山の霊異譚
祐一達は、悪霊が潜んでいる山に向かう事を決めた。
ここで、一気に悪霊を浄化する事で決着をつけるつもりだった。
***出発***
朝の空気は澄んでいるはずだった。
だが、山を見上げた瞬間、誰もが同じ違和感を覚えた。
山頂付近だけ、白い靄がゆらりと漂っている。
風はない。それでも霧は、まるで呼吸をするように、ゆっくりと膨らんだり縮んだりしていた。
「……晴れてるのに、あそこだけか」
峯川が小さく呟く。
高原会長は腕を組んだまま、険しい顔で山を見ている。
「昔から、あの辺りだけはな。天気と関係なく霧が出る」
祐一は視線を逸らせなかった。昨夜、女の霊が消えた瞬間――天井へ抜けた何か。あれは、あの山へ戻ったのではないか。
「行こう」
寮の声は落ち着いている。だが、その瞳は鋭かった。
車は二台。
先行は、祐一、亜里沙、寮、陽菜、春香。
後続に、峯川、橘美紀、小川、松井あゆみ、星川かせ乗車した。
エンジンがかかる。
山道へ入ると、舗装はすぐに荒れ始めた。昨日も通った道。それなのに――妙に長い。
「こんなにカーブ、多かったかしら?」
亜里沙がぽつりと言う。
寮は地図を確認する。
「同じ道だ。間違いない」
だが、車内の空気は重く感じられた。
カーブを曲がるたび、木々が車窓を擦る。ザザッ……まるで爪で引っ掻くような音が響く。
祐一は無意識にバックミラーを見た。後続車は、いる。だが、一瞬だけ、見えなくなった気がした。
「……」
次の瞬間、普通にそこにある。白い車体。峯川の運転する車。
気のせいだ。そう思い込む。
山道の途中。昨日、悪霊が現れた地点に差し掛かる。全員、自然と口数が減る。
陽菜が小さく息を吐く。
「……まだ、霊気が残っているね」
空気が、ひやりと冷えた。窓は閉めている。それなのに、首筋を撫でるような冷気を感じられた。
後続車から無線が入る。
『問題なし。順調だ』峯川の声だ。だが、どこか遠く感じられた。
祐一が答える。「了解」
やがて、道は途切れた。山の中腹。ここから先は、車では無理だった。
祐一がドアを開け、地面を踏むと、土が柔らかく感じられた。
「ここから先は歩いて行こう」
全員が頷く。
エンジンが止まり、山は、急に静まり返った。
鳥の声がしない。
風もない。
ただ、遠くで――
カン……
小さな金属音がした。
誰も何も言わなかった。
祐一は山頂を見る。霧が、少し濃くなっている気がした。
それはまるで、こちらを待っているかのようだった。
全員が歩き出す。
昨日と同じ山道。だが、足音がやけに大きく響く。
祐一はふと、気付いた。自分たちの足音は、五つだ。
先頭は五人。
後ろには五人いる。
合わせて十人。
だが。
響いている足音は――
十一人だった。
誰も、そのことに触れなかった。
山は、黙ったまま彼らを飲み込んでいく。
***白い影***
山道を進み始めて、どれほど経ったのか。木々の隙間――ふいに、白いものが揺れた。
「……あれ」
祐一が足を止める。
少し先。細い山道の曲がり角。
白い着物。長い黒髪。背を向けた女が、静かに立っている。
霧は出ていない。だが、その周囲だけ空気が歪んで見えた。
「昨日の……悪霊かも……」
祐一の声は、かすれていた。
寮の目が鋭くなる。
「後を追うぞ」
その一言で、空気が張り詰める。
祐一、亜里沙、寮、陽菜、春香。小走りに山道を進む。
女の姿は、ゆらりと奥へ動いた。歩いているのか、滑っているのか分からない。足元が見えなかった。
「待て!」叫んでも、振り向かないまま先に進む。
後続の峯川たちも、慌てて後を追う。
道は急に狭くなり、崖側の土が柔らかかった。
祐一たち5人が細い道を抜けた、その直後――
ズズッ……
低い音。
「……?」
次の瞬間。
ドォッッ――!!
