蒼薔薇の戦姫(2)
静かな空気の中、チドリは言い知れぬ緊張感に体を縮こまらせていた。
目の前には、普段とは全く異なる雰囲気を放つレアンの背中があった。正装を身に纏った姿は凛々しく、いっそ他人にすら見えるほどである。チドリの隣に立つステラも、今は「王女」としての顔をしていた。
ネフェロディス国の王城の広間で、三人は静かに国王を待っていた。
やがて、厳かに扉が開く音がし、一人の男が姿を現した。
白髪が混じり灰色になった長髪と髭を整え、引き摺るほどのマントを羽織っている。黒い瞳に宿る光は冷たく、値踏みするように三人を見つめた。
レアンが静かに頭を垂れ、ステラとチドリもそれに続いた。
「……顔を上げられよ」
低い声が響き、三人は国王と正面から対峙した。
「よくぞ参られた。貴国に於いては、昨今よりの繁栄と発展の折、喜ばしく申し上げる」
「お言葉、真にありがたく思います。本日は、私共の愚願に快く応じて下さり、心より感謝しております」
レアンの言葉に、国王は鷹揚に頷いた。そして、その目がチドリを睨み付けるように見た。
「その方が、イリオルス国の魔道士殿ですかな」
「はい。左様でございます」
「月蝕会の要であるクアドラート家の三男、我が国の魔道士であるエーデル殿がお会いしたいと申していました。同じ魔道士として、お話があるのだとか」
「伺っております。して、エーデル殿はどちらに……?」
「ここだ」
凛とした声が響き、扉からエーデルが姿を現した。エーデルも普段と違い、きっちりとした正装に身を包んでいる。その表情は厳しく、出会った当初のような雰囲気を感じられた。
「……待たせて悪かった。チドリ、こっちに来い」
「は、はいっ」
思わず裏返った声で返事をし、チドリはギクシャクとエーデルの方へ歩き出した。隣に辿り着くと、エーデルがこっそり笑いかけてきた。チドリの肩から少し力が抜ける。
「では陛下、俺達はこれで失礼します」
「ああ。失礼のないように」
エーデルに続いて扉を潜る間際、チドリはレアンの方を振り向いた。
視線が絡み、蒼い瞳が真っ直ぐに見つめる。
口元がほんの少し微笑んだ気がして、チドリはそれに力強く頷き返した。
扉が閉まり、エーデルと共に廊下を歩きだす。
「チドリ、悪いが転移する。掴まってろ」
「え、あ、うん!」
手を取られ、体が思いきり引っ張られる。
瞬きの次には、城の物とは別の廊下が広がっていた。重厚な絨毯が敷かれた廊下だ。
エーデルが振り向き、ニヤッと笑った。
「お前、ガチガチに緊張してたな」
「え!?い、いやだって、レアンさんもステラも雰囲気が違ったし……!わ、私が下手な事出来ないと思って……」
「そうだな。あいつらは王族だが、お前は普通の人間だからな」
そう言った後、エーデルは束の間言葉を途切れさせた。目に複雑な色が混じる。
「……悪いな。変な事に巻き込んで」
「ううん、気にしないで。私でよければ、力になるよ」
笑いかけると、エーデルは何故か一瞬泣きそうな顔になった。が、すぐにそれを引っ込ませる。
「……そうだな。お前の力でも、無いよりはマシだ」
「ぬ!?」
「冗談だよ」
ふいに、廊下の奥から声が飛んだ。
「エーデル!帰っていたのなら挨拶の一つでも寄越せ!」
見ると、眼鏡をかけた青年が厳しい顔でこちらを睨んでいた。エーデルと同じ紺色の髪をキッチリと切りそろえ、同色の瞳に牢乎を満たしている。
「……すみません、兄上。ただいま帰りました」
「遅い。お前にはいつもいつも、クアドラート家の一員であるという自覚が足りていない。加えて、我がネフェロディスの魔道士であるという自覚もな」
「……すみません」
「フン。心無い謝罪などいらん。即刻部屋に戻って自分の仕事を……おい、なんだそいつは」
青年の目がチドリに留まった。チドリが肩を縮める。
「イリオルス国の魔道士です。俺が呼びました」
「なに……!?お前が以前言っていた魔道士か!!何故そんな輩をこの家に……!!」
