言神「箕島勘助」
智人が戸惑いに瞬いていたが、朱莉は眼前で硬直する勘助へ向け、言葉がこぼれるままに続けた。
「あれは救いようのないお家騒動でしたけど、藩主が心の弱い人で、取り入ろうとした家臣達の甘言に乗せられて箕島勘助を死地に追いやっていたのも。勘助が主君殺しをしたのは、藩主が民を虐げはじめた上に、自分の妹を攫われたからだっていうのも。それでも藩主の名誉だけは守ろうと、自分を悪者にして全部泥をかぶった結果だって言うのも全部、歴史として残っていますもの!」
声を荒げて言い切る朱莉に、勘助の鋭い目が見開かれぽかんとする。
あっけにとられた様子の智人が納得したようにつぶやいた。
「朱莉様が最近借りてらっしゃったのは、歴史書ですか」
「……物語は苦手だけど、文字を読むのは好きなのよ。私」
指摘された朱莉はすこし決まり悪く思いながら言い訳のように言った。
女学校時代は図書室に入り浸って歴史や植物図鑑、科学など空想の入る余地のない書物を読みふけっていたものだ。
そんな有様だったために流行りの少女小説について行けずに浮いていたが。
今回、借り入れた本は以前女学校で読んでいた箕島勘助の史実をもう一度確認するためだったのだ。
だからこそ史実の中での箕島勘助という男を読み知っていて、ほんの少しだけ、有名人に出会うように胸を高鳴らせていたのは一生言うつもりはない。
「だからなんだ。俺が無関係の人間を斬り殺したことには変わりないぜ」
「ええ、あなたは悪人よ。刃は血にまみれているし、あの時代だったとしてもどの殺人も肯定できない」
言い切られるとは思っていなかったのか勘助が口をつぐむ。
そう、箕島勘助という男が犯した罪まで肯定する気はない。正直あんな凡君を何で早々に見限らなかったのかも分からないし、そんな主君の名誉を守るためだけに赤の他人を斬り殺したのだって朱莉には全く肯定できない。
だがしかし。なのだ。
朱莉は知っている。あの時代、武士という区分の人間がどれだけ主君を大事にしていたのかを。何より朱莉はただの史実からだけでも読み取ることができた。箕島勘助という男がどれだけ前の藩主を慕っていたかを。
「けれど私は、あなたを最後まで主君に尽くして、道を間違った主君をその刃を持って誅した義の人だと思った。妹を攫われてすぐさま行動を起こすほどに家族を大事に思っていた情の人だと思った。その生き様を私は否定しない。だから」
もはやなにを言いたいのか分からなくなってしまった朱莉だったが、精一杯眼前の武士をにらみつけた。
「だから、私の箕島勘助はすごい侍なのよ!」
言ってしまってから朱莉は、ものすごく恥ずかしい事を口にした気がして顔を赤らめる。
普段誰かに何かを話すことなどないものだから全く歯止めが利かなかった。
ぐぬぬと黙り込んでいれば、眼前の勘助はあんぐりと口を開いていたかと思うと吹き出した。
体を二つに折って笑い転げる勘助に、朱莉はものすごく不本意な気分でぶすくれる。仕方ない、多少は甘んじて受けよう。だがそこまで笑わなくても良いではないか。
「あ、朱莉様!? そんなうらや……思ってらっしゃったんですか」
朱莉は智人の驚きの声にいたたまれない気持ちになったが、ようやく笑いを納めた勘助が言った。
「で、お前はそんなすごい侍になにをさせたいんだ」
嬢ちゃん、と呼ばれなかった事に驚いた朱莉は、勘助の炯々とした眼光に射貫かれた。
「言語りをどんな解釈で語ったとしても俺は刃を向けるぞ。できることはなにもねえ」
「私のこと、主君だって認めてるの?」
「さっきの有様見ただろうが。俺があれを主と思っているように見えたか? 俺にこびりつく「そうに違いない」という概念ってやつがそうさせちまうんだ」
あきらめろ、と言外に言う勘助だったが、その表情はどこか憑き物が落ちたかのようにすっきりとしていた。
確かに無理だろう。けれども、
「そうではあるけれど、本来の力を発揮できれば鵺なんて簡単にぶった切れるんでしょう」
「たりめえだ」
打てば響くような勘助の肯定に朱莉はおもわず唇の端がつり上がった。
そうでなくては箕島勘助ではない。
「と言うわけで智人、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……ってなにいじけてるの」
