蒼薔薇の戦姫
「え……昨晩エーデルさんが、ですか?」
朝日の差し込む部屋の中、チドリは寝間着のままレアンに問い返した。二人はまだベッドの上で、体を横たえている。チドリは朝寝坊になると言ったのだが、レアンがそれを聞き入れることはなかった。なし崩しのような形で、未だチドリはレアンの傍から離れられないでいる。
レアンはチドリの髪を弄びながら頷いた。
「遅くに訪ねて来ましたよ。相談があるとかで……話を聞いていたら、すっかり寝るのが遅くなってしまいましたが」
「そうだったんですか……でも、何の相談で?」
「現在のネフェロディス国に関してです」
「ネフェロディス国……?」
「月蝕会はご存知ですか?」
「いえ……」
「王族と深い繋がりのある組織です。エーデルの家族も月蝕会の一員でして……まあ、魔法に関する英才教育に特化した組織、とでも言いましょうか」
「英才教育、ですか?」
「ええ。幼い頃から魔法を教え込まれ、日夜学びに励むそうです。魔法使いとして優秀な人材を育成している組織で、エーデルもその教育を受け、厳しく育てられたようですね」
「……」
「彼が、自分が魔導士であるということに強く拘っていたのはそのためでしょう。彼にとって、魔法が使えて尚且つ誰しもに認められる力を持っているということは、この上ないほどの存在意義だったでしょうから」
「……秀才でいることが、当たり前じゃなきゃダメだったってことですか?」
「そうです。俺からすれば何とも窮屈な考え方だとは思いますが、月蝕会はそういった場所なのでしょうね」
黙り込んだチドリの頬を、レアンが優しく撫でた。
「浮かない顔をされていますね」
「すみません……ちょっと、いろいろ考えちゃって。えっと、それで、相談は……?」
「彼の幼馴染であり、国の第三王女であるエルローズ様の婚儀を、何とかして取りやめさせたいと」
「え?婚儀、ですか?」
「はい。正確には、月蝕会の陰謀が絡んだ結婚から幼馴染を救いたい、ですかね」
「い、陰謀!?」
「詳しいお話は朝食の席でしましょう。陛下にも聞いて頂きたい話ですし」
「あ、そ、そうだ朝食!もうそろそろ着替えないと……!?」
「おや、失念していましたね。俺としたことが時間に気づけていなかったようで……それほど、貴女と過ごす時間が惜しまれるということなのでしょうね」
「またそんなこと言って……!」
「本心です」
ベッドを降りようとしたチドリの額に、レアンは素早く口づけた。
真っ赤になったチドリは、転がるように部屋を出て行った。
広間で朝食を食べ終えたレーヴェは、少し考え込んだ後口を開いた。
「……以前から排他的な動きを見せているとは思っていたが、そのような強行手段に出るとはな……このままでは、本当にネフェロディスの国民が危ういぞ」
「エーデルも流石に黙っていられなくなったのでしょう。幼馴染が絡んでいるとなればなおさらです」
「そうだな……イリオルスに助けを求めるほどだ。状況は最悪に等しい……だが、この問題に関して我らが動くのは厳しいぞ」
「やはり、そうですか……」
深い息をつき、レアンが椅子の背もたれに身体を預けた。向かい側に座っていたフィオーレが、悲しげに眉根を下げる。
「トゥオーノやリウビアでは許されたが、相手がネフェロディスではそうもいくまい。あそこは王族も口喧しいしな」
「貴方」
「おお、すまん。つい口がな」
フィオーレに咎められ、レーヴェは悪びれない顔で笑った。レアンが苦笑する。
「諸国の中でも随一の歴史と、人数を誇る王族ですからね」
「おかげで身内間の争いが絶えないがな」
「後宮ではもう毎日が血塗れの日々だと伺いましたわ」
「ひえ……」
現王族である三人の言葉に、チドリは震え上がった。
「まあ王族のあれこれはともかくとしてだ。あそこで他の国の王族が自由に立ち回るのはほぼ不可能だと言っていいだろう。無断で入国など以ての外だ。だが公に姿を晒せばたちまち城に招き入れられ、帰国する日になるまで部屋から出してはくれぬだろうな」
「ひええ……」
「陛下。チドリ様が怯えていらっしゃいます」
