二人の魔道士(3)
エーデルの準備が整い、一同はまた広間に集まっていた。
動きやすい服装に着替えたチドリの表情は硬く、誰も話しかけられないほどだ。
エーデルが杖を持ち直し、全員を円状に並ばせる。
「廃神殿はそんなに遠くねえからな。一気に転移するぜ」
言うが早いか、杖の先で床を一度打った。
「サファル・セルカ・クライス」
呪文と共に浮遊感を覚え――辺りの景色が回ったかと思うと、目の前に森が広がっていた。
「ついたぜ」
(すごい……)
肺に流れ込む空気は、緑の匂いに満ちていた。
背後の岩壁に半ば埋もれるように、神殿らしき白い建造物があった。所々壊れ、蔦に覆われている。入口らしきものの先は、闇だった。
「入るのはお前一人だ。他のやつらは、ここで中の様子を見ててもらう」
「そんな、チドリ一人なんて……」
ステラが呆然とする傍ら、チドリは無表情に「はい」とだけ答えた。
「中に入ってまっすぐ進めば階段がある。それを降りれば祭殿のある広間だ……お前が着くのと同時に、俺が岩人形を召喚する」
「……わかりました」
「あー魔法水晶置くからそこどいてくれ、シャイルとお前はそこに……」
エーデルが指示を出し始める。チドリは一人、神殿の入り口に向かって歩き始め――ふと手を掴まれた。見ると、自分でも驚いた表情のレアンがいた。
「レアンさん……?どう、したんですか?」
「あ、いえ……」
手を離し、レアンが寸の間黙る。やがて、意を決したように口を開いた。
「……いってらっしゃいませ」
「……はい。いってきます」
静かに微笑んで、チドリは中へ踏み出した。
薄暗く、仄かに草と雨の匂いがする。廃神殿というが、満ちる空気に自然と背筋が伸びる気がした。
(……そうだ。せっかくだから何か呪文を試してみよう……)
右手の平を上に向け、胸の前に持ってくる。
「す……スヴェート」
頼りない詠唱にも関わらず、手のひらの上にはしっかりした光の球が現れた。綿のように漂い、足元を照らす。
「よ、よかった……」
光と共に階段を降り、ついに祭壇の見える広間に辿り着いた。
高い天井には色の剥げかけた絵が描いてある。何が描かれているかわからなかったが、かろうじて翼のようなものが見えた。正面には、崩れかけた大きな像。床は隙間から草が生え、壁は蔦に覆われていた。荒れ果てていても、かつての美しさはまだ少し残っているように思える。
「すごい……」
『ボサッとしてんじゃねえよ――行け』
突然辺りに響いたエーデルの声と共に、広間の中央が青白く光った。
息を呑むチドリの目の前で、光の中から何かが這い出てくる。最初に見えたのは、岩で出来た手だった。チドリ一人くらいならあっさり握りつぶせてしまいそうな――そして、巨大な顔。続いて体――腕を伸ばせば、天井につくのではないかと思うほど大きかった。
表情の刻まれない顔が、チドリの方を向く。
『やれ』
岩人形の右手が動き、チドリめがけて振り下ろされた。
「……ッ」
寸でのところで避け、転がる。心臓が早鐘を打っていた。もつれる足を何とか動かし、走り出す。
後方で壁が砕ける音がした。
瓦礫が体を掠める。
「ジス・ステュートッ!」
麻痺呪文を飛ばす。
が、破裂音を立てただけで、全く効いていないようだった。
岩の拳が落ちてくる。
辛うじて避けたが、砕けた瓦礫が頬を掠った。
「ああッ危ない!!」
ステラが悲鳴を上げる。外に控える六人の目の前には、魔法水晶で映し出された広間の光景が広がっていた。
岩人形の振り下ろす拳を避けながら、チドリが時折弱弱しい魔法を飛ばしている。
「ったく、情けないったらねえな。こんな無様な戦い方する魔道士がいるなんてよ」
「あ、あんたねえ……!!」
ステラが怒りに肩を震わせる。
「いきなり訪ねてきたと思ったら何なのよさっきから!もうあったまきたわ!!」
「ふん!弱いやつが悪ぃんだよ!!」
「なによこの高飛車坊ちゃん!!」
「んだとこのチビ!!」
「これこれ、やめぬか二人とも」
シャイルが仲裁に入る。二人は今にも取っ組み合いを始めそうな勢いだった。
ステラが半べそをかいて喚く。
「お兄様はなんとも思わないの!?チドリがこんな目に遭ってるのに……!!」
「……落ち着け、ステラ」
レアンは静かな表情のまま、戦い続けるチドリを見つめていた。
ステラが叫んだ。
「なによお兄様まで!!チドリのこと心配じゃない……の……」
ステラの目が、レアンの拳に止まった。
骨が浮くほど握りしめられたそこから、赤い血が滴っていた。
緑の草の上に、真紅の雫が落ちる。
「心配してるに決まっているだろう」
苦笑を浮かべるレアンの顔は、わずかに青ざめていた。
「それでも……あの方が、自分で決められたことならば……俺は、信じてお帰りを待つ」
内心では、すぐにでも駆けつけたくて堪らなかった。
あんな木偶を粉々にして、チドリの怪我を治してやりたかった。
だが、できない。
チドリが、それを望んでいないから。
(どうして貴方は……傷つけたくないと思う俺の前で、傷つかれてしまうんでしょうね)
胸の中で呟いたレアンを、エーデルがジッと見つめていた。