雛鳥と花嵐(3)
「楽しかったわね~」
「つ、疲れたよ……」
夜。
大浴場で湯につかりながら、ステラは満足そうにそう言った。チドリは疲れ切った様子で溜息をつく。
「だって、侍女達があんまり楽しそうにするものだから……私もつい、ね」
「慣れなくて大変だったよ……」
「元いた世界ではしなかったの?こういうこと」
「人にされるのはもちろんだけど……自分でも、お化粧なんてしたことないよ」
学生であっても、チドリの周りには既に化粧を覚えた生徒が何人もいた。チドリはもっぱらそういうことに疎く、風呂での洗顔以外にそういったことをしたことがない。
そう告げると、ステラがアメジストの瞳をいっぱいに見開いた。
「信じらんない!興味もなかったわけ?」
「うーん……分不相応なことはするなって言われてたのもあるけど、単純に大人っぽいっていうか……自分には遠い世界に感じてね」
「……分不相応?」
「うん。引き取った人に言われたの。学生の身分でそういうことするもんじゃないって……化粧品って、高かったしね」
ステラの形の良い眉がグッと寄った。
「……何よそれ。綺麗になるのに分もなにも関係ないわよ」
「ステラ……?」
「はあ……でも、なんとなくわかったわ。チドリがいつも自信なさそうにしてるの」
「え?」
「……あなた、あんまり自分の事好きじゃないでしょう」
痛いところを突かれ、チドリは言葉に詰まった。「図星ね」とステラが苦笑する。
「……うん。実を言うとそうなの……私、チビだし、ステラやレアンさんみたいに綺麗じゃないし……勉強できないし、運動も……」
「あーダメダメ!そんなんじゃダメよチドリ!」
「んぶっ」
ステラは唐突に、チドリの頬を両手で挟んだ。そのまま自分の顔の方に向かせる。
「自分の欠点ばっかり見てちゃダメよ!それに、自分から見れば欠点でも、他の人から見れば良い所に変わったりするんだから!」
「んむむ……むぅ?」
「それに!自分の事綺麗じゃないっていうのもやめなさい!あなたは十分可愛いわ!」
「んむ!?」
「女は皆そうなのよ!磨けば光るの!自分からくすんでどうするのよ!」
頬を離したステラは、今度は腰に手を当ててチドリを睨んだ。頬を抑え、チドリはポカンとする。
「可愛くなりたい、綺麗になりたいって思うのはいけないことじゃないわ。それを叶えるために私はお店を開いたんだから!」
「……ステラは、すごいね」
「ふん。それを言ったらチドリだってすごいじゃない」
「私が?」
「……お兄様を、救ってくれたんだもの」
チドリの隣に腰を下ろし、ステラは銀色の睫毛を伏せた。
「……発作が起きるたび、お母様は泣いてたわ。私は、苦しむお兄様を助けてあげたかったのに……どうしても、そのお姿が怖くて。地下牢に連れて行かれるお兄様を見ては、情けなくて泣いたわ……お兄様は、どんどん自暴自棄になっていって……笑顔が、作り物めいたものに変わっていったの。人と距離を置いて、カイトやエスカマやアジーンにさえ本心を見せようとしなくなった。そんなとき……チドリが現れた」
湯気のせいか、その瞳が潤んでみえた。
「お母様からのお手紙を読んだとき、嬉しすぎて泣いちゃったわ……ああ、やっとお兄様が救われたんだって。あの苦しみから、孤独から……解放されて、やっと自由になったんだってね。だから、居ても立ってもいられなくて、チドリにお礼を言いにきたの」
本当に、ありがとう
真っ直ぐなステラの目は、チドリの胸を打った。
「ううん、私は……ただ、自分にできることを探して必死だっただけで……レアンさんには、こっちに来たときすごくお世話になってたし……」
「チドリって本当に謙虚ね……でも、過ぎれば卑屈よ?気をつけなさいね?」
「え?う、うん」
それにしても、と、ステラの表情が不思議そうなものに変わった。
「手紙にあったけど……お兄様が、その、天狼?だって……天狼って、いったい何なの?」
「あ、えっとね……私も、書庫にあった本で読んだだけなんだけど……」
天狼とは、太古の昔、イリオルス国の祀る神であるシェーネ・ティ・クラーロ神が創り出したと言われる、伝説上の種族である。
伝承の上でしかなかったはずの存在だが、王族の中に、稀にその血を発現させる者がいた。
天狼の力は凄まじく、魔物、人間など、全生物の中で最強と言われている。
その脚は一晩で国を横断し、耳は万象の音を聞き分け、目は人の善悪を見抜き、爪は大地を裂き、牙は岩をも砕くという。
何よりも特筆すべきなのは、その恐ろしいまでの忠誠心である。
シェーネ・ティ・クラーロ神に創り出され、その神に仕えたとされる天狼の忠誠心は何よりも深く、厚い。一度自身が仕えるべき主と決めた者は、命を賭して守り、尽くす。そのため、主の敵と見なした者には、悪魔のように冷酷になるというのだった。
話を聞き終えたステラが、感心したように目を瞬かせる。
「へぇ~それが天狼なのね……お兄様が冷酷に、ねぇ」
「カイトにも同じ話したんだけど、なんか納得してたよ」
半分呆れたようなカイトの顔を思い出し、チドリは思わず笑った。ステラはカイトと同じような顔をして「あー……」と呟く。
「……なるほどね。まあ確かに納得だわ」
「え?ステラも?」
「うんうん。まあそうよねー」
「え、ちょ、私だけわからないんだけど……!」
「いいのよーチドリはそのままで」
「え、え、え!?」
目を白黒させるチドリを、ステラはまるで幼子にやるように「よしよし」と頭を撫でた。




