
コメント欄が、レイの視界から消える。
「いらっしゃいませ。魔法道具店ラウンレイフィへようこそ」
扉の前に立っていたのは、鎧をまとった骸骨だった。
黒く古びた鎧。
欠けた肩当て。
擦り切れた外套。
骨だけの手は、腰に下げた長剣の柄の近くにある。
ただし、剣には触れていない。
「久しいな、ラウンレイフィよ」
低い声が、骨の奥から響いた。
レイは少しだけ沈黙した。
「……お久しぶりです、グラディウス」
「うむ」
「二十六日ぶりですね」
「そうか」
グラディウスは、まるで今気づいたように言った。
「まだ一月も経っていません」
「そうか」
「早いですね」
「剣士にとって、二十六日もあれば剣は変わる」
アンデットの台詞なのかと、口から出る言葉を飲み込む。
骨の眼窩で青白い炎が揺れる。
レイは入口の木札へ視線を向けた。
『戦闘希望の場合は店主へ事前に申告してください』
「再戦を望む」
それから、グラディウスを見る。
「死者でも学ぶ」
どこか誇らしげな声だった。
レイは少しだけ考えた。
目の前にいるのは、危険な存在である。
迷宮深層のボス。
普通の冒険者なら、出会った時点で命が危ない相手。
だが、今は店の規則を守っている。
少なくとも、前回よりはかなり良い。
「本日は、商品をお求めではないのですね」
「商品は、後で見る」
「見るのですか」
「剣帯があると良いな」
「まだ試作段階です」
「ならば、試す価値があるか見極める」
レイは一瞬だけ、作業台の端に置いてある薄板へ視線を向けた。
そこには、前回の後に書いた試作メモが残っている。
『骨格魔力駆動用剣帯』
『関節軌道安定具』
『死者向け魔力循環リング』
まさか、もう本人が来るとは思わなかった。
「……まずは再戦ですか」
「うむ」
「その後、商談ということでよろしいですか」
「勝てばな」
「承知しました」
レイは小さく息を吐いた。
「では、拡張戦闘空間を使用します」
床に薄い光が走った。
店内の空間が広がる。
棚が遠ざかり、カウンターが下がり、天井が高くなる。
木の床は石畳へ変わり、壁際には何もない広い空間が生まれた。
魔法道具店ラウンレイフィの拡張戦闘空間。
店内であり、店内ではない場所。
商品棚を守り、店主と客が必要に応じて力を試すための隔離空間である。
「相変わらず、ふざけた店だ」
グラディウスは剣を抜いた。
古い長剣。
刃にはいくつもの傷があり、鍔も柄も使い込まれている。
死者の手に握られてなお、その剣には生前からの執念が宿っていた。
レイも、作業台の横から一本の剣を取る。
華美ではない。
長さも標準的。
店主が戦闘空間で使うための、ごく簡素な剣だった。
「今回も剣でお相手しましょう」
「よい」
グラディウスの眼窩の炎が、強く揺れる。
レイは剣を下ろしたまま、静かに正面を見る。
「では、見せてください。二十六日分の修行の成果を」
その一言で、グラディウスの魔力が膨れ上がった。
怒りではない。
歓喜でもない。
ただ、剣士として見られていることへの反応だった。
「参る」
骨の剣士が動いた。
前回より速い。
レイは、そう判断した。
ただ速いだけではない。
動きの質が違う。
以前のグラディウスは、人間だった頃の踏み込みを骨の身体で再現しようとしていた。
肩を動かし、腰を回し、足で踏み込む。
そこに、魔力で無理やり骨格を動かす異様さが混ざっていた。
だが今回は違う。
踏み込まない。
沈み込まない。
呼吸を置かない。
骨格そのものが、前へ滑る。
剣が突き出される。
予備動作の少ない突き。
人間の剣士なら、肩や腰の動きで読めるはずの一撃が、ほとんど前触れなく間合いを潰してくる。
レイは半歩横へ動いた。
刃が頬の横を通り過ぎる。
グラディウスは止まらない。
腕の骨が、人間ならありえない角度で回る。
肘の向きが変わり、肩関節を無視するように刃が返る。
横薙ぎ。
斬り上げ。
喉への突き。
膝へ向かう低い刃。
どれも、前回より無駄が少ない。
「二十六日にしては、変わりましたね」
「褒め言葉として受け取る」
「褒めています」
「ならば、もっと受けよ」
