おとぎ話の効用
目を見開く智人に、朱莉はどう話したものかと考えを巡らせる。
熱で体がだるかったが、頭はさえわたっているようだった。
ようやく、身の内にくすぶっていたもやもやがつながって、物語が嫌いになった理由がわかりかけているからかもしれない。
「といっても、事件のあらましを覚えているわけじゃないの。気がついたら弁士さんに保護されていた。季節のたびに手紙を送ってくれて気にかけてくれたのよ。だから弁士に対しても嫌悪はないの。ただ物語が、それについて語ることだけが嫌……ううん。怖いの」
いつしか智人がいることも忘れて朱莉は立てた膝にほほを埋めて思い返す。
確かなのはあの日から朱莉はたった一人になったこと。背中の傷で一生結婚はできないだろうということだ。
助けてくれた弁士である根尾は、奇妙な手紙ばかり送ってきたが、それでも朱莉のことを真摯に気づかってくれているのがわかる手紙ばかりで一生懸命読んだものだ。
ただ、あの惨劇については一度も真実を話してはくれなかった。忘れるように言っただけだ。
当時の断片を思い出した今なら、一つの可能性が浮かび上がる。
「それは、私が村を壊した何かを間違って話して呼び覚ましたからじゃないかと思ってる」
智人が目を見開くのに、朱莉はぼうと夢の断片を思い出す。あれがすべて真実起きたことだとは思わない。けれど、あれは一人きりになった朱莉がずっとずっと考え続けていた可能性の一端だった。
弁士たちが言語りに封じようとしていたらしい神は、朱莉の村にあった首塚にいたらしい。そこは朱莉がいつも遊び場にしていた場所だった。ならば、村を壊滅させた神を呼び出すきっかけが朱莉でもおかしくない。
荒唐無稽だとわかっている。ただの子供だった朱莉にそんな力があるわけない。
だがそうやって自分に言い聞かせても、何かをしてしまったという絶望はぬぐえなかったのだ。
だから朱莉は物語を、ひいては言神を無意識に忌避していたのだと分かったのだった。
ただこのような断片的な話を聞かされれても困惑するしかないだろう。智人は眉尻を下げて言った。
「申し訳ありません。朱莉様。僕にはあなたの心を察することができません」
「そりゃあ、そうよ。だってあなたは言神だもの。人間じゃあないし、ましてや私自身もわかっていないのに察せられたら怖いわ」
むしろ、わかるといわれた方が心は離れただろう。
それでも少し心が報われた気がした朱莉は空気を明るくするように言ったのだが、智人はそっと続けた。
「ですが僕は言神です。だからわかることもあります」
「なにを?」
「神魔が言語りに封じられるのは、よほど描かれた語りがはまったか、神魔本人が気に入ったかのどちらかです。力ある神魔であればなおのこと。もし朱莉様が語ったというのであればその神魔にとってその語りはとてもよいものだったはずです」
「そんなはずない、それならあんな姿になんてなるはず……!」
衝動的に叫んで、だから朱莉は自分を嫌悪しているのだと、気がついた。
朱莉は両親を村を失ったことと同じくらい、思い出せない誰かに取り返しのつかないことをしたのを後悔しているのだ。
あんな姿にさせて、あんな形にさせて。
もう朱莉が思い出さない限り、真相もわからないけれど。
朱莉は顔も覚えていない誰かに、謝りたかったのだ。
「ごめんなさい……」
ほろり、とこぼれたとたん。言葉はあふれて止まらなくなった。
「語ってごめんなさい。きれいだろうって思ったのすてきだと思ったの。かっこいいって思っただけなの。ただ姿を見れたらうれしいなって一緒に遊べたら楽しいなって思っただけだったの。でも言わなければよかった、話さなければよかった。本当のあなたを知りもしないのに私は語ってしまった」
両親が死んで、村がなくなって、たくさんつらいことがあったけれども。生き残ってしまった自分の罰だと思っていた。でもこれだけは、もう終わってしまって取り返しのつかないこれだけはどうすることもできなかったのだ。
「ごめん、なさい……っ」
涙は10年前に枯れ果てた。それでも胸の内で荒れ狂う感情をこらえるために朱莉が顔を覆う。
その手に、白い手袋に包まれた手が添えられた。
握られて包み込まれて朱莉はのろのろと顔を上げれば、静かで柔らかな表情を浮かべる智人の顔があった。
「大丈夫です。きっと、その言神は喜んでいますよ。あなたのような方に語ってもらえたことを。だからご自分を責められないでください」
