蒼薔薇の戦姫(3)
エーデルの部屋には、様々な書類や本が乱雑に積み上げられていた。四方も棚に囲まれ、窓は一つしかない。床の至る所に本の山ができているため、足の踏み場にも困るような状況だ。だが、エーデルは慣れたように本を脇に除け、チドリに座るよう促した。ドサドサと何かが崩れる音がしたが、エーデルは気にも留めない。
「狭くて悪いな。片付け苦手なんだよ、俺」
「あ、ううん……気にしないで」
「あれ?茶がどっかに……ああ、あったあった」
エーデルはなんとかカップを二つ引っ張り出し、危なっかしい手つきでお茶を淹れた。本の隙間に押し込んだ椅子に座ったチドリに、片方を勧める。
「ほい。あ、菓子はここな」
「あ、ありがとう」
微妙にぬるくなっているお茶を飲み、チドリはそっとエーデルの方を伺った。エーデルはカップに口をつけたまま、ボンヤリと遠くを見るような目つきをしている。
「……エーデル、疲れてるなら少し休んだら?私は大丈夫だから」
「え?あ、いや……大丈夫だ。これくらい、いつものことだし」
「でも、凄く疲れた顔してるよ」
「……悪いな。気ぃ遣わせて」
「え、う、ううん」
「……なんだよ」
「いや、なんかエーデルの態度がおかしいなって思って……」
「お、おかしいって何だよ!?」
「だ、だって前はそんなにしおらしくなかったっていうか、気弱じゃなかったっていうか、もっとツンケンしてたから……」
「悪かったな!?」
拗ねたように唇を尖らせ、エーデルはお茶を飲み干した。その様子に思わず笑いを零し、チドリは菓子を齧った。
深い溜息をつき、エーデルが口を開く。
「……俺の事は、本当に心配しなくていい。正直、今はそれどころじゃないしな」
「幼馴染さんの結婚を、取り止めさせたいんだよね?」
「……ああ」
エーデルの瞳に深く暗い光が宿る。カップを握りしめる両手が、かすかに震えていた。
「……実は、ソイツの結婚相手はさっき会ったシュティレなんだ」
チドリがお茶を噴き出した。
「おい!?大丈夫かよ!?」
「んっぐ……げほっごほっ」
涙目になったチドリの背を、エーデルが優しく叩いた。チドリは愕然とした顔でエーデルの方を見る。
「シュ、シュティレさんって、お、お兄さ……!?」
「ああ、そうだ」
「そ、そうだじゃないよ!!それって、え、大問題じゃないの!?」
「問題かどうかは分からないが……まあ、面倒なのは確かだな」
「え、え、ま、まさか、り、略奪愛」
「アホ!!どこで覚えたんだそんな言葉!!そんなんじゃないっつーの!!」
顔を真っ赤にし、エーデルは叫んだ。
チドリは首を竦ませる。
「ち、違うの?でも、だって……」
「それは、兄貴がエルローズを好きだった場合の言葉だろ」
「……じゃあ、お兄さんは……」
「お察しの通り、兄貴はアイツのことを好いてなんかない。政の道具として見てるだけだ」
「そんな……」
「レアンから少しは話聞いてるだろ?月蝕会と王族にとって、アイツは目の上のたんこぶなんだよ。早いとこ誰かと結婚させて、動きを封じたいんだ。今やアイツは国民にとっての最後の希望だからな。その希望すら摘み取っておきたいんだよ、月蝕会と王族共は」
「最後の、希望?」
「王族の中で国民の為に動いてるのはアイツだけだ。議会に国民の為の物資や予算を出すよう働きかけたり、街中を走り回って国民達の様子を見たり……最近じゃ、城にいる時間の方が少ないな」
「へえ……凄い人なんだね」
「……ああ、凄いやつだよ、アイツは」
微笑んだエーデルの目は、心から嬉しそうに輝いていた。それを見ていたチドリの口から、思わずポロリと声が零れる。
「好きなんだね、エルローズさんのこと」
たっぷり十秒間を置いて、エーデルの顔が噴火した。
「なっ……はあぁぁあぁぁぁああッ!?」
「えっ!?ち、違うの!?」
「なん、いや、ちが、おま」
「だってエーデル、すごく嬉しそうな顔し」
「してねえ!!してねえからな!!」
「してたよ!!」
「あーもうしてねえっつの!!何だよ嬉しそうな顔って!?何で俺がアイツのことでそんな」
「意地っ張り」
「んだと!?」
真っ赤な顔で言い返すエーデルに、チドリが更に口を出す。子どものようなやり取りをしていると、机上の魔法水晶が薄ら光った。
『エーデル様、よろしいですか』
「あ、ああ。何だ?」
『国王陛下からです。エルローズ様の帰りが遅いので、即刻城に連れ戻して来て欲しい、と』
「……わかった。すぐ出る」
『お夕飯はどうなさいますか』
「外で食べてくる。すまないが、後は頼む」
『かしこまりました。いってらっしゃいませ』
声が途切れ、エーデルが深い息をつく。
「せっかく休んでたのに悪い。これから街に出るから、お前も着いてきてくれ」
「エルローズさんを連れ戻して欲しいって……」
「……そうだな。まあ、何とかするさ」
苦笑を返し、エーデルはチドリを連れて部屋を出た。
同刻、ネフェロディスの城の一室で、レアンは深い溜息をついた。
「ちょっとお兄様、気を緩ませちゃだめよ」
向かいのソファーに座ったステラが眉をしかめる。二人はレアンに宛がわれた部屋の中で、少し寛いでいた。
「気を緩ませたわけではないさ。ただ……」
「チドリのこと?」
「……聡いな。その通りだ」
ステラは得意そうに鼻を鳴らした。
「見てたらわかるわ。お兄様、ずっと心ここにあらずだったもの」
「そうか……王族達に気づかれていなければいいが」
「大丈夫だと思うわよ?私でもついさっき気づいたくらいだし」
「……駄目だな。これではまるで子どものようだ」
「やっぱり、寂しいの?」
ステラが紫の目を瞬かせ、レアンを窺う。
寸の間黙り込み、レアンは自嘲するように唇を歪ませた。
「……初めてだからな。お姿も見えず、声も聞こえず……いつ会えるのかわからない状況は」
「……そうね」
「会おうと思えば、会えないこともないのだがな。だが、それは俺の我儘に過ぎん」
「チドリだって寂しいと思うけど?」
「四六時中ベッタリでは、チドリ様のご迷惑になるだろう」
「え?イリオルスではいつも一緒じゃない」
「だからこそだ。ネフェロディスに来てまで俺の我儘を押し通すわけにもいかない」
「変なとこで意固地ねぇ」
「……まあ、これも自分を律する建前に過ぎないがな」
「ホントは会いたいのね」
ステラが苦笑する。レアンは大きな溜息をつき、ソファーにゴロリと横になった。
「お兄様?」
「いや、少し疲れただけだ」
瞼を閉じ、レアンは襲ってきた眠気に意識を委ねた。
眠りに落ちる前、自分の腕の中で微笑むチドリの姿を見た気がした。




