灰爪と銀牙
レアンの部屋のソファーに腰掛け、チドリは手にした杖を眺めていた。
数日前に出来上がったそれは、あの珠桜の枝と純貴石を使ったものだ。チドリの身の丈ほどある杖は、先端の純貴石が鳥の片翼の形をしており、いかにも魔道士の杖、といった感じだった。また、チドリの胸の中にいた精霊王達は、今は杖自身に宿っている。チドリの体内に莫大な力をもった自分達が留まり続けるのはよくないと、魔力の器である杖に移ったのだった。
窓を雨粒が叩く。ここ最近は天気が悪く、鈍色の空ばかりだ。今日は朝から雨で、昼を過ぎた今も勢いは弱まっていなかった。
杖を抱きしめるようにして、そっとソファーの上で横になる。それでも、ソファーの半分以上が空いていた。
今は、会議に出ているレアンを待っているところだった。トゥオーノ国で何やら不穏な動きがあるらしく、話をしたいとレアンから切り出されたのだ。ただ少し会議が長引いているらしく、チドリはだんだん眠くなってきてしまった。昼食後の満腹も関係して、いつしか瞼が閉じてしまう。
ふと意識が浮上した時、誰かが優しく頭を撫でていた。そのあまりの心地よさに、チドリの意識が再び沈み始める。身動きすると、手の主が微かに笑う気配がした。細い指が髪を梳き、優しく流していく。緩みかけた頬を、プニプニとつつかれた。眉根を寄せて抗議してみると、また笑う気配がする。
(ステラかな……?)
そう思っていた矢先、指先が悪戯に唇を掠めて行った。
驚いて目を開けると、蒼い双眸が満足そうに細められる。
「おはようございます」
「ッレ……アン、さん」
「すみません、お待たせしてしまって……それから、不躾に触れてしまって」
「い、いえ、あの、それは……き、気にして、ないです、けど」
「そうですか?いえ、あまりにも無防備に眠っていらっしゃるものですから、つい」
「ソ、ソウデスカ……」
赤くなりながら、チドリは体を起こした。レアンは嬉しそうにクスクス笑っている。
「お話ししても大丈夫ですか?眠いのでしたら、また後ででも……」
「い、いえ!大丈夫です!今で!」
姿勢を正し、チドリはレアンに向き直った。それを見て微笑してから、レアンが話し始める。
「……先日、トゥオーノ国で行われている奴隷狩りについてはお話ししましたね」
「あ、はい」
「そのことなのですが……どうも、ここ数日で頻度が増しているようなのです」
「え……」
「魔物達の怒りは限界点でしょう。ベスティア殿がなんとか説得しているようですが、それも恐らく長くはもちません。両者が衝突するのは避けられないかと」
「……それで、私達が出来ることは何かあるんでしょうか」
「会議でも話し合っていますが、国家間の説得では難しいでしょうね。国の事情に首を突っ込むなと言われればそれまでですから……ですがやはり、トゥオーノ国の態度はどう見てもやり過ぎです。他国からは非難の声が相次いでいますし、戦争にでも発展すれば大問題です」
「戦争……」
「大丈夫です。そんなことにはなりませんよ」
「……レアンさんには、何か考えがあるんですか?」
尋ねると、レアンは不敵に口角を上げた。
「トゥオーノ国では、魔物を捕らえて闘技場に売り渡す商いが流行っているようです。そこで……俺が、魔物として闘技場に潜入しようかと」
「え……!?」
チドリの顔が真っ青になった。それを見て、レアンが苦笑する。
「ベスティア殿に任せるわけにはいきませんし……俺なら、最適かと思ったのですが」
「で、でもそんなの危険過ぎます!何かあったらどうするんですか!?」
「大丈夫ですよ。これでも天狼ですので」
「そんなこと言ったって……!!」
「闘技場に潜入して、偽の魔道士を引き摺りだします。他国を欺いた罪として裁くことが出来れば、奴隷なんてものもなくなるでしょう」
「それは、そうかもしれないですけど……」
「……ご心配には、及ばないと思うのですが」
困り顔のレアンの前で、チドリは完全にぶすくれていた。顔を覗き込もうとしても、目線すら合わせてくれない。
「チドリ様……?」
「…………」
「チドリ様ー……?」
ヒラヒラと顔の前で手を振ると、微かに潤んだ目がレアンの方を見た。唇は、拗ねたようにひん曲がっている。
「……作戦としてはいいのかもしれませんけど、それでも、頭が理解してても心が理解しないことだってあるんですっ」
「心が理解されていない、と?」
「そうですっ」
「それは困りましたね」
微笑んで、レアンは徐にチドリを優しく抱きしめた。途端にチドリの体が石のように固くなる。
「どうしても、駄目ですか?」
「……ぅぐっ……ダメ、です……っ」
笑みを深くし、レアンは甘えるように額をチドリの肩に擦り付けた。チドリが「うー!」と声を上げる。
「そ、そんなことで……!騙されたりしませんよ……!」
「騙そうなど。滅相もない」
「嘘だ……!」
「……駄目、ですか?」
「ううぅ~……!」
反論しなければと思うのに、レアンのねだるような声と優しい熱で頭がフニャフニャになってしまう。それでも、チドリは何とか歯を食いしばって耐えた。
「ほ、他の方法は……!無いんですか……!!」
「今のところはこれが最もかと」
「今のところってことは……!探せばまだ何か……!!」
「時間はありませんよ?」
「ぬう~ッ!!」
唸るチドリに、レアンは堪らず笑ってしまった。腕の中でチドリが強張ったままなのが愛おしい。
「まあ戯れを申しましたが……実際、こうする他無いと思いますよ?確実かつ、被害を最小限で抑えられます」
「…………う」
「俺の身を思って下さるのは大変嬉しいのですが……杞憂ですから、大丈夫ですよ」
囁くと、チドリがレアンの服の裾をそっと握った。
「……本当、ですか?」
「はい。俺はチドリ様に嘘など言いませんよ」
僅かに体を離す。チドリはまだ不安そうな顔をしていたが、小さく息をつくと、レアンを真っ直ぐ見つめた。
「……絶対、無理しないで下さいね」
「はい。もちろんです」
レアンが答えると、チドリは溜息をついて項垂れた。
「はぁ……いつか絶対仕返ししてやりますから……」
「仕返しとは?俺のようにおねだりしてみせるということですか?」
「う、うーん……?た、多分そういうこと、ですかね……?」
自分の言葉に自分で首を傾げた時、レアンがふっと妖しげな笑みを見せた。
「それはできませんね。俺は、チドリ様の望むことなら全て、お願いなどされる間もなく叶えて差し上げたいと思っておりますので」
「そういうところずるいです……!!」
顔を覆い、チドリはソファーの上でもんどり打った。