二人の魔道士
月日はながれ、花の月に入った。
チドリの世界で言う春が、イリオルス国にも訪れる。
風は花々の香りを含み、暖かく頬を撫でていく。城の庭にも、色とりどりの花が咲き誇っていた。
そんな、心地よい暖かさに包まれた朝。
ベッドの中で、チドリは抗いがたい誘惑と戦っていた。
「チドリー!おーきーてー!」
「んん……お願い……あとちょっと……」
春の眠気というのは、どこに行っても恐ろしいものである。加えてベッドがフカフカなものだから、チドリはステラに揺すられても瞼を開けられないでいるのだった。
「全くもう……!!こうなったら、最後の手段よ!」
「んみゅ……?」
叫んだステラが荒々しく部屋を出ていく。チドリの意識が沈みだした時――
「こんなに気持ち良さそうにしていらっしゃると、お起こしするのは忍びないのですが……」
「ッ!!??」
見開いた目に、柔らかな春の光に溶けた青の双眸が映る。
花のような笑顔で、レアンがこちらを見つめていた。
「おはようございますチドリ様。まだ眠いのであれば、無理せずとも……」
「ちょっとお兄様!寝かしつけてどうするの!!」
「イヤ、アノ、スミマセン、オキマス……」
真っ赤になりながら、チドリはもごもご言った。
ステラはしてやったり顔で、レアンの背を押す。
「さあさあ!チドリは着替えなきゃいけないからお兄様は出て!」
「お、お前……!勝手に人を呼びつけておいて」
「す、すみませんレアンさん……」
「いえ!チドリ様のせいではありませんよ!」
「……お兄様ってチドリに甘いわよね……」
レアンを部屋の外に押し出し、ステラが振り返った。
「うう~……ステラの意地悪……」
「お寝坊さんが悪いのよ。春の陽気にかまけて寝坊してたら、またお兄様にみっともないとこ見られるわよ?」
「はぁい……」
ベッドから出たチドリは、テキパキとステラに着替えさせられてしまった。
朝食の席には、レーヴェとフィオーレ、そしてレアンが既に揃っていた。
「チドリがお寝坊さんだから、遅くなっちゃったわ」
「ス、ステラ……!!」
「ふふふっチドリ様も、暖かいと眠くなってしまわれますわよね」
フィオーレに微笑まれ、チドリは顔から火の出る思いだった。
レアンが苦笑する。
「寝坊されるほど、御心が休まってきているということですよ。良い事ではありませんか」
「う……でも、明日からはちゃんと起きるようにします……」
まだ僅かに耳を赤くしながら、チドリは焼きたてのパンに手をつけた。
「チドリ様、本日はどのように過ごされるのですか?」
「そうですね……また、書庫で魔法の勉強をしようと思います。この間中級編を読み終わったところで……ん?」
言葉の途中で、チドリはにわかに廊下が騒がしくなっていることに気付いた。他の四人も、顔を見合わせる。
「どうしたのかしら?」
「さあ、ちょっと確かめて……――」
レアンが立ち上がりかけたとき、騒ぎが広間のすぐそばまで近づいて来た。執事の焦ったような声が聞こえる。
「……ち下さい!お待ち……様!!」
「なんだ……?」
レーヴェが呟くのと同時に、広間の扉が乱暴に開かれた。
そこにいたのは、一人の青年と、艶やかな美女だった。
青年の紺色の髪が、朝日の中で光る。同色の目は厳しくこちらに向けられていた。片手に、立派な作りの杖を持っている。何とも珍しい服装をしていた。
美女の方は、穏やかな表情をしていた。艶のある黒髪が膝ほどまで流れている。結い上げた部分には、簪のような物が飾られてあった。切れ長の妖艶な濡れ羽色の目が、吸い込まれそうなほど美しい。赤く色のさしてある唇は、艶美であった。玉のような肌に身に着けているのは、元の世界の着物によく似た衣装だ。
青年の視線が、四人に止まった。
「……朝食の最中か。悪いな」
全く悪いと思ってないであろうことが、青年の口調から伺えた。
レアンが厳しい声を出す。
「……貴方がたが、一体何の御用ですか」
「ふん。王族には関係の無いことだ」
青年が冷たく返す。広間の中を眺めまわしていた目が、チドリに止まった。侮蔑が広がる。
「……へえ。イリオルス国では小間使いまで一緒に飯を食べるのかよ」
レアンが殺気を放った。瞳の中に金色がチラつく。
「……なんだと?」
「そこにいる奴だよ。誰だ?それ」
「この国の魔道士よ!!」
ステラが叫んだ。青年が一瞬キョトンとし――次いで、その顔を愕然とさせる。
「はあ!?嘘だろ!?」
「嘘なんかじゃないわよ!!なんなのアンタ!!」
答えず、青年がチドリの方に近づいた。レアンが、チドリを庇うように立ち塞がる。
「……どけよ。邪魔だな」
「邪魔はどちらですか。この方になんの用です」
「すまぬな。王子殿」
遅れてやってきた美女が口を開いた。仙楽のような声音に、思わずうっとりする。
「妾は止めたのじゃが、此奴がどうしてもと譲らなくてのう……不躾でがあるが、こうして押しかけてしもうたのじゃ。真に、面目ないのう」
「なんだよ!俺が我儘言ったみたいじゃねーか!」
「実際そうであろう。見よ、件の者が怯えておるではないか」
美女が、チドリと目を合わせ、すまなそうに微笑んだ。ポッとチドリの頬が熱くなる。
「いいからそこどけよ!俺はコイツに用があるんだ!」
「ですから、その要件を言えと言っているのです。いきなり訪ねて来てその態度は何なんですか」
「ケッ!王族が、ネフェロディス国の魔道士に指図しようってのかよ!?」
「魔道士……!?」
呆然としたチドリの呟きに、レアンが一瞬気を取られた。その隙を見逃さず、青年がレアンを押しのける。急に迫った青年の顔に、たまらずチドリは仰け反った。
「……お前が、イリオルス国の魔道士、だと?」
「……え、あの……誰ですか」
顔を離し、青年は嫌悪の目でチドリを見下ろした。忌々しげに、その口が動く。
「俺はネフェロディス国の魔道士、エーデル・ペルフェ・クアドラートだ」
「妾にも自己紹介させてくれんかのう」
美女が進み出て、優しくチドリの両手を取った。フワリと、薫香が鼻を掠める。
「妾はリウビア国の魔道士、シャイル・オルタンジアという。初めまして、小さな魔道士殿や」
「あ、は、初めまして……チドリといいます」
「おお、偉いのう。しっかり自己紹介できるではないか。どこかの猿と違って、誰かと問われる前にな」
「おいそれ俺のことかよ!」
「さあのう」
クスリと笑って、シャイルが体を離した。厳しい表情のままのレアンが、チドリの傍に立つ。
「……それで、ネフェロディス国とリウビア国の魔道士が、一体何の用なんです」
「なぁに、そんな難しいことじゃねえさ」
エーデルの口が、厭らしく弧を描いた。
「イリオルス国の魔道士の力を、見せてもらおうと思ってな」