「べ、別にものすごくうらやましくて良いなーとか思っていますけど! 何でしょうか」
智人が少々ふてくされて居るのに朱莉は少々呆れた気分になったがともかく言う。
「言語りって、語り方次第で特定の逸話を省いて能力を発揮させる事ができるのよね」
「ええ、その通りですが」
「なら能力を顕現させる場所や、形を選ぶことはできるかしら」
朱莉の問いに、智人と勘助はあっけにとられた顔をした。
「それ、は、語りの時に指定すれば理論上は可能、ですが」
「……おいおいどこにやるって言うんだよ。智人は無理だぞ」
「主君殺しでも、まさか本人を殺すことはないでしょ」
嫌な予感がすると言わんばかりの勘助に、朱莉は全身を緊張させながらも笑って見せる。
言い出しっぺであるからには、責任は取るしこれが確実だとおもったのだ。
何よりこの箕島勘助という武士のあり方を肯定し、証明したかった。
意図が分かった智人は絶句し、勘助は心底呆れた顔になった。
「馬鹿だろう嬢ちゃん」
「でも、稀代の侍ならできるでしょ」
正直どうなるかは分からないし、うまくいくかも分からない。
なぜこんな衝動に駆られているのかもわからない。けれど朱莉も引く気はなかった。
過保護な智人が気色ばみかける中、部屋全体が振動した。
嫌な破壊音も響いているそれに、一刻の猶予もないのだと知った。
勘助も朱莉と同じ感想を持ったらしく、彼は仕方がないとでもいうように表情をゆがめた。朱莉が折れないことが分かったのだろう。その通りだ。譲るつもりはない。
「やるんならとっととやろうぜ。俺をうまく使ってくれ」
「使わないわ、私はただ事実を言うだけ。力を貸してもらうだけなんだから」
朱莉がきまじめに訂正すれば、勘助はくつりとのどで笑った。
「あんたは、ほんとに似てるな」
そう言った勘助は呆れの中に、どこかすっきりとしたものがあるような気がした。
話がまとまってしまったことが分かったらしい智人が、それでも心配そうに朱莉に問いかけてくる。
「朱莉様、言語りを語っていただいても良いのですか」
「これは史実だもの。ただ多くの人が思っているからって真実をゆがめられるのが我慢ならないだけ。語り方、教えて頂戴」
「わかり、ました」
智人が不安げに見守る中、朱莉は青鈍色の言語りを持ち直した。
ぐつりと胸の奥で嫌なものがこみ上げるが、無理矢理押し込めた。
これの原因は分からない。けれど今負けるわけにはいかない。
だって、自分が魅せられた歴史の人物はたかがあの程度なわけがないのだから。
「では朱莉様、望む力の頁を開いてください。最もこの場で発揮してほしい力を綴った頁を。語りが力を発揮しやすくなります」
智人の言葉のままに朱莉は青鈍の表紙をめくり、無類の剣豪として名をはせた、鵺退治の項目を開いた。
「次にあなたが思い、望む姿を語ってください。言の葉は腹から。霊力を練り上げ……とも申しますが、言神を思うだけで充分です。ただ言神にまっすぐ言の葉を紡いでください。祝詞となります」
祝詞。その言葉を朱莉は努めて聞き流した。今意識したら何も言葉が出なくなりそうだ。
望む姿なんてわからない。朱莉が知っている姿でいいのだ。そう決めた。
これは物語ではない。自分の解釈を言神に伝えるものなのだから。
震える心をそうなだめて。眼前の武士を見据えた朱莉はすう、と息を吸い、声を張り上げた。
「”これなるは鬼畜外道の人斬りにして、主君への忠義の限りを尽くし桜のように散った義の益荒男なり! 神魔鬼神すら討ち果たせし刃と技、我が身に宿りて振るうべし! 定義されしは鬼神殺し、名を箕島勘助!”」
鮮やか、そう称すべき青鈍が頁から立ち上る。そして眼前の勘助の姿も解けると、青鈍の帯となって眼前に細く優美な形を取る。
青鈍が晴れると、一振りの刀が虚空に浮かんでいた。
勘助が腰に差していたものに似た打刀を朱莉が取れば、自分の中に何かが入ってくるのを感じた。
『やればできるもんだなあ』
瞬間、体が勝手に動く。手にある重いはずの打刀がしっくりと体になじんだ。
そして朱莉の体が自分の意思と関係なく勝手に動く。
頭の中に勘助が、驚いたような愉快げな様子で体を動かすのを感じた。
どうやらうまくいったようだ。
朱莉が息を吐こうとした途端、少し抵抗があった。
