銀籠に鳴く鳥(5)
昼を過ぎ、辺りは暑さの残る夕暮れ色に染まってきた。
ソファーでうたた寝していたチドリは、部屋の扉が開く音で目を覚ました。侍女に扮装したファリアが顔を覗かせる。
「失礼いたします。少々よろしいでしょうか?」
「ファ……むぐ」
思わずいつものように呼びかけたチドリの口を、レアンがやんわり塞いだ。チドリは魔法水晶のことを思い出し、首を竦める。
「ああ、構わない。どうした?」
「ヴィヌル公爵からの言伝を預かりまして。明日は、皆で裏の山の方にピクニックに行きませんかとのお誘いです。今の時期は、ちょうど早成りの木の実やキノコなどもあるそうですよ」
「キノコ……!」
「はい。たくさん採れたら、夕飯にお出ししようかと」
チドリの目が輝きだした。それを見たレアンが、小さく息をつく。
「……行きたいですか、チドリ様?」
「行きたいです!」
寸分の迷いもなく即答するチドリ。肩を落とすレアンを前に、ファリアは苦笑した。
(恐らくというか、これは十中八九令嬢と殿下が親睦を深められればと仕組まれたもの……ですがチドリ様は、もう夕飯のことで頭がいっぱいですわねぇ)
そんなとこが可愛らしいのですけれど、とファリアは心の中で付け加える。
「レ、レアンさんは行きたくないですか?」
「そうですね……気は進みませんが、チドリ様が行くと仰るなら、ご一緒しますよ」
「山より海の方が好きですか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「私は山登りも海水浴も好きだから大丈夫ですよ!」
誇らしげに胸を反らしたチドリの頭を、ファリアとレアンがよしよしと撫でた。
「な、なんで撫でるんですか!?」
「いえ、何となく……」
「チドリ様にはそのままでいて欲しいですわぁ」
「ば、馬鹿にされてる気がする……!」
「滅相もない。可愛らしいと言っているんです」
「そうですわ」
「小さい子を見るような目はやめて下さい……!!」
赤くなって抗議するチドリだったが、二人はしばらくその生暖かい目をやめることはなかった。
夜になり、令嬢達は再び一室に集まっていた。誰一人口にしないが、関心の的は机上に置かれた魔法水晶一点である。
明かりを受けて輝くそれは、先ほど、レアンと交代に湯に入っていくチドリの声を届けたっきりだった。
沈黙に耐えかねたのは、子犬のように胡桃色の髪を濡らしたノースである。
「……ねえ、流石にこのまま聞いておくのは……」
「そうですわ。私も、その……よくないと思います」
便乗したのは幾分か血色の良くなったガルデである。他の令嬢も、気まずそうに顔を見合わせた。
「で、でも……夜になれば本性が出てしまうものではなくて?ここまで偽るなんて、余程のことでなければ……」
「そうね……ここを暴いてこそ、かもしれないわ」
同意を示し、イディアが唇を噛んだ。豊満な胸が強調されるような寝巻を身に纏ったロシュエが、ポツリと零す。
「でも私……先ほど、廊下で殿下にお会いしたのですけれど」
「何よ、ちゃっかり誘惑しようとしてたの?」
「あら怖い」
「ちょっと、話を聞いて下さいます?……まあ、間違いではありませんわ」
「うわー……湯浴み後に、なんて……恐ろしい女」
「でも……殿下は、ちっともなびきませんでしたわ」
「は?」
ノースが素っ頓狂な声を出す。他の令嬢も戸惑いを浮かべた。
「私が、あんなに……あんなに、頑張ってお話をとお願いしましたのに……チドリ様をお待たせしたくない、の一点張りで」
「頑張ってって何よ。頑張ってって」
「…………この色魔」
「あらガルデ。何かおっしゃって?」
「いえ、何も……?コホ、コホ」
「貴方のその姿態でも駄目だったなんてね……それにしても、待たせたくないって何のことかしら」
「あら、そんなの……決まってますでしょ?」
艶やかなロシュエの声に、それぞれが複雑な反応を返した。愕然とする者や、僅かに頬を染める者、はたまた嫉妬に表情を歪ませる者。
「嘘ぉ!だって、だって……他人の別荘よ!?」
「まあ、それはそうよねえ……殿下の好みは存じ上げないけれど」
「ちょっと、下世話な話はしないで下さる?」
「あら、スフェン嬢はこういう話がお嫌い?化粧の派手さに似合わず、純情なのね」
「……なんですって?」
「やめなさいよ、こんなところで!」
ノースが呆れ顔でそう言い放った時、魔法水晶が微かに扉が開く音を運んだ。一同は途端に、水を打ったように静かになる。
『ふいー……上がりましたー』
『ふふ。体は温まりましたか?暑さが残るとはいえ、冷えてしまってはいけませんからね』
『だいじょーぶです!ちゃんとポカポカですよー』
気の抜けるチドリの声に、その場にいた全員が安堵しそうになった時だった。
ふいにガタンという音と、チドリの小さな悲鳴が聞こえた。再び全員の神経が研ぎ澄まされる。
『レ、レ、レアンさ……!!』
『……お静かに』