グラディウスの剣に、青白い炎が宿った。
死者の魔力。
熱ではなく、触れた生命力や魔力を腐らせる呪いに近い炎。
前回は、剣に乗せた魔力の流れが分かりやすかった。
だから、レイは根元を打って術式ごと崩した。
今回は違う。
炎は刃全体を包んでいない。
薄く、細く、刃の片側だけにまとわりついている。
魔力の流れを読ませないためだ。
「工夫しましたね」
「二十六日あったのでな」
グラディウスが低く笑う。
剣が振られる。
レイは受けず、逸らした。
青白い炎が石畳をかすめる。
床に霜のような跡が残り、すぐに戦闘空間の修復機能で消えた。
グラディウスは鼻で笑うような音を立てた。
「相変わらずだ」
そこからの連撃は、前回よりさらに厄介だった。
人間の剣を芯に残しながら、骨の身体でしかできない軌道を混ぜてくる。
腕だけが先に動く。
肋骨の角度で間合いを錯覚させる。
首が反対側を向いたまま、剣だけが正面から来る。
足を踏み出したように見せて、実際には骨格全体を横へ滑らせる。
剣技であり、剣技ではない。
魔物の攻撃であり、ただの魔物ではない。
そこにあるのは、確かに剣士の執念だった。
レイは避ける。
逸らす。
軽く受ける。
時には剣の腹を打ち、魔力の流れを乱す。
だが、前回のように簡単には終わらない。
グラディウスは明らかに、レイに受けさせることを目的にしていた。
勝つためではない。
まず、受けさせる。
剣を届かせる前に、剣を無視できないところまで持っていく。
段階を刻んでいる。
「考えましたね」
「考えぬ剣士は死ぬ」
「もう死んでいるのでは」
「ならば、考えぬ死者は二度負ける!」
グラディウスの剣が、下から跳ね上がる。
レイは剣で受けた。
金属音が戦闘空間に響く。
グラディウスの眼窩の炎が、大きく揺れた。
「対処したな」
「はい」
その声は、嬉しそうだった。
骨の顔に表情はない。
だが、魔力の揺れで分かる。
この死者は、今は勝ちたいのではない。それ以上に、自分の剣が進んでいることを確かめたいのだ。
「では、次です。参ります」
レイが言った。
グラディウスが一瞬、動きを止める。
「貴様から来るか」
「見てばかりでは、練習になりませんよね」
レイが踏み込んだ。
速くは見えなかった。
少なくとも、グラディウスにはそう見えた。
ゆっくりと前へ出たように見えた。
だが、気づけば間合いの内側にいる。
剣が振られる。
グラディウスは受けようとした。
受けられない。
力ではない。
速度でもない。
剣の置き場所が、そもそも違う。
レイの剣は、グラディウスが受けようとした位置から、ほんの少しだけずれていた。
ずれているだけなのに、そこには骨格の逃げ道がない。
剣で受ければ肘が崩れる。
腕を回せば肩が遅れる。
魔力で骨を動かせば、剣の軌道が乱れる。
グラディウスは、初めて後ろへ下がった。
「……今のは」
「骨の弱点もあります」
レイは剣を下ろす。
「繋がり方に癖があります。魔力で動かす分、魔力の流れを塞がれると姿勢が崩れやすい」
「続けろ」
グラディウスは低く笑った。
「腹は立つ。だが、聞く価値はある」
レイは少しだけ考え、言った。
「人間だった頃の動きを残すなら、避けるにしろ受けるにしろ、肉体の分だけ余裕を持ってしまいます」
「悪いか」
「悪くはありません。ただ、そもそも聖剣や特殊な魔剣でもない限り、首に斬撃を受けてもリッチの骨の硬さなら問題ない場合もあります」
「……つまり」
「捨て身とは違う、大胆な動きもできるはずです」
グラディウスは黙った。
青白い炎が、眼窩の奥で揺れている。
「剣士であることを捨てる必要はありません。ですが、何度でも言うように、人間だったことに縛られる必要もありません」
「貴様は、簡単に言う」
グラディウスは剣を構え直した。
その構えは、少し変わっていた。
足を開きすぎない。
腰を落としすぎない。
肩を基点にしない。
だが、剣先だけは揺らがない。
「ならば、今ここで変える」
「早いですね」
「もう二十六日も待てぬ!」
グラディウスが動いた。
今度は、本当に速かった。
