飛花の夜会
イリオルス国に帰った後、ライゼはしばらく観光すると言って姿を消した。杖の材料は、レアンによって杖職人の工房に送られた。完成までひと月ほどかかるそうだ。
部屋でゆっくり過ごしていると、暗い顔のステラが訪れてきた。
「ああ……ついに来てしまったわ……避けられないこの話題が……!」
「ステラ、どうしたの?」
「夜会よ!夜会!!」
地団駄を踏んで、ステラがソファーに身を投げ出した。隣に座り、チドリはその銀髪を撫でる。
「今まで散々貴族達に言い訳して先延ばしにしてきたけど……もう打つ手がないわ!」
「えっと……夜会って、あのダンスしたりお料理食べたりする、あれのこと?」
「そうよ!!もともとチドリの事を聞きつけた貴族達が開け開けってうるさかったんだけど……チドリはまだこの国に馴染めてないからって断ってきたの!でも、この間リウビア国とトゥオーノ国に行ったことを盾にされて……他国に行けるなら夜会くらいって言い出してきたのよ!!あいつら、あわよくばチドリに取り入って王族と仲良くなろうとか考えてんのよ!!全く、忌々しいったらないわ!!」
「お、落ち着いてステラ……心配しなくても、私に声を掛ける人なんていないから」
「何言ってんのよ!あーもう!貴族の前に出るとなればチドリをお洒落させざるをえないじゃない!!益々男共が寄ってきちゃうわッ!!」
「え、ええ~……?た、確かにステラやファリアさんがしてくれると、いつもよりずっと見栄えはするけど……でも、元がこれだし……心配ないと思うけどな」
「心配大有りよ!」
「まあそんなに気にしないで。夜会だったらきっとご馳走が出るよね?楽しみだなぁ」
「ご馳走なんていいのよ……!!ああ、でも職業柄チドリを思いっきり着飾ってあげたくなっちゃうのが悔しいわ……!!」
苦笑して済ませていたステラとの会話だったが、湯浴みの時間になっても夜会の話は続けられた。
白く濁った湯からは、様々な花の香りが漂っている。
「リウビア国で買った花を混ぜて作ったの……肌の保湿効果があるから、試してほしくて」
「良い匂いだね~」
「呑気ねぇ……夜会なんて、私は嫌で嫌でたまらないんだけど」
「そうなの?」
「そうよ。煌びやかな社交場なんて建前に過ぎないわ。実質は、一挙一動に全神経を使って愛想笑い貼り付けて腹の内を探り合うようなどす黒いもんなんだから」
「ひえー……」
「それに……貴族や公爵の令嬢って、チドリみたいに素直な良い子じゃないもの。自分が一番可愛くて、笑顔の裏で何考えてんだかわかんないの……もちろんちゃんとした子もいるけど、ほんの一握りね」
「な、なんか大変そうだね……私、大丈夫かな」
「ダンスは覚えなきゃいけないわね。誰かに誘われた時のために」
「そんな機会ないと思うけど……」
「あるに決まってるでしょ。この後練習するわよ」
「えー!?」
「当たり前。貴方に恥かかせたくないもの」
うなだれるチドリを見て、ステラは悪戯っぽく微笑んだ。
湯から上がると、ステラは早速チドリを広間に連れて行った。侍女達は二人の寝支度を整えるために、部屋に戻っている。
「じゃあまずは基本の形ね。左手は相手の二の腕に添える感じで、右手は相手に合わせて……」
チドリの手を取り、ステラが丁寧に教える。チドリはしきりに頷きながら、言われた通りに動いた。
「右足を引いて、背筋はしっかり伸ばして……そう、そこで回るの。で、左足を……」
慣れぬ動作に、チドリの足がもつれる。リードを取っていたステラは一旦手を離し、顎に手を当てて考え込んだ。
「うーん……飲み込みは悪くないわね。ちょっと体力がないかしら?」
「ご、ごめん……」
「まあ、練習していけば大丈夫よ。あ、飲み物取って来るわね」
「ありがとう」
広間に残されたチドリは、もう一度体の動きをなぞってみることにした。足元を確認しながら、一歩一歩ぎこちなく動く。
(右足を引いて、爪先を……あ、背筋をちゃんと伸ばして……)
「チドリ様?」
ふいに声を掛けられ、チドリはビクリと肩を震わせた。慌てて扉の方を振り返ると、不思議そうな表情のレアンと目が合う。羞恥が体中を走り抜けた。
「レ、レ、レアンさ……!」
「こんな時間にお一人でどうされたのです?ステラは一緒ではないのですか?」
「あ、あの、えっと、夜会のダンスを、練習しているところで……ステラは、今、飲み物を取りに……」
「夜会の?」
「は、はい。ステラが、誰かに誘われた時のためにって……」
「……そう、ですか」
レアンの胸に、鋭い痛みが走った。それに気づかず、チドリが照れ笑いを浮かべながら続ける。
「私、夜会なんて出たことないから難しくて……で、でも、ステラは練習すれば大丈夫だって言ってました」
「……それはよかったです。ところで、あの……」
「はい?」
「俺でよければ、練習相手になりましょうか?」
突然の提案に、チドリの胸が高鳴った。自分を見つめるレアンの瞳は真剣そのものだ。口を開こうとするが、言葉が喉元で消えてしまう。焦っていると、レアンが苦笑と共に手を差し出してきた。
「足は踏んでも構いませんから、そんなに緊張しないで下さい」
いや、きっとこの心臓の音は、そんな緊張からくるものではない。
そう思いながらも、チドリは黙ってレアンの手を取った。優しく引き寄せられ、腰に手が添えられる。それだけで、血が沸騰しそうだった。縮まった距離に、顔も上げられない。
「チドリ様。手を……」
囁き声に、胸が震える。レアンの腕と手に触れた自分の手が熱い。鼓動が聞こえてしまいそうで、恥ずかしさに耳が熱を放つ。
流れるような動作で、レアンが一歩踏み出した。
優しい動きだった。体を任せているだけで、自然と踊れているような。音楽も無い中、耳元に落とされるレアンの囁きを頼りにステップを踏む。時折そっと窺えば、美しい微笑が返ってきた。気恥ずかしくて、また顔を逸らす。
甘い胸の疼きを覚えてもなお、チドリはその想いに気付かないふりをした。足元と両手に意識を集中させ、静かに体を滑らせる。
ステラが広間に現れ、チドリが真っ赤になってレアンから飛び離れるまで、その時間は続いた。




