【六】
同じ夢を繰り返し見ることってあるよね。僕はある。
いつも同じ場所からスタートして、同じ道筋を辿り、「ああ、ここで猫を見るんだよね」と思った場所で猫を見て、突然場面が変わって、でも夢の中の自分は気が付かないままに「うんうん、知ってる、ここはこういうもん」と納得している。
反復夢というらしいですよ。インターネットが言っていました。
なんかストレス?を処理?するために脳の機能が?みたいな。難しいことはわかりませんが、この城においては僕の知識レベルが国家の頭脳。つまり問題なし。
夢の中で「あ、またこの夢か」と気づくときもあれば、起きてから「あれ何回も見てる夢だな」と気づくときもある。
「おや、なんかこないだより展開進んでたな」というときもたまにありません?
セルフ連載ドラマみたいな。お得だな僕の脳。あれ、ストレスなんだっけ?ごめんね僕の脳。
扉の夢は、夢の中で「夢だ」と気づかないタイプの夢だった。
世の中は梅雨も明けて夏真っ盛り。大学は来週から夏休み。
バイトは昼から入れるし、友達と海に行く約束もしたし、女子を交えて花火をする約束もした。勝ち組である。うひひ。
つまり今の僕にストレスなど存在しない。あるとすれば、うどん屋さんのバイトで足と腰が酷使されるくらいか。
でも足腰のライフゲージと引き換えにお給料がもらえるんですよ。やるっきゃねぇ。
夜、我が城のベッドで寝転びながらスマホをいじって、友達からのラインにまた適当にスタンプを返す。
筋トレしないとだとか、ナンパ技術を磨くとか、海の家のバイトを探すとか、みんな言いたい放題だ。海の家のバイトは女子狙いだろお前ら。けしからんわね。
そうしてごろりと寝返りを打って、開けっ放しだったキッチン方面の廊下が目に入って、ふとあの"扉"を思い出す。
「…………」
みし、とベッドを鳴らして起き上がって、――さっきスマホで調べた"反復夢"を思い出す。つったって、あの夢はあそこに扉があるだけで、「ただいま」と言ったら「おかえり」が返ってくるだけの、ちょっと意味わかんない夢。他に何の異変も……。
……異変も……。
……たとえば、変化、を、こっちから作って反映されるのかな、と思ったのは、僕の悪い想像癖だった。
部屋の壁にかかっている時計を外して、それが引っかかっていたピンも抜く。このピンは百均で買ったものでしてね、ピンがこう、斜め下に刺さる構造で、壁に空けた穴が分かりづらくなるという、賃貸マンにおすすめのちょっとしたズルアイテム。
――を、キッチンの向かいの壁の、……夢の中で扉が出てくる位置の、真横に刺す。その上から、時計を設置。
これで、扉の横に時計が……、……僕は一体何をしているんでしょうか……。
キッチン背後の壁に壁掛け時計が爆誕してしまった。
すごい綿密に料理をする人みたいになっている。
でもまぁ、実験。実験ですよ、と思いながら、――その日は、それで寝てみることにした。
――んん、とはいえ、眠れるかどうかは、正直半々だった。
だって自分の夢に対して罠を仕掛けるって何。
僕は夢に出てくる扉に対して、一体全体何を挑んでいるのか。ホラー映画なら開始四十分くらいで余計なことをするタイプの登場人物である。やめろ。そういうやつから死ぬ。
でも実際は、大学とバイトと夏の暑さとスマホの明かりで普通に眠くなってくる。若さと人体の敗北。
時計を移動させたせいで、ベッドから見える壁がちょっと間抜けになっている。
もともと時計があった場所には、ピンの穴が見えない。さすが百均。百均への信頼がさらにひとつ深まる。
エアコンは二十七度。
薄いタオルケットを腹にかけて、スマホを枕元に置く。
動画をかけるか迷ったけれど、その日はなんとなくやめた。無音だと逆に寝られないかなと思ったものの、外では夜の虫が鳴いていて、冷蔵庫がときどき低く唸っている。
