言語り「主君殺し」
屋敷の主人は、洗いざらい話した。
雨海の横柄な態度が気に食わず、家宝である言語りを倉に隠していたこと。
だが急に大きな音が響いて見に行ったところ、大きな鵺が倉の中に現れており、慌てて倉の扉を閉めたのだという。
使用人を含む主人には、念のために智人を付き添いに外へと避難してもらっている。
倉近くの廊下に居るのは朱莉と雨海。そして勘助だけだった。
「鵺は魔除けとしてよく写しが作られる言語りだ。長い年月で弱くなった言語りにさらに邪気がとりつき暴走したのかもしれん。ともあれもうこの言語りに封じることはできん」
雨海が無造作に放り投げた言語りは、綴りひもがばらばらになり、中にあったはずの文章も判読できないほどにじみかすれていた。水に濡れたからではなく、封じる力が完全になくなったからだ、というのは朱莉でも分かった。
「全く、はじめから素直に出しておけば良いものを、余計な手間をかけさせおって」
「これからどうなさいますか」
舌打ちをせんばかりの雨海を現実に引き戻すために朱莉は訊ねた。
今は小康状態を保っているが鵺は確実に倉の中に居るのだ。いつまでもおとなしくしているとは思えない。
「ここで鵺を倒す。新たな言語りを用意している暇はないからな。出る前に叩く」
忌々しそうながらもそこだけは真摯に言い切った雨海に、朱莉は少し見直したような気分になる。
その表情には迷いがなく、弁士としての義務をまっとうしようという気概が感じられた。
横柄ではあるが、弁士としての自負があるのだろう。
ならば朱莉は邪魔にならないように下がっていようと思ったのだが、少し思案した雨海から声をかけられた。
「君の本鞄はどこかね」
「え? ああ、書庫においてきてしまってますが」
「そうか」
言うなりきびすを返す雨海に朱莉は慌てて付いていく。
故に勘助が少し眉をひそめるのに朱莉は気がつかなかった。
「雨海様、どうなさったんですか?」
「君が言っていただろう。そこの言神は箕島勘助だと。君だって勘助の鵺退治の逸話を知らないわけではあるまい。この状況で鬼神殺しほど有効な言語りはない」
「っそれって、勘助を語ると言うことですかっ」
ようやく雨海の意図に気がついた朱莉は気色ばんだが、雨海は意に介さなかった。
「見たところ、君はまだそれと本契約をしていないのだろう。ならば俺が語って使った方が有効利用できる。俺の手持ちの言語りでは少々相性が悪いからな」
「いえ、そうですけどっあれは」
「ただ顕現させただけであの剣圧だ。さぞかし名のある綴り師に写されたものだろう。君などにはもったいない」
洋装で大股に歩いて行く雨海に、着物姿の朱莉は引きはがされていく。そもそも朱莉の運動神経は底辺だ。あっという間に姿が見えなくなってしまい、代わりとでもいうように戻ってきたらしい智人が廊下の角から現れてきょとんとしていた。
「どうなさいました、朱莉様」
「智人っ雨海様が勘助の言語りを語るって言ってるの!」
目を見開く智人がすぐさま険しく顔をすがめた。
「失礼します、朱莉様」
とたん、朱莉は智人に抱きかかえられて疾走し始める。抱えられてもなお自分の足で走るよりずっと早かった。
いつの間にか勘助の姿がなかった。先ほどまで朱莉の少し後ろを付いてきていたはずなのに。
「おそらくあの男が言語りを手に取ったのでしょう。触れる人間が変われば戻らざるを得ませんから」
朱莉の疑問に智人の険しい声が答えた。胸騒ぎは収まらない。
2人で飛び込んだ書庫では、雨海が勘助の言語りを手に取っている所だった。
