御作朱莉という少女
朱莉は森の中に居た。
ぼんやりとした意識の中で、これが故郷の村だと気づく。
手足は幼い。当然だ。故郷の村に居たのは10年と少し前、朱莉がまだ8つやそこらの頃までだ。
地面は起伏が激しくて、明るくてさわやかな風が吹いていて。
その中を何度も何度も転びながら、朱莉は村へ走って行く。
運動は得意ではなかったが、体力だけはあったから足を止めることはなかった。
そうか、こんな風に走っていたことも忘れていた。だがなぜこんなに懸命に走っているのだろう。
一気に視界が開ける。
村は凄惨に壊されていた。
家々からは火の手が上がり、さっきまで話していた村人たちが倒れている。
生きてはいないのだ、と朱莉にはわかってしまった。
そこかしこで朱莉が見聞きしたことのある神様たちが中央にいる何かと戦っている。
大きくて、金色の。まがまがしい体躯をした異形の存在が暴れていた。
朱莉がまさに想像したとおりのだが全く違う何かがそこに居た。
ひゅっと息をのむ。手足の先が冷たくなっていく。
かっこいいだろうと言ってしまった。強いに違いないと喜んでしまった。
きれいな方がいいだろうと、語ってしまった。聞かれるがままに答えてしまった。
でもこんなんじゃなかった。朱莉が語りたかった神様は、出会いたかった友達は、こんな姿じゃなかったのだ。
『オォオォオォォォ――――!!!』
でも、声が一緒だった。
疑いようもなく、ほんの少し前まで朗らかに朱莉と話してくれた声だった。
私のせいだ、と朱莉は思った。
神様を語るのは弁士だけなのにただの子供である朱莉が語ったりしたから。朱莉が間違って語ってしまったから。あの神様はああなったのだ。
もう姿なんて持たなくていいって口癖のように言ってたのに。
朱莉が形をつくってしまった。
目からは勝手にぼろぼろと涙があふれる。
その姿が怖くて、その振るわれる暴威が恐ろしくて、大好きだった村が壊されて行くのが悲しくて、でも一番は。
呆然としていれば、何かが朱莉に飛んでくる。
逃げようとしても、朱莉の足は疲れ果てていて、もう一歩も動けない。
大きな手が盾のように眼前へ差し出されるも、朱莉の背中が焼け付くように痛んだ。
「――――!!!」
大事な友達の声が聞こえるのに、声を返せなかった。
はく、と息がうまく吸えない。痛みで支配される。
自分も死んでしまうのだろうか。
そう、思ったとき、目がふさがれた。
「忘れるといいよ。これはわるいゆめだから」
優しい誰かの声がした。
忘れたくない。忘れたくないのにこぼれていく。
それでも朱莉は胸に刻んだ。
もう、物語は語らない、と。
どんっ、と落ちるように目を覚ました朱莉はあえぐように呼吸を繰り返した。
どくどくと心臓が嫌な勢いで早鐘を打っている。
ぐっと、熱が高くなっている感覚があった。これは明日までに下がらないかもしれない。
寝かされているのは自室のベッドだ。いつも快適な場所だが、どこかふわふわと浮いているような心地がした。
辺りはまだまだ暗かった。おそらく、まだ真夜中に近い時間だろう。
また眠れる気がしない。だから自然と思い出すのはついさっきまで追われていた夢のことだ。
「今更、思い出すなんて」
あの頃の記憶は朱莉にとって曖昧だ。気がついたら村のみんながいなくなっていて、朱莉だけが駆けつけた弁士に保護されていた。
そして記憶のほとんどを失っていたために、朱莉は故郷のことをどこか遠くのことのように思い続けていた。あんなことがあったのも忘れていたほどだ。
そうだ、あんなに大事に想っていたはずなのに、どうして忘れていたのだろう。
仕方がない、もう12年前のことなのだ。忘れるのは仕方ないことなのだろう。
ぼんやりとしながらも体は異様に重い。それでもベッドサイドにある明かりをつけようと朱莉が身じろぎすれば、額に何かぬるいものが乗っていることに気がついた。
手で引き寄せれば、それはぬらされた手ぬぐいだ。着物は自分で着替えてベッドで力尽きた記憶はあるがこの手ぬぐいは自分で乗せた記憶がない。