「うそ、だ。言神は封じ込められたら、自由に動けないって。あのひとは出たくないって言ってたのに」
「それでも、ですね。言神になってよいことというのもあるんです」
柔らかくほほえんだ智人の表情は限りなく透き通っていて、朱莉は思わず見ほれた。
智人に包み込まれた手には彼の手が震えているのが伝わってくる。
なぜそんな風に震えているのだろう。けれど智人はうれしさと少しの後悔と祈るような表情で続けた。
「形がなければ、こうして人のそばにいることも、手を取ることもできないはずですから。人の形、というのも案外悪くないのですよ」
「そんなことって、あるの」
「ありますよ。何より僕が、朱莉様の従者となれてよかったと思っていますから」
さらりと言う智人に、朱莉は虚を突かれて思わず言った。
「ちょっとまって、そこで自分につなげちゃうの?」
「なにかおかしなことがありましたか」
「おかしいと言えばそうなんだけども。いつもの智人だなあと思ってさ」
肩の力が抜けてしまった朱莉をどう考えたのか、智人が少し焦ったように言いつのる。
「で、ではこういうのはどうでしょう。朱莉様と仲がよかったその神魔は、朱莉様を守れなかったことをとても後悔しているのです。だからなんとか役に立ちたいと願っている」
「それもあなたのことじゃないの」
「えとそれはそのっ!」
うろたえる智人に、もうこらえきれなくて朱莉はクスクスと笑った。
目元ににじんでいた滴も乾いてしまうと言うものだ。
「それは、おとぎ話みたいね」
「ああああすみません。朱莉さまにとってはただの嘘や想像に聞こえるかもしれませんが、こうかもしれないという想像の幅はとっても大事だと思うというかなんと言いますか!」
「そんなに必死にならなくていいわ。だって、心がほんの少し軽くなっちゃったもの」
朱莉が少し冗談めかして言えば、智人は驚きに目を見開く。
そうだった。物語というのはこういうものだった。
楽しくておかしくて。少しの間だけだが心を慰めてくれる。小さなころの自分は1人の寂しさをそうやって慰めていてもう顔も思い出せない友とも楽しんだのだ。
自分だけで楽しむのなら悪くないかもしれない。
そう思うようになってしまったのは、智人をはじめとする言神たちに、すこしほだされてしまったのだろう。物語が形をとった存在に。
「たぶん、苦手なのはこれからも変わらないと思うわよ。けどうん。読むだけならもういいのかもね。だってここから出たらきっと寂しくなるだろうし」
「そう、ですか。僕も寂しくなります」
智人の言葉に、朱莉は軽く驚いて彼を見た。
「私のこと引き留めなかったけど。寂しかったの」
「ええ。元々期間限定と念を押されてましたし、僕は朱莉様にたくさん思い出をいただきましたから」
「たくさんってまだ2ヶ月くらいでしょ? 言神にとってはたいした時間じゃないんじゃない?」
「ええ、そうですね」
熱のせいかいつもなら思いとどまるような言葉を形にした朱莉だったが、智人は曖昧にほほえむだけだ。
ただ、ほんの少し改まった表情で続けた。
「もし、寂しかったらいつでもこちらに戻ってきてください。あなたには真宵がいます。勘助を呪いから解き放ちすらしました。あなたの語る言葉を求める言神はこれからもたくさん出会うはずで。ちょっとうらやましいなあと思いますが、朱莉様さえよければもう一人になることはないはずです」
「私、もう子供じゃないのよ」
「おやそうですか? ですが言神にとっては5年や10年はたいした違いではありませんよ」
「言うわね」
言葉をとられた朱莉は軽くにらんで見せれば、智人はすました顔をするばかりだ。
こんな風に会話ができるようになるとは思ってもみなかったし、振り回されてばかりだと思っていたが。
「私は行くわ。普通の人間でいる」
やはり朱莉には物語を語る資格はないと思うから。
「はい。それでもかまいません。……さあ、朱莉様どうぞお休みください。僕は出て行きますから」
「あら病人が寝るまで見張ってなくていいの?」
「いっ……いいんですか」
これは熱のせいだろう。驚いた顔でにもかかわらずいそいそと椅子に座る智人にまたくすくすと笑いつつ、朱莉はゆっくりとまた布団にもぐりこんでつぶやいた。
「智人、今までありがとうね」
「ええ。僕はいつまでもあなたの従者です」
眠る間際、朱莉はふと気づく。
そういえば、智人は彼自身がそばにいるとは一言も言わなかったな、と。