息を荒げている朱莉に眉をひそめた雨海だったが、かまわずたたずむ勘助に視線を移す。
「見習いなどではなく現役の弁士に読まれるのだ。光栄に思えよ」
「やめておいた方が良いとは思うが、ま、精々うまく扱ってくれ」
表情に何の色も浮かべず肩をすくめるだけの勘助に向け、雨海は青鈍の表紙をめくり、該当の頁で止めると声を張り上げる。
「”これなるは世紀の罪人にして神をも斬り殺すと唄われし大剣豪! あまたの神魔魍魎を討ち果たせし刃を今一度振るうべし。定義されしは鬼神殺し、名を箕島勘助!”」
「ああやはり、そこを選びますよね」
智人の哀れみを含んだ声が、朱莉の耳に響いた。
どっと雨海が開いた頁から青鈍の帯があふれ出し、勘助を飲み込む。
全身が飲み込まれ、ひょうひょうとした顔すら見えなくなり、再び明るみになった時には着物が少し変わっていた。
遊び人のような着流しから、より武士然とした馬乗り袴姿になり、腰の刀は二本差しに増えていた。
ざんばらの髪はそのままだったが、ゆらりゆらりと風もないのにゆらいでいる。
そしてひょうひょうとした雰囲気は跡形もなく消え、一種の圧すら覚える怜悧なものに変わっていた。
「雰囲気が」
ちがいすぎる。朱莉が衝撃のあまり言葉を続けられないでいれば、智人が答えた。
「語られた言神は、弁士の解釈を強く反映した姿を取ります。今の勘助はいわばあの男の望む姿で顕現しているのです」
朱莉はもちろん語ったわけではない。勘助の名前を呼んだだけ。
しかしここまで変わるのかと、呆然と武士然とした勘助を見つめて、はっとする。
「ふむ、やはり身なりがまともになれば見られるではないか。ではゆく……」
満足げにうなずいた雨海だったが、勘助がゆらりと刀の柄に手をかけたのに気がついた。
「”汝、主君デ在レバ、切ル”」
何重にも重なった声が響いた瞬間、勘助の刃は振るわれた。
雨海がよけられたのはただの偶然だ。
踏み出しかけた瞬間、足下に積まれた本につまずいただけ。
しかしそれで必死の間合いは崩れ、勘助の振るった刃が勢い余り本棚に食い込んだ。
勘助は全くためらいもなく、雨海を殺そうとしていた。
朱莉はその勘助の表情の異様さに気がついた。そこに居るのは朱莉の知る勘助ではない。ただの修羅だ。
雨海が持っていた青鈍の言語りが朱莉の近くに投げ出される。
本は開いたまま、修羅は止まる気配はない。
「智人! 止めてっ」
「かしこまりました」
智人は当然のごとく答えると、修羅に組み付いた。
抜けない刃を早々にあきらめ脇差しを抜き放とうとしていた勘助は、突如妨害してきた智人にひとまずの矛先を変える。
その間に朱莉は勘助の言語りに飛びついた。歩いていたら自分の運動神経では絶対間に合わないと思ったからだ。そこかしこに積まれた本が雪崩を打ったが、わずかに指が届く。
何とか言語りを拾い上げた朱莉は表紙を閉じ、再び開いた。
これで良いのかはわからない。だがこれしか知らないのだ。己は。
「”定義されしは鬼神殺し、名を箕島勘助!”」
ありったけの声を絞り出したとたん、智人に脇差の切っ先を振り下ろそうとしていた勘助から、青鈍の靄が解けた。
脇差がほろほろと崩れ去るのと同じく、勘助の輪郭があいまいになる。
そして、朱莉のよく知る着流しのひょうひょうとした姿に戻った勘助は、深く息をつくと朱莉を向いた。
朱莉は、その顔がどこか傷みとあきらめを映しているように思えた。
雨海は転んだ拍子に頭を打ったようで意識を失っていた。
「おそらく主君殺しの毒気に充てられたのでしょう。直に目覚めると思いますが」
