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ハードボイルドワルツ有機体ブルース  作者: N.river
38/89

ACTion 37 『告白』

「お、始まったようだな」

 あぐらを解いてライオンが、さも愉快そうに身を乗り出した。個室の上がり口へにじりよると、両足を下ろして聞き入る。ネオンが吹き鳴らす楽器は、うねり重なる袋の重低音を相手に高らかと弾けクリアな音色を響かせていた。相変わらず迷うことなく小刻みに縦横無尽と音階を連ね、多勢を相手に負けじと、しかしながら茶目っ気たっぷりにメロディーを奏でている。

 塗膜を張り替えつつドックで聞いた時からそれは、ライオンの心をことごとく掴んで離さなかった。おかげでまたもや体は揺れ出し、精算カウンターでボーイも手を打ち続けている。見守るデミこそマネージャーそのものだった。次第にヒートアップしてゆくネオンと楽団の様子を傍らで注意深く見守っている。

 時に演奏は方向を見失ったようにほぐれ、舵を失った難破船がごとく迷走した。だが決して止まることなく、むしろそうした荒波が訪れれば訪れるほど乗り越えた互いは阿吽の呼吸と音色を強く絡み合わせていった。やがてそれは異種格闘技かと熱を帯びて渦を巻き、誰にも止めることの出来ない領域へと入ってゆく。

 迫力に、いつしか花の飾りつけに追われていた『デフ6』も手を止めていた。忙しいハズの厨房からもコックたちが素っ頓狂と顔をのぞかせる。いや、そもそも無視することなどできはしないのだ。耳のみならず皮膚からも浸透してくるこの響きと、そこに込められた熱は、抗うことの出来ない興奮を皆へ伝播させる。伝播させて誰もの体を小さく、大きく、揺らしていった。

「今日はえらく調子がいいな」

 眺めて満足げに牙をむき出し、ライオンはアルトへと振り返る。がしかし壁際へ背をもたせかけたアルトは仏頂面で両目を閉じたきりだ。目にしたライオンは満足の底が抜けたかのように、浮かべていた笑みをしぼませていった。

「だから一体、何だというのだ?」

 眉間に生えたテグスのようなヒゲを逆立てる。

「いいではないか。先に靴代を出し渋ったのは、あなたの方だろう。この分だと貸した金額に利子がついて返ってきてもおかしくはないぞ。そのどこが気に入らないと言うのだ。一晩明ければ、くれてやるだの言い出すなどと、ネオンでなくともいい気はしない話だ」

 ままに下ろしていた足を引き上げる。困り果てたようにため息をつくと、アルトへ体ごと向きなおってみせた。

 と、アルトの口元が何事かを綴って小さく動く。声は嵐のごとく激しさを増した演奏にかき消されライオンの耳まで届かない。

「何だと?」

 思わずライオンは聞き返していた。

 応じてアルトはまぶたを持ち上げる。幾分、張った声で繰り返してみせた。

「茶番なんだよ」

 それは棘もあらわな響きだ。耳にして言わしめる理由こそわからずライオンはきょとんとする。ならば間抜けたその視界から抜け出すように、アルトは壁から背を浮き上がらせた。立ち上がるべく前屈みとなったその時だ。ライオンの目に差しこまれたスタンエアはチラリ、映る。

 『アーツェ』へ上陸して以来、それは操縦席の背もたれに貼り付けらていた代物だった。いったいどういう風の吹き回しで携帯することとなったのか。ライオンは思う。いや、スタンエアがそうもアクセサリー感覚のものでないなら、おそらく変わったのは気分ではなく状況なのだ。気づかされて息を詰めた。