地面が崩れた。
「うわっっっ!」
「キャーーーっっ!!」
後続の峯川、松井あゆみ、橘美紀の足元が一気に沈む。土砂が滑り落ち、身体を飲み込もうとする。
だが――橘美紀が叫ぶ。
「式神、来なさい!」
白い紙片が舞う。
空中に浮かぶ式神が、崩れた土を押し止める。見えない力が、斜面を固定する。
ギギギ……と嫌な音を立てながら、土の流れが止まった。
数秒の沈黙。
やがて、土煙が落ち着く。
「……やばかった……」
峯川が、荒い息のまま呟く。
祐一は異変を感じ、振り返る。
「大丈夫か!?」
小川と星川も駆け寄る。
「美紀さん! あゆみさん!」
橘美紀は額に汗を浮かべながら頷いた。
「……なんとか。完全に崩れてはいない」
松井あゆみは青ざめている。峯川が肩を貸して支える。
小川が顔を上げる。
「俺たちで救助する! 先を急いでくれ!」
星川も強く頷く。
「ここは任せてください!」
その瞬間。
山の奥で、カン……と音が鳴った。
まるで、何かが石を打ったような。
寮の視線が奥へ向く。
白い着物の女が、まだ見える。少し先で、立っている。
距離は縮まっていない。
「……ここであの霊を浄化しないと」
寮の声は低い。
「僕たちは先に進む。小川くんと星川くんは、美紀たちの救助を頼む」
一瞬の迷い。
だが、時間はなかった。
祐一は女から目を離せない。
「……行こう」
五人は再び走り出す。
背後から、土をどける音が聞こえる。
その音が、妙に遠く感じられた。
亜里沙が小さく言う。
「私たちだけで行って……大丈夫でしょうか?」
不安が滲む声。
寮は前を見たまま答える。
「まずは、あの女性の霊を浄化しないと問題は解決しない」
少しだけ間が空く。
「急ごう」
女は、曲がり角を曲がった。
五人もその後を追う。
だが、角を曲がった瞬間。
女の姿は、消えていた。
代わりに道の中央に新しい足跡が残っている。
裸足の跡。
それは、山頂とは逆方向へ続いていた。
春香の数珠が、カラリと鳴る。
その音は――
なぜか、六回響いた。
五人のはずなのに。
誰も、口に出せなかった。
山は、静かだった。
静かすぎた。
***朽ちた建物***
裸足の足跡は、湿った土の上を真っ直ぐに続いていた。
やがて、木々の間にそれが現れる。
朽ちた木造建築。屋根は崩れ、壁は黒く変色し、蔦が絡みついている。
「……こんな建物があったなんて」亜里沙が小さな声で囁く。
祐一は呟いた。
「隠れ家……だったのか……?」
落ち武者。追われた者たち。最後の拠点。
入口の扉は半開きだった。風はないのに、ギィ……とわずかに軋む。
五人は慎重に中へ入る。
中は薄暗かった。。。床が抜け落ちていた。周囲は妙に冷たく感じられた。
春香が数珠を握る。
「……ここ、嫌な感じがします」
そのとき。
ぼそ……
誰かが、すぐ背後で呟いた。
「……たすけて……」
祐一の背筋が凍る。
「……助けて……」
若い女性の声。か細い。震えている。
祐一は振り返る。
そこに、立っていた。
白い着物。だが、昨夜の女とは違った。
若い。青白い顔。涙を流している。
「大丈夫ですか……?」
祐一は思わず声をかけた。
その瞬間。
女の顔が歪んだ。
目が、黒く染まる。
口元が裂けるように広がる。
次の瞬間――
冷たい手が、祐一の首を掴んだ。
「――ッ!!」
息が止まる。
氷のような指。異様な力。
足が床から浮きかける。
声が出ない。
喉が潰れる。
視界が暗くなる。
耳鳴り。
その奥で、女が囁く。
「……どうして……」
「……どうして、来たの……」
「祐一!!」
亜里沙の叫び。
印を切る。
「破邪――!」
霊光が弾ける。
女の身体が、光に包まれる。
ギィィィィ……という、金属を引き裂くような音。
次の瞬間、女の姿は霧のように崩れた。
祐一は床に落ちる。
「ゲホッ……ゲホッ……!」
激しく咳き込む。
首が焼けるように痛い。
陽菜が駆け寄る。
「見せて」
祐一の首筋には、くっきりと五本の指の痕が残っていた。
赤黒く、皮膚が変色している。
春香が震える声で言う。
「……あの霊、昨夜の女とは違います」
寮は周囲を見回す。
「……違う」
静かな声。
「今のは、、、」
そのとき。
床に残っていた裸足の足跡が――
消え始めた。
まるで、水に溶けるように。
亜里沙が顔を上げる。
「……この場はおかしい。。。」
陽菜が、目を細める。
「さっきの声……」
祐一が、ゆっくりと言った。
「……僕だけに聞こえていました」
沈黙。
次の瞬間。
建物の奥から、ゆっくりと、床を擦る音がした。
ズ…………
五人は、同時に視線を向ける。
廊下の奥は、暗い。
何も見えない。
だが――
確実に、何かがいる気配が広がった。
祐一の喉が、ひりつく。
さきほど消えたはずの声が、今度は建物全体から囁いた。
「……まだ……終わっていない……」
そして、その声は、五人の中の誰かの声とよく似ていた。
***囲い***
廊下の奥の闇が、わずかに揺れた。
寮が一歩前に出る。
「霊光弾」
低い声。
放たれた霊光が炸裂し、闇が弾ける。
耳を刺すような悲鳴。
空気が一瞬、震えた。
そして静寂が広がった。
寮は目を細める。
「……浄化した」
だが、その言葉に確信はない。
祐一の首の痛みは、消えていなかった。
むしろ、じわりと熱を持っている。
亜里沙が呟く。
「今のは……」
寮が周囲を見回す。
壁。天井。床。
「……これは、罠か」
その瞬間。
外から音がした。
ザッ……
ザザッ……
五人は同時に振り向く。
入口の隙間から見える木々の間。
白い影が、立っている。
一体ではない。
二体。
三体。
目を凝らすと、それは人影だった。
白い着物。
動かない。
ただ、建物を囲むように立っている。
春香が小さく息を呑む。
「……増えてる……」
陽菜が目を閉じ、感知する。
次の瞬間「囲まれてる」
寮が外へと踏み出した。
空気が重く感じられる。
外へ出た瞬間――
景色が、変わっていた。
さっきまで見えていた山道がない。
車を停めたはずの方向が分からない。
木々の配置が違う。
建物の周囲には、円を描くように白い女たちが立っている。
顔は見えない。
全員、うつむいている。
「……完全に囲まれているな」寮の声が響く。
祐一の喉が焼ける。
さっきの女は、囮だったのか。
ここへ入るための。
白い影の一体が、ゆっくり顔を上げた。
その顔は、さっき浄化したはずの、あの若い女だった。
だが、口元が裂けている。
目は、真っ黒だ。
そして、同時に、全ての白い影が囁いた。
「……どうして……」
「……どうして……」
「……どうして……」
声は、重なり、歪み、やがて五人の声に変わる。
祐一の声。
亜里沙の声。
春香の声。
「……どうして、助けてくれなかったの?」
祐一の心臓が強く跳ねる。
助けてくれなかった?
