祠を見つけて
廃墟を後に祐一たちは山頂へと向かった。
***十一***
ザッ、ザッ、ザッ……
足音は、十だ。
全員が歩いている。
十人分の足音。
だから、十。
それ以外は、ありえない。
祐一は、もう一度数えた。
一、二、三……
四、五、六……
七、八、九、十……
……十一。
頭の中で、何かが軋む。
気のせいだ。
絶対に、気のせいだ。
「どうした、部長」
峯川が振り返る。
「足が止まってるぞ」
「……ああ、すまない」
祐一は前を向いた。
歩き出す。
頭の中で、数えるのをやめた。
山道は、細くなっていく。
両側の木々が、密になっていく。
枝が、空を覆い始める。
青い空が、少しずつ見えなくなる。
代わりに。
葉と葉の隙間から差し込む光が、緑色に染まっていく。
「……静かですね」
松井あゆみが、小さく言う。
そうだ。
静かだ。
鳥の声が、聞こえない。
さっきまで、どこかで鳴いていたのに。
虫の声も、ない。
風の音も。
ただ、足音だけが響いている。
ザッ、ザッ、ザッ……
祐一は、唇を噛んだ。
数えない。
数えない。
数えない。
「……寮さん」
亜里沙の声が、少し強張っている。
「この道……合ってますか」
寮は立ち止まり、地図を確認する。
広げた紙の上を、指先が辿る。
「……合っている」
一拍、間があった。
「のはずだ」のはずだ。
その言葉が、空気の中に沈む。
橘美紀が、木々の奥を見つめている。
「……美紀さん?」
春香が声をかける。
橘美紀は、答えない。
ただ、じっと。
暗い茂みの一点を、見つめている。
「美紀」
峯川が、低い声で呼ぶ。
橘美紀が、はっとしたように振り返る。
「……何が見えた」
橘美紀は、少し間を置いた。
「……木」
「それだけだったんですか?」
「……木が、並んでいた」
「本当にそれだけだったのか?」と、峯川は繰り返す。
橘美紀はすぐに答えなかった。
ただ、もう一度だけ茂みを見て、「ええ・・・」静かに、前を向いた。
春香は、数珠を握り直した。
一行は、また歩き出す。
ザッ、ザッ、ザッ……
道が、急になる。
息が上がる。
空気が、重くなっていく。
湿気ではない。
何か別の、重さ。
「……なあ」
小川が、誰にともなく言う。
「出発してから、何分経った?」
誰も、答えなかった。
星川がスマートフォンを取り出す。
画面を見る。
眉をひそめる。
「……電池が、さっきまで七十パーセントあったのに」
「どうなってる」
「……三パーセント」
沈黙。
「使ってないのに」
また、沈黙。
寮が淡々と言う。「時間の流れがおかしいんだ」
星川は、無言でイマホをポケットにしまった。
山道の脇に、石がある。
古い石。
苔に覆われた、低い石。
一つ。
二つ。
三つ、四つ、五つ……
等間隔に、並んでいた。
祐一は、それが墓標だと気づいた。
名前は、もう読めなかった。
ずっと昔に、消えてしまっている。
誰の墓か、分からない。
何のために、ここに建てられたのかも。
ただ、並んでいた。
道の脇に。
まるで、見送るように。
まるで、歓迎するように。
「……数えないでください」
春香が、突然言った。
祐一は、足を止める。
「え」
春香は前を向いたまま。
「お墓の数を、数えてはいけません」
その声は、穏やかだった。
だが、有無を言わせない響きがあった。
祐一は、黙って頷いた。
一行は、墓標の間を通り抜ける。
誰も、口を開かない。
誰も、横を見ない。
ただ、前だけを見て、歩く。
ザッ、ザッ、ザッ……
抜けた。
木々が、少し開ける。
視界が、広がる。
広場が、見えてきた。
草が生い茂る、開けた場所。
中央に、古びた祠がある。
屋根が傾いている。
扉が、半開きになっている。
「……着いた」
陽菜が、静かに言う。
だが。
峯川が、足を止める。
「待て」
全員が、止まる。
峯川は、広場の中心を見ていた。
祠の前に。
何かが、ある。
白いもの。
丸く、小さい。
祐一は目を細めた。
「……お守りだ」寮が言った。
「誰かが、置いていったんだ」
「ええ・・・・」
橘美紀が続けた。