 いつしか体はあれほど揺れていたリズムを忘れている。代わりに茶番の意味をようやく理解できたような気がして、間延びしていた表情を元へと戻していった。

「なるほど。だからしてあなたはここを早く立ち去りたい。靴代などくれてやる、というわけか?」

 立ち上がったアルトはすでに胸の高さにまでしかない間仕切りの前に立っている。戯れるネオンと楽団の様子を、そこからひどく厳しい面持ちで見つめていた。

「どうもあなたとネオンを一緒にしない方が、彼女のためにもいいように思えてならない。あなたはすぐにもここを発て。ネオンのことはわたしがトラとの間に入る」

 と、わずかにアルトが振り返ってみせた。

「違うのか?」

 向かってライオンは鼻先を振り、腰のスタンエアを示してやる。だがのぞくアルトの横顔に変化はなかった。遠く近くで絶好調と跳ね回る演奏だけが、ふたりの間でから騒ぎを続ける。騒がせておいてアルトの視線は再び、ネオンたちへと戻されていった。

「あいつは、ドクター・イルサリの依頼で『ミルト』へ来たと言っていた」

 言う。

 しかしながら声は正面を向いているせいでライオンには聞こえ辛い。自ずと体は前へ乗り出し、だからして聞き違えたとは思えなかった。

「あいつを『ミルト』へ呼んだのは俺だ」

 アルトは確かにそう言っていた。

「なん?」

 ライオンはしばし言葉が継げなくなる。

「ちょっと待て」

 事態を頭の中でどうにか整理しなおした。

「つまり……あなたは自分が、その、ドクター・イルサリだ、と言っているのか?」

 なにしろ理屈を辿ればそうならざるを得ない。

「ふん、連邦名医のイルサリ、か」

 アルトが鼻で笑い飛ばしたのを聞いていた。

「まさか。あ、あなたはジャンク屋ではないか。いくら軍が絡んでいそうだとはいえ、そもそもドクターはすでに死んだ。あなたが死人だと?」

 一杯食わされた。ようやく笑いはこみ上げてくる。しかしながら認めてアルトが同様に、表情を緩めることこそ起きはしなかった。ただ低くこう言い放つ。

「なら、あんたはボイスメッセンジャーだろ。あいつを勝手にされちゃ困る。俺はそれが言いたかっただけだ」

 笑い損ねてライオンは、中途半端と息を止めていた。

 楽団の奏でる低音もまた、ふいと鳴り止む。

 回転していた袋は今やフィニッシュと宙へ高く放り上げられ、大きく身を反らせたネオンも再びキャッチされるまでの間合いをはかり、くわえた楽器を高く振り上げていた。団員達の手が袋を掴む。素早く吹き口を鼻へあてがいこれでもか、と吹き鳴らしてみせた。おっつけネオンもそこへ加わる。艶やかな音色を上から下へ、壊れそうなほどに綴った。

 果てのアイコンタクトはごく自然だ。

 息もぴったりに演奏は締めくくられる。

 しぼむ袋が、うなだれていた。

 ネオンもまた楽器からそうっと唇を離してゆく。

 余韻にさえ音色は満ちていた。

 経て、団員たちがはちきれんばかりの笑みに鼻溜を膨らませる。ネオンもまた心地よい疲れをにじませ笑い出だした。そんなネオンへすかさず団長が握手を求め手を差し出す。ネオンが握り返せばすぐさまふたりは旧知の友であるかのような抱擁を交わした。抱擁で、互いの演奏を称えあう。デミもまたネオンへ飛びついていった。

 傍らで手を打ち鳴らしていたボーイはどういうわけだか涙ぐんでいるらしい。厨房の動きもいつしか完全に止まると調理着に身を包んだコックたちが、振り回して少しくくたびれた花を手にした『デフ6』が、拍手でネオンと団員たちを取り囲む。

 ただ中で応えてネオンが冗談交じりと投げキッスを振りまいてみせた。ひとしきり終えたなら、離れた個室から様子を伺うアルトとライオンへも跳ねて手を振る。

 だがアルトを凝視したままのライオンに、ネオンへ答えて返す余裕はなかった。ただアルトだけが小さく手を上げ微笑み返す。

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