誰を?
そのとき。
建物の背後で、土が崩れる音がした。
ドサッ――
振り向く。
そこに、峯川の姿が立っていた。
泥まみれで、無表情で、こちらを見ている。
「……お前たち」
声が、低く響いた。
「先に行くなって、言ったよな」
陽菜が震える。
「……違う」
「あれは……峯川じゃない」
峯川の首が、ゆっくりと、ありえない角度に傾いた。
パキ……と音がする。
建物の周囲の女たちが同時に前へ出た。
逃げ道はない。
空気が、濃くなる。
寮が小さく呟く。
「……ここは、空間ごと閉じられている」
祐一の首の痕が、じわりと黒く滲んだ。
まだ、何も終わっていない。
いや――
ここからが、本番だった。
***転位***
白い影たちが、一歩踏み出したその瞬間――
突如。
周囲の空気が震えた。
ボソボソボソボソ……
低い声。
一人ではない。
十でもない。
何十、何百という声が、地面の下から、木々の間から、空から、同時に響き始めた。
それは呪文だった。
古い。
聞き取れない。
だが、意味だけが脳に直接流れ込む。
「封じよ」
「縛れ」
「繋げ」
「戻すな」
霧が、一気に濃くなる。
視界が白に染まる。
冷気が肺を刺す。
祐一の耳鳴りが激しくなる。
足元が消える。
地面が遠ざかる感覚。
落ちる――?
いや、違う。
引き剥がされる。
身体が、何か"から、剥がされる。
陽菜が叫ぶ。
「これ……空間転位じゃない!」
寮が歯を食いしばる。
「次元が……重なっている……!」
霧の中で、白い影たちの姿が滲む。
だが、その姿が変わっていく。
着物が裂け、鎧の残骸が現れ、兜の割れ目から黒い霧が漏れ出す。
落ち武者。
いや――
それだけではない。
首のない影。
腕のない兵。
腹を裂かれた女。
無数。
祐一の足が、再び地面を踏む。
だが感触が違う。
硬い。
湿っている。
霧がゆっくりと晴れた。
そこは――
朽ちた建物ではなかった。
建物はある。
だが、壊れていない。
新しい。
灯りが灯っている。
夜ではない。
空は赤い。
血のように。
五人は、同時に理解する。
「……ここは……」
春香が震える声で呟く。
「……あの日」
建物の奥から、悲鳴が響く。
「逃げろ!!」
男の怒号。
刃の音。
ドンッ――!
扉が内側から蹴破られる。
武士姿の男が飛び出してくる。
その背後から、矢が胸を貫いた。
血が飛ぶ。
だが――
その血は地面に落ちない。
空中で止まる。
時間が、歪む。
祐一の視界が揺れる。
背後で、先ほどの白い女が立っている。
だが今度は、若い。
生きている。
彼女は、五人を見ている。
まるで――
最初から、知っていたかのように。
女が口を開く。
「……やっと、来た」
ゾッとする。
「……何百回も、やり直したのに」
寮が低く言う。
「……繰り返しの結界」
陽菜が息を呑む。
「私たち、招かれたんじゃない」
亜里沙が小さく呟く。
「……組み込まれた」
その瞬間。
祐一の首の痕が、熱を帯びる。
黒い紋様が広がる。
そして、彼の口が――
意思とは関係なく、動いた。
「……今回は、成功する」
自分の声。
だが、違う。
全員が凍りつく。
霧の奥で、何百もの影が一斉に振り向いた。
空が、さらに赤く染まる。
この場所は過去か?
それとも、過去を喰らう何かの内部なのか?
祐一の目が、一瞬だけ黒く染まった。
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