飛花の夜会(3)
皿の上を飾る料理達に、チドリは感嘆の息をついた。
食欲をそそる匂いに、小さくお腹が鳴る。ビュッフェのように、自分の皿に少しずつ料理を取って食べるようだった。早速料理を取り始めたチドリに、ステラが苦笑する。
「全くチドリったら……ダンスとかドレスとかより先に、料理なんだから」
「だ、だって美味しそうなんだもん……あ、これ!私の好きなやつ!」
「まあいいけどね。楽しそうだから」
嬉しそうに料理を口に運ぶチドリは、ステラの溜息も聞こえていなかった。ステラは細いグラスで飲み物を飲み、会場を見渡す。
「それにしても、やっぱり疲れるわ……作り笑いも限界って感じ。さっきの令嬢見た?お兄様に紹介してほしいって魂胆が丸見えだったわよね」
「だ、誰のことかわかんないけど……やっぱり、レアンさんって人気なんだ」
チクリと胸が痛む。
「まあね。あの顔だし……頭も良い上に、剣術もかなりの腕前だって言われてるからね。副騎士団長のカイトと渡り合えるくらいだし」
「そうなんだ……」
「でもお兄様って、今まで女の人と噂になったことが一度もないの。女の人にそこまで興味がないみたいで……だからまあ、お嬢さん方は躍起になってるんでしょうけど」
「……そっか」
思わず安堵を覚えてしまい、それにチドリはひどく罪悪感を感じた。
(なに安心してるんだろう。私)
「今回は久々の夜会だからねー。皆勢い込んでお洒落しちゃって……下心丸わかり。だから挨拶嫌だったのよ。殿下によろしくお願いしますって皆言うんだから……イディアは言わなかったけど、あの子が一番厄介だと思うわ」
「そうなの?」
「あの子の父親、かなり力のある公爵なのよ……お兄様の正室第一候補、なんて言われてるけど。性格悪いから好きじゃないわ」
「正室……」
急に、料理が味気ないものに感じられた。胸にモヤモヤしたものが広がっていく。息苦しくなって、手が止まってしまった。
「チドリ、どうしたの?食べないの?」
「え?あ、ううん……食べるよ」
機械的に口へ運ぶが、先ほどのように笑えない。心臓から徐々に冷たさが広がっていく。
(……そうだよね。王族なら、正室と側室がいるものだよね……)
胃が不快に動く。話を続けるステラの声が聞こえない。
何とか皿に取った分を押し込んで、チドリは無理矢理笑ってみせた。
「わ、私、ちょっと楽団の音楽聴いてくるね」
「え?ちょ、ちょっとチドリ!?」
ステラの声に構わず、チドリは踵を返した。人混みを縫って、楽団の傍まで来ると、壁にもたれかかる。
大きく深呼吸して、音楽に意識を集中させた。
爪先を見つめていた目線をソロソロと上げ、遠くにレアンの姿を見つける。笑顔を浮かべ、貴族の誰かと話している最中だった。貴族が、傍にいた令嬢の背を押す。進み出た少女は、頬を赤くしてレアンに何か話しかけた。レアンがにこやかに応じる。
心臓から四肢に向け、鋭い痛みが走った。
(……可愛い子だな。私なんかより、ずっと……)
レアンが何か言う。少女が楽しそうに笑う。
(ああいう子が、側室になったりするのかな……)
視界が滲み、ハッとして頭を振った。唇を噛み、爪が食い込むほど拳を握りしめる。
(なんで涙なんか……おかしい。こんなこと思うなんて)
「魔道士様?」
可憐な声に顔を向けると、心配そうな顔をしたイディアがいた。後ろに数人の令嬢もいる。
「どうかなさいましたか?具合が悪そうですわ」
「あ、いえ、あの……大丈夫、です。ごめんなさい」
イディアが近づき、チドリの手を取った。冷たいチドリの手と違い、温かい。
「手が冷えていらっしゃいますわ……誰か呼びましょうか?」
「……いえ、本当に大丈夫です。ありがとうございます」
「あの……私でよければ、お辛そうな理由を話して下さいませんか?さきほどから、ずっと心配しておりまして……」
「イディアさん……」
彼女の優しげな目に見入っていて、後ろに控えていた令嬢達が自分達を隠すように移動したことに、チドリは気づかなかった。
「……ちょっと、悲しくなっちゃっただけなんです。レアンさんと自分じゃ、住む世界が違い過ぎて……」
「レアン王子と……?まあ、そうなんですの」
「場違いだなって思って。それだけなんです」
「…………魔道士様は、レアン王子と仲が良いのでしたわよね」
「いえ、そんなんじゃ……私が迷惑かけてるだけ、で……」
「まあ……では、なぜレアン王子と一緒にいらっしゃるのかしら?」
「え……?」
「どうして、迷惑をかけていながら一緒にいらっしゃるの?」
イディアの瞳が冷たく光る。身を引こうとしたが、両手を掴まれていて動けなかった。
「わたくし、ずっと不思議でしたの……わたくし達は立派な家の出ですし、教養も容姿も申し分ないというのに……どうして、貴方のような方があの方の傍にいるのか」
「あ、あの……」
「ねえ魔道士様。王族の方にとっての幸せって何か、ご存知?」
口の中がカラカラだった。頭が真っ白になって、体が震えだす。イディアが蠱惑的な笑みを浮かべた。
「教養のある美しい正室を娶って、たくさんの側室に囲まれることですわ。側室の数は権力の証……名のある公爵家や貴族家から令嬢を貰うのが常です。貴方は何か勘違いしていらっしゃるようだけど……後ろ盾のない貴方が、どうしてあの方の隣にいられると思ったのかしら?」
「わ、私そんなこと……!!」
「思っていないの?本当かしら」
イディアの爪が、チドリの手に食い込んだ。
「分不相応な想いを抱いているのではなくて?教養も容姿も並の貴方が、あの方の幸せに適うと思って?」
「やめて下さい……!!」
力を振り絞って、イディアの手を振りほどいた。耳の奥で自分の鼓動が聞こえる。
イディアは身を引いて、憐れむような微笑みを浮かべた。
「無様な真似はなさらない方がよろしくてよ?では、私はこれで……ああ、ステラ様に告げ口なんて考えない方が良いですわよ。身に覚えのないことで騒がれたら、わたくし、お父様に何て言うかわかりませんから」
イディア達が去って行った後も、チドリはしばらくその場を動けなかった。
イディアの言葉が、耳に焼き付いて離れない。毒のように、脳を侵食していった。
泣きそうなほど悲しいのに、涙も出てこない。
会場の賑わいが、遠く聞こえた。
(……自覚なんか、したくなかった)
崩れ落ちそうになる体を、壁で支えた。
(したく、なかったのに)
煌びやかな世界が、遠ざかっていく気がした。
気づかないように、名前をつけないように蓋をしていた想いが、涙の代わりに溢れ出す。
(私、レアンさんが好きなんだ)