骨格が滑る。
腕が回る。
だが、剣先だけが真っ直ぐ残る。
人間の剣ではない。
魔物の攻撃でもない。
死者の体で、剣士であろうとする動き。
レイは剣を上げた。
受ける。
刃と刃がぶつかる。
金属音。青白い炎。石畳を走る魔力の波。
グラディウスの剣が、レイの剣に押し込まれる。
前回より深い。
あと少し。
あと半歩。
だが、届かない。
レイの剣が、静かにそれを止めていた。
「……これでも駄目か」
グラディウスの声は低かった。
「はい」
グラディウスは笑った。
そこで終われば、穏やかな稽古だったかもしれない。
しかし、グラディウスはソード・リッチである。
「最後に、もう一太刀」
空気が変わった。
戦闘空間の石畳に、霜のような魔力が広がる。
死者の魔力。剣気。怨念。
それらが一本の刃へ集まっていく。
前回と同じ構え。
だが、同じではない。
前回は、人間の剣士が死者の力を足した一撃だった。
今回は、死者となった剣士が、かつて人間だった自分を刃の芯に置いている。
レイは剣を構えた。
「受けます」
「ありがたい」
グラディウスが踏み込む。
骨格が前へ滑る。
剣が来る。
軌道は単純。
だからこそ、重い。
刃と刃がぶつかった。
音が消える。
一瞬だけ、店内のすべてが静止したように見えた。
青白い炎が散る。
魔力の圧が石畳を震わせる。
グラディウスの剣が、レイの剣に押し込まれる。
ほんのわずかに。
レイの足が、半歩下がった。
これまでにも避けられることはあった。
だが、それは軽くいなされるようなものだった。
今の一撃は違う。
真正面から受けた。
高度な技術で、受け止められた。
それでも、半歩だけ下がらせた。
グラディウスの眼窩の炎が、爆ぜるように揺れた。
「動いたな」
「はい」
「貴様が、下がったな」
「半歩だけですが」
「十分だ」
グラディウスの声に、これまでで最も強い歓喜が混じった。
勝ってはいない。
届いてもいない。
刃はまだ、レイの身体に触れていない。
だが、レイを半歩下がらせた。
それは、グラディウスにとって勝利に等しい成果だった。
「二十六日分としては、上出来でしょう」
「貴様にそう言われると、腹立たしい」
「褒めています」
次の瞬間、グラディウスの体が吹き飛んだ。
レイの指先が、胸甲に触れていた。
だが、込められた魔力の圧が桁違いだった。
グラディウスの体は、砲弾のように戦闘空間の端へ飛び、そこに開いた扉へ吸い込まれていく。
「またか!?」
扉の向こうには、迷宮深層の玉座の間が見えた。
骨の剣士は、そのまま自分の領域へ叩き戻される。
「次は、魔力での反発を覚えるまで、来ないでくださいね」
レイはいつもの店主の声で言った。
叫び声が扉の向こうへ消える。
だが、最後に低い笑い声が聞こえた。
扉が閉じる直前、グラディウスの声が届いた。
「———次は、斬るぞ!」
からん、と鈴が揺れる。
戦闘空間が消えた。
石畳は木の床へ戻り、遠ざかっていた棚が元の位置へ戻る。
作業台には、削りかけの猫型置物がそのまま置かれている。
商品に傷はない。
カウンターも壊れていない。
配信用クリスタルも問題なく浮いていた。
レイは剣を元の場所へ戻し、服の裾を軽く整えた。
その瞬間、コメント欄が視界に戻る。
:来たの!?
:もう来たの!?
:一か月経ってないよね!?
:グラディウス再戦早すぎ
:猫回どこいった
:ボス戦だった
:いや稽古だった?
:店内規則守ってた?
:剣抜く前に申告した?
:偉い
:偉いけど怖い
:前回より強くなってた?
:グラディウス大歓喜で草
「はい。前回より、よくなっていました」
:剣の話?
:マナーの話?
:ボスが成長してる
:二十六日で再戦は成長速度が怖い
:死者でも学ぶ
:名言再び
「今回は、きちんと戦闘希望の申告がありました。店内で勝手に剣も抜いていません」
:評価ポイントそこなの
:大事
:出禁回避
:グラディウス、店のルール覚えてて偉い
「死者でも学ぶそうです」
:それ好き
:本人の言葉なのに店主さんが使ってる
:しかし半歩下がらせたの熱い
:次本当に一太刀届くのでは?