それで充分だった。
夢の中で、僕はキッチンを背にして立っていた。
扉がある。初手向かい合いは初めてだった。
茶色の扉。銀色の細長いノブ。こっち側に開く形。
そして、その横に時計。
「……時計……」
呟くも、夢の中の僕は、それを見ても驚かなかった。
そりゃそうだ。僕がそこに掛けたのだから。だけど同時に、ほんの少しだけ、胸の奥がすっと冷えた。
夢だ。
これ、いつも見ている扉の夢だ。
あるんだ。本当に時計、あるんだ。
時計は間違いなく僕が使っているもの。丸い白い文字盤で、黒い針。下のほうに小さな液晶がついていて、日付と曜日が出るタイプ。母さんが「日付わかるほうが便利でしょ」と選んだやつだ。
秒針は動いていなかった。音もしない。
でも針は、時刻を示していた。
――午前二時十七分
液晶には、こう出ていた。
――七月十九日 金曜日
「…………」
僕は、それを見つめた。
夢の中なのに、数字だけが妙にはっきりしていた。
テスト前に覚えた年号より、バイトのシフト時間より、スマホの認証コードより、ずっとくっきりと目に入ってくる。
七月十九日。
金曜日。
午前二時十七分。
丑三つ時って、確か二時くらいだったよな、と思った。
いや、厳密には知らない。知らないけど、なんとなくそれっぽい。ホラー界におけるゴールデンタイム。やめてほしい。こちらは一般大学生である。
扉の向こうから、かすかな音がした。
とん。床を踏む音。
とん、とん。遠い。近づいては来ない。
それから、しゃ、と布が引かれる音。いつものカーテンの音。
僕は時計をもう一度見る。
二時十七分。
秒針は動かない。液晶の数字も変わらない。
ここだけが、ぴたりと画鋲で留められたみたいだった。
喉が乾いていた。
ノブには触らない。冷たいことを知っている。
言わなきゃいけないことも、知っている。
「……、ただいま」
――声は、いつもより小さく出た。
こんなんじゃ、扉の向こうに届かないかな、と思ったけれど……少し間があって、とん、と、向こうの床が鳴った。
それは初めて、こちらへ近づいた音のように聞こえた。
「おかえり」
いつもと同じ声、だ。
男か女か、若いのか年寄りなのか、やっぱりわからない。
けれどその日は、確かに前より近かった。
時計を見る。
午前二時十七分。
七月十九日 金曜日。
秒針はやっぱり動いていない。
真っ暗な部屋の中で、僕はベッドの上に仰向けになっていた。
エアコンの風が、足首のあたりを撫でていて、心臓は、やけにしっかりと動いていた。
枕元のスマホを手探りで掴み、画面をつける。二時十七分。
「…………」
午前、二時十七分、は……すぐに十八分に切り替わった。
日付は、七月十九日。
金曜日。
スマホの数字が、二時十九分に変わる。
それを見て、ようやく息を吐いた。
なんだ、この、まるで、慌てて現実が、言い訳をしているような、いやそんなわけはないんだけれど。でも、間違いなく現実の時間は動いている。……よかった。たぶん、よかった。
ベッドから頭だけを起こして、洋室の扉の向こうを見る。扉は閉まっていて、廊下は見えない。
あそこに、あの向こうに時計がある。僕が掛けた時計が、夢の中で扉の横にあった、時計が。
今も、現実の壁に。
「……見、に、行く?」
声に出した瞬間、自分で自分に引いた。
アホか、行かない。行くわけがない。
この状況でキッチンまで行く人間は、ホラー映画開始四十五分のやつである。さっきより五分進んだ。危険度も進んだ。
僕はスマホを握ったまま、布団を肩まで引き上げる。眠れるわけがない、と眉間に皺を寄せて。
けれど次に目を開けた時、カーテンの隙間から、朝の光が入っていた。
――【六】




