軍人というものは
とはいえ、朱莉は少々懸念してはいたのだ。
今回宗形に紹介された仕事は、朱莉のような素人に毛が生えた程度の人間をかり出すのだから、それなりのところなのだろうと。
待ち合わせ場所に指定された弁士協会は、左右対称に形作られ遠く西洋の神殿のような列柱が立ち並ぶ白亜の西洋館だ。
訪れた朱莉は宗形の言神、黒髪犬耳の黒江に羽織を押しつけられた。
何でも弁士協会所属と一目で分かるように作られた制服なのだという黒鳶色の羽織には、弁士協会の紋が白く染め抜かれている。
「お似合いです、朱莉様」
「まあ良いんだけどさ。今日組む弁士、遅くない?」
頬を染める智人を適当にあしらいつつ、朱莉は弁士協会前にもうけられたベンチに座ってため息をついていた。
待ち合わせ時間はすでに三十分ほど過ぎており、朱莉はさきほど出向先の屋敷へおくれる旨を連絡したほどだ。
目の前では朱莉と同じ黒鳶色の羽織を引っかけた者や、宗形と同じ軍服風の制服を着た者が男女問わずひっきりなしに人の出入りしている。
彼らに共通するのは何らかの形で、本が入りそうな鞄やケースを身につけて居ることだ。
かくいう朱莉も、傍らにしっかり本鞄も置いてある。
お互いに顔を知らないために黒江が付き添ってくれているが、彼女は微動だにせずまっすぐ門の方向を見つめている。
おそらく、宗形の命令で居るだけなのだろう。打ち解ける気が全くないたたずまいで、朱莉は話しかけるのをあきらめた。
と、その彼女がわずかに顔を動かす。
ちょうど正門から入ってきたのは先ほどからよく見ていた無骨な軍用車だった。
き、と止まると、きっちり弁士の軍服を着こんだ男が扉を開けて顔を覗かせた。
「今日の助手は貴様か。とっとと乗るがいい」
年は20代前半。朱莉より少し年上くらいだろう。神経質そうな面立ちの男がいらだたしげに言うなり軍用車の扉を閉めた。
智人が気色ばんで身を乗り出そうとするのを朱莉は制した。
こういう人は口答えしても悪化するだけだ。
「智人、目的地に着くまで戻ってて」
「……はい」
不承不承と言った様子で姿を解けさせた智人に息をつき、今にも帰ろうとする黒江を呼び止めた。
「黒江さん、宗形さんに言付けをお願いいたします」
「なに」
「後で割増料金要求します。と」
目を丸くする黒江を横目に朱莉は本鞄を肩にかけると、前の座席の扉を開けた。
そこが車に乗るときの下座だと知っていたからでもあるが、朱莉はあの男の隣に座るのは遠慮申し上げたかったのだ。
運転手は年かさの軍人のようだったが、弁士よりも位が低いらしい、一瞬だけこちらを向いた彼が同情するようなまなざしを向けてくるが何も言わなかった。
朱莉が座席に収まったとたん、後ろから苛立たしげな声が聞こえた。
「ふん。精々足手まといにはなってくれるなよ」
とりあえず朱莉は宗形が朱莉を生け贄に捧げた事だけは理解した。
くだんの屋敷は東華の中心地から東南に下った地域にあり、華族や財界人の屋敷が立ち並ぶ一角にそびえていた。
資料を読むに、それなりに財を持った家らしい。今回書物を処分するにあたり弁士協会の調査が入ることになったのだ。
政府の権力が強くなったからこそこうして手を入れる事ができるようになったらしく、未だに調査の手が入っていない家が多いらしい。
今回朱莉が訪れたのはそういった家の一つだった。
「弁士部隊所属、雨海少尉である。これより言語りの調査を行う。何人たりとも近づくな。反抗した場合実力行使も辞さん」
今回共に挑むことになった雨海は一時間遅れた事もまったく反省したそぶりを見せず、屋敷の使用人や主を脅すと、朱莉に無造作に指示を出した。
「俺は屋敷内を一回りしてくる。貴様は書庫の書物すべてに目を通して言語りを探せ。いいな」
朱莉が返事する前に屋敷の主と共に去って行った雨海に息をついた後、朱莉は自分の仕事に取りかかった。
もちろん、この屋敷の使用人頭には、平身低頭した。
これくらいは何でもない。なにせ商事で働いている時には常であるから。
「あの男一体どう言うつもりですか! まったく!」
一人きりになったとたん現れた智人が憤然としてくれた事で、朱莉は思わず吹き出した。
「あなたは何にも言われてないのに何で私より怒ってるのよ」