智人と協力して雨海を楽な姿勢で寝かせた朱莉は、智人の見立てに安堵の息をついた。
これからの事を考えるとひどく切迫している。
今だに鵺が倉の中に閉じ込められたにも関わらず雨海は意識を失ってしまっている。雨海が居なければ鵺退治などできるはずがない。
このまま逃がしてしまえばこの屋敷はおろか、周辺にも危害が及ぶだろう。そもそも朱莉の身もあぶない。
「雨海様、勘助について知ってる風だったのに、どうして読む?語る?をしたのよ……」
「語る、でかまいませんよ。おそらく主君殺しの逸話を抜いた写しだと考えたのでしょう。たいてい流通しているものは写しですから。能力は数段劣りますが、そうすることで安全に振るうことができますし」
智人の答えに朱莉ははっとした気分で彼と、そして壁に寄りかかって沈黙する勘助を見た。
朱莉はすでに了解を得て、箕島勘助の言語りを読み通している。
史実に描かれた通りの逸話が載っていたためそう言うものだと思っていたが、写しであればそういった対処もされるのか。
「ねえ、待って。それが普通ならこの言語りは」
「嬢ちゃんは勘違いしていたみたいだが、俺は原典だよ。箕島勘助という畜生の魂が直接封じられたな」
皮肉げに言う勘助に、朱莉は驚愕すると同時に少し納得したような心地にもなった。
ちら、と一瞬だけこちらを向いた勘助はそのまま続けた。
「まあ時のお上や弁士どもは、ありとあらゆるもんを斬って斬って斬りまくった俺の逸話を惜しんだらしくてな。罰もかねて魂ごと怨念を封じ込めたのさ。いわば一生非人間としての言神として使役され続けるな。だが誤算があったんだよ」
「主君殺しの逸話、ね」
歌舞伎や浄瑠璃では鬼神殺しと同じくらい有名な逸話だ。
箕島勘助という武士は、とある藩主の家臣だった。
幼少の頃から才気煥発で特に剣技に優れており、名君と誉れ高い藩主に目をかけられよく仕えていた。
しかし、老齢であった藩主は病に倒れ、いまわの際に箕島勘助を呼び出した。
『我が息子が良き藩主であれるよう。なにがあろうと味方であってくれ』
勘助はうなずき、藩主は事切れた。
しかし、このことが後の不幸を呼んだ。
次代の藩主は勤勉であったが、慎重で疑い深い男だった。
それでも太平の世には十分な能力を有しよく領地を治めていたが、藩主は前藩主に仕えていた勘助をことあるごとに疑い、試すように無理難題を押しつけた。
曰く、公家の家にでた鵺を退治すべし。
曰く、芦山を根城にする鬼を討ち果たすべし。
曰く、反逆の意思あり、とみえし一党を両断すべし。
前藩主との誓いのため、裏切らぬ真心を見せるために、勘助は藩主の命をやり抜いた。
しかし、勘助の名声が高まるのと比例するように、藩主の疑いは晴れるどころかいっそう深まるばかりであった。
そして虐げ虐げられ続けた勘助は、やがて前藩主との誓いも忘れ恨みを募らせていく。
歌舞伎や浄瑠璃ではよく、数々の神魔魍魎を切り続けたが故に体中に怨念が染みつき、人から外れていたからと描写される。
清廉潔白と称された勘助は変わっていった。
遊郭へ入り浸り、酒を浴びるように呑み、市井の民を斬るようになった。
勘助は、何かを斬ることに喜びを見いだすようになっていたのだ。
そして、事件は起きた。
再び藩主が、娘を攫い手込めにする鬼の討伐を命じた。
『お任せあれ、直ちに切って見せましょう』
勘助は鬼の一党を切り捨てた後、血みどろのままで城に戻るなり藩主を両断したのだ。
羅刹となりはてた勘助の凶行はそれだけでは終わらず、駆けつけた弁士と言神すら斬り捨てた。