「おお、すまぬな」
「ですがまあ、事実でしょうね。あの国ならやりかねません」
青くなるチドリとは反対に、レアンは涼しい顔をしていた。それを見て、レーヴェが呆れたように笑う。
「お前には何か、考えがあるようだな?」
「ええ。視察という形で乗り込もうかと」
事も無げにレアンはそう言い切った。レーヴェが笑みを深くする。
「して?視察で乗り込んだ後はどうする?」
「俺はあくまで視察という姿勢で行きます。同行したチドリ様に動いて頂こうかと」
「わ、私ですか?」
「ええ。恐らく俺は身動きが取れないと思います。ですが、イリオルス国の王子が来たとなれば向こうもそれなりの対応をと思うでしょう。つまり、注意をこちらに向けやすいということです」
「王族の注意をお前が逸らし、その隙に魔導士殿に動いてもらう、と?」
「そういうことです」
実際には、大国イリオルスの王子ともなれば「それなりの対応」で済むはずはなかった。それこそ一瞬の油断も許されないような状況がネフェロディスの王族に降りかかるに違いない。注意を引き付けるどころではなく、王族はレアンから目線の一つも動かせなくなるだろう。レーヴェは、自分の息子がそれを熟知した上で提案してきたことを知っていた。そして彼自身、その答えを期待していたことも。
「いいだろう。その案ならば特に問題はあるまい……私からも向こうに連絡をしておくとしよう」
「ありがとうございます」
「でも珍しいわね。レアンなら、チドリさんと離れるなんて、と言い出すかと思ったのに。今回は別行動なのね?」
「へっ」
赤くなったチドリの隣で、レアンはニッコリ笑った。
「そうですね。流石に今回ばかりは私情を挟んでもいられないので……その代わり、全てが終わった後に離れていた分を補充させて頂くつもりです」
「あらあらまあまあ」
「えっ」
「……魔道士殿が心配だな」
「おや、心外ですね」
向けられたレアンの瞳に捕らわれ、チドリは瞬きも出来なかった。
朝食が終わってしばらくした頃、レアンの部屋には大量の衣装が運び込まれていた。チドリはベッドの上にちょこんと座り、嬉々とした顔でそれらを運んできたステラを見つめた。ステラは瞳を輝かせ、レアンの方を振り向く。
「さあお兄様!選んでいくわよ!!」
「ステラ……何もこんなに持ってこなくてもいいだろう」
「何言ってるの!最初の挨拶の時から食事、夕方、夜って、場面ごとに着替えていかなきゃいけないのよ!!」
「そ、そうなの?」
チドリの声に、ステラが大仰に頷く。
「相手がネフェロディス国ともなれば、気を抜いていられないわ!それにお兄様、顔だけは良いんだから、有効活用していかなきゃ駄目じゃない!」
「顔だけって……」
「ゆ、有効活用?」
「そうよ。微笑み一つで男すら射抜けるようにしてあげる」
「やめろ。外交問題にでもなったらどうする」
「あら、射抜く自信があるの?」
「そういうのはチドリ様にだけでいい」
「ブレないわね本当。なんかもう安心したわ」
苦笑と共に、ステラは一着を手に取った。白を基調にした礼装で、金糸の刺繍と赤い裏地の長いマントが何とも凛々しかった。レアンが見に着ければ、本当に物語の中の王子様のような出で立ちになるだろう。想像するだけでチドリの頬がポッと赤くなった。
「最初に着るのはこれね。第一印象をガツンと植えつけておくの。髪型もしっかりね。それから、耳飾りも選んでおくから」
「う……つけるのか」
「当たり前でしょ。あんまり飾り立てても駄目だけど、ある程度の飾りは人の目を引くために必要なの……それから、一日目の夜はこれを着て食事して」
「わかったわかった」
「それから、次の日はこれと、これ。次はこれと……あ、それから、ここぞって時はこれ着てね、夜に」
「…………随分裾が長いな。それに、薄い」
「そうね。あ、これ羽織っといてね。それから、髪は降ろしておくこと」
「まさかとは思うが、これは……」
「その通り。ちょっと色仕掛け目的の服よ」
「な、なんで!?」
チドリが驚愕に満ちた声を上げる。レアンは大きく溜息をついた。