「だって、屋敷の主人がそれほど怒っておられないのは朱莉様のおかげではありませんか! にもかかわらずあの男、それを無にするような事ばかり!」
「そんなに熱くなったって変わりはしないわ。落ち着きなさい」
「でもっ!」
なおも悔しげにする智人に朱莉はどうしたものかと思ったが、その前に壁に寄りかかっていた勘助が口を開いた。
「ああいう中途半端に矜持を持った手合いは、下に見てるやつの言葉なんざ聞きやしねえよ。どうせこの場限りのつきあいだ。ほどよく合わせてほどよく距離を取るのが賢い対処法ってやつだ」
勘助が悠々と壁に背中を預け刀を抱える姿は無造作だったが、どことなく有無を言わせない空気を醸し出していた。
納得はしていないもののぐうと黙り込んだ智人に、朱莉はほっとして本を預ける。
「じゃ、私たちの仕事をしましょ。これ1人でやってちゃ終わらないから」
何せひと部屋すべてが本で埋まっているのだ。これを確かめ終えるには相当な時間がかかる。智人は気を取り直したようにうなずいた。
「……はい。今の朱莉様でしたら頁をめくらずとも、持つだけで違和を覚えるかと思います。そういった書物がありましたら、僕に渡してください」
「了解」
そうして腕まくりをした朱莉は、本の海に飛び込んだのだった。
*
用意された時間は一日。しかも雨海が遅れた事によって時間は短くなっているが、やるのは単純作業だ。
本を手に取り”何か”がないかを感じる事。文字を読むことすら必要ない。
指南書は頭にたたき込んできたとはいえ、本当に自分に分かるのかと少々不安に朱莉だったがはじめてそうそう手に取った一冊に妙な違和を覚えた。
「……あれ」
あえて言うのなら誰かの温もりが残っているような、生き物を手に乗せたような感覚に声を上げれば、智人がひょいとのぞき込んできた。
「お手柄です朱莉様。こちらには邪気が入り込んでいますね」
「言語りではない?」
「封じられたのではなく物語に惹かれてやってきた負の思念が囚われて凝ったのでしょう。放っておくと害をなしますので、祓っていただくのが良いかと」
「なるほど、業務内容の内ね。より分けておきましょ」
手引き書にもそういった事項があったなと思い出した朱莉は、端により分けて作業を再開する。
ほぼ本を右から左へ移す作業なので、智人と手分けすれば室内の本の半分以上を確認できたところで、悠々と雨海が姿を現した。
「何だ、まだ終わっていなかったのか」
智人がかちん、と来るのが手に取るように分かった朱莉は押さえるために立ち上がる。
どうやら智人はずいぶんけんかっ早い性格をしていたらしい。
「恐れ入ります、こちらの書物に邪気がやどっているようですので、対処をお願いいたします」
「ふん。こんなもの、焼けばすぐに済むというのに」
雨海は数冊ほど積まれた書物に鼻を鳴らすと、腰から下げられた鞄から札を取り出して無造作に張る。
とたん、書物から立ち上っていたおどろおどろしいものが消える。
朱莉にもほんの少し、室内に漂っていた重苦しい空気が和らぐのが分かって効力を発揮した事が分かった。
確かに必要な能力はあるのだろう。
「当主に聴取したところ、本はすべてここに集めてあるそうだ。念のために書斎へ立ち入ったがすべてただの書物だった。つまりは君がこの仕事を終わらせていなかったために終わることができないと言うことだ」
雨海の完璧な嫌みを朱莉は思いきり右から左へ流した。
屋敷中の本をここに集めているのであれば、朱莉達の仕事量がいちばん多いと言うことになるのだが、そのあたりは全く関係ないのだろう。
朱莉はよく知っている。ただ単に女であるから、自分の方が仕事ができているからと言う理由で相手を見下しにかかる人間がいることを。
だから朱莉は、無造作に智人の腕を捕まえた。
「智人、仕事に戻るわよ。話は後で聞くわ」
「……かしこまりました」
こういうときはお給料の事を考えて仕事をするのが一番だと朱莉は速やかに仕事に戻ったのだが、雨海はやれやれとばかりにため息をついて居座ったのだ。
「まったく、2体も言神を出しておいてこの程度の仕事も終わらせられないとは。本当に弁士としてやっていく気があるのかね」
「恐れ入ります」