「朱莉様……?」
呼ばれて朱莉がのろりと顔を向ければ、廊下からこぼれる明かりを背に、器を持った智人が立っていた。
「起きられたんですか」
「どう、して」
朱莉が何を聞きたいのかわからないままつぶやけば、智人は大いにうろたえながら言った。
「す、すみません。お部屋に立ち入ってはいけないとおっしゃられていたのは重々承知しています。ですが看護の本にはあまり目を離してはいけないとも書いてありご病気の朱莉様を放っておくのはよくないと思いまして、その例外としてお許しいただけましたら……」
あんまりにも必死になって言いつのるものだから、おかしくて思わず笑ってしまった。
「ふふ、そこまで必死にならなくていいわよ」
「そう、ですか」
ほっとした顔をした智人は電気をつけ、ベッドの隣にある洋箪笥の上に器を置くと朱莉をのぞき込んできた。
「何か必要なものはございますか。眠れないのでしたら普通なら寝物語でもお聞かせするところでしょうが。朱莉様は好まれないでしょうし」
神妙に考え込む智人の普段通りの様子に心が緩むのを感じた朱莉は素直に言った。
「水が飲みたい」
「はい、ございますよ」
智人からすかさず差し出されるコップに朱莉は驚きつつ起き上がろうとしたとたん、ぴり、と背中が痛んだ。
「……っ」
「どうかなさいましたか」
「傷が、痛んで」
思わずつぶやいたことを朱莉は少し後悔した。
智人が真っ青な顔で息をのむのがわかったからだ。身を乗り出してくる彼を朱莉はなんとか押しとどめた。
「大丈夫、今ついた傷じゃないし、もう治ってるから! 古傷なのよ」
「そう、なのですか」
「それよりも水、ちょうだい」
朱莉が念を押せば、身を乗り出しかけた智人はいそいそとコップに入れた水を差しだしてくる。
朱莉は一口、飲んでから思ったよりも自分が喉が渇いていたことを自覚して、ごくごくと飲み干した。
だがその間も、傍らに置いていた椅子に腰を下ろした智人は、不安そうにそわそわしている。
朱莉もどうして話そうとしたかわからない。たぶん熱のせいだろう。
ただ、智人のもの言いたげな顔にこれはあきらめないなと思って、コップを返した朱莉は彼に背を向けた。
そして衿をほんの少しくつろげ、髪をかき分けた。
「な、朱莉様!?」
「見えるでしょ。傷」
智人がうろたえる声が響いてきたが、朱莉が説明すれば息をのむのを感じた。
今智人にはざっくりと爪にえぐられたような傷の一端が見えるはずだ。
ほかの肌と色が違うそれは、背中を横断するように腰のあたりまで続いている。
銭湯で人に会えば、よく生きていたと何度も言われる傷だ。
おかげで風呂にはほとんど人が居ない時刻にしか行かなくなったほどだが。
これが朱莉が村の惨劇から生き残った代償だった。
「雨が長く降ったり、調子が悪かったりすると痛むの。それだけよ」
最近は夢見が悪くて毎朝の朝になるとずきずきと痛んでいたものだ。
さすがに人間ではないとはいえ、青年の姿をしたものに長く見せるものではないと朱莉はすぐに衿を元に戻す。
「それは、うなされていたことも関係ございますか」
震えるような声音で問いかけられて、朱莉は振り返った。
智人は泣きそうに眉をひそめてじっとこちらを伺っている。
さすがに一夜そばに居ればわかるか、と朱莉はあきらめのため息をついて、枕に背中を預けた。
眠れる気がしなかったから、寝物語を語るにはちょうどいいだろう。
「ちょっとね、昔のこと思い出しちゃってさ」
おそらく引き金は鵺だろう。今回これほどはっきりとした夢になったのは、確実に会社で聞いたうわさ話が原因だ。ゆるりと傍らをみれば、智人は口元を引き締めて聞き入る姿勢だ。
「智人は12年前に起きた荒神災害を知ってるかしら」
す、と智人の顔から表情がなくなった。やはり言神にとっても印象深い事件だったのだろう。
「かの村に封じられていた鬼が最悪の形で目覚め、活動弁士が総力を挙げて封じましたが、村が一つ壊滅したと」
「たぶん、その原因が私なのよ」
朱莉がさらりと言えば、智人は顔をこわばらせた。