実に場内の半数以上の人間を斬り殺した勘助は、かつて斬り殺した神魔魍魎の数と同じだけの弁士と言神を相手取り壮絶な最期を迎えたという。
主君を殺し、名もなき民を殺し、その刃で世を乱した天下の大罪人。主君殺しの名もまた、箕島勘助について回る悪名だった。
「さっきの豹変ぶりは、その逸話のせいなの」
朱莉が訊ねれば、勘助は粗野に表情をゆがめた。
「そう。俺には主君を裏切る逸話が染みついてる。だから顕現すると同時に必ず主……つまりは俺を語った弁士を殺すために行動しちまうんだ。ま、俺も仕えるなんざ2度とごめんだからな。使おうとした弁士をみんな斬り殺してる内にずいぶん昔に封じられていたんだが。何の因果かあの文庫社に収蔵されたうえ嬢ちゃんに読まれたって所さ」
さらりと言った勘助は、しかし次の瞬間まなざし鋭く朱莉を見やる。
「わかったら俺を語るなよ。さっきは止まったが、これは俺の意思に関係なく起きる。嬢ちゃんだろうが容赦しねえ」
「勘助……」
朱莉がどう言うか迷っている内に、勘助は壁から身を離すと智人へと向く。
「おい智人、外の奴らと連絡取れるだろ。俺が適当に相手してる間に増援呼んでこい」
「え……?」
朱莉が耳を疑っていれば、勘助は打って変わっておかしそうに笑った。
「なに言ってんだよ、嬢ちゃんの護衛が俺の仕事だろ。たらふく呑んだ酒の分くらいは働くぜ。名を呼ばれた分だけ、刀は振るえっからな」
「そうじゃなくて、あなた一人で鵺を相手取る気なの?」
朱莉がごまかされないとばかりに踏み込めば、勘助は刀の柄に手を置きながら言う。
「俺の逸話にゃ鵺殺しも入ってんだ。全力は出せずとも時間を稼ぐくらいはわけないさ。智人はしばらく手が使い物にならねえはずだしな」
なぜ智人がといぶかしく思った朱莉だったが、智人が手を隠したのを見とがめた。
「智人、手を出しなさい」
「……たいした、ものではないのですよ」
あきらめたように差し出された手には生々しい切り傷が刻まれていた。
先ほどの乱闘の中で付いた傷なのは明白だろう。深傷に見えるにも関わらず血液がすでに止まっているのが不思議だったが、言神だからなのかも知れない。
「しばらくすれば元に戻りますのでご心配なく。ただ勘助の言うとおり、朱莉様の盾になることしかできません」
「と言うわけだ。嬢ちゃんは言語りを持って外で待っていてくれ。俺が活動できるぎりぎりがそれくらいだからな」
しょんぼりと肩を落とす智人と、それに応じるように言う勘助に朱莉はまだ承服できなかった。
「いやでも怪我とか、死んじゃったりしたらどうなるの」
そう、朱莉は全く知らないのだ。智人の傷で言神も怪我をするのだと知ったばかりなのだから。
智人が困惑したように眉尻を下げた。
「言神は言語りが無事でしたら、顕現した姿がいくら死に至ろうとも無事ですから。ただ著しく体を損なった場合は、損傷が反映される事もございますが……」
「嬢ちゃんは死んだらそれまでで、俺が一番適役なんだ。あんまりだだこねるな」
抗議の声を上げようとしたとたん勘助にたたみかけられ、朱莉はぐっと黙り込んだ。
しかし、勘助の顔にはいらだちも呆れもなく、ただ仕方がないとでも言うように穏やかだった。
「俺は主君を殺した男だからな。化け物を狩って朽ちていくのがお似合いなのさ」
そううそぶいて去って書庫から出て行こうとする勘助に、朱莉はふつりと心の奥の何かが切れた。
「私は知ってますもん」
子供のような、すねたような物言いになったがかまわなかった。
智人と勘助が朱莉を向く。
朱莉はこみ上げてくる怒りといらだちと悔しさのまま、さんばら髪の男をにらみつけた。