無言では駄目だ、適当と分からない程度に相づちを打って、しゃべりたいだけしゃべらせておくのがいい。満足したら去って行くはずだ。
「その男なぞ、よく娘の弁士が顕現したがりそうな見目をしている。どうせ夢見がちな理由で選んだのだろう。特にこの汚らしい武士なぞどこの言語りだ。怠惰に座っているだけではないか。言神は弁士に役立つためにあるのだ役立たずであれば捨」
「充分時と場合を選んで顕現させていますので」
あっさりと、朱莉の心の声が漏れた。ちょっぴり後悔したが言ってしまった物は仕方がない。
まさか言い返して来るとは思わなかったのだろう雨海が言葉を止めるのに、朱莉はりんと向き合って続けた。
「智人は実務に関して私の作業を肩代わりしてくれています。次いでこの箕島勘助は万が一、暴走する言語りが現れた場合に対処できるように待機しているのです。私が与えた役割を果たしています」
朱莉には壁に背を預けていた勘助が、軽く目を見開くのが見えた。
その証拠に雨海が封じるまで、邪気のたまっていた書物の山を警戒していた。
宣言したとおり、勘助が朱莉達の護衛役を引き受けていたのである。万が一にも事故が起きた場合に備えて。
智人まで驚いたように朱莉を見る。
「気づいていらっしゃったのですか」
「何でかなーとは思ってたけどね。勘助、朝からお酒一滴も呑んでないし、さっきも立ち上ってたもやが私の方にこないようにしてくれてたもの」
原理までは分からないが、それくらいは見えた。
手引き書にも、対処できない者が検品作業に当たる場合、弁士または能力のある言神を警戒役として置くこと、と書いてあった。
勘助は自分の役割をきちんとわきまえていたという事なのだろう。朱莉になにも話をしないというのはいただけないが。
「雨海様はもちろんご存じの事でしょうが、私はあくまで補助要員ですので言神に対処することはできません。雨海様がいらっしゃらなかったために、やむを得ずこのような方法をとりました。作業の遅れはお許しください」
なにも言わない勘助の視線を感じながら朱莉は綺麗に頭を下げて作業に戻る。
もしかしたら一発二発くるかも知れないし、宗形に迷惑をかけるかも知れないがそれはそれだ。思いっきりかけてやるくらいでちょうど良いと思う。
朱莉の視界の端で顔を赤くしてぶるぶると震えていた雨海が気色ばんで立ち上がるのが見えた。
ぼーんぼーん。時計の音が大きく鳴り響いた。
朱莉が振り仰げば、壁に掛けられた時計は3時を指していた。
同時に、どこからか西洋音楽が流れ始める。
聞き覚えのある旋律に、朱莉が状況を忘れて目をしばたたかせた。
雨海の札で封じられていた書物が激しく震えだした。
「っ!?」
見る間に札が黒ずんで朽ち落ち、恐ろしい勢いでどす黒い影が吹き出す。
驚く朱莉を智人が引き寄せる前。
顔をすがめた雨海が、腰の本鞄に手を伸ばす前。
誰よりも素早く動いたのは勘助だった。
ざんばらの黒髪を翻し、だん、と踏み込んだ勘助は銀線を走らせる。
智人の腕の中で朱莉が目をぱちくりとしたときには、今にもふくれあがろうとしていた黒いもやは両断されていた。
いつの間にか勘助の刃が抜き放たれており、何事もなかったように血ぶりをくれている。
朱莉がなにが起きたのか全く分からずぼんやりしていれば、腕を緩めた智人が教えてくれた。
「勘助が暴れだそうとした魍魎を斬りました。邪気が凝って実体化したようです」
「なる、ほど」
「なぜ急に魍魎が現れた……? あれは姿を取れるほど力はなかったはず」
雨海が呆然とつぶやく中、部屋の外から悲鳴と何かが暴れる音が響く。
弾かれたように顔を上げた雨海は、舌打ちすると朱莉へと怒鳴った。
「ともかく状況把握だ、来いっ」
「は、はい。勘助、智人っ」
雨海の後に続いて、騒ぎの中心部へと駆けつければ、屋敷の奥に位置する廊下に屋敷の主人である壮年の男性が座り込んでいた。
その前では複数の男性使用人が、重厚な鉄扉をなんとか押さえつけて鍵をかけるところだった。
さらに付け加えるならば、その扉の向こうから何かが激しく暴れ回る音が響いている。
「一体何があった!」
雨海が厳しい声音で屋敷の主人を問い詰めれば、主人はぐっと悔しげな顔をしつつ答えた。
「……言語りから、鵺が現れました」
どんっと、壁を壊さんばかりに暴れる音が響いた。