「兄上には関係ない事です」
「何だと!?貴様、兄に向かってその口のきき方は……」
「ただーいまぁー!!」
唐突に明るい声が響いた。軽快な足音に続いて、また一人青年が姿を現す。
こちらもエーデルと同じ紺の髪と瞳だったが、その髪は適当に伸ばされ、また服装もどこか遊び人のようだった。エーデル達を見て、青年がパチパチと瞬きする。
「あれ?どしたのこんな廊下の真ん中で。おや?なーんか可愛い子がいるー!」
「リベルタ!貴様どこをほっつき歩いていた!!」
「シュティレ兄さん、相変わらず煩いなぁ。あ、エーデル。良い店見つけたからさ、今度一緒に飯食いに行こうぜー」
「あ、ああ……いいけど」
「ところでこの子誰ー?なんか怯えてない?」
リベルタと呼ばれた明るい青年がチドリの隣に歩み寄り、ポンポンと頭を叩いた。
「兄貴、ちょっかい出すなよ。コイツ、一応恋人有りだから」
「えー!そうなのー!?なんだ、残念」
「貴様……!!またそのようなことを……!!」
シュティレは怒りで顔を赤くした。リベルタが鬱陶しそうに手を振る。
「あーもう。兄さんの説教に付き合ってたら日が暮れるよ。行こう、エーデル」
「あ、うん……」
シュティレの制止の声を聞かず、リベルタはエーデルとチドリを連れて歩き出した。
角を一つ曲がった所で、二人に笑いかける。
「あの人今気が立ってるからさ。真面目に取り合ってたら損するだけだよ?」
「ありがとう、兄貴」
「いいっていいって。可愛い弟のためだから……で?君は何ていうの?どこの子?」
「あ、わ、私はチドリと言います。イリオルス国の魔道士です」
「へぇー!君がエーデルの言ってた魔道士か!思ってたより小さいね?」
「ち、小さい、ですか」
「初めましてー!俺はエーデルの兄、リベルタ・ソノール・クアドラートです。さっきの怖いお兄ちゃんは俺達の一番上の兄貴、シュティレ・ハイリ・クアドラート」
「は、初めまして」
「兄貴、悪いんだけど、俺……」
「ああ、いいよ。引き留めて悪かったな」
「いや、ありがとう。助かったよ」
リベルタは二人に手を振り、廊下を歩いて行った。エーデルはチドリの手を引き、一つのドアを開けて部屋に入った。
「エーデル、ここは……?」
「俺の部屋だ。悪いが、ちょっと座って待っててくれ。まだ仕事が残ってて……」
言い終わる前に、散らかった机の上に置いてある魔法水晶が光った。
『エーデル様、お帰りですか』
「ああ、すまない。何だ?」
『プロトス家から例の論文の評価を頂きたいと……』
「グリズ魔法因子に関する論述が不十分だ。あれでは考察が映えない。それから、リーネアの魔法展開における三大法則が誤って書かれていた。正しい法則に書き換えるようにと」
『わかりました。そのように伝えておきます』
『エーデル様、アルサーニ家からです』
「エオナスの保存式魔法陣なら完成済みだ。後で取りに来てくれ」
『わかりました。後ほど伺います』
『エーデル様、テルティウム家から……』
「感染性魔力漏出症の特効薬か?こっちはもう少し研究してから完成させたい。もう少し待っているよう伝えろ」
『かしこまりました』
声に応えながら、エーデルの手は休むことなく何かを書きつけたり魔法陣を展開させたりしている。その手腕に、チドリは感心したように見入っていた。
忙しく動いていたエーデルが、ふと手を止め、一息つく。顔には疲れが見えた。
「……悪い。俺が呼んだのにほったらかしで」
「う、ううん!こっちこそ、ごめんね。なんか忙しそうなのに……む、難しそうな事、ばっかりで」
「……いや、いいんだ。もう少し待っててくれ」
「あ、うん……」
てっきりチドリはまたエーデルに呆れられるのではと思っていたが、エーデルは疲れた顔で微笑んだだけだった。
「終わったら、茶でも飲みながら話しようぜ。菓子も食べるか?」
「う、うん。食べる……」
出会った当初とはすっかり変わったエーデルの態度に、チドリは首を捻るばかりだった。