しばしの沈黙。ノースは部屋の中を見回し、令嬢全員が彫像のように固まっている異様な光景をどこか冷静な頭で眺めた。
が、その冷静さもすぐさま吹き飛ぶ。
『っあ……!』
魔法水晶が運んだ、か細いチドリの声。続いて、ベッドの軋む音。全員の顔が赤くなったり青くなったりを繰り返した。
『あ、ちょ……ダ、メ……ダメ、です!レアンさ……っ』
『ダメ、などと……つれないことを仰らないで下さい』
『で、でも、ホントに……っん!』
『ふふ……どうしました?もう我慢できませんか?』
『だ、だって、そんなこと、されたら……!っあ!』
『いけない人だ……では、これは?』
『あ!も、もう無理……っ!』
ほとんど同時に、全員が魔法水晶の通信を切った。
「あひゃははははははっ!」
「もう、チドリ様。暴れないで下さい」
「だ、だってそんな……ふひゃひゃひゃっ」
奇声に近い声で大笑いしているのは、ベッドに寝転がったチドリである。その隣に横になり、首元を擽っているのはレアンである。
何のことはない。チドリは湯から上がった後ベッドに転がされ、レアンに「声を出さないようにして下さい」と言われただけである。レアンがそう言いながらも擽るものだから、チドリは笑わないようにしながらも、ずっと悶えていたのだった。
「さて、と……こんなところでしょうかね」
「はぁー……はぁー……苦しい……」
「すみません、チドリ様。つき合わせてしまって……」
「いえ、いいですけど……今の、何の意味があったんですか?」
澄み切った目で自分を見上げてくるチドリに一抹の加虐心を覚えながらも、レアンは優しく微笑んで見せた。
「令嬢達はきっと、俺達が夜をどう過ごすのか、ということに興味があるだろうと思ったので」
「夜、ですか……?普通に、寝るだけじゃないんですか?」
「……ふふ」
艶っぽい笑みに切り替え、レアンはチドリの手を取った。指先に、そっと歯を立てる。チドリの顔が燃え上がった。
「……恋人が同じ屋根の下、しかも同じベッドで夜を明かすというのに……ただ、眠るだけだとお思いですか?」
一瞬キョトンとしたチドリの顔は、見る見る間に赤く染まっていった。耳や首元まで、赤は広がっていく。唇がワナワナと震えだした。
「あ、え、あ、あ、わ、わた、私、そ、その、あの」
「……っふは」
耐えかねたように、レアンが吹き出した。続いて、腹を抱えて笑い出す。声を抑えるため、レアンは自分の口に枕を押し当てなければならなかった。笑い涙の滲む顔を見て、チドリがむくれる。
「な、な、なんで笑うんですかっ!」
「す、すみませ、ふ、っくく、はははっ……!」
「笑い過ぎですよっ!」
体を起こし、チドリがレアンの脇腹を小突いた。
「っふ、すみ、すみません、ただ、チドリ様が……」
「私が何ですかっ」
「チドリ様が……あんまり可愛らしかったものですから」
「またそんなこと言って……!」
「本当です……怒らないで下さい」
手を引かれ、気づいた時にはレアンの腕の中だった。抗議しようと思っていた言葉が、喉の奥に消えていく。愛おしそうに頭を撫でられては、成す術がなかった。
「ううぅ……本当に……こういうのはズルいと思います……」
「機嫌を直してしまうチドリ様も可愛いですよ」
「むっ……な、直してないです!直してなんか……!」
「おや。ではどうすれば良いでしょうか」
「そ、それは……」
迷いに迷った末、チドリはハッと表情を閃かせた。
「じゃあ、今日はこれで一緒に寝て下さい!」
「え?」
「ふふん。これなら機嫌も直ります」
どうだ、と言わんばかりのチドリを一瞬見つめ、レアンは溜息をつきながら天井を仰いだ。
「……先ほどした話の意味、わかっていますか?」
「わ、わかってますよ!で、でも、その……安心、するので……」
次第に小さくなっていくチドリの声に苦笑し、レアンはその額にそっと口づけた。チドリが短く悲鳴を上げる。
「安心、ですか……そうですね、俺も、貴女とこうしているのは好きですし……」
「ふぇ」
「チドリ様の温もりや、柔らかさが傍にあると思う度に……ひどく落ち着くんです。小さい頃は、両親とさえこうして眠ったことなどありませんでしたから」
レアンの手が動き、部屋の明かりが落ちた。闇の中、レアンが頬を摺り寄せてくる。
「……こうして、堂々と甘えられるのも……チドリ様だけです」
「そ、それは、その……嬉しいです……も、もっと甘えてくれていいんですよっ?」
「ふふ……そうですか」
チドリとしては、てっきりレアンがまた意地悪をしてくるのではないかと身構えていたのだが、予想に反して、レアンは腕の力を強めただけだった。拍子抜けしていると、耳元に小さく、微かに震えた囁きが落とされる。
「甘えさせて下さい……もっと、俺を……貴女に溺れさせて下さい」
「レ、レアン、さ……?」
「……貴女も、俺に……」
言葉が途切れた闇の中、チドリはしばらくの間、早鐘を打つ胸を押さえ、動くことが出来なかった。