自分で動かそうとすると、勘助の動きを邪魔するらしい。
ならば、と朱莉は全身の力を抜いて、刀から伝わる指示に身をゆだねながら言った。
「私運動神経も体力も皆無なので、自由に使ってね。ただ大事にしてちょうだい」
『それはうすうす分かっていたが、思い切りが良いな』
「その道の玄人に任せるのが一番でしょう」
『ちげえねえ』
朱莉は自分の口が勝手に動くのに不思議な気分になったが、今のこのときだけだと違和を抑えた。
「ああ朱莉様の声で勘助の言葉が聞こえるなんてなんだかめまいがします……」
気が遠くなっているような智人に、朱莉の中に入った勘助は青鈍の言語りと、刀を抜きはなった後の鞘を押しつけた。
『嬢ちゃんの着物じゃ挟めねえからな。持って付いてこい』
そうして、朱莉の体は抜き身の刃を携えて走り出したのだった。
朱莉は運動がものすごく苦手だ。
普通に歩いているだけでも何かに蹴つまづくのは日常茶飯事なほどだ。
だから草履ではなく歩きやすい靴をわざわざ履いているほど。
それはすべて自分の体が致命的に運動に向いていないのだと思っていたが、認識を改めなければいけないと、朱莉は疾風のように過ぎ去っていく風景に呆然とした。
両手には、重いはずの刀をひっさげて、である。
自分の体にそんな力があったのかと驚いていたが、勘助はそうは感じなかったらしい。
『っち、女もんは走りづれえし、予想以上に体が重いな』
刀を片手に持ち替えた勘助は、ばっと着物のすそを割った。無造作な動作に朱莉はとっさに反応できなかったが、代わりのように智人が抗議した。
「ちょっ勘助! 朱莉様の体ではしたないことをしないでください!」
『うるせえ! 今はそれどころじゃねえんだ。くるぞ』
たどり着いた倉の戸から顔を出そうとしていたのは、巨大な獣だった。
体躯は矮躯し、虎の強靱な四肢を持ち合わせ、顔は醜悪な猿のよう。蛇のような尾を攻撃的に揺らめかせていた。
あれほど頑丈そうに見えた鉄扉をひしゃげさせていた鵺は、憤怒にゆがんだ顔でこちらを認識した。
こんな化け物に勘助は勝てるのだろうか。
『ひるむな。たかが一匹だ。俺に任せてりゃいい』
勘助の言葉どおり、朱莉はすべての懸念を振り払った。
動きを邪魔することだけはしてはいけない。と体の主導権を刀に明け渡す。
『とはいうものの、嬢ちゃんの体も持ちそうにねえからな。一発だ』
不穏な言葉に朱莉は一抹の不安を覚えたが、その前に勘助は加速した。
朱莉の長い髪を翻し、両手で刀を構え、まっすぐに鵺へと向かっていく。
今まさに出ようとしていた鵺が廊下へ躍り出ようとした瞬間、勘助はわずかに体をずらし、すれ違いざま刃をなぐ。
それは猿のような顔面へと走り、鵺はもんどり打って廊下を転がった。
鵺はすさまじい悲鳴を上げながらも、怨敵となった娘の姿をした武士を探す。
だがしかしその憤怒の瞳にとらえられる前に、勘助はだん、と踏み込んでいた。
朱莉という娘の体にもかかわらず、全身から闘気があふれだす。
まさに、あまたの神魔を制してきた武士にふさわしい姿であった。
両手で構えられた刃が、吸い込まれるように鵺の首筋へと振り下ろされた。
ざん、と刃が断ち切る感触は、朱莉にとって不可思議なものだった。
暴れようとしていた虎のような四肢から力が抜け、床に倒れ伏す。
ごろごろと転がる首は、完全に事切れていた。
ばし、と何かが弾かれるような音に顔を振り向けば、智人が刀の鞘で鵺の尾を弾いていた。
勘助は驚いた風もなく、智人に片手を差し出し鞘を受け取ると、無造作に血ぶりをくれて刀を納めた。
そこでどっと体から力が抜け、朱莉は息を荒げながらその場にへたり込んだ。
体が異様に重くて、全力疾走をした後のように呼吸がままならない。
あれだけの事をしたのだからそれも当然かも知れなかったが、それ以外にもあるような気がした。
その場に倒れ込みそうになる朱莉を智人が支えた。
「お疲れ様です、仮にも神をその身に下ろしたのです。精神と肉体に多大な負荷がかかったのでしょう」
「なる、ほど」
「なんと言うことだ……」
廊下の向こうからふらふらと現れた雨海に、朱莉はまだまだ困難が終わっていない事をひしひしと感じつつ。
鵺というものは本当に人が倒せるものなのだな、と史実の再現を間近で見て不思議な高揚感を覚えていたのだった。