「でも、こんな山の中に」
松井あゆみの声が、上ずっている。
「誰が……」
そのとき。
祠の扉が、動いた。
風もないのに。
きぃ、と。
古い蝶番が鳴く。
全員が、息を止める。
扉の隙間から、暗闇が見える。
ただの暗闇。
何もない。
何もい、ない。
はずだ。
「……春香さん」
祐一は、低い声で言った。
春香は、すでに数珠を両手で構えていた。
目が閉じられている。
唇が、わずかに動いている。
声は、聞こえない。
だが、確かに動いている。
寮が一歩、前に出る。
「僕が先に行く」
「待ってください」
春香が、目を開けた。
その瞳が、まっすぐ祠を見る。
「……中に、います」
一拍。
「でも」
「悪霊じゃない」
全員が、春香を見た。
春香は、静かに続ける。
「……待っているんです」
「誰かを」
風が来た。
草が揺れる。
木々がざわめく。
祠の扉が、さらに開く。
きぃぃ……
暗闇の中から。
ゆっくりと。
何かが、出てくる。
小さい。
白い。
子供だ。
幼い子供が、一人。
うつむいて。
ぼろぼろの着物を着て。
広場の中央に、立っている。
顔は、見えない。
俯いているから。
ただ、小さな手が。
何かを、握っている。
赤い、細い紐。
その紐の先が――
広場の端の、暗い茂みへと。
消えている。
祐一は、紐の先を目で追おうとした。
そこで、春香が祐一の腕を掴む。
「見てはいけません」
強い力で。
「紐の先を、見てはいけません」
祐一は、視線を子供の顔に戻す。
子供は、まだうつむいている。
動かない。
ただ、立っている。
「……誰かを待っている」と、春香は繰り返した。
「誰を」と、寮が問う。
春香は、しばらく黙っていた。
やがて。
ゆっくりと、子供の方へ歩き出す。
「春香さん!」
祐一が声を上げる。
春香は、振り返らない。
一歩。
また一歩。
子供との距離が、縮まる。
五メートル。
三メートル。
一メートル。
春香は、子供の前で、膝をついた。
目線を、合わせるように。
「……ねえ」
柔らかい声。
「誰を待っているの」
子供は、動かない。
「……もう、来ないよ」
春香の声が、わずかに揺れる。
「その人は、もう来られないの」
子供の肩が、小さく震えた。
「だから」
春香は、そっと手を伸ばす。
「一緒に行こう」
その瞬間。
子供が、顔を上げた。
目がない。
鼻がない。
口だけが、ある。
ゆっくりと。
縦に、開いていく。
「ーーーー!」
松井あゆみの悲鳴が、山に響いた。
だが。
春香は、落ち着いて手を、伸ばしたまま。
「大丈夫」
「怖くない」
「もう、大丈夫だから」
口だけの顔が、春香を見ている。
見ている、のかどうかも分からない。
けれど。
確かに、向いている。
春香の方に。
長い沈黙。
やがて。
子供の手から、赤い紐が。
するり、と落ちた。
草の上に。
音もなく。
そして。
子供が、春香の手を握った。
小さな、冷たい手。
春香は、微笑んだ。
「……よかった」
光は、今度は来なかった。
音も、震えも、何もない。
ただ。
春香の手の中に重みがあって。
次の瞬間には。
なかった。
草が揺れる。
風が吹く。
広場は、静かになった。
春香は、ゆっくりと立ち上がる。
振り返る。
その頬を。
一筋の涙が、伝っている。
「……終わりました」
誰も、何も言えなかった。
地面に落ちた赤い紐を、陽菜が見つめた。
祐一は、春香の隣に並び見つめた。
何も言わずに。
春香も、何も言わなかった。
ただ、空を見上げた。
山頂の空は。
やはり、紫がかっていた。
さっきより、濃く。
「……例会に還って行きました」
春香の声は、穏やかだった。
寮が、静かに話す。
「先を……行くか」
全員が、歩き出した。
山頂へ。
紫の空へ。
足音が重なる。
ザッ、ザッ、ザッ……
祐一は、数えなかった。
数えない、と決めた。
だが。
首の痕が、また熱を持った。
今度は、冷えなかった。
山は。
静かに。
彼らを。
迎えていた。
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