レイは少しだけ考えた。
「まだ難しいでしょう」
:まだ
:届く可能性はあるんだ
「可能性だけで言えば、あります」
:うおおお
:ボス強化イベント始まった
:まずい
:迷宮の均衡が
「ですので、危険すぎる補助具は売りません」
:補助具の話きた
:そういえば買うかもって言ってた?
:戦闘後に商談するつもりだったのでは?
:吹っ飛ばされて帰ったけど
「そうですね。商品相談の前に退店されました」
:退店されたというか退店させた
:商談失敗
:グラディウス、買い物忘れてる
:次回は買い物回?
レイは作業台の端に置いたメモ用の薄板を手に取る。
『骨格魔力駆動用剣帯』
『関節軌道安定具』
『死者向け魔力循環リング』
「補助具を作るなら、ここが重要ですね」
:完全に作る気だ
:やめて
:でも見たい
:敵を育てる魔法道具店
:いや客だから
:客なのか?
「規則を守る限り、お客様です」
:ラウンレイフィ基準
:店主さんの線引きだ
:でも魔物も勇者も商人も盗人も来る店だしな
レイは猫型の木片を手に取った。
表面についた粉を払い、閉じた目の位置を確かめる。
:戻るの?
:今の後に猫へ戻るの?
:温度差
:店主の日常
「作業途中でしたので」
レイは彫刻刀を持つ。
店内には、また小さな作業音が戻ってきた。
しゃっ、しゃっ、と木を削る音。
魔道具の淡い光。
入口の横に増えた木札。
そして、遠い世界から届くコメントの流れ。
ダンジョンボスが一か月もしないうちに再戦へ来ても。
そのボスが半歩だけ進んでも。
魔法道具店ラウンレイフィは、結局のところ店である。
商品を作り、客を迎え、必要なら規則を増やす。
それだけだった。
---
一方その頃。
迷宮深層の玉座の間で、グラディウスは石床に仰向けで倒れていた。
肋骨が三本ほどずれている。
右肩の骨が外れている。
鎧の胸甲には、レイの足先が触れた跡が薄く残っていた。
痛みはない。
そもそも痛覚がない。
だが、屈辱はある。
そして、歓喜もある。
「半歩」
グラディウスは低く呟いた。
「半歩、下がらせた」
届かなかった。
勝てなかった。
最後はまた、玉座の間へ叩き返された。
だが、レイは下がった。
たった半歩。
されど半歩。
ならば、次は。
「一太刀」
骨の指が、剣の柄を握る。
「次は、一太刀だ」
玉座の間の端で、配下のスケルトンたちが静かに立っている。
彼らは主が吹き飛ばされて戻ってくることに、もう慣れていた。
最初の頃は慌てていたが、今では誰も動じない。
むしろ、主が笑っている時は近づかない方がよいと学習している。
死者でも学ぶ。
配下も例外ではない。
「剣を持て」
グラディウスが言った。
近くのスケルトンが、無言で訓練用の剣を差し出す。
「違う。お前も持て」
「……」
スケルトンは一瞬だけ戸惑った。
「稽古だ」
グラディウスは立ち上がり、ずれた肋骨を手で押し戻した。
かちり、と乾いた音がする。
「次は、二十六日も待たぬ」
その声に、配下のスケルトンたちの魔力がわずかに揺れた。
恐怖ではない。
困惑に近い。
主がまた、あの店へ行く気でいる。
それも、かなり早く。
グラディウスは剣を構えた。
人間だった頃の構えではない。
完全に人間を捨てた構えでもない。
剣士としての芯を残しながら、骨の身体で剣を振るう構え。
まだ未完成。
だが、進んでいる。
「ラウンレイフィ」
グラディウスは低く笑った。
「次は、刃を届かせる」
迷宮の奥で、死者の剣がまた振るわれた。
玉座の間に、乾いた剣戟の音が響く。
挑戦者を待つためではない。
次に挑むための音だった。
ソード・リッチ、グラディウス。
死してなお剣を捨てられなかった男は、一か月もしないうちに、また少しだけ剣士に戻った。
やがて、その迷宮には奇妙な噂が流れるようになる。
グラディウスは相手を殺さなくなったというのだ。
見込みのある者は斬り伏せず、ただ剣を交え、叩き返す。
敗れた者は命を落とさず、代わりに己の未熟さを刻まれて帰される。
その結果、いつしかその迷宮は、武芸者たちの間でこう呼ばれるようになった。
――武を極めるための聖地。
アンデッドばかりが棲む場所でありながら、そこには確かに、武人たちが集う理由があった。




