6『新世界』
「ふーむ。異世界ねぇ」
鈴鳥宮子は半信半疑といった様子で、無銘の話を聞いてた。
「此処は日本のようだが、俺の知ってる日本とは少し違う」
無銘は此処に来てすぐに実家に電話をかけたが、現在は使われておらず、通っていた高校も存在しなかった。アンリが最期に放った光で、無銘は元の世界に似た異世界に飛ばされたのだ。
「とにかくお前はこの世界では寄る辺もない身の上な訳だ。なら私の執事になれ。代わりに私が君を保護しようじゃないか」
宮子は口辺に笑みを浮かべた。鈴鳥グループは日本有数の財閥系企業であり、都内に広大な敷地面積を誇る邸宅を所有している。初めて無銘が宮子と出会ったのも鈴鳥家の庭内だった。その庭内も、無銘は緑地公園だと勘違いする程に広かった。
「執事なんてした事が無い」
「簡単だ。私に付き従って命令を忠実に実行すれば良い」
「……分かった。引き受けよう」
「決まりだ。しかし、名前が無いのは不便だな。よし、その金髪と金眼に肖ってオーロと呼ぼう。よろしくなオーロ」
差し出された手を無銘──オーロは握り返す。
「今夜はゲストルームに泊まれ。明日は五時に正門の前に集合だ。ロードワークに付き合って貰う」
宮子が手元のベルを鳴らすと、メイド服を着た女が入ってきた。年齢は二十代前半といったところか。眼鏡をかけた佳人だった。
「メイド長の柊弥生だ。分からない事は彼女に訊くと良い。今夜はもう休め。弥生、執事のオーロだ。ゲストルームまで案内してやれ」
「かしこまりました」
そうして、オーロは案内された部屋でベッドに腰を下ろした。
──イザレア、エルウッド。敵は取ったぞ。
オーロは拳を握り締める。そうして、ベッドに倒れ込み、泥のように眠った。
翌朝、ノックの音で扉を開けると、弥生が真新しいジャージを持って佇立していた。
「オーロ様。こちらをお使いください。脱いだ衣服は洗濯しますのでそのまま置いておいてください」
「よくサイズが分かったな」
「目測はメイドの嗜みですので。それではオーロ様お嬢様のお相手よろしくお願いします」
深々と頭を下げて、弥生は去っていった。
「俺も着替えて行くか」
そう言って、オーロはジャージに袖を通すと、正門に向かった。
「遅い! 一分の遅刻だぞ!」
「すまない。屋敷内で迷った」
迷路のように広い屋敷だった為、オーロは最終的に窓から飛び降りて正門まで辿り着いたのだった。
「まぁいい。行くぞ。しっかり付いて来い」
まだ日も昇らぬ暗いうちから、宮子のロードワークは始まった。
ユズベルの修行に加えて融合の効果で、オーロはこの世界で指折りの体力を備えている。そのオーロから見ても、宮子の体力は常識の埒外だ。全力疾走に近い速度で既に三十分以上走っている。そのまま更に三十分走り続けて、空が薄紫色になる頃、正門の前に戻ってきた。
「お帰りなさいませ宮子お嬢様。オーロ様」
正門の前には弥生が待っていた。手に提げたバックからタオルとスポーツドリンクを取り出すと、宮子とオーロに手渡した。
「うむ。いい汗をかいた。それにしてもオーロ、お前中々やるな。私に付いてこれた執事はお前が初めてだ。褒めて遣わす」
嬉しそうに笑って、宮子はオーロの頭を乱暴に撫でた。宮子は容姿端麗な少女だ。普段の尊大な態度から年嵩に見えるが、笑った顔は愛嬌のある少女のものだ。
「よし、次は組手だ! 道場に向かうぞ!」
「道場まであるのか……」
道場には更衣室とシャワー室まで備わっており、個人が所有しているとは思えない広さだった。
「オーロ様こちらをどうぞ」
弥生が道着を差し出す。
「サイズは?」
「勿論目測です」
きらり、と弥生の眼鏡が光った。
「さぁ! 始めるぞ!」
互いに道着に着替えて、オーロと宮子は正対する。直後、宮子が一気に距離を詰めて連打を放つ。オーロはそれを軽々と受け、躱し、反らし、捌いた。
宮子が一旦距離を取ろうと退いた。同時にオーロは距離を詰める。
「ッ!」
驚いた表情の宮子の額に、オーロはデコピンを見舞った。バチン、と音を立てて、宮子は仰向けに倒れる──寸前、オーロが抱きかかえた。
軽い脳震盪を起こしている宮子を抱えながら、オーロは宮子に回復の魔術を施した。
「ぅ……はっ!」
赤面して、オーロの腕から逃げ出した宮子が立ち上がる。
「大丈夫か?」
「む、無論だ! それより、私より強い執事は初めてだ。大抵の執事は三日で根を上げて辞めていくからな」
「まぁ、そうだろうな」