「ネフェロディス国はこのイリオルス以上に長い歴史と人数を誇る王族国家よ。お兄様に取り入ろうとする輩がいてもおかしくないでしょ」
「ヴェっ」
「変な声出さないでよ……んで、そういう奴に気づいたら自分から引っかけなさいって言ってるの」
「なんで……」
「罠に嵌めるために決まってるでしょ。一匹でも釣れれば、後でどうとでも使えるわ。相手がネフェロディスなんだから、何が起こるか分からないじゃない?使えるものは揃えといた方がいいのよ」
「お前、実の兄を餌扱いか……」
「お兄様がチドリにしか興味がないのはわかってるわ。でも、頑張ればその分チドリが動きやすくなるのよ?チドリだってその方が嬉しいわよねぇ?」
ステラはニンマリと人の悪い笑みを浮かべた。レアンが少し考え込み、ステラと同じ笑みを浮かべる。
「ああ……そういうことなら、慣れぬことだが全力でやってみよう」
「ふふふ。助かるわ」
「ええぇ……で、でも……」
「ご安心下さいチドリ様。色香には自信がありませんが、必ず貴方のお役に立ってみせますので」
「チドリに色気で迫る人がよく言うわ」
「何の事やら」
「私知ってるんだからね?お兄様が湯上り姿のままでチドリによーく迫ってるって」
「う」
「ふふ。なんだ、知っていたのか」
「自分の顔のことだって熟知してるくせに……あ、ちょっと待って。他に持ってきたい物があるから取って来るわ」
パチンと手を叩き、ステラは電光石火の速さで部屋を出て行った。
レアンがチドリの隣に腰掛ける。チドリの顔は真っ赤になっていた。
その肩に自分の頭を預け、レアンはクスクス笑う。
「流石はステラですね。俺の思惑に気づいていたなんて」
「あ、あ、あの……レ、レアンさんが湯浴みの後によく会いに来てくれてたのは、そ、その、」
「計算ですよ。いつもより色っぽく見えると思いまして」
「な、なんで、ですか……?」
「何故、など……」
レアンの手がスルリと滑り、チドリの頬を撫で、首元に指を這わせた。思わず唇を噛み、チドリはギュッと目を瞑る。その耳元に唇が触れるほどの距離で、レアンが囁きを落とす。
「……貴方に、気に入って頂けるかと思いまして」
「き、気に入る、なんて……!」
「……駄目、でしたか?」
レアンの指が、チドリの耳をなぞる。堪らず目を開けると、甘い色香を含んだ瞳に意識を奪われた。溶けそうになる頭を何とか奮い立たせ、チドリは口を開く。
「……気に入る、とか、役に立つ、とか……そんな、自分のこと、道具みたいに言わないで、下さい……」
レアンが軽く目を見開く。
「わ、私は……普段のレアンさんも、好き、です……ゆ、湯上りの時は、その、す、凄く色っぽくて、ドキドキ、します。でも、それは……」
触れていたレアンの手に、チドリは自分の手を重ねた。微かに涙の浮かんだ目に、今度はレアンが捕らわれる。
「レアンさんが、綺麗だからっていうこと以上に……わ、私が……私が、レアンさんの事が、好きだから、たくさんの変化で、たくさんのレアンさんを見て、ドキドキするんだと思うんです」
「チドリ様……」
「だから……道具みたいに、言わないで下さい……わ、私は、計算なんてしなくても……もう、レアンさんでいっぱいです、から」
震える声で告げると、唐突に腕を回された。そのまま抱きしめられ、チドリは頭の中が真っ白になる。
「……道具などと、思ってはいませんよ」
「本当、ですか?」
「ただ貴方が、そうやって……可愛らしく反応を返して下さることが、嬉しいのです。身勝手ながら、俺のことを好きでいて下さっているのだろうなと……そう思うことが、嬉しくて」
「レアン、さん」
「利用出来るなら利用したいのです。貴方が、俺で心を満たしてくれるのなら……もっと、もっと……貴方の溺れた顔が見たい。蕩けた瞳を、もっと……」
「っあ、ちょ、レアンさ、うぎゃっ」
「ふふ……計算無しでも俺でいっぱいだなんて……本当にもう、頭がおかしくなりそうです……」
「私も今ちょっと心臓がおかしくなりそうで、あ、ひえ、ひょおっ!?」
ステラが現れるまで、レアンがチドリを解放することはなかった。