宮子の武力は本物だ。全力疾走を一時間も保たせる体力といい、付き合える人間はそうは居ないだろう。
「師は誰だ?」
「私の祖父だ。もう亡くなってしまったが、武術のいろはを叩き込まれた。文武両道を体現したような方だった」
懐かしむように、宮子は遠い目をする。その後、真面目な表情でオーロを見据える。
「オーロ頼む! 私を鍛えてくれ!」
宮子の唐突な発言に、オーロは一瞬動揺する。
「理由次第だな」
「……私にはどうしても勝ちたいヒトが居る。これまでの人生で唯一敗北したヒトだ。だが、もうじき卒業して遠くの大学へ進学するらしい。だから、卒業式の日に勝負を挑んだ。式まであと一ヶ月しかないが、頼む! この通りだ!」
宮子が頭を下げる。尊大な宮子が自尊心を押し殺した上での行為だ。重みが違う。
「分かった。できる範囲で教授しよう」
「本当か!」
顔を上げて、宮子が笑った。屈託のない、少女の笑顔だった。
そうして迎えた卒業式の日。宮子は校庭で風波彩華との戦いに臨んだ。その戦いを一目見ようと生徒達が集まっている。全校生徒が居るのではないだろうか。
宮子の背後にはダークスーツに身を包んだオーロが控えている。短い期間ではあったが、伝えられる事は伝えた。後は運を天に任せるのみだ。
「宮子! 死んでも怨むなよ!」
十間の距離を置いて、彩華が口火を切る。
「手加減無用!」
宮子が応える──刹那、間合を一瞬にして零にした彩華が拳を振り下ろす。
「!」
咄嗟に躱したものの、拳圧で地面に巨大なクレーターができた。オーロは瞠目する。彩華を一目見た時から、ただならぬ雰囲気を感じていたが、これ程までの水準の武術家がこの世界に存在している事が信じられなかった。
宮子は身を翻して廻し蹴りを放つ。鋭い蹴撃を楽に左腕で防ぐと、その足を掴んで宮子を空中に飛ばした。
「武天昇龍波!」
彩華の右拳から龍のカタチをした気が放たれた。不味い。空中では身動きができない。宮子は両腕で気を防ぐも、その圧で衣服は破れ、腕にヒビが入った。そのまま地面に叩きつけられた宮子に、彩華は再び拳を振り下ろす──間際、彩華の腕をオーロが掴んで止めた。
「決着はついた。もう満足だろう」
そう言って、オーロは上着を脱いで宮子にかけると、抱きかかえてその場を去る。
「すまない……オーロ……完敗だ」
「無理に喋るな。すぐ治療する」
「待て、私はまだ満足してないぞ! 宮子に代わってお前が私の相手をしろ!」
彩華の声でオーロは立ち止まる。
「いいだろう。胸を貸してやる。待っていろ」
オーロは宮子を校庭の隅まで運ぶと、回復の魔術を施した。そして、彩華に向き直る。
「無理だオーロ! やはり風波には勝てないんだ!」
背中に宮子の言を受けて、オーロは笑った。
「心配するな」
短く告げて、オーロは彩華に近づいた。
「お前、強いだろ? 見せてくれよ」
言うや否や、彩華は右拳を繰り出した。その拳を同じく右拳で巻き取るように動かして、彩華を投げ飛ばした。
「はははは! そうだ!」
彩華は乱打を浴びせるが、オーロはその全てを捌きながら、逆に拳を彩華に打ち込んでいく。結果、猛攻していた筈の彩華が満身創痍の状態になった。最初は喜々として攻撃を繰り出していた彩華も、今では余裕がなくなっていた。
「くそっ! 何故当たらない!」
「分からないか? お前には決定的に欠けている部分があるからだ」
「そんなものは無い! 龍虎双裂波!」
巨大な龍のカタチをした気と虎のカタチをした気が左右からオーロに迫る。その気をオーロは受け流して彩華に弾き返した。
「なっ!?」
咄嗟に防いだものの、轟音と共に地面に大穴が開いた。その穴から這い出てくるも、彩華は既に疲労困憊だった。
「身体能力も技術も上なのに何故俺に打ち負けるか。それはお前に心が欠けているからだ。心の修練は身体的にも技術的にも実感が伴わぬが故に挫折する者も多い。しかし、心技体。その合一こそ武には肝要なのだ」
彩華を置いて、オーロは歩き出す。
「ま、待て……!」
「待たん。続けたければ勝手に追いかけてこい。その時は全力で相手してやる」
そう言って、オーロは宮子を抱きかかえると、帰路に就いた。
「ひ、一人で歩ける」
「いいから。大人しくしとけ」
無理矢理抱え込んで、オーロは歩き出す。
「随分静かだと思ったら眠っていたのか」
腕の中で寝息を立てる宮子を抱えながら、オーロはゆっくりと鈴鳥の屋敷に向かった